おうち鑑賞

2009年09月30日(水) モンモンは考える頭つくり


答えを見つけるきっかけが欲しくてパソコンの前に座り

あーでもない、こーでもないと検索し、気がつけば一日経っていた。

なんだか不毛な事を繰り返しているだけみたいで凹な気分になったが

手探りでも葦の中、霧の中を進む行為そのものが道を見つける練習なのだ

と思えた。

一夜明けて、漠然としながらも、というか昨日のモンモンが

何だったのかと思うくらいあっさり「あ、こうしよ」という思いが浮かんだからだ。

最初から大きな道を見つけられるにこしたことはないけど

世界の山を登る登山家だって、いきなり標高何千メートルもの山に登ったわけではないはずだ。

このモンモンが答えを見つける思考の練習なのだという意識を持って

モンモンを恐れず(?)思考回路を鍛えて

最短ルートで答えを見つけられる考える頭になる。









2009年09月28日(月) 「人間この信じやすきもの」を読む 行動する意味


「人間この信じやすきもの」を読み始める。

迷信・誤信はどうして生まれるか、のサブタイトル通り

人間が物事に対して思い込んでしまう思考パターンを

論理的に検証し解説した本だ。(と思われる。)

並行して「宇宙に上手にお願いする法」の再読もするつもり。

我ながら絶妙なバランスの選択で読んでるなあ。


「人間この信じやすきもの」は、細かい字がびっしりで

一見小難しそうな印象を受けるが、比較的平易な言葉で読みやすい。

好奇心がくすぐられる。

まだ20ページくらい読んだところだが、つけた付箋も多くない。

やわらか頭になるきっかけになったらいいと思う。





ご用事デー。

行動する前は、あれこれ選択に迷うが

どっちに転んでも、行動することで見えてくるものがある。

行動し、その結果に対して感じたことを受け止め、考え対処する。

そして行動する。∞



南天にぴったりの、渋いこげ茶色のカッコいい植木鉢を購入する。













2009年09月27日(日) 「宇宙に上手にお願いする法」再読する 朝食と昼食のバランスを上手にとる


「宇宙に上手にお願いする法」を再読する。

朝食を軽くすると(ビスケット3枚)

昼ごはん時にお腹がすき過ぎて、昼ごはんに過大な期待を込めてしまう。

ここぞとばかりに何を食べようか手ぐすね引いて食べ過ぎる。

その後の作業効率のために、朝食にもう少しバランスを置いてみる。












2009年09月26日(土) 「宇宙に上手にお願いする法」再読する


「宇宙に上手にお願いする法」を再読する。

「望んでいるものはすでにある」と考えると、私たちの願いの力は著しく増加します。



「〜したい」ではなく、「〜である」と未来形ではなく現在家でお願いする

という記述に対して、頭で理解しようと思っても

感情的にイマイチしっくりこなかったのが、

上の文を読んで、ま、何か腑に落ちた。


結局、願うとは、自分のことを突き詰めて考える、

つまり漠然としていたものを言葉にする、ということだ。

いわゆる自分探しにつながる。自分と向き合うスタート地点に立つことになる。

初めてこういう系統の本を読んでいるのだが

自分が成長できるよう上手に取り入れていきたい。











2009年09月25日(金) 「宇宙に上手にお願いする法」再読する 未知の分野に手を出す 漠然としたものを言葉にする


「宇宙に上手にお願いする法」を再読する。

プロローグ+第一の法則を読んだところで寝てしまう。

寝不足ぎみなところもってきて、あんぱんの食べ過ぎで睡魔に襲われたのだ。

(文字にするとかなりの情けな系だわな)

