おうち鑑賞

2010年09月30日(木) 『ジュリア』


『ジュリア』Julia 1977年 フレッド・ジンエンマン監督


映画を見る時は、積極的に情報を検索しないようにしているので

この作品も真白な状態で見たわけだけど、先入観なく見た印象として

自分は作品の中の「ジュリア」の在り方が少し弱いと思った。

存在するだけでもっと鋭い光を感じさせて欲しい、それがこの作品の構造だと思ったから。

あとからレビューなんかを見てみると結構真逆だったりするのね。

(出演場面は少ないけどジュリアがかっさらった、みたいな)

ジュリアを演じたヴァネッサ・レッドグレイヴという女優さんは

この作品で演じた人物を髣髴とさせる?反体制の闘士で

政治的発言もオープン?にする人らしい。

そういう情報を知って見るとまた違った見え方になったかと考えるに

そうでもないと思う。自分の心の琴線の在りかは同じだから。

女同士の友情という関係から『テルマ&ルイーズ』がオーバーラップする。

そして自分にとっての強くしなやかな女はやっぱり

ジーナ・ローランズなんだよなあ、と再確認したのだった。









2010年09月29日(水) 『恋におちたシェイクスピア』 再見


『恋におちたシェークスピア』Shakespeare in Love 1998年/英=米
              ジョン・マッデン監督


製作年に近い頃に一度見ているはず。

ずいぶん前にダビングしたビデオを見る。

『エマ』のグウィネス・パルトロウつながりで再見したくなったのだ。

ディティールの記憶はほとんどなくなっていたが

作りの豪勢さに反比例して乗り切れず見た、という記憶はある。

やっぱり印象はほとんど変わらなかった。

グウィネス・パルトロウ演じるお嬢様とシェイクスピアが

激しい恋に落ちていくシーンが重ねられていく。

グウィネス・パルトロウもシェイクスピアを演じたジョセフ・ファインズ

という俳優さんも下手くそとは思わないが

恋する二人の状況がそれなりの形になって見えてはいるのに

全然感情に響いてこない。

シェイクスピアを演じたジョセフ・ファインズという俳優さんに

乗り切れなった個人的な好みの問題なのだろうか?

だがしかし、アレがシェイクスピア見えるか?

シェイクスピアというよりクイーンのボーカルの人みたいではないか。

シェイクスピアに造詣が深いわけでもなんでもないが何か違う気がする。

それと『エマ』で上手いと思ったグウィネス・パウトロウは

演技の幅があるタイプの女優さんではないんだな。

どちらかというとスター性で引っ張るタイプだったんだ。

作品の中で一番感情移入出来た箇所は劇中劇の場面だった。

芝居系の作品を見るといつも「ガラスの仮面」がオーバーラップする。









2010年09月28日(火) 『スターウォーズ エピソードⅥ ジェダイの帰還』


『スターウォーズ エピソードⅥ ジェダイの帰還』
Return of the Jedi 1983年 リチャード・マーカンド監督


NHK-BShiで録画したのを見る。

日記を書いている今現在は10月13日。

2週間程時間が経過している。

あらすじをザッと読んでやっと映画を見た時の記憶(の断片)がよみがってきた。

不自然な設定と感じた箇所、ラストに興醒めしたこと、乗り切れずに見たことなど。

たかだか2週間時間が経っただけで、このような作業の必要が

自分がこの作品をどう見たのかを表している。

マジで遠い昔に見た感覚になってしまっているが

記憶の糸をたどっておさらいしてみる。

まず(作品の構成と関係ないかもしれないけど)ルークがすごく老けていて驚いた。

年齢を重ねることは自然の摂理なわけで、美醜の問題というより

作品の中では一応プリンス的設定なので

映像的にもうちょっと見せ方があったのでは?と思ってしまう。

ま、その位前作に比べてオジサン化していた。

だからハン・ソロがルークに対し台詞の中で

「こども」(日本語字幕で)と表現していたことに違和感を感じた。

そしてレイア姫がなぜそこにいる?と思った記憶。(たぶん発端部分で)

説明をすっ飛ばし過ぎてるのでは?と思った記憶。

そしてクマちゃんたち(森の部族?)のアットホームな加勢の場面を

乗り切れない気分で見たこと。

そしてラストにダース・ベイダーが息子であるルークの懐に抱かれながら

仮面を脱ぎ素顔を晒した場面を見て鼻白む思いになったこと。

茶化しているような言い方になってしまうが

志村けんさんのバカ殿が出てきたのかと思った。(ホントにそう思ったので)

