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2024年12月27日(金) 失くしちゃいけないもの。忘れちゃいけないこと。

「バッカじゃないの!」
読みながら、思わず乱暴な言葉が飛び出した。東京美容外科の女性医師によるSNSへの不適切投稿についての記事である。

献体前でピース写真の記事

解剖研修のためにグアム大学入りするときの動画には、「いざFresh cadaver(新鮮な御遺体)解剖しに行きます!!」のテロップ。笑顔で手を振り、ショッピングか観光にでも出かけるかのようなテンションだ。
その時点でイヤな予感がしたが、まさか解剖室内を「頭部がたくさん並んでるよ😊」と紹介したり、献体をバックにピースサインで記念撮影したりするとは……。
「ご遺体は全てモザイクをかけていたつもりでおりましたが一部出来ていないところがありました」
問題はそこじゃない。
こんな人が院長だなんて……と唖然としたが、女性医師の上役にあたる統括院長という人が出した謝罪文はさらにズレていた。

ただ、解剖をする事は外科医にとって、とても重要な意味を持ちます。腕の良い外科医を作るうえではなくてはならないものだと考えています。この写真は、アメリカで解剖している事ですので、日本ともルールが異なります。この事で臨床医師が解剖できる火が消えませんように願います。


解剖という行為が批判されていると思っているらしい。

解剖台に並んだ献体にモザイク代わりにニコちゃんマークを重ね、そのニコちゃんに「Thank You」のプラカードを持たせた写真もあった。
「こんな光景、見たことないでしょ。びっくりしたでしょ!」
というドヤ顔が目に浮かぶようだ。
たしかに驚いた。とてもショックだった。「どうぞこの体を使って存分に勉強してください」「次の世代の人たちのためにどうかいい医師になってください」と無償でわが身を差し出した献体者への感謝、敬意がみじんも感じられないことに。
解剖室でのピース写真にはほかにも四人の参加者が写っていた。彼らも医師だろう、ガッツポーズや変顔をしていて彼女と同じ感覚であることに言葉を失う。
「新鮮なご遺体での解剖は日本ではできず、とても貴重な機会だったため、より多くの医師に知ってもらいたいと思い、投稿しました」
と釈明していたが、ニコちゃんマークの加工をしてブログにあげる必要がどこにある。
看護学生時代、私も解剖見学に参加したことがあるが、大学の解剖実習室で笑ったり私語をしたりする者など一人もいなかった。黙祷に始まり黙祷に終わるあの厳粛な場で「みんなで記念撮影しよう!」となるのが信じられない。

記事のコメント欄で、
「献体に登録するつもりだったが、撤回した」
「もし家族が献体したいと言ったら、ぜったい反対する」
というのをいくつも見かけた。
献体は遺族の同意があってはじめて可能になるが、故人が望んだこととはいえ、「亡くなってまで体にメスを入れられるのか」と思うと耐えがたいものがあるんじゃないだろうか。防腐処置のため四十八時間以内に搬送しなければならず、葬儀は空の棺で行うこともあるという。そして遺骨が返ってくるのは何年も後。それでも遺志を汲んで、「教材として役立ててください」と提供してくれたのである。
そのことに思いが至らない人が目の前の患者の苦悩に寄り添えるものだろうか。
献体の登録者が減ったら、医学生が人体の仕組みを理解する上で不可欠な解剖実習を十分に行えなくなる。この女性医師は日本の医学教育の足を引っ張る、大変なことをしたんだ。



看護学校のカリキュラムには臨地実習というものがある。学内で学んだ知識や技術を実際の医療現場で実践するのだ。
三年間で十人以上の患者さんと関わらせていただいたが、強く印象に残っているのは終末期看護の実習で受け持たせてもらった女性である。
初日、あいさつに行くと目を閉じたままかすかに頷き、「よろしく」の形に口が動いた。目を開けることも声を出すこともできないほどの状態で、どうして実習生を受け入れてくれたのだろう。家族以外の人間がそばにいるなど苦痛が増すだけではないのか、と思った。
その方は二週間後に亡くなり、私は家族に尋ねずにいられなかった。残された大切な時間をご家族だけで過ごしたかったのではないですか、と。
娘さんは言った。
「師長さんからお話があったとき、母はこう言ったんです。『立派なお仕事に就こうとされている方のお役に立てるなら、喜んで』って。だから私たちもよかったと思っています」

かけがえのない時間に“同席”することをゆるしてくれたことへの感謝はいまも薄れることはない。
「学生さんのためになるなら」と思ってくれる人がいるから、医師や看護師になれる。そのことを忘れちゃいけないと思う。

【あとがき】
解剖実習後、ある医科大学の教授が返骨のためにあるお宅を訪ねたときの話。八十歳になるご主人がモーニング姿で玄関先に立っていて、妻を出迎えたそうです。
「ああ、本当に奥様の帰りを待ちわびていたんだ。大切な奥様の体を捧げていただいたんだ。自分たちはこの気持ち、医の倫理をぜったいに守らなければならない」と改めて思ったといいます。
学生にとって、解剖実習は人体の構造を学ぶだけの機会ではないはずです。