私にとって、モチベーションをあげる、ストレス解消、楽しみなど

喚起する方策として「食べる」ことがウエイトを占めている。

長年そういう状態が続いているので、行動パターンを変えてみるとか

工夫をしてみるとかいう考えには及ばず

きっと自分が思っている以上にそういう事が当たり前になっているのだ。

言うは易しだが視野を広げる。

小さなことでいいから、今まで思いもしなかった分野に手を出してみる。



ご用事のためのインターネット検索をする。

長時間パソコンに向かう。

調べる目的と、調べる方法を考え効率的に作業する必要がある。

漠然としたまま前に進もうとしているので

結果的に目的地にたどり着くにしても、えらい寄り道してる感じが残る。

まず考える。そして考えた事を行う。















2009年09月24日(木) 「宇宙に上手にお願いする法」を読む 


「宇宙に上手にお願いする法」〜第七の法則まで読む。

例えるなら漢方薬とでもいうか。

上手に取り入れていきたい。

それ一辺倒にならず、視野を広く持った上で活用していくのがコツだと思う。

簡単な文章だけど、まだ内容がイマイチ入りきっていないので再読する。







2009年09月23日(水) ご用事デー  1日1プレイ  他者から学ぶ


ご用事デー。

インターネットの地図検索は便利だなあとつくづく思った。

目印らしい目印のない所だけど

地図を拡大するとローカルな店名が載っていたり

枝葉のような道もハッキリわかったので

長らく行ってない土地勘のない場所ながら全く迷うことなくたどり着いた。



「他人のために」という感覚は、今の自分にはまだしっくりこない。

正直、わだかまりの感情さえ涌いてくる。

つまり、課題を克服して成長する過程にいるわけだ。

自分の本当の感情を受け入れてあげつつ

とりあえず形から練習する事を思いついた。

一日ひとつ「他人のために何かする」。

このレベルだったらストレスを感じる前に(言葉は悪いけど)やり過ごせそう。

感じたことが次の行動につながって成長していくことができればと思う。

とにかく小さな核からスタートだ。







今日、他人に反面教師として考えさせてもらった事。


他人に物を言う時は、かなり言葉を慎重に選んだ方が良いという事。

人間は、お互い様であるという事。(ある一定の状況の下)

他人に何か物を言う時は、知る由のない事情を抱えているかもしれない

という想像力を働かせる事。


ありがとう。感謝。











2009年09月22日(火) 「宇宙に上手にお願いする法」を読む 色川武大


「宇宙に上手にお願いする法」を読む。プロローグ〜第四の法則まで。

サクサク読むことは出来る文章だけど、未知なものに触れた感じで

探り探り読んでいる。


関連性があって同時に注文したのではないが

昨日読了した「ダメな自分を救う本」と

(内容的に全然方向性が違う本だけど)シンクロしているところがある。

「潜在意識は否定形を受け付けない」という件など。

まだ読了していないが、どっぷり浸ってしまうというよりは

上手な関わり方で活用したいと思える。





テレビのチャンネルをバラバラ替えていて、オッチャンのアップに目が留まる。

オッチャンの顔だけが黒地のバック中央にフレミングされた映像だ。

強烈な印象に引きつけられる。

お茶の水博士をぐちゃぐちゃにしたような髪型、伏し目がちな視線、

瞬間的にホームレスの人だと思った。

こういう痛々しい人をテレビ画面に映していいのかとさえ思った。

しかし、この人は作家の色川武大だった。

「生き方を見つける」

「生きられる方向ではなく、生きられない方向に向いていたのではないか。

その葛藤の中にいることが生きる事ではないか」

というような事を話されていたと思う。

なにぶん見ることが出来たのは1、2分だったので正確ではないかもしれない。

しかし1、2分あれば強烈な印象を持つに十分な時間だった。

インタビューの話の中で出たのか、映像のインサートで紹介されたか

「ひとり博打」という本のタイトルと

インタビュー内容の記憶の片鱗を急いでメモする。

「ひとり博打」読もうと思う。












2009年09月21日(月) 「ダメな自分を救う本」読了


「ダメな自分を救う本」のワーク��を昼間ノートに考えて書く。

夜中の3時頃から第7章を読む。読了。

後半部分、日にちを開けて飛び飛びに読んでしまったので気持ちが途切れてしまっていた。

エンジンがかかる前に読了した感じだった。

とても共感、共鳴できる内容だったので、気持ちを高められるよう再読する。





昨日の日記に「優先順位1番」は何か位置づけて

その優先順位1番に重点を置いて行う、みたいな事を書いたのだが

「ダメな自分を救う本」を数日ぶりに読み始め

この本に書いてある事を思い出した。

ほんの小さなことから始めるということ。

この瞬間に出来ることを考え行動する、ということ。

そういう意識を持ち、行動を重ねる事が近道だということ。

自分でやり方を試してみながら、自分に合ったスタイルを見つけていく。













2009年09月20日(日) 快適な空間があってこそ時間の有効利用がある 優先順位1番は片付けることだと位置づけ時間を使う 


日常的な軽めの掃除、食事の支度&食べる、録画した番組を見る

一日、これらが混在した時間の過ごし方をする。

ひとつの節目があったから、快適な空間を作る(大掃除をする)