まだら記憶になってしまっている所を確認するために

時間を置いて再見してもいいかなと思う。

時間はかなり置きたい気分。









2010年09月27日(月) 『永遠と一日』


『永遠と一日』Mia aiwniothta kai mia mera 1998年/仏=伊=ギリシャ
       テオ・アンゲロプロス監督

『シテール島への船出』(睡魔に襲われまだら見になる。時間を置いて再見する。)

『霧の中の風景』と製作年順に見てきたわけだけど

前2作品と比較して『永遠の一日』は、視覚的に演劇的なシーンが随所にあった。

思想や哲学?の先にある表現なのだと思うが

自分的には、作品のテイストになっているというより

アンバランスな印象が残って違和感を感じた。

あらゆる意味、意義において芸術的表現だと思う。

今の自分はそう感じたということだ。



つまるところ、詩作に没頭し、愛する妻や娘を顧ず人生を送ってきた

芸術家の男が、最期の時を迎え愛する妻や家族と暮らした

海辺の家に想いを馳せ、後悔や孤独の中に身を置き、自身の人生を振り返る

時間の旅に出る・・・という軸に、アルバニアから亡命してきた

少年との出会いが交差する、という物語なのだよね。

身も蓋もない言い方になってしまうのだが

でもホントに今の自分が感じたことなので思い切って書いてしまうが

そこまで芸術的なトーンじゃなくても在りうる作品ではないか。

シンプルなことが深刻に表現されていることに乗り切れていないのだ。

(わかってないからそう感じるところがあるとは思ってる。)

無意識にハリウッド的な演出に置き換えて見てしまうところがあった。

もっと深く見たい(理解したい)ので時間を置いて再見する。

テオ・アンゲロプロス監督作品は、睡眠が十分足り、元気ハツラツ、

気分のコントロールが上手く出来る、絶好調の時に見るのがよいと思う。









2010年09月25日(土) 『霧の中の風景』


『霧の中の風景』Topio stin omichli  1988年/仏=ギリシャ=伊
        Landscape in the Mist
        テオ・アンゲロプロス監督


