次のバスまで二十分。ちょっと涼ませてもらおうと近くにあった書店に入ったら、平台に積まれた爽やかなブルーの表紙が目に留まった。
あ、この『17歳のときに知りたかった受験のこと、人生のこと。』って少し前に話題になっていたよね。すごく売れていて、入学説明会なんかで保護者に勧める高校もあるらしい。
うちにもちょうど十七歳の受験生がいる。じゃあ読んでみようか。
著者のびーやまさんは早稲田大学教育学部卒で、“学歴至上主義”キャラの相方・高田ふーみんさんとYouTubeチャンネル『wakatte.TV』を運営している。
この本でも、
「大人になれば学歴は関係ない、なんてことは絶対にない」
「学歴があるだけで、随分と人生が楽になるわけだから、これほどいいものはない」
「高学歴が得をする世の中なら、自分も高学歴になるのが一番賢い考え方」
「学歴は人生をリカバリーできる最強の保険」
と学歴を持つメリットを説いていた。
特別な才能があってそれで世を渡っていける人は別として、学歴は高いに越したことはないと私も思う。
自分自身、就活では大学名が有利に働いたと感じるし、同級生も大手や人気の企業から内定をもらっていた。「大卒」のカードがどの程度“使える”かは大学のランクによるから、みな上位の大学を目指すのだ。
……と言っておきながら矛盾するようだけれど、私は子どもに伝えている。
「学歴では一生食べてはいけないよ」
たしかに、新卒や第二新卒の採用時には大学名がものを言う。職歴がないうちは「難関大の入試を突破した」という実績を買ってくれるから、その会社に定年までいるならいい。
問題は転職するとき。その学歴バッジはもう通用しない。選考の場で問われるのは何年も前に卒業した大学名ではなく、前職でなにをやってきてなにができるか、である。
ピカイチの学歴を持つ友人がいる。彼女は夫の転勤に伴い、長く勤めた大手企業を退職、現在は派遣で働いている。しばらくして再就職しようとしたのだが、正規雇用してくれるところが見つからなかったのだ。
その話を聞いたとき、「あなたの学歴と職歴でそんなことがある?」と驚いた。
「『こんな人、うちにはもったいない』って敬遠されたのかな」
「そんなんじゃないよ、大学なんて十何年も前の話だし。ずっとやってきたのがつぶしがきく職種じゃなかったっていうのがね……。この歳でオフィスワークで正社員希望、なんてそりゃあきびしいよね」
たしかにそうだ。よほどの実績がないと若い人を押しのけて三十代、四十代が採用されることはないだろう。
何年か前に転職を考えたという別の友人も、応募できる求人があまりに少ないことを知ってあきらめたと言っていたっけ……。
名のある大学を出ていても、卒後十年も経てばただの人。であれば、学歴は「最強の保険」にはならない。
私が「“有効期限”のある学歴よりも強い」と思っているのは「資格」だ。需要があって安定した収入を得られる資格や免許、あるいは職人のようなスキル。
たとえば、私は社会人になってから看護学校に入学し、看護師になった。先生が「看護師免許は永久ライセンス。一生働けるすばらしい資格です」と言っていたとおり、いくつになってもどこに引越しても勤め口がある。ブランクがあっても四十歳未経験でもやる気があれば正規で雇ってもらえる。
私は看護師としては専門学校卒の扱いだが、この先職場を変えたくなってもたぶん困らない。しかし、「〇〇大学△△学部卒」だけの私だったら、いまから正社員にしてくれるところはまず見つからないだろう。
「手に職」はどんな学歴にも勝るとも劣らないと実感している。
びーやまさんは書いている。
「やりたいことが決まっていないなら、少しでも偏差値の高い大学に行きましょう」
もし娘が学部の選択を迷っていたら、私はこう言う。
「大学で学べる学問には文学、法学、社会学、経済学、経営学、教育学とかいろいろあるけど、これがやりたい!ってことが特にないなら、看護学を学ぶっていうのはどう?」
数ある学問のうちのひとつと捉え、看護学部に進んだから看護師にならなきゃと気負うことはない。たとえ職業にしなくても、勉強したことすべてが子育て、自分と家族の健康管理、親の介護に生かせる。身につけた知識や技術はなにひとつ無駄にならない。
やりたい仕事じゃないと思えば一般企業に就職し、将来必要に迫られることがあったら免許証を引っぱりだしてくればいい。看護師でお金持ちにはなれないけれど、自分と子どもを食べさせていくことはできるから。
これぞ「人生をリカバリーできる最強の保険」ではないだろうか。
【あとがき】 医師や薬剤師は誰でも目指せる職業ではないですが、普通にがんばったら取れる「食べていける資格」はいろいろあります。 でも、“将来の保険”のために興味が湧かない学部を選んではいけない。大学生活を楽しめなくなってしまうから。 大学に行く最大の意義は人生の宝物のような時間を過ごすことにあると私は思っています。 |