* たいよう暦*
日記目次|未来日記
2003年11月30日(日) |
おいしいものを努力しようよ |
最初に、ぬる〜いお茶が出てきたところから、いやな予感はしてたんだけど・・・。
実際注文したものが、でてきたら、悲しくなった。
ちらし寿司の具は、彩りはあざやかなものの、むこうが透けてみえそうな薄さで。 一緒に出てきた茶碗蒸しは、ぬるくって。 キスの大葉揚げは、衣があつくって、油がまわっていて、そしてこれまたぬるかった・・・。
人間、おいしくなくて、愛情のかけらもかかってないものを出されると、不機嫌になるものですね。
だまーって、食べて、だまーってでてきました。
なんだかいやなきぶーん!
「あっ・・・ストーブ・・・」
去年の冬。 子供の頃、よく遊びにいった近所のおうちに久しぶりにあがりました。 その懐かしい-----でも、微妙に家具の置く位置や、初めて見るテーブルなんかがある-----居間で、相変わらずあたたかな火を灯していた見慣れたストーブ。
「そうそう。うちもまだ現役よ〜」
両家の子供達の年齢が近いこともあり、非常に仲のよかった我が家とそのおうち。 どちらかのうちが留守にする時は、片方が植木の水やりや、ペットの餌やりを鍵ごと引き受けましたし、 両家の子供たちは、柿の葉寿司と年末のたいのこは我が家の母の味で、おからとばら寿司はそのおうちのおばさんの味で育ちました。
その両家が、わたしが物心ついた頃、一緒に購入したのが、そのストーブ。 もちろん、我が家でも現役です。
その四角い石油ストーブは、ドイツ製で、がっしりしていて、すこぶるあったかい。 冬が来る度に、毎日といっていいほど使っているのに、全然壊れる気配もなく、今も我が家とそのおうちをあったかくしてくれています。 今年は、我が家ではまだそのストーブは出されていません。きっと、12月に入ったら、いつもの定位置におかれるのでしょう。
今日は、今のわたしにとって、一番身近な暖房器具「ホットカーペット」をこの冬はじめて、使わせてもらいました。 何年も一緒に育ったストーブとはあったかさの種類は違いますが、今日のわたしにはこのホットカーペットのあったかさがたまらなくうれしかった。
ホットカーペットを用意してくれて、どうもありがとう。 おかげで、心もあったかくなりました。
わたしは、とても非力な人間だと思いました。 なにもしてあげることが、できません。
でも、心のそこから祈ることはできます。 全身全霊をこめて、祈ることはできます。
なにもできないわたしだけれど、心のそこからいのります。
どうかどうか、この祈りが届きますように。 わたしの大切な友人に、どうか届きますように・・・。
心から。「一割」を信じている。
心から。「一割」を祈っている。
心から。こころから。心から。
いやなことがあった次の日は、必ずPAULの「アンシェン・ミックス」というパンを食べます。
「アンシェン・ミックス」とは、フランスパンにハムとチーズとトマトとレタスが入ったもの。 このフランスパンが、すこぶる固い。そして、旨い♪ もちろん、ハムもチーズもすごくおいしい。徹底的に、フランスの本店と同じ素材を使って作っているそうです。
一本食べると、あごがつかれてしまうほどのシロモノですが、「このあごが疲れるほどの固さ」というのが、ポイント。
このパンを、時間をかけて、わしわしかんでいると・・・、いやなことに対しての不平不満が、不思議とどこかに消えてしまうのです。 がじがじ噛んでいるうちに、ごくんと「いやなこと」も、飲み込んじゃえるのです。
おいしい上に、ストレス解消。 なんてすてきな健康法!
ごほごほごほ!
会社に行くと、なんと4人も風邪をひいていました! 顔が赤くてせきこんで。鼻もずるずる。 とってもつらそうです。
その逆に、3連休(プラス一日)を、おもいっきり楽しく過ごした私は、とっても元気。 なんだか申し訳なくなって、みんなの分、ばりばり働きました。
急に寒くなったからだな、きっと。 この寒さが、いつもの11月だったんだろうな。 体を早く順応させなくちゃ。 手洗いとうがいをしっかりして、風邪をひかないようにしなくっちゃ。 (でも、実はのどが痛い・・。きっとえんどうまめ菌だ!)