NHK-BShiで録画したのを見る。

本当は『シテール島への船出』1983年/ギリシャ を先に見たのだが

夜中に見始めたため、睡魔に襲われまだら見みなってしまった。

ただ映像の美しさに打たれた印象は強く残る。

色彩、構図など、感覚的に違和感を感じたり、嫌だと思う所がただの1ミリもない。

透明感という点で北野武監督の映像と少しオーバーラップした。

テオ・アンゲロプロス監督の作品を初めて見たのは『旅芸人の記録』だ。

映画館でリバイバル上映を見たのはずいぶん前のことだ。

当時はテオ・アンゲロプロス監督作品の見方が感覚的によくわからず

(今もそうだけど)心のどこかでスゴイ映画なんだという確信みたいな

ものだけはあって、でも見てると睡魔にも襲われてしまうという。

正直今もテオ・アンゲロプロス監督の真髄はわかってないと思うけど

テオ・アンゲロプロス監督の作品を見てしまうと

他の全ての映画が、いかにも虚構の世界の産物と思えてきてしまう。

何をチャラチャラしとるのだ、と。

そういう感情が湧いてくることの良い悪いは別として。

まあ、他の映画を見始めるとスグそちらの世界に入り込む

スイッチに切り替わるのだけど。



一見淡々とした雰囲気だけど、ちゃんと(巨匠の作品をつかまえて

ちゃんともクソもないが)構成上のポイントが存在しているんだなあと思った。

分解?を意識して見ると土台はシンプルだ。

胸を打つ作品は土台がある。これって例外はないと思う。

良い作品はみなそうなのだ。









2010年09月23日(木) 『ウェールズの山』


『ウェールズの山』The Englishman Who Went Up a Hill But Came Down a Mountain 1995年


かなり前にNHK-BSで録画したビデオを引っ張り出してきて見る。

長い間積見状態だったのが『エマ』と同じビデオに

録画してあったので存在に気がついたのだ。


ヒュー・グラントが出演していることがわかったので

良くも悪くも肩の力を抜いて見ることが出来る作品ではないかと

少なからず期待をしたのだが全体的に漠然とした印象を受けた。

製作者の意図とか想いの察しはつくのだが

自己陶酔の域にとどまっている感じがするのだ。

なぜ、そう感じてしまうのか考えてみるに

物語自体は面白い設定だと思うのだけど

登場人物の行動(感情に訴えるアクション)がほとんどないので

物語が停滞しているように感じるのではないかと思うのだ。

主要登場人物の測量士を演じるヒュー・グラントなど

ただ村人の作為によって足止めをくらっている人でしかない。

意図した傍観者という設定でもない。

タラ・フィッツジェラルドと恋に落ちるのだって

まるでとって貼り付けたようだ。

そしてこの作品にとって一番重要なテーマである

村人たちが力を合わせて丘を山にするという思いが

イマイチこっちに響いてこない。

『刑事ジョンブック目撃者』のアーミッシュの村人たちが

納屋を建てるシーンのバックに流れていた風の音楽が

この作品の村人たちの共同作業の場面にも流れていたと思う。

『刑事ジョンブック目撃者』のアーミッシュの村人たちが

納屋を建てるシーンには胸が締め付けられた。

本当に歓喜にふるえるような思いになる。

だけど、この作品の村人たちの共同作業のシーンは

効果音楽だけがとって貼り付けたように流れているように感じる。

イマイチ響いてこない。

そして作品の冒頭とラストに出てくるストーリーテラー的な

おじいさんは一体何者なのだ?という釈然としない感。

この登場人物の存在もとって貼り付けたようである。

結局、製作者は一番何が言いたかったのであろうか?

一番何に焦点を当てたかったのだろうか?

と思う。









2010年09月21日(火) 『スター・ウォーズ エピソードⅤ帝国の逆襲』


『スター・ウォーズ エピソードⅤ帝国の逆襲』
The Empire Strikes Back 1980年 アービン・カーシュナー監督


NHK-BShiで録画したのを見る。

自分的にはシリーズ第1作『スター・ウォーズ エピソードⅣ新たなる希望』とは

全く別の作品になってしまっているように感じた。

当然、登場人物や物語上の設定に変わりはないのだが

黒澤明監督の気配のケの字もなくなってしまったという視点でのことだ。

自分にとっては、黒澤明監督より受け継がれた世界観に引かれているところが

この作品を見る上でたぶん魅力を感じる大きな要因になっていたので

改めて別の次元の作品として見た時に、気持ちが動くかといえばそうではなかった。

世界的大ヒットが示すように、この作品の功績や意義は大きいのだと思う。

もちろん作品的にも評価されるべき点が多いとは思う。

が、自分にとっては(物語のあり方など)芯から突き動かされるタイプの作品ではない。

ただそれでだけのことだ、と思う。

すでに物語の概要、進行など記憶が曖昧になっていることに気付く。

乗り切れてないことで丁寧に見るスイッチが入らなかったのかも。

そのままでは居心地がよろしくない。

その辺をクリアにする意味で時間を置いて再見する。

初見とは違う見方が出来ることもちょっと期待したい。









2010年09月19日(日) 『めぐりあう時間たち』 再見


『めぐりあう時間たち』The Hours 2002年 スティーブン・ダルドリー監督


再見する。マイ日記内検索で調べてみたら6月24日が初見であった。

頭の中の「再見したい引き出し」に入れてあったので

(つまり記憶としては新鮮な状態だったので)

まさか初見からこんなに時間が経っているなんて意外だった。



再見理由として、佳作の部類に入る作品だということはわかるのだが

作りの良さを感じるほどには、感情、琴線がゆれないことの

居心地の悪さがあって、釈然としない気持ちが残っていたから見直したかった。

確かに、ジュリアン・ムーア、ニコール・キッドマン、メリル・ストリープの

演技の上手さには引きつけられる。

だけど、それぞれに描かれた女性たちの生き方(のエピソード)に

わかるようでわからない、深く表現されているようでそうでもないような

印象を受ける。やっぱり芯から感情移入できる感じではないのだ。

それとは別に、物語の分解の糸口すらイマイチわかってない状態なので

その辺のところを理解するために、時間を置いて再見する。(理解に重点を置く気概で。)

(スティーブン・ダルドリー監督はバイセクシャルと公言している?そうだが

ひょっとしてこの作品は、男性目線で描かれた女性なのでは?

だから乗り切れないのかも?とふと思う。)









2010年09月17日(金) 『スタンド・バイ・ミー』


『スタンド・バイ・ミー』Stand by Me 1986年 ロブ・ライナー監督


何年ぶの再見になるのか記憶にないくらい久方ぶりに見る。

ほとんど初見感覚で見る。

『マイ・プライベート・アイダホ』のリバー・フェニックスを知ったことが

この作品を再見しようと思ったきっかけだ。

この作品当時、リバー・フェニックスは15歳くらいだろうか?

