Hiro's Diary
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2005年05月31日(火) |
大陸横断第3日目 「ナイアガラ瀑布」 |
この日は平日で午前中早くにナイアガラ・フォールズに着けたので、駐車場はガラガラでした。まずはアメリカ側からの滝をすこし見た後、歩いて国境を越えます。左の写真がまさに歩いて渡れる「国境の橋」です、たしかレインボウ・ブリッジという名前だったかな・・・。
やはり噂どおりカナダ側からの景観の方が圧倒的にいいですね。迫力がありました。しばらく散歩した後、昼食を済ませもう一度歩いてアメリカに戻ります。ここでは勿論、入国管理局のチェックがありますが、オフィサーと一言二言雑談を交わした後、「はい行っていいよ」と一言。「えっ、何にも書類かかなくていいの?」「そんなのいらないよ」・・・・簡単に再入国です。
でもきっとこうした雑談を通してでも「怪しい人物」は察知できるのでしょうね。その場合は「はい、こちらの部屋へどうぞ」となるのかもしれません。
さて、これからシカゴを目指します。が・・・車の様子が変・・・。問題なく走ってはいるのですが、電圧計が全く上がってこないんですよ。バッテリーは出発前日に交換したので大丈夫なはずですが、なんか変です。横でカミさんが「絶対おかしいから早めに修理に行ったほうがいい」と・・。しょうがないのでクリーブランド近郊でストップし、この旅で初めての「モーテル6」に泊まります。
チェックイン後、部屋にあるイエローページでボルボのサービス・ショップを調べていると・・・なんとすぐそばにあるではないですか。全くの偶然とはいえ驚きました。この日のうちに一度顔を出し、症状を伝えたうえで改めて明朝に持って行くことになりました。
お昼過ぎまでナイアガラにいたし、車の異常で早めにピットインしたので、あまり走れなかった日でした。
走行距離:254マイル(406.4キロ) 宿泊地:メントー(OH)
2005年05月30日(月) |
大陸横断第2日目 「まだNYか〜」 |
昨日の出発の直後、一度コネチカット州に入り再びNY州に戻ったのですが、この日はNY州から出発するも、ニュージャージー州−ペンシルバニア州を経由して未だNY州におります。なんといってもアメリカ大陸は広い!が、各州も広い!んですよ。NYはマンハッタンからカナダとの国境のバッファロー&ナイアガラ・フォールズまでありますからね〜。
ということで写真のような緑豊かな起伏に富んだコースを取りながら、一路ナイアガラを目指します。この日のうちにナイアガラに到着することも出来たのですが、宿泊費が高めであろうと判断し、手前の町で泊まりました。バタヴィアという小さいながらきれいな町でした。「スーパー8」というモーテルに泊まったのですが、受付のおばさん曰く「この辺は10万ドルでそこそこ大きい家が買えるわよ。いいところよ。」ということでした。
走行距離:357マイル(571.2キロ) 宿泊地:バタヴィア(NY)
2005年05月29日(日) |
大陸横断第1日目 「出発」 |
夕方から友人達が送別会を開いてくれましたので出発は夜8時でした。とりあえずこの日は、NY界隈から脱出すればいいという予定だったのであまり走りませんでした。写真はクイーンズを含むロングアイランドとメインランド(?)を結ぶホワイトストーン・ブリッジです。いよいよNYともお別れです。
で、宿泊予定地に向かうとき間違ってフリーウェイと並行して走っているローカルの山道へ入ってしまい、真っ暗闇の中を走る羽目に・・・。30分ぐらい走ってもう一度フリーウェイに合流できたのでよかったのですが、この先どうなることやら・・・・といった感じでした。
走行距離:115マイル(184キロ) 宿泊地:ミドルタウン(NY)
昨日はな〜んにも出来ませんでした。ストレスなのか何なのか分かりませんが、頭痛と眩暈が酷くて・・・「もう今日はあきらめた。明日にしよう」ということで、今日です。さすがにてきぱき動いております。でも「LAに行ってから出来ることは、行ってからやろう」と性格そのままの方針で片付けてしまったことも・・・・多々ありです。
公共料金関係の処理も終えました。あとはDSLだけですが、これから電話します。ですのでこの書き込みがNY最後になります。
それでは明後日からの「第2回大陸横断ドライブ引越し」後の、ドライブ報告をお楽しみに!