方向に動いていた(動こうとしていた)のだと改めて自覚する。

ここのところすっかりゆったりモードになっている。

時間を有効に使うための重要な要素は快適空間だ。

これやっぱり優先順位1番ね。



たくさん水を入れたいと思っているんだったら

鍋の底の穴ぼこをそのままにして水が入るわきゃないのだ。

その辺の木切れで押さえたり、手で押さえたりすれば

毎日一時的には少しずつ水は入れられるだろうが

言わずもがな、その場しのぎにしかならないわけで

「水をたくさんいれる」方法からはかけ離れている。

何かに追われているような堂々巡りの気持ちになっていいわきゃない。

だから頂につながるような方法を考えて前進をする。少しずつ一歩ずつでよいとする。

優先順位1番のことを、どーんと中長期的(3週間とか1ヶ月の単位)に据えて

行うようにしてみる。

あれもこれもと思うのは焦りのもとになる。

他の事は切り捨てるくらいの潔さを持ってみる。












2009年09月19日(土) シマトネリコの鉢を日陰に移動 「たかじんの胸いっぱい」考


シマトネリコの鉢を日陰に移動すべくベランダの掃き掃除と

空の植木鉢の移動作業をする。

日の当たり具合を観察してみると、終日に渡って日陰になる箇所はないみたいだが

日陰になる比率が高いと思われるスペースにシマトネリコの鉢を置く。

根付くまでの2週間、日陰で見守っていこうと思う。

(確か1ヶ月という説明も目にしたので追々調べる)

ああ、かわいいシマトネリコたち。




土曜日恒例(?)「たかじんの胸いっぱい」を見る。

政権交代についてわかりやすくお勉強しましょう的な内容だった。

論客VSグラドルという配置だった。

グラドルたちがおバカ担当という番組意図はわかるが

ホントにおバカ過ぎるコメントがエンターテイメントに昇華されず

見ていてイライラした。

さらに、研修を終えたばかりの新人女子アナウンサーの

国会レポートが火に油を注ぐ。

新人だから緊張もあったのだろうが、どうすればよいかわからない

そのやり過ごし方が、甘えて、おもねて、媚で乗り切ろうという雰囲気。

イライラを通り越して不愉快さ爆発。

何より国会議員を「先生」と呼ぶなんて

マスコミは権力に立ち向かう存在ではないか。

気概に溢れていてもおかしくない新人がおもねるのか。

いや、本当に「先生」と呼びたくなる人に対しては呼んでいいと思う。

だけど、どうしていいかわからない状況下で

自分の力で乗り越えようとせず

どうにかして欲しい下心の媚びと依存で「先生」と呼んでいるところが

本当に不愉快ポイントをメチャメチャ刺激される。




これはね、他人の姿を通して自分を見ていることだと思うし

自分を考えるきっかけを与えられているのだと思う。

物事を見る時、公的な判断をするのと同時に

自分の事として受けてめる視点を持つ。

そして課題を見出し、その課題をクリアするよう習練する。








2009年09月18日(金) ご用事デー ウォーキングを日常生活に取り入れる仕組みを作る


ご用事デー。

目的地まで道を尋ねた見知らぬオバサマが車で送ってくれることになった。

帰路は1時間15分ほどかけて歩く。

途中、道に迷って数人の人に道をたずねる。

ンム?な気持ちになったりすることもあったが

久々にウォーキングが出来て本当によかった。

必要は発明の母、歩かなければ駅に行く事が出来ない、

家スタートでウォーキングする場合、そういう必然の仕組みを考えることが

日常生活にウォーキングを取り入れる早道ではないか?

モチベーションを高めるだけが方法ではないのだ。

色々な方法があるはず、という考えを持つ。

仕組みを作ると、あとからモチベーションがついてくるのではないだろうか。

モチベーションを先に考えるとは、無から有を生むに等しいのではないか。

ウォーキング「せざるおえない」仕組みを考える。そして実践する。



話を元に戻して・・・

様々な方たちの手助けに感謝すると同時に

そのままの自分では自分に居心地がよくない。

ぶっちゃけた言い方をすると、どう振舞ってよいのかわからない。

しかし、圧倒的に体験が少ない段階ではそれが当たり前と思おう。

うまくいったり、そうじゃなかったりという

実体験を重ねていく中で、考えに基づいた立ち居振る舞いを身に付いていく。

ただし、過程で課題を見つける目を持つ事だ。そして課題を習練する。

自分の感情を自分で受け入れて(受け取って)