語弊のある言い方になってしまうかもしれないが

本人が好むと好まざるにかかわらず

無自覚に放たれている芳香というか、セクシャルな魅力が

リバー・フェニックスの個性の一部になっていると思う。

ホントに魅力的だと思う。

つくづくリバー・フェニックスの23歳以降の作品も見たい

衝動にかられてしまって、悔しさと腹立たしさまでもがこみ上げてきた。




15歳前後の俳優だけで、ひとつの作品を成立させている

ハリウッドってなんて層が厚いんだろうと、

何だか作品から一歩引いた見方をしてた。

物語的には『普通の人々』とオーバーラップするところがあった。

『普通の人々』は胸に刺さったが(苦しいほどに)

この作品に対しては、どこかワンクッションある受け方だった。

製作年を改めて確認してちょっと驚いた。

もう少し以前の作品のような気がしていたからだ。

自分の中の何かと無意識にダブらせていたのだろうか?

もうちょっと丁寧に見直したい気分。

時間を置いて再見する。









2010年09月16日(木) 『理想の結婚』 『ワイルドバンチ』


『理想の結婚』 再見する。





『ワイルドバンチ』The Wild Bunch 1969年 サム・ペキンパー監督


心が折れそうになる。感情が潤わない。拒絶感がある。

そういう見方になってしまった意味で心が折れそうになる。

バイオレンスと西部劇を足して2で割ったような

(こんな表現になっていること自体わかってないのだと思うのだが)

こういう作品に面白みを見出す感覚がない。

西部劇は見たいと思うジャンルじゃない、と頭から決めてかからずに

とりあえず食わず嫌いを疑ってみること。

物語の概要もほとんど頭に入ってこない見方になってしまった。

馬が爆走するシーンを見て一瞬黒澤明監督の作品が頭をよぎった。

黒澤明監督の作品が、いかに芸術と娯楽の骨太な構築物だったかを改めて思う。

映像特典でサム・ペキンパー監督が影響を受けた中の一人が

黒澤明監督という紹介文があった。

時間を置いて仕切り直したい(再見したい)。









2010年09月15日(水) 『ゲッタウェイ』 『マッチポイント』


『ゲッタウェイ』The Getaway 1972年 サム・ペキンパー監督
                     ウォルター・ヒル脚本


以前、サム・ペキンパー監督の名前を知らずに見た『わらの犬』と同様

男の生理が貫かれた世界であった。

裏路地にある、常連のオッサンたちがたむろする知る人ぞ知る立ち飲み酒場。

余程の理由がなければ女一人が店に入るにのには勇気がいる。

もし店に入ったとしても所在がない。そんな感覚。

女子が(少なくとも自分は)サム・ペキンパー監督の作品を

気持ちの芯のところで面白がれるようになるには

ある程度の学習が必要だと思う。

サム・ペキンパー監督が描いている世界は

物事の本質を突くリアリティなのかもしれないが

(これは性差で感じる問題ではないかと思うのだが)

女子として不快に感じる描写なのだ。

芸術表現に対して、不快に感じることを善悪に分けること自体違うと思う。

だから学習という言葉を使いたいと思う。

物語の進行自体、ハリウッド的(悪事には清算が待っているという)結末を

想像していたので意外だった。

とはいえ、どっちに転ぶかわからないという種を残しつつ。

そしてその種も微妙な種のまき方で面白いと思った。

時間を置いて再見する。








『マッチポイント』Match Point 2005年/英=米=ルクセンブルク ウディ・アレン監督


久々に再見する。

金持ちの娘と結婚し、のし上がって行く男を演じているのが

『ベルベット・ゴールドマイン』のジョナサン・リース・マイヤーズだとわかったからだ。

『クーリンチェ少年殺人事件』に出演していた

チャン・チェンと何故かオーバーラップしてしまう。

一見普通に見えて自然体なんだけど、エキセントリックさを

内包しているように感じさせるところが共通しているのかな?