ってそんな奇特な人いるのかな???? まあいっか・・ では行って参ります!
2005年05月26日(木) |
キャンプ生活スタート−あと3日 |
昨日は友人がうちに来てくれて、全くはかどっていない梱包作業を手伝ってくれました。S君、H君、Dちゃん、Yちゃん、Rちゃん、そしてM様ありがとうございました。おにぎりも美味しかったよ〜。
台所の小物も全て梱包されてしまったのでもう料理は出来ません。今からもう自宅キャンプ状態です。
郵便物の転送手続きも出来ました。さあ、今日は書類関係及び公共料金等の支払い関係をすべて整理します。明日はDSLの解約手続きを残すのみ、とするのが理想です・・・・が、多分そううまくはいかないでしょう。いつものことだから明日ウィークデイ最後の金曜日にばたばたするに決まっています。
いや、分からんぞ。
2005年05月25日(水) |
ドライブ準備−あと4日 |
LAまでのドライブはゆっくりと約12日ほどかけていく予定です。そうなると既に書いたようにCDの選択がとっても重要です。で、どういう基準で選ぶかというと、
(1)元気を与えてくれるもの−ロックかな〜 (2)ちょっと疲れたときにのんびり走るのにいいもの−クラシックでしょう (3)雄大な景色にマッチしそうなものーメセニー系? (4)LAにいた頃よく聴いていたもの−色々
特に4は自分をLAモードにしていくのに必要です。 きっとネバダ州ラスベガスに入った頃には、このLAモードになっていると思います。そこからは何度か走ったことがある道ですからね。
でも意外と各地ローカルのFMが面白いんですよね。その土地にあう音楽が流れてますよ、やっぱり。例えば普段聴かないカントリー・ミュージックなんかが心地よく響く景色も本当にありますからねえ。
2005年05月24日(火) |
カウントダウン−あと5日 |
さあそろそろカウント・ダウンです。気ぜわしくなってきました。が、なんだかダラダラしているともいえます・・・・。いかん、いかん。
今日はVerizonに電話をいれ、28日(土)に電話を切ってもらうことを依頼しました。同時に同じ会社で使っているDSLの担当者とも話しましたが、「キャンセルを申し込むとその場ですぐにサービスが中止になる。」との説明を受けましたので、DSLは金曜日に改めて電話することにしました。
携帯はVerizon Wirelessだけど、あと一年ほどは今のCell Phoneをそのまま使おうと思っています。機種と契約を新しくしたのが一年前で、あと一年の契約が残っているので解約料金を徴収されるのを回避するためです。ということで、Cellの番号は変わらないので連絡は取れます。皆さん宜しく。
家の中はいよいよ箱だらけの様相に・・・・。でもドライブ用のCDを選ばなければならなかったことを思い出したので、今晩もう一度いくつかの箱を開梱しなければなりません。大変だけど「ドライブのお供」選びですから大事なことです。これでドライブ中の気分も左右されますし、後日「何のCDを聴いたときに横断ドライブを思い出すか」をも決めることになります。分かります?この意味。
2005年05月20日(金) |
「ボルボ、整備工場へ行く」の巻 |
今回の大陸横断ドライブも前回と同じくボルボ・ステーション・ワゴンなのですが、前回はアリゾナで故障してしまいました。このときは燃料ポンプがやられてしまったんですが、この車、実は1988年車で既に17才、走行距離は軽く20万マイル(32万キロ)を超えています。日本ではとっくの昔に廃車対象になっているのではないでしょうか。
勿論、これだけ古いの車なのでNYに来てからも、エアコン・コンプレッサー、エンジン・マウント、タイミング・ベルトをはじめずいぶん手を入れなければなりませんでした。そのおかげか、今の調子はまずまずです。でもやはり大陸横断となるととても心配です。今度はどこで止まるんだろうか・・・・、トウモロコシ畑かジャガイモ畑の真ん中だったらどうしようか・・・・などと想像は悪いほうに行くばかり。