感情(感受)の引き出しを増やしていく。

一歩ずつでよいのだ。




本を読む。

いいかげん映画を見る。

気持ちが揺れることから逃避しているフシもあるように思う。


現実に立ち向かう。

大げさかもしれないけど、全ての事象に向かい合う時

そう意識する事で丁度いいと思う。






2009年09月17日(木) シマトネリコを鉢植えする まずは練習5科目


購入したシマトネリコ2本を鉢植えにする。

昨日買ってきた観葉植物の鉢や観葉植物用土、肥料、庭作業用手袋を

使って作業することで頭がいっぱいになる。

インターネットで鉢植えの方法を検索しながら作業する。

購入した通販の園芸ショップが同封してくれていた

プリントも参考にするが、園芸初心者ゆえ疑問が出てくる。

とりあえず、購入した園芸ショップに質問メールを送ってみようと思う。

誠実そうな対応などからして、質問しても大丈夫そうな印象。

かわいいシマトネリコ。

こんなにかわいいと思う自分が意外だった。

よくうちに来てくれたねえ。

そんなこんなで鉢植え作業に数時間心をさく。




そして午後からご用事デー。

◇姿勢良くする。

◇ゆっくり行動する。(自分のペースを持つため)


◇自然な笑顔で話す。

◇自分の言いたい事をハッキリ言い切る。

◇利他目線で行動する。
 →ただし他者の立場に立って物事を見る事と、
  へりくだる事は違う。むやみやたらに譲ってしまう事とも違う。
  似て非なり。
  そして他者が信頼を裏切れば、こちらも信頼をやめる。
  そして他者が裏切りをやめれば、許す。
  ある意味「しっぺ返し」という意識を持つぐらいが丁度いい。


とりあえず、この5項目を練習する。














2009年09月15日(火) 「ダメな自分を救う本」ワーク��を考えてノートに書く 自分の全ての感情をまず肯定する


「ダメな自分を救う本」のワーク��を考えてノートに書く。



キミという人間がわかる、雑談ネタを考えてみよう〜
 
「どう感じたか」「どう感じているか」など、

キミの「感情」がわかるような話にするのがポイントです。



大げさかもしれないけど自分に愕然とする。

自分は何に「どう感じた」のだろうか? 

何を「感じているのだ」ろうか?

ワークの課題を前に考え込んでしまう。

なかなか答えが出てこない。

自分で自分の気持ちを「無視」「否定」あるいは

「抑えこんでいた」という事実を鼻先に突きつけられた。

それはなぜか?