再見して意外だったのは、初見の時より

物語がすごくサクサク素早く進行しているように見えたこと。

初見の時は、もう少し重厚感を感じながら見たと思う。

再見なので、無意識的に頭の中で整理しながら見たのかもしれない。

良い意味でわかりやすい物語だと思う。

あ、それから、ウディ・アレンが俳優として出演してないとホッとするわー。

ウディ・アレンが出演していると、うるさいから黙って!とか思ってしまう。

『トレインスポッティング』に出演していた役者さんが刑事を演じていて

それもまた面白かった。

作品的に面白い。佳作に違いない。

時間を置いて再見したい。たぶんDVD購入する。

本日見た作品は奇しくも(?)、ハリウッド的結末ではない

(どちらに転ぶかわからない種がありつつの)結末シリーズの2作品だった。









2010年09月14日(火) 『ビッグ・フィッシュ』 『プライドと偏見』


『ビッグ・フィッシュ』Big Fish 2003年 ティム・バートン監督


出た。自分の中の未開の分野。

評価が高い意味が理解できない分野だ。

本来一般的な評価がどうであろうと関係ない。

自分がどう感じるか、自分がどう認識するかなのだが

その基準軸がよく分からない分野だ。

『エターナル・サンシャイン』もそうだったんだよなあ。

ファンタジーとか神話とか寓話とか、

(というかティム・バートン監督に対してかもしれない。)

未知との遭遇感覚なのだ。

感情移入する前に、通り過ぎていってしまう感覚だ。

自分の中で未開拓な以上、理性で解釈を積み重ねていくことで

判断基準が出来ていくのかもしれない。

しかし、感じることに従っていればいいとも思う。

作品に乗り切れないのは、作品の問題なのかどうなのか

自分の判断基準軸がハッキリしてないので曖昧ではあるが

とにかくそんなに乗り切れなかったのは事実なわけで。

だけど結末を見て、そこに向かうための物語であったのかという納得と

胸に刺さる感じはあった。

佳作の部類に入る作品なのだろうなあとは思う。

相性の問題もあるわな。

だから、理解モードに切り替えて見る! と割り切るようにする。

時間を置いて再見する。(かも)






『プライドと偏見』 再見する。









2010年09月13日(月) 『Vフォー・ヴェンデッタ』 『チョコレート』


『Vフォー・ヴェンデッタ』V for Vendetta 2005年/米=独


『プリシラ』のヒューゴ・ウィービングが仮面の男を演じているということを知って見る。

ヒューゴ・ウィービングは温かみのある良い役者さんだと思う。

全く素顔の出ない役柄は見ていてちょっとジレンマに陥った。

良い役者さんだからこそ仮面の男の感情を表現できているのだろうが

それだけに生身の姿を見てみたい欲求が沸いてくる。

例えば、顔の一部だけでもさらすシーンを作ってしまうと

物語が根本的に違ってしまうのだろうか?

(そうでもないような気もする。)

独裁政治に支配された世界に仮面の男が報復、復讐活動を企てる。

独裁政府に支配された生活におびえる人々。

物語の設定や1コ1コのエピソードに引きつけられはするが

現実と現実離れした表現が上手く合わさってないように思う。

細かい部分を言えば、仮面の男Vとイヴィーのロマンスを感じさせる

シーンが(ふわっと香る程度のニュアンスでいいから)

あと1~2場面あった方がいいと思う。

Vの報復活動とのコントラストで双方の視点がハッキリするのでは。

何だかモヤモヤ感が残る。

監督は『マトリックス』の助監督のジェームズ・マクティーグという人で

製作・脚本は『マトリックス』シリーズのウォシャウスキー兄弟なのだそうだ。

なるへそ、という感じである。







『チョコレート』Monster's Ball 2001年 マーク・フォースター監督


エンドロールが上がってきた時

改めて原題の『Monster's Ball』を見て

なぜゆえ邦題が『チョコレート』になったのかと不思議に思った。

だって原題と邦題の訳がかすりもしていないではないか。

作品の中からチョコレートというモチーフを引っ張り出してきたのは

苦肉の策というか、ある意味すごいと言えばすごい。

ヘビーなラブストーリーであった。

黒人差別主義の看守の男と、男が最期に立ち会った黒人死刑囚の妻との

ラブストーリーが主軸なのだが、看守の男の背景にある親子の関係性が

自分の中でフォーカスされ心に響いた。

親子のあり方が胸に刺さってくる。

ハンクが父親を施設に入れる手続きをする場面、

お父様を愛しているんですね? と、施設の職員から言われ

いや全然 と、即答するシーンが印象に残る。

ハンクに軟弱と罵られながら自殺した息子、

父親を愛していた息子を演じていたヒース・レジャーの演技も印象に残る。

『ダークナイト』のジョーカー役だったと知ってちょっとびっくり。

(ジャック・ニコルソンのようであった。)