なので今日はオイル・チェンジをかねて、ジャマイカにあるいつもの整備屋へ行ってきました。「西海岸まで走るから全部チェックしてね〜」と言って待つこと2時間。待っている間は、「また修理箇所が出てきてるんだろうなあ・・・・、幾ら掛かるんだろうか」思いはまたも悪いほうへ。ところが。
「どこも悪くないよ。ドライブ楽しんでね」。しかも請求額は3000マイル・チェック相当の整備を含めてたった27ドル。
確かに調子はいいけど・・・・喜んでいいのかどうか・・・・分かりません、複雑です。どうなることやら。
ビジネス・アカウントとして使っていた、Chase Bankの銀行口座をクローズしました。法人口座を開設するときは色々な書類や手続きが必要だったのですが、クローズするときはIDを求められただけで実にあっさりしたものでした。これって入国するときにはうるさい米国入国管理局も、出国するときには何の手続きもないのと似ているなあと感じました。まあ実際には空港のチェックイン・カウンターでグリーン・カードの提示を求められたり、パスポートにについていたI-94を徴収されたりが実際の手続きではあるんでしょうけど。
僕は何事にも腰が重い方なんですけど、まあなんとかひとつひとつ引越し準備を進めています。
アパートの中は既にほとんどの家具はなく、楽器とオーディオ類、それとパッキングした(または途中の)ダンボール箱があるだけです。なんか「仮住まい」のような気分ですので、思いは自然にLAに・・・という感じですね。
実際には昨日の土曜日のランチで行ったんですけど、Jackson Holeというダイナーの写真です。家からさほど遠くないのでよく行きました。レトロな雰囲気満点の店内で、ビル・クリントンも立ち寄るお店だとか・・・・。まあそれはともかく、店内の装飾を見ていくと所謂ブリキ製の広告看板が目立ちます。日本でいうところのボンカレーやキンチョールのあれですね。それでもってよくみてみると、当時(いつだろ?多分60年代前半かな?)のペプシコーラがたった5セントだったことが分かります。
いい時代だったんでしょうね。その頃のニューヨークを見ることが出来たらいいなあ・・・。
新井田さんのスタジオへ再びお邪魔し、残るひとつのアンプをピックアップしました。写真はその時スタジオ・ビルディングの前で取ったものです。そして車はいつものボルボ、そうですLA−NYの横断時に故障したあの車です。今回も同じ車でLAに向かいます。故障しなければいいのですが・・・心配です。
そして夜は友人のミュージシャンのお宅に招かれ、小さな送別会をしていただきました。美味しいワインと手料理をご馳走になりながら、楽しい話をワイワイと・・・・これが最後かと思うと寂しくなりますが、一緒に仕事をする機会となる企画も出てきていますので、それを楽しみにすることにしましょう。
アンプやキャビネットを置かせていただいていた新井田孝則氏のスタジオに行き、機材をピックアップさせていただきました。短い間でしたけど一緒に演奏できてよかったです。計画していたことを実現させるには僕の怪我や今回の引越しの為に出来ませんでしたが、これからも連絡を取り合って何か一緒に出来るといいですね。NYでのギグの時には宜しくお願いします。そして今までありがとうございました。っていいながらまだアンプがひとつ残っているので、明日も会うんですけどね。
その後、一度家に戻ってからベーシストのAlan Mitchelと共にロング・アイランドへ楽器の物色に行ってきました。彼とは去年よくギグをしましたので、話すことも盛りだくさんです。ハービー・ハンコックを聞きながらの気持ちの良いドライブになりました。ロング・アイランドはNYC5区のうちブルックリンとクイーンズを含む東西に長い島です。島といっても端から端まで車でたっぷり4時間はかかります。映画「グレート・ギャツビー」の舞台にもなった豪邸が建ち並ぶエリアもあったりする、緑豊かで静かな郊外住宅地です。今日行ったのは僕の好きなヒッチコックの映画「北北西へ進路をとれ」の最初のシーンに出てくるところで、Glen Coveというエリアでした。いいところです。