みなさんも、風邪には気をつけて。
「あまりにすごいもの、いいものをたくさん見過ぎたので、 ちょっとやそっとで感動しなくなった」
・・・それって、ちょっと、さびしいなあ〜。
きっと、たくさん、すっごいいいものを見たんだね。 でもね。 「この」空気、「この」場所、「この」景色。 「ここ」も大事にしてあげられたらいいのにね。
前の方がすごかったって比べるんじゃなくって。 「今」目の前のものを楽しめたらいいね。
今年の紅葉と去年の紅葉。 このいちょうと、むこうのいちょう。 今の空気と、さっきの空気。 同じものなんて、なんにもない。
ここにはここのいいところがある。 前には前のいいところがある。
「今」の「ここ」に心が動いたらいいのにな。
そうじゃないと、もったいない。 「今」見えてる景色が、空気が、もったいない。 そして、そんないろんなものが見えていない自分がもったいないよ。
2003年11月23日(日) |
時を共有しているから |
坂の多い町まで、足をのばしました。
「どこか曲がる度に、なつかしい町に出会えます」
そうかかれた案内図をたよりに、あちこち見て歩きました。
とても風景が絵になるいい町で、曲がり角の度にひらける景色がおもしろい町。 そう思ったけれど、最後までなつかしい町に出会えなかったのは、この町と私に、歴史がなかったからでしょう。
私の生まれ育った町は、ごみごみとした、どちらかというと下町っぽいお世辞にも環境がいいとはいえない、なんの変哲もない昔ながらの町。 お寺があちこちに・・・普通の家の隣に突然あらわれるのが、特徴といえば特徴かもしれない、普通の町。
それでも、長く家を留守にしていたり、少し出かけたりしていた後、車で、自転車で、歩きで、町に帰った時。 ああ、帰ってきたなあとしみじみと、そして、なつかしく思うのは、そこここに、小さい時の私。や、少しなまいきな私。や、社会人になった私。がいるからだろうな。
このいい町を、なつかしく思える人がいるのも少しうらやましいけれど、それでも、私には普通だけれどなつかしい町があることがうれしい。
私は私の育った町が、好きなんだな。
久しぶりに、おもうようにならない、想像どおりにいかないことに困ってしまった。
もうちょっと、なんとかなると思っていたのに・・・。
「まだ始めたばかりだもんね。これからだよ」
その言葉がとってもあったかかった。 気持ちが軽くなって、遠くへむかうバスに乗り込むことができた。
言葉をどうもありがとう。
ひとつのテーブルを囲んで、楽しい会が始まりました。
テーブルのまわりに座ると、押し合いへしあい。 隣の人と肩がふれあうぐらいで、ホットプレートにのびるお箸もたくさんたくさん。 それでも居心地がよくって、わあわあ笑って、たくさん食べて、たくさん飲んで、楽しい夜はふけていきました。
テーブルを囲んだその距離感が、そのまま、そこにつどった人達の距離感をあらわしているようで・・・。
夜が更けると、どんどん冷え込んできましたが、とってもあったかい夜でした。
「状況をかえようと思ったら、当たり前だけど、相手をせめているだけじゃなんにも変わらないんだよ。 周りの環境のせいにしても、もちろん、なにもかわらない。 まず、自分がかわらなくっちゃ、相手も環境もかわるわけがない。 小さいことでもいいから、ひとつづつなにかをかえていけば、相手も周りも必ず変わっていくよ。むずかしいけれどもね。」
最近、親しい人から聴いて心にひびいた言葉です。
最近、いやなことがあった時に、周りの環境のせいにばかりしていませんでしたか? 相手とうまくいかなかった時、相手の態度に文句をいうこと以外に、それに対してなにかしましたか?