現実を見たくない、傷つきたくない、逃避する、など

様々な要因が絡んでいると思う。



自分で自分の気持ちを「無視」「否定」あるいは「抑え込めば」

それは本来の自分ではないという言い訳が深層で成り立ち

現実に直面した時に嫌な思いになったり、傷ついたとしても

「それは本当と自分ではない」という意識が逃げ道になったり

拠り所のようなシステムになってしまっていたのではないか。

自分にとって諸刃の剣のような回路を作ってしまっていたのだ。



感情を表す言葉を書き出してみる。

「うれしい」「楽しい」「気持ちいい」「ドキドキする」「好き」

「ワクワク」「感動」「よかった」「さびしい」「感激」「しあわせ」「しんみり」 etc


ポジティブな感情もネガティブな感情も自分の中から起こる

全ての感情をまず肯定する。自分は「こう感じているのだ」と。

自分が「好き」「うれしい」と感じることを自分にしてあげる。

様々な感情を感受できるようになる。

つまり自分の状況に変化をつける。

つまり動く、行動する、ということなのだと思う。



砂上の楼閣をつま先立ちで歩いて「歩けた」と

イチイチ胸をなでおろしているような挙動に何の意味がある。

人間、全部が全部キッチリキッチリならなくて

当たり前だと余裕のある考え方も一方で大切にしつつ

現実に向かって色々な感情を感受し、対応を考え、行動して

自分を成長させていく。















2009年09月14日(月) 堂々巡りを判断してとっとと切り上げる 利他目線で行動する


問い合わせの電話をかける。

自分のミスが根本にあるにしても

もうちょっと融通つけられないの?と思って

ムッとした口調になってしまう。

少なからず相手にも反省する余地を持ってもらうならこれでは逆効果だ。

お互いが軽〜く戦闘モードに入る。

なにより自分のミスを前提にしてないみたいで自分が自分に気分が良くない。

何か言っても堂々巡りになるだけの場合、その判断をして

とっとと切り上げるのが得策なのだ。学習、学習。



プラス、いかようなことでも自分の言いたい事は自信を持って言い切る。

「こんなこと思っていいの?」「こんなこと言っていいの?」という思いグセを直す。

その思いグセによってヘラヘラと自身をごまかすような言い方になってしまう態度を

ハッキリ発言する態度に変える。





「ちちんぷいぷい」に出演している芸人のなるみさんを見ていて

最近漠然と思い始めていた事を再度気付かされた思いになる。

他者に対峙するときは、利己目線ではなく利他目線で接する。

結果的にそうすることが自己を生かす道なのだ、と理屈より先にそう思う。

なぜそうなのか考えてハッキリ言葉で語れるようにする。

私にとって自分のことしか考えないことが

ずっと当たり前だったんだと思うとソラ恐ろしいような

やっと他の世界の存在に気付く事が出来たのだという

開放感のようなものを感じる。

全然違うカテゴリーが世の中には存在していたのだ。

しかし、それはまだ井の中の蛙の井戸の壁の存在に気がついた、

壁が見えたというだけの話なので、

壁に梯子をかけたり上ったりという課題を習練していく。

そして、自分の意志で「井戸」と関わる。

自分の意志でコントロール出来るようになる。















2009年09月13日(日) 「ダメな自分を救う本」第4章〜第6章の途中まで読む 考えをもつことを当たり前の状態にしていく


「ダメな自分を救う本」第4章〜第6章の途中まで読む。

読みながら今日も涙がこみあげる。

著者自身のことを書いた箇所があって、そこを読んで合点がいった。

机上の理解者目線ではないのだ。セラピストという職業家であると同時に

著者の当事者目線が基盤にあるのだ。

だからこんなに「共感」以上の感覚を持つのだ。

こんなにもわかってくれる人が存在していたんだという思い。

そして本文中のワークが自分の中のうやむやに向かい合い

自分の気持ちや感情の確認作業をするきっかけとなっているわけだけど

いかに自分の気持ちや感情を大切にしてなかったか

見ないようにしていたか、ということを痛切に感じる。



そして自分の気持ちや感情を掘り起こして自覚する作業は苦しい。

運動でいうならこれはきっと筋肉痛。

