月に舞う桜

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2025年05月31日(土) 5月の読書

◆合計19冊
59. 米本和広『カルトの子 心を盗まれた家族』
60. 湊かなえ『カケラ』
61. 安部公房『無関係な死・時の崖』
62. 角田幸彦『体系的哲学者キケローの世界 ローマ哲学の真の創設』
63. アガサ・クリスティー『殺人は容易だ』
64. 東野圭吾『雪煙チェイス』
65. 斎藤幸平『人新世の「資本論」』
66. 秦建日子『推理小説』
67. 李琴峰『ポラリスが降り注ぐ夜』
68. 朱喜哲『〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす 正義の反対は別の正義か』
69. 櫛木理宇『避雷針の夏』
70. レイモンド・ブリッグズ『風が吹くとき』
71. 湊かなえ『未来』
72. ギュスターヴ・ル・ボン『群衆心理』
73. 紅野謙介『国語教育の危機 大学入学共通テストと新学習指導要領』
74. 紅野謙介『国語教育 混迷する改革』
75. 平野啓一郎『本心』
76. プラトン『ソクラテスの弁明・クリトン』
77. 中村文則『R帝国』

※数字は1月からの通し番号

プラトンの『ソクラテスの弁明・クリトン』は案外分かりやすかった。
朱喜哲の『〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす』と中村文則『R帝国』がとても良かった。


2025年05月26日(月) 福祉職の無神経

今日は障害支援区分の認定調査だった。

毎度毎度腹立たしいのだが、福祉職は平気で人の機微な個人情報を訊いてくる。
本当に必要な情報なら仕方ないけれど、どう考えても必要そうには思えない事柄まで何の躊躇もなく訊いてくる。
私は障害とは関係ない病気があって定期通院していて、ヘルパーさんに同行してもらっている。そのことを伝えたら、やって来た認定調査員に何の病気で何科に通っているのか訊かれた。
今年も3年前も訊かれたから、調査員個人の問題ではなく、そういう決まりなのだろう。

障害支援区分は必要な支援の度合いを示すものだから、この場合は通院に同行が必要であることが分かればいいのであって、何の病気で何科に通っているのかは関係ないはずだ。
だから「それは本当に必要な情報ですか?」と訊くと、「守秘義務があるので外に漏れる心配はありません」と見当違いな返答をされた。
漏洩を心配しているのではなく、そもそも行政に余計な個人情報を与えたくないのだが?
で、「答えたくなければ、いいです」と。
つまり、真に必要な情報ではないわけだ。
もし障害支援区分を決定するにあたって本当に必要な情報なら、調査員はそれを説明するはずだし、それなら私だって回答する。
でも、必要性を説明せずにあっさり引き下がるということは、本当は得られなくても構わない情報だということだ。
どんな病気を持っているかなんて最もセンシティブな情報なのだから、真に必要でないなら訊くべきではない。

守秘義務とか外部漏洩の心配はないとか言うということは、裏を返せば、行政は個人の機微な情報を何でも聞き出して構わないと思っているということだろう。
こういう意識、何とかならないものだろうか。


2025年05月02日(金) 居宅介護の絶望

移乗も着替えも排泄も洗顔も整髪も入浴も人に頼らなきゃならない人生が、本当に耐え難い。

2023年3月から週に一度、朝の身支度で居宅介護を利用している。
まだ2年ちょっとなのに、ヘルパーはもう5人目だ。退職などで、だいたい半年ごとに替わっている。決して、わたしが苦情を言ったりして替えさせているわけではない。
ヘルパーに頼むととにかく時間がかかる。親にやってもらうより倍近くかかる。
どのヘルパーでも、慣れてきても同じ。もたもたしてるわけではないのに時間がかかる。
ただでさえ健常者より生活に時間がかかるから親にやってもらうときでも早めに仕度を始めるのに、今後親が病気になったり死んだりして全面的にヘルパー利用になったらどれだけ時間があっても足りないし、ストレスが半端ない。

汗を拭くのも洗顔も髪をとかすのも、もう少し強い力でしっかりやってほしいけれど、どのヘルパーも、気を使ってか、やんわりとしかしてくれない。
特に髪を梳かしたりセットしたりするのは、どのヘルパーにも「もっと強めで大丈夫です」とか「容赦なくやってください」と何回言ってもだめ。
別に手の込んだアレンジを要求してるわけじゃない。髪をスタイリング剤で濡らして梳かすだけだ。
以前は肩上まで伸ばした髪を一つに結んで、耳の下をアメリカピンで留めていた。きつめに結わいてほしい、ピンもきっちり留めてほしいと何度頼んでも、結び方もピンもいつも緩くされてたわんでしまう。
これからずっとこれを我慢しなきゃいけないのかと絶望して、今年の3月に思い切ってショートカットにした。
でも結局、思い通りにならない。

こういうことを友人二人にLINEで話したが、私の苛立ちや絶望感はいまいちピンと来ないようだ。

居宅介護の利用を始めたときは、ヘルパー利用に慣れれば、親が死んだあとも生活していける実感ができて安心感を得られるだろうと思っていたけど、まったくそんなことはない。
居宅介護の利用日は、ヘルパーが帰ったあと、いつも「こういう人生をあと何十年続けなきゃいけないんだろう」と絶望的な気持ちになる。
週に一度しか居宅介護を利用していない今でさえこんなにストレスが溜まるのに、全面的にヘルパー利用で生活するとなったら、ストレスで自分がどうなってしまうか分からない。

とにかく、日常的に介助が必要な人生が面倒で煩わしくて耐え難い。
こんなことに耐えてまで生きなきゃいけない理由が分からない。早く人生から出て行きたい。


桜井弓月 |TwitterFacebook


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