周りの環境のせいにしていたなあー。 自分は愚痴を言う以外、なんもしてへんかったなあー。
ちょっと反省。 そして、聴いた言葉が、ちょっと新鮮でした。
その人は、1年半かけて、自分を変えてみたそうです。 そうしたら、いろいろとゆっくりとではあるけれど、なにかが変わってきたそうです。
1年半かけて、自分をゆっくり変えていくなんてすごいなあ。 わたし、最近、自分磨きをさぼっていたかも・・・。
きゅっ、きゅ。きゅっ、きゅ。 がんばって磨かなくちゃ。
今日は、その言葉を思い出して、小さなことをひとつ変えてみました。 そうしたら、思いがけなく、いつもと全然違った方向になって、聴いた言葉が生きた言葉として自分の中で響きました。
ゆっくりでいいから、ちょっとづつ、自分をかえていこう。 今の自分に甘えて、このままでいるのだけはやめよう。
当たり前だけど忘れかけていたこと。 それを気づかせてくれた親しい人に感謝の気持ちがわいてきました。
2003年11月19日(水) |
エリック・クラプトン |
ギターの神様の公演に行って来ました。
神様かどうかだなんて、そんなことはわからなかったけれど、 音楽の女神(ミューズ)に、 愛されて 愛されて愛されて 愛されて愛されて愛されてやまない人だとははっきり感じました。
美しい旋律。 のびやかな歌声。 ここちいいギター。 なにもかもが、そろった、空間。 体のなかにどんどん音楽が満たされていった。 広い広い空間いっぱいに、いろんなものが満たされた空間がどんどんひろがっていった。
心がふるふるとふるえた。 どんどん音楽がしみていった。 心の奥底が、解放された気がした。
いま、私のこころは、ぷるっぷる、げんき、です。
女子中女子高女子短と、8年間どっぷり女ばかりの生活につかっていた私。
一番近くにいた友人達は、とってもぱっきりした「男らしい」もしくは「おっとこまえ」な人が多かったけれど、圧倒的多数を締めるいわゆる「おんなおんなした人たち」にうんざりしてしまった時期も多かった。
だから、学校を卒業してからしばらくは、女だけのあつまりをわざとさけていた時期もあった。取捨選択せずに十把一絡げに。
今が、女だけのあつまりをわざとさけていた時期じゃなくってよかった。 女だけってのもいいもんだ。
今日は、そうしみじみと思った夜でした。 たのしかった。と一言で言うのは簡単だけど、そんな一言では表現しきれないいい夜でした。
今日は元気がなかったね。 ちょっと魂が弱っているかんじだった。 いつもと違ってみえたので、どうしてあげたらいいんだろうって思ったよ。
なでてさすってあっためて。元気を取り戻させてあげたいなあって、いろいろ思っていたけれど、あんまり元気にならなかったね。どうしたらいいんだろう。
そっとしておくのは冷たいかなあとも思ったけれど、そういう種類の優しさもある。
ゆっくりいつもの姿に戻るのを なでずさわらずあっためず。 じっと待っているね。
かかせないもの。
お正月のおせち料理と初詣。 節分の巻き寿司のまるかじり。 3月のおひなまつりのちらし寿司。 桜の季節のお花見。 新緑の季節のドライブ。 夏のキスとアジ釣り。 秋の温泉。 紅葉の季節の京都。 誕生日とクリスマス。
どれがかけてもなんだか物足りない一年になる私の大事な年中行事。
季節がめぐることに、幸せを感じる。 季節を感じることに、幸せを感じる。
四季のある日本に生まれてよかったなあ。 とつくづく思う、秋の一日でした。
小学生の頃、時々、駅まで父親と二人乗りして出かけました。 改札まで送って、ばいばい、と手をふった後は、二人乗りしてきた自転車を今度は一人で乗って帰るという寸法です。 その逆もありました。電話を受けてから、自転車に一人で乗って駅までお迎えに行き、帰りは二人乗りして帰ってくるのです。
毎日というわけではなかったので、きっと、父親が寝坊したときや疲れたときなんかにやっていたのでしょう。 私と弟は、その「時々」が嬉しくて、順番を奪い合いながらやっていました。
あるとき、弟が朝送っていったまま、いつまでたっても帰ってきませんでした。 自転車で片道5分強、子供がゆっくり乗って帰ってきたとして10分、往復で15分の道のり。ところが、そのときは15分すぎても、待てどくらせど帰ってこなかったのです。