2024年12月03日(火) お箸の国の人だもの。

「このあいだ、〇〇でごはん食べてたでしょ」
職場のエレベーターで一緒になった理学療法士さんに言われた。たしかに一週間前、その店でお昼を食べたけど……もしかしていたの?
「だったら声かけてくれたらよかったのに!」
「だって、休みの日に仕事場の人間には会いたくないだろうなーと思って」
いやいや、見られていることに気づかずにいるほうがよっぽどイヤである。ひとりでものを食べているときの無防備な姿を知り合いに見られるのははずかしい。彼女は私がなにを注文したかも知っていたけれど、そうやって一方的に“観察”されている状況もあまり気分のいいものじゃない。

ところで食べ姿といえば、石破茂首相がまたヤフーニュースで話題になっていた。
今度はおにぎりだという。おにぎりにケチをつけられる食べ方なんかあるのか?と思い見てみたら、衝撃映像だった。ウケ狙いでやっているのかと思ったほどで、うっかり笑ってしまったではないか。
前回、「国辱もの」とまで言われたから食べ方には気をつけているだろうに、どうしてこんなことになっちゃうんだろう。

石破さんのおにぎりの食べ方

画像クリックで動画が再生されます


数年前に撮影された食事シーンの動画がXに投稿され、大ブーイングを浴びたのがひと月ほど前のこと。
箸が持てる持てないというレベルではない。あんな茶碗の持ち方をする人を私は初めて見た。人差し指を茶碗のふちに引っかけて持ち上げるのだ。そして両手には一本ずつ箸を持ち、つつくようにして焼き魚の身をほぐす。
子どもでも「なんて行儀の悪い!」ときつく叱られるにちがいないこんな食べ方をこの歳までよく続けてこられたものだ。
食事中に肘をついてはいけないと躾けられなかったんだろうか。この食べ姿を見て、妻はなんとも思わないんだろうか。いままで側近の誰ひとり進言してくれなかったんだろうか。

石破さんの食べ姿

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動画についていた「一緒にメシに行った人がこの食べ方だったらドン引きする」というコメントを読み、友人がお見合いをしたときの話を思い出した。
写真やプロフィールを見てはりきって出かけたのに、後日訊いたら断ったという。
ホテルのレストランで、彼が幼児がスプーンを掴むようにナイフを持つことに驚いた。当然うまく切れない。最終的にフォークで引きちぎられた肉片と飛び散ったソースで汚れた皿を見て、「この人、ムリかも……」がよぎったところに迎え舌が決定打となり、断りの返事を入れたらしい。

これを聞いて、「手先が不器用でも中身はいい人だったかもしれないのに」と男性に同情する声もあった。
しかし、その歳まで生きていたらふつうは知っていること、誰もが自然にマスターすることがすっぽり抜け落ちていたら、私は「どんな生活してきたんだろ……」といぶかしく思う。器用不器用の問題ではない気がする。
石破さんについても、「政治家としての仕事をしてくれれば、食べ方なんかどうだっていい」という意見をちらほら見かけたけれど、政治の手腕とそれは無関係だろうか。
一般市民ならマナーがなっていなくても損をするのはその人だけだが、石破さんは一国の総理。晩餐会を開くこともあるだろう。そのとき、お箸の国のトップがバッテン箸というのは恥ずべきことだと思う。敬意を表して日本の食事作法を予習してきた招待客のほうがきれいな持ち方をしている、なんてことはあってはならないのだ。
新内閣発足後に官邸で撮影されたひな壇写真でも、石破さんは丈の長すぎるよれよれのズボンを履いていて、「だらし内閣」「みっとも内閣」と揶揄された。
各国首脳と対等に渡り合うには身につけておくべき知性や品格というものがあるはず。日本の代表という立場にふさわしい身だしなみや立ち居振る舞いをすることもれっきとした職務ではないか。



グルメ番組の食レポはもちろん、食べ物関係のCMでも個性的な箸使いをしているタレントさんを見かける。
「手元に注目されると商品の印象が薄くなるので、撮影のときだけ直してください」
と注文はつかないんだなあ。ちゃんと箸を持てる人を起用しよう、とはならないところをみると、いまどき箸の持ち方くらいで視聴者はとやかく言わないんだろう。
にもかかわらず石破さんが炎上するのは、箸だけでなく合わせ技だからか。

逆に、その所作で評価を上げる人もいる。
ずいぶん前であるが、市川海老蔵(現・市川團十郎白猿)さんが暴力事件の謝罪会見のときに水を飲む姿が惚れ惚れするほど美しくて、びっくりしたことがある。私の中で良い印象はまったくない人だったが、茶道の御点前のようにグラスの下にそっと手を添える仕草がとても優雅で、「品」を感じた。
お辞儀についても、礼儀作法の専門家が「表情や姿勢、指先まで神経が行き届いていて、まさに完璧。あの若さであれだけの振る舞いのできる方はめったにいない」と舌を巻き、別の専門家は「海老蔵さんの動作がいちいち美しく、(謝罪の)気持ちが伝わってこなかった」という不思議なダメ出しをしたほどである。マナーのプロも“見惚れた”ということだろう。

お見合いの相手にこんなふうに水を飲まれたら、ドキッとすること間違いない。
加点までもらえずとも減点はされない食べ姿でありたいと思う私である。

【あとがき】
「お箸の国の人だもの。」懐かしいですね〜、味の素のほんだしのCMですね。あの頃の三田佳子さん、きれいでかわいかったなあ。