物事に対する自分の気持ちや感情を確認し

状況に反映させていくという「営み」から目を背けていたのだ。

見ないフリをすることが当たり前になっていたから

普段使ってない回路を使って筋肉痛になっているのだ。

思考回路を鍛える。

物事に対する考えを持つことを当たり前の状態にしていく。

自分の気持ちや感情を大切にして「営み」に反映させていく。


そこにレールがある。レールの周りには草花も咲いている。

気持ちのいい空気を胸いっぱい吸い込みながら

レールのとこまで歩いて行こう。

そして自分仕様の列車に乗り込み行こう。











2009年09月12日(土) ストレス発散デー


ここのところの悶々とした気分を切り替えるため

久しぶりにウォーキングする。

お日様にあたって外の空気に触れないことが続けば

自分の中の要因、原因云々以前にそりゃ悶々モードにもなるのではないか。

まず思いつく要因から取り除いていく。出来る事からやっていく。

頭に酸素が回れば多少なりともクリアになる。

雨が降ったり、財布にお金を入れ忘れたりで現地と家の往復をする。

その場ではチッとか思ったけど、後から考えてみるとかえって運動になったと思う。


帰宅後は買い物したおやつをもしゃもしゃ食べ

録画してあったバラエティ番組を見る。何かすっきりした。

今日は自覚の上でパッパラーマイ遊びをした感じ。

ストレス発散デーだ。









2009年09月11日(金) 「ダメな自分を救う本」第3章を読む 「一歩ずつ」が目的地につながっている


「ダメな自分を救う本」第3章を読む。

ワーク�┐鉢�を考えてノートに書く。

自分と向き合う作業なので少なからず苦しい。

出来るものならなかったことにしてこの場から立ち去りたいと思うくらい。

しかし、ただ苦しいのではなく、この苦しさを乗り越えたら頂が見えるという

行く先に解放感が待っているという、生みの苦しみとでも言うべき。

自分で自分を見ないようにしていた、蓋をして見ないフリをしてきた

自分を掘り出す作業なのだ。

前に進むために「ここがどこなのか」を自覚するところからスタートする。

「ここがどこなのか」わからないままでは進みようがないからだ。

山登りの初心者は、自分の段階に合わせた訓練、修練を重ねた先に

エベレスト登頂や山を楽しむ心の余裕を成していくのではないか。

あれもこれもと焦った時は

「一歩ずつ」が目的地へ近づく最善方法なのだと思い返して行動する。













2009年09月10日(木) 「ダメな自分を救う本」第2章を読む 物事と対峙して「考える」クセをつける


「ダメな自分を救う本」第2章を読む。

読むだけなら一日(数時間)で読めると思う。

とてもとっつき易い文章だ。

しかし一行一行に胸が詰まる話に、心沁みこませながら読むので

速読にならないという理由がひとつと

本文中の「ワーク」をやりながら読むので時間がかかるのだ。

昨日は�´△離錙璽�をノートに書き

今日は��〜�Δ離錙璽�をノートに考えて書く。

これだけのことなのに想像以上にぐったり疲れていることに気づく。

普段いかに考えることと対峙していないことかと思う。

普段、運動をしていない状態で体を動かすと筋肉痛になるように

頭脳筋痛とでも言うべきなのだろう。



普段から「考える」クセをつける。

運動不足の筋肉痛ならぬ頭脳筋痛にならない状態にする。

物事と対峙して「考える」ことを習慣にする。














2009年09月09日(水) 「ダメな自分を救う本」第1章を読む 役に立ちたい貢献したいという意識を持って行動する


「ダメな自分を救う本」第1章を読む。

一行一行嗚咽しながら読む。

何だろう。わかってくれた、わかる人がいた、

やっとわかてくれる人を見つけたという感覚だ。

もうホント理屈じゃなくて、心がぎゅうっと搾られて勝手に涙が湧き出てくる感じだ。

タイトルだけだったら気にはなっても心に留めていただけかもしれない。

レビューの数があまりに多かったから半信半疑で購入した。

まだ第1章を読んだところだけど、

この本を手にとることが出来てよかったと思う。




小さなことかもしれないけど、レビューを見たおかげで

(レビューを書いてくれて人たちがいたおかげで)