実は、そのとき、弟は車とぶつかっていたそうです。 車がほとんどスピードを出していなかったのと、弟の体が軽かったおかげで、車のフロントをごろんごろんと転がって、地面に落ちただけですみました。 擦り傷もほとんどなく、本人もけろりとしていました。
でも、その日以来、私たちの送り迎えはなくなってしまいました。 私は、父親を独占しての二人乗りも楽しかったし、改札で「いってらっしゃ〜い」と手を振り、父親が「いってくるよ〜」といった後、階段を降りる寸前に、こちらを見ずに手だけふって消える姿も好きだったし、電車がきたあと、たくさんの人が改札を出てくる中で、父親をみつけだすのも好きだったので、それはすごく残念でした。 でも、きっぱりその日以来一度もその楽しい送り迎えはなくなってしまいました。
「いってらっしゃい」と「いってきます」 「おかえりなさい」と「ただいま」
送ったり迎えにいったりした先で言うのは、家の玄関で言うのとまた違って好きだなあと思うのは、そんな小さな頃の思い出があるからかもしれません。
今日は、駅まで人を迎えに行きました。 二人乗りのできない自転車で。 「わざわざ迎えにこなくてもよかったのに〜。家でまっとったらよかったのに〜」
うふふ。その「わざわざ」が楽しいんだよ。
今日の格言。
「体の老いは必ず訪れるものだけど、心が老いてはいけません。」
心はいつもきらきらと。 いつもいろんなことに敏感で。 なんにでも、わくわくと。
彼には「少年」という呼び方が、誰よりも似合っていました。 さわやかで、凛としていて。いい意味でも悪い意味でもまっすぐで、青くて、きらきらしていて。 そんな「少年」を見ているのが、私はとても好きでした。
久しぶりに「少年」とゆっくり向かい合ったきのう、私はもう少年とは出会えませんでした。 まるで、ある日、さなぎから蝶がうまれるように、あざやかに彼は変身していました。 その変身の瞬間を見ることができなかったのが、とっても残念。きっと、とても美しかっただろうな。
あの時の少年にもう出会えないのは残念だけど。私はこの青年と出会えたことが嬉しい。
人生の岐路にたっていた青年は、まっすぐな目で、自分の道をしっかりみつめていました。
あなたは、きっと、どんな選択をしても、きっときっと、自分の道をみつけることができるよ。 まっすぐにまっすぐに、その少年の時からかわらぬ目が、これからも澄んでいますように。 そのくもらぬ目で、自分らしい道を選ぶことができますように。
がんばれ、青年! 今度はどんなあなたに会えるか、楽しみです。
「今まで一度もしたことのないことに挑戦しよう」
そのテーマを自分の抱負にしたのは、6年前の誕生日。 「もしかしたら、案外むいているかも・・・」という一抹の期待と 「やっぱり、とっても無謀なことかも・・・」という一抹の不安。
始めてみると、期待は一抹の期待でしかなかったことが、 不安はやっぱり現実だったことがわかり、後悔でいっぱい。
弱音をはこうにも、まわりの友人にとってその経験はもう忘却の彼方。 くやしさやむずかしさやへこたれ落ち込みを共有できる相手もいません。
それでも、元来の負けず嫌いと運の良さが重なって、 一度も試験におちることなく、 会社生活と学校生活の二重生活に疲れて時々寝込みながらも 半年後には無事卒業を迎えていました。
最初の半年は、緊張のあまり、でかけると必ず1キロ体重がへっていたなあ。 初めての遠出は、明石海峡大橋へ、会社の同僚とだったなあ。 初めて一人ででかけてよれよれになったのは、会社の人とのバーベキューだったなあ。 あまりに歯が痛いので、なんでやろ?と思ったら、緊張のあまり歯をかみ締めすぎていたからだったなあ。 駐車場で、たむろっていた不良たちが、わざわざ自転車をどけてくれたこともあったなあ。
今では、減ってほしくても体重は減らないし、遠出もたくさんしたし、一人でもでかけられるようになったし、歯も痛くなくなったし、駐車もぴたっと数回でおさめられるようになった。 「方向音痴」 「運動音痴」 「地図音痴」 どれも直っていないけれど、なんとか、なんとか、無事に今日この日を迎えることができました。
燦然と輝くゴールド免許。 次回更新の平成21年まであと5年。 これからも、安全運転でがんばろうっと。
たいよう暦、オープンいたしました♪
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