カミさんと夕食を取る為にイースト・ビレッジの居酒屋へ行って「さあ帰ろうか」と階段の降り口に行ったとき、なんと丁度その階段を上ってきたのがベーシストの納浩一氏と友人のギタリスト井上智氏でした。
「何やってんの?」「いや、メシ食って帰るとこ」「おうそうか」「いや今度LAに戻ることになったんよ」「きいたきいた」「ほんまに?」「引っ越し忙しいやろ」「大変よ。そや、行く前にメシでも一緒にどう?」「そやなあ、ほな、電話頂戴」てな感じで、すべて関西弁のやり取りがありました。
あのタイミングで席を立たなければ会わなかったわけですから・・・偶然というのは恐ろしい・・。それにもし一緒に食事を取る機会を持つことが出来なくても挨拶が出来たのでよかったです。
2005年05月10日(火) |
New York State |
小さな会社を持っているのですが、これでも立派なNY州のコーポレーションです。しかし、他州への引越しのためのこの会社をクローズしなければなりません。勿論、大会社であればNY州にHQを置きながら他州でオペレーションを行うこともあるのですが、吹けば飛ぶような会社ですからそうは行きません。そこでNew York StateのSecretary Departmentへ連絡しクロージングの手続きに入りました。
ご興味のある方はNew York Stateをご覧下さい。会社関係だけではなく、いろいろとリーガル関連情報が載っています。
ダイニング・テーブル&キャビネット、机、ベッド、箪笥等が引き取られていきました。今、家の中はその残骸が・・・いや、そうではなくLAに持っていくものだけが残っています(エアコンを除いて)。
引き続きダンボール箱に荷物を詰める作業をコツコツとやっていくわけですが、マック&PCは引越し屋が来る28日まで使えますので安心です。
あとはリーガル関係の処理をしなければなりません。
住んでいるとなかなか行かない場所のひとつって、美術館&博物館ではないでしょうか。僕もこの自然史博物館には、いつか行ってみたいと思いつつ今まで行けずじまいでした。まもなくNYを離れることになったわけなので、今日の午後、思い切って(?)行ってきました。地下鉄に乗ってCラインの81 stで降りるとそのまま入り口にリンクしていますので、重い腰が上がれば近いもんです。
中はメトロポリタン美術館に負けないほど広い!入場したのが午後の2時だったので決行急ぎ足で回りました。T-Rexは勿論ですが、色々な国々の文化に関しての歴史が面白かったですね。皆さんも機会があればぜひご覧あれ。お勧めです。
引越し準備は服関係のキャビネットが明日引き取られる予定なので、中身をダンボールに詰めて・・・今日は終了。
2005年05月07日(土) |
ポーランド製・・・・・ |
この写真のもの、なんとポーランド製の一品です。4つのループを持ち4つのプリセットを設定できます。ここに見えるA/Bは全くどのように機能するか分かりません。勿論まだ使っていませんのでクオリティのほども全く未知数です。でもこれぐらいの大きさのものでもライブでは十分でしょう。まあ、ボードは新しいのが必要になりますが、LAに着いたらこの辺の製作をはじめたいと思います。
梱包用ダンボールが引越し業者によって届けられました。勿論、テープや緩衝材もあるので結構な量になります。(写真はその一部です)これで少しずつですがパッキングを開始できます。というか、しなければなりません。
重いものは小さい箱に、軽いものは大きい箱に・・・・。こういう、「片付け」や「整理」系に全く弱い僕ですので、気が重いです。だれか手伝ってくれないかなあ・・・。