後押しされてこの本を買った。

自分の行動が、何かの誰かの役に立ったり貢献出来るようになる。

自分の行動が、何かの誰かの役に立ちたい貢献したい、という

意識を持って出来るようになる。








2009年09月08日(火) 「捨てるほど幸運がやってくる!」読了 思索ノート・キーワードは「一歩ずつ」「メリハリ」「短期集中力」


「捨てるほど幸運がやってくる!」読了。

大まかな項目ごとの説明がわかりやすかった。

事細かな情報は有難い一方、いざ実践する段になると

はて?何だっけ? となってしまうことが多い。

整理された情報をサッと引き出せそうなので

実践(掃除)時に手元に置いて活用したい。







【課題を克服する】

気ばかり焦る時と気分が乗らずにダラダラする時の落差を縮めていく。

◇安定した気持ちでいることが出来るようになる。

◇ゆっくりなペースでいいから継続する。

 気ばかり焦る時ほど、ゆっくり丁寧に物事をする。

 一歩ずつ進んでいく気持ちで行う。

 そのゆっくりな一歩は頂上につながっているのだ。

 焦って地団駄踏む足は一歩につながっていない。


◇何かを行う時と、休む時のメリハリを意識して時間を使う。

◇短期集中で物事を行う力をつける。


キーワード

「一歩ずつ」「メリハリ」「短期集中力」














2009年09月07日(月) 「捨てるほど幸運がやってくる!」を読む 自分の好きなものに囲まれた空間を作る


「捨てるほど幸運がやってくる!」を読む。

アマゾン、楽天ブックスともレビューがあまりついてなかったので

買うのをちょっと迷ったのだけど、タイトルに引かれてやっぱり買うことにした。

ずいぶん前に読了済みの「ガラクタ捨てれば自分が見える―風水整理術入門」

「ガラクタ捨てれば未来がひらける 」カレン・キングストン著 からして

だいたいの内容は想像出来たのだけど、片付ける、掃除する、捨てる

というモチベーションに今一度刺激を与えたくて買った。




文庫本サイズの50ページほど読んだところでの感想だけど

カレン・キングストンの著書と比較するとよく言えば庶民的。

わかりやすい例えで書かれているので頭にスーッと入る。

俗っぽいと言えなくもないが「片付ける、掃除する、捨てる」という

パッと見の字面から受ける印象より数段骨の折れる作業に立ち向かう時に

そういう興味を持てるノリはかえってイイと思える。



この手の本を読んで、片付ける、捨てる は痛みのともなう作業なのだ

と認識出来たことはよかった。

捨てることに抵抗感を持つことは当たり前、は言い過ぎかもだけど

自分の生活スタイルは抵抗感と対峙しながら築いていくものなのだ。

今日やって明日出来ました、なんて安易なものではないのだ。

そして乗り越えた先に快適生活空間が待っているのだ。

修行して練習する意識を持って実践する。

そして自分のスタイルを身に付けていく。










2009年09月06日(日) 楽天ブックス注文の本が届く 日常生活に課題をみつけ克服する


午前中、楽天ブックスで注文してあった本を宅配便で受け取る。

配達員のオッサンの不機嫌そうな態度にちょっとイラッとくる。

あーいかん、いかん。

相手の態度がいかなるものであれ、それは他者の問題なのだ。

自身が巻き込まれないよう、

ポジティブな気を感じなければない程、関らないようにする。

あくまでも客観視する姿勢を持つ。客観視する訓練をする。




計5冊購入。

山中貞雄作品集を手に取る。思っていたより分厚くでかくてびっくり。

楽天ブックスとアマゾンを定期的にチェックしていたある日

突如(?)入荷未定の表示になっていたのを見て

「あーもっと早く決心して買えばよかった!」と

頭を抱える思いのままでいたのだが、ぽっこり再チェックすると

両ショップとも在庫有りに戻っていた。

有りなら有りで9800円という価格にまた迷いが生じたが

「同じ後悔なら行動する!」「自分への投資!」

という思いでふんぎりがつき購入する。

思わず顔がにやけてくる。

やっぱり買ってよかった。















2009年09月05日(土) 『私が棄てた女』読了


山内久脚本『私が棄てた女』読む。読了。

次行のト書き、次の台詞の意外性がもろ心臓にグサグサ刺さる連続で読了する。

奇をてらった意外性ではなく、ハッと気づかされる人間の業、心根、佇まいの

描写に終始軽いショックを覚えつつ読む。



いつものごとく情報の下調べなく読んだので、読後に検索する。

Wikipediaによると山内久氏の奥さんは脚本家の立原りゅうという方で

その立原りゅうさんのお父さんが脚本家の野田高梧氏とのこと。

その野田高梧氏は、小津監督と共作という形で小津安二郎監督の

『晩春』(1949)から『秋刀魚の味』(1962)までの作品を手がけたのだそうだ。

つまり先日見た『麦秋』(1951)『東京物語』(1953)

『彼岸花』(1958)『秋刀魚の味』(1962) 

の脚本も然りということだ。ああ、琴線の糸は繋がってるんだなあ。




さらには『私が棄てた女』は遠藤周作の長編小説「わたしが・棄てた・女」が原作とのこと。

思いがけなく宝箱を開けたら出てくる出てくる。

心情の描写が前衛的(というか複雑)な印象があったのは

小説が原作だったからなのね、と理由がわかってちょっとつっかえが取れた。

Wikipediaによるあらすじを読むと、映画の脚本は原作と要所々でちょっと違っている印象だ。

これは想像だけど作品から受ける「密度」という点では同じではないかと思う。

熊井啓監督の『愛する』も「わたしが・棄てた・女」を原作にした作品とのこと。

こちらは直ぐ見たい感じじゃないけど、気持ちに留めておいおこうと思う。





そして遠藤周作「わたしが・棄てた・女」のヒロインの森田ミツは

「実際にハンセン病と診断されながらも誤診で、

のちに看護婦になった経歴を持つ井深八重がモデルとなっている。」

という記述を読み、Wikipediaの井深八重さんの項目を読んでさらに強く心引かれる。

まずは「わたしが・棄てた・女」を読んでみようと思う。














2009年09月04日(金) 「勝間和代のビジネス頭を創る7つのフレームワーク力ビジネス思考法の基本と実践」読了 欲しいリストに追加 


「勝間和代のビジネス頭を創る7つのフレームワーク力ビジネス思考法の基本と実践」読了。

よくわからないビジネス用語があったりしたけど

日常生活全般に応用が利くような主旨で書いてあるので

その点はネックにならなかったと思う。

具体的な解説がわかりやすかった。

何でもかんでも「簡単に出来る」わけではなく

練習、修練が必要という観点からの解説は、

読者のニーズを踏まえながらも著者の実直な態度を感じてよかったと思う。

書いてあること全て信奉(?)するでもなく

自分のことを知るための叩き台として活用する。



意味のわからない語句、単語に付箋をつけならが読んだので本がジャラジャラ状態になっている。

インターネット検索と辞書を併用して付箋箇所の単語を調べる。

時間短縮のためインターネット検索に集中したほうがいいかも?

