ときどき読み手の方から真っ向から対立する意見が届くことがある。 * * * * * 私は前々回の「女の不用意」に、男と女が初めて深い関係になるタイミングについての渡辺淳一さんの説、「女性にもその気がなかったわけではないのに、なにか間が悪くそうなれなかった場合、たいていの男は二度は挑まない」にはそうだろうかと首をひねる、と書いた。 前回の「男の不用意」に、「男性は女性のように、自分をよく見せようとせんがために妙なところで見栄を張ったりかっこつけたりすることはないのだろうか」と書いたところ、こんなメールをいただいた。
前回のテキストには男性からいくつかメールをいただいた。いずれも、 * * * * * JR大阪駅のショッピングモールに通じる地下道の壁に『グンゼ』の広告がある。 その昔、よかったらうちでお茶をと誘ったら、男性は「えっ、いいの!?」と目を輝かせた後、じゃあ一度家に帰ってまたすぐ来るよと言った。
※ 前編はこちら。 というわけで女側の不用意についてここまで書いてきたけれど、予想外の展開に慌てたり躊躇したりするのは女性に限ったことなのだろうか。
俵万智さんのエッセイの中に、渡辺淳一さんの『男というもの』を読んで書いた文章があった。 こういう話は友人からもちょくちょく聞くが、なんてもったいない!と思うと同時に、私は不思議でならない。
会社の定時は二十一時。そのため、同僚たちは毎日自分より先に帰宅する夫と子どものために夕食の支度をして出勤してくる。 * * * * *
週刊誌で、渡辺淳一さんの「『恥ずかしがり』の文化」というタイトルのエッセイを読んだ。 * * * * * では、答え合わせ。 国民性を揶揄する、こんなジョークがある。お題は「注文したビールに虫が浮いていたら」。
週末、遠方に住む妹夫婦が子どもを連れて実家に泊まりに来ていると聞いて、帰省していたひとり暮らしの友人。 友人と話していて少しばかり驚くのは、自分から好きだと言った経験はないという女性が少なくないことだ。私は堪え性がないので、気持ちを胸のうちに留めておくことができない。 思へば遠く来たもんだ
前回の日記の追記です。mixiに興味のない方、今日までご辛抱を。 * * * * * ところで、昨日mixi関連のサイトをめぐっていたら、びっくりするような記事を見つけた。「mixi依存症」の二十六歳の女性を取り上げたものだ(こちら)。 そうは言いながらも、今回は(心を入れ替えて)機能を理解し、プロフィールもちゃんと書いて、ちょっとまじめにやってみるつもりだ。
『週刊文春』で中村うさぎさんの「私のお部屋に来て!」というエッセイを読んだ。登録してまもないというmixi(ミクシィ)についての話である。 「自分の存在をどうのこうのといったって、たかがネットの世界じゃないか」と中村さんを笑う人は多いに違いない。たしかにものすごくバカバカしい。 * * * * * さて、日記を書きはじめて中村さんのmixiライフはバラ色に変わったのだろうか。
※ こちらのつづきです。
こんなにじっくり友人と語り合ったのはいつ以来だろう。 このところ、独身の友人が将来について不安を口にするのを聞くことがとても多い。
※ 前編はこちら。 * * * * * それにしても、である。バスタオルを巻いただけの姿で脱衣所から湯壷まで歩くのは、どれほど勇気がいることだろう。 前編のテキストに、ある男性から「私は混浴風呂には絶対に入りたくない」というメールが届いた。
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