時差ぼけも予想したよりは酷くなさそうなので、再び気合を入れなおして準備にかかりますぞ。あ、そうそう、決行日が決まりました。
5月29日です。この日にNYを発ちます。
実は偶然なのですが3年前にLAを発ったのも5月29日だったんです。不思議でしょ?カミさん曰く「長いNY旅行だったね・・・」。重い言葉です。LAを後にするときも感じた、「果たしてこの決定は正しいのか・・・?」という思い。NYを後にしようとしている今、同じ思いがあることは確かです。こういうときはどうするか・・・「ただ前を見て進むのみ」です。
昨日の夕方に無事帰国しました。 いや〜、日本いる間は始終時差ぼけで悩まされました。眠れない、食べれない・・・でいつも徹夜明けのような「ふらふら状態」でした。
ところが昨晩は11時に就寝、今朝は9時前にすっきり目が覚めました。通常は帰国後の時差ぼけのほうが酷いのですが、今回はなんだか問題なさそうな感じがしています。明日以降どうなるかはまだ分かりませんが・・・。
さあ、ぼちぼちBack Dateしながら日記を書いていこうと思います。これから毎日忙しくなりそうです。
いよいよ帰国の日になってしまいました。 ホテルの前に会ったお店で朝食を取ったのですが、この時ようやく「生卵」を食べることが出来ました。前回の日本滞在のときにも食べることが出来ませんでしたので、本当に久しぶりです。そうですね〜、多分6年以上は食べていなかったと思います。いや、もっとかな?
で、ホテル・チェックアウト後再びリムジンバスで成田へ向かいます。この時バスから東京タワーが見えました。改めて「東京なんだなあ」という思いがしました。さらに車窓から台場の町も見えましたが、ここは行ったことがありません。次回の旅の楽しみとして取っておきましょう。
いや〜、疲れたけどいい旅になったと思います。
お世話になった皆様、本当にありがとうございました。
銀座のヤマハで人と会い、さらに打ち合わせを行います。やはり銀座は一味違いますね。裏通りがいい感じです。喫茶店も落ち着いているし、食事も美味しい。回転寿司屋にもいくことが出来満足度は高まります。
夜はトライフレームというバンドのライブを聴きに、目黒のブルースアレイへ。極上の演奏とMCを聴くことができ、今回の旅、最後の夜にふさわしいものとなりました。招待してくださった水野正敏氏に感謝いたします。ありがとうございました。
ライブの後は、目黒駅近くのラーメン屋に行き、懲りずに「豚骨ラーメン」を食べました。美味しかった!
久しぶりの新宿です。昔は京王線沿線に住んでいましたので、この新宿が拠点であったわけですが、渋谷よりやはり新宿の方がほっとしますね。午前の開店時間を狙って「桂花ラーメン」を食べに行きました。勿論「豚骨」です。懐かしい味でした。
その後、元師匠である宮之上氏に会いに中央線に乗りました。氏の家の周りは自然に恵まれた閑静な住宅地。のんびりした感じがいいですねえ。
その後は京王線の調布駅まで送ってもらい、再び都心の外苑前に戻ります。ここでさらにもうひとつのミーティングがありました。
夕食はホテル近くの定食屋で済ませます。なんか東京に住んでいるのか、という錯覚に陥りそうな一日でした。
東京暮らしも長かったのですが、この日は生まれて初めて東京下町である谷中へ行ってみました。古い町並みが残っていて、ここは想像以上に楽しいところでした。さらに都電にも乗ることが出来、ミーティングしながらの移動とはいえ、観光気分は盛り上がってしまいました。
夕方、品川で食べた豚骨ラーメンは最高でした。ここで改めて自分が豚骨ラーメン好きであることを再確認し、この後毎日豚骨ラーメンを食べることになってしまいます。
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