時短方法をやりながら考えて実践する。

欲しいリストに電子辞書、ICレコーダーを追加する。










2009年09月03日(木) 勝間本を読む 『ゴスフォード・パーク』と『菊次郎の夏』をチラ見する。


勝間本を読む。合計3時間くらい。

徹子の部屋で勝間さんが話していた時間の使い方を参考に

5:3:1:1 という時間割を意識してやってみようと思う。

さらに、考えて行動するには「具体的に数字に落とす」ことが大切

というような記述を読んで(ライフハック関連その他のブログ、本等

でも読んだことはあったのでなんとな〜く実践はしていたのだが)

やる事をもっと具体的に細分化させた内容を明記しようと思う。

具体性があると行動につながる。当たり前っちゃー当たり前のことだわな。

住まい全体の快適空間があらかた整うまでは

掃除、日常作業5(5時間): インプット、アウトプット3(3時間)の

時間割に沿って実践してみる。




NHK-BS深夜0時40分から放映の『ゴスフォード・パーク』という映画の

冒頭部分30〜40分ほど見る。

番組欄でタイトルを見て気になったのでチラ見気分で見る。

オープニングの映像からイヤな印象は受けない。

逆に、引っ掛かりのない中庸な印象とも言える。

2時間ドラマを見るような気楽な感覚のおもしろさで見ることは出来そうだ。

しかし、深夜3時まで起きて見る原動力にはならない。

ピリッと感薄、と判断しチャンネルを替える。



またまたちょっと気になる映画らしき画面に目が留まる。

独特の空気感に琴線が揺れもし、逆にちょっとした嫌悪感も感じる。

もしやと・・・思ったらやはり北野武監督の映画だった。

『菊次郎の夏』

あーこれが『菊次郎の夏』なのか。

こちらの作品は、今後ちゃんと見たいという理由で途中でテレビの電源を切る。

今すぐ見たい感じではないからインターバルを置いて見たいと思う。













2009年09月02日(水) 勝間本を読む 自分の長所に目を向けること


久々に勝間本を読む。50分×2セット。

経営学的論理を(わかりやすく)解説した内容なので

ちょっと視点が違っているかもしれないが

画像、イメージの重要性についての項目を読んで

(ホントはもっと小難しいタイトルのククリ)

自分にとって映像やイメージがあることが普通のことなのだと

改めてわからせてくれた感じ。

へ!? 映像は練習して持つものなの!? 

普通にあるもんじゃないの!? みたく思う。



自分の中の特性のひとつとして、長所のひとつと捉え

映像、イメージを創造することを伸ばすよう考え実践する。

また逆に、論理的に物事を捉えて考え行動することが課題だと改めて思う。

論理的思考を持って行動が出来るように考え実践する。











2009年09月01日(火) ワゴンセールでDVDを購入する ダンボール整理箱を購入する


スーパーへ買い物に行ったら

いつぞやと同じDVDのワゴンセールをやっていた。

小津安二郎監督の『戸田家の兄妹』を発見。

以前のぞいた時も小津安二郎監督作品は数作品あったはずだが

その時はスルーしたはずだ。

今回はおとといの日曜日に小津作品を4作品見たばかりなので

「タイムリーに見つけた」という気分になる。

それと『高島忠夫の坊ぼん罷り通る』という作品を散々迷った挙句買うことにした。

あまり触手は動かなかったのだけど、天知茂が出演していること

レンタルビデオ屋に気安く?置いてあるとは思えなかったこと

安価(500円)だったことなどを考慮して買うことにした。

ま、どっちに転んでも?おもしろ感覚で見ようと思う。



100円ショップでダンボール(再生紙)製のミニ整理箱を購入する。

領収書類を整理するファイルをネットショップで見つけて買うつもりでずっといたのだけど

掃除をする中でプラスチックゴミはなるべく出さないようにしたいという

思いが強くなったので(環境的にもそうだし、実際問題プラゴミを出すのは面倒だし

他の用途への使いまわしが出来ない等の理由)

整理グッズは紙製を選ぶようにしてみようと考えがかわったのだ。

片付けていくなかで試行錯誤して良い方法を構築していこうと思う。



紙類(領収書類)を片付ける。











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Barbara [MAIL] [バイオトープの庭]

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