『ブロークバック・マウンテン』を見た時は、レビューの高評価ほどまでに良いとは思わなかった。

『Dr.パルナサスの鏡』という作品が遺作なのだ。

時間を置いて『ブロークバック・マウンテン』再見したいと思う。









2010年09月12日(日) 『プライドと偏見』 『きみに読む物語』


『プライドと偏見』Pride & Prejudice 2005年 ジョー・ライト監督


『エマ』の実写版のようであった。(変な言い方だけど)

次女エリザベスを演じたキーラ・ナイトレイという女優さんの

くしゃくしゃっとなる笑顔がとてもチャーミングだった。

長女のジェーンは、作品中すごい美人という設定みたいだけど

むしろ次女のエリザベスの方が美人に見えなくもないような。

ま、些末なことだ。自分に設定を言い聞かせつつ見る。

『普通の人々』の父親役を演じていたドナルド・サザーランドが

この作品でも父親役を演じていた。

『普通の人々』からタイムスリップしてきたみたいに

良い意味で過ぎた年月を感じさせない、

全然変わらない雰囲気が魅力的だった。

『エマ』よりこの作品の方がロケーションやセットは凝ってはいるけど

『エマ』の方が好きだなあ。(同じジェーン・オースティン原作作品として)

理由を考えるに、1コ1コのシーンに魅力的なビートがあって

シーンとシーンのコントラストハッキリしているので

それぞれのエピソードが際立って見えることなどの要素から

好きなのだと思う。

だけどこの作品はこの作品で、質実剛健的な?トーンで製作された佳作だと思う。

TVドラマ版『高慢と偏見』も見てみたい。








『きみに読む物語』The Notebook 2004年 ニック・カサヴェテス監督


ニック・カサヴェテス監督は、ジョン・カサヴェテス監督とジーナ・ローランズの息子なのだそうだ。

オープニングのシーンの構図を見て、あれ?と思う。

直球勝負というか、素朴というか、プロっぽくない?感じがした。

冒頭の印象そのままに、人を愛することの

変にひねっていない正攻法的な表現が心の琴線を揺らす。

どうでもいいことのようで結構ショックだったのは

愛するジーナ・ローランズの顔に皺がなかったこと。

『グロリア』のジーナの顔には深く刻まれた皺があった。

魅力的だったその顔、その皺。

この作品のジーナの顔は、20~30年の年月を重ねた容貌とは別に

不自然につるんとしていた。

この作品時のジーナは70歳くらいだろうか?

ジーナもリフトアップ手術とかするんだなあ、なんて考えながら見た。

だけどジーナの佇まいの魅力はそのままだったと思う。

ジーナを見ると目の奥が熱くなる。









2010年09月11日(土) 『ミルク』 『デッドマン・ウォーキング』


『ミルク』Milk 2008年 ガス・ヴァン・サント監督


自らゲイであることを公表し同性愛者差別撤廃の活動家

ハーヴェイ・ミルクという人の生涯を描いた伝記映画なのだそうだ。

自由の国アメリカが抱える闇の一端を見た思いがした。

すごく意義深いテーマを掘り下げて描いた作品だと思う。

だからこそ踏み絵を踏むような気持ちで言うのだが

テーマの重心が主義、主張に偏っていることから

見ている側は逃げ場がないような気分になる。

絶対的に肯定されるべき作品ではあるけれど

何の迷いもなく潤いのある感情に抱かれたと言い切れる

見後感ではなかったと思う。

この作品はドキュメンタリーではなく映画だ。

感情が感動が人を動かすのではないか。






『デッドマン・ウォーキング』Dead Man Walking 1995年 ティム・ロビンス監督



死刑肯定論者、死刑廃止論者双方の視点から描かれているとは思う。

しかし、作品自体(製作者は)死刑廃止の視点で描いた作品だと思われる。

デリケートな問題がテーマの場合、中立の立場で描いているように見えて

実は片方の思想に重心があることに観客が気付いてしまうと

観客は反発の感情を抱いてしまうのではないか。

限りなく双方の立場から描いているとは思うが

とくに死刑制度肯定論者(あるいはグレーゾーンな解釈の人たちにとって)

釈然としない思いは残ると思う。

製作者の視点があるのは当然だ。死刑制度肯定、死刑制度否定、

どちらの考え方を持つかは個人のアイデンティティに左右されると思う。

このようなテーマの場合、製作者は徹底して中立の表現を計算して描くことで

かえって観客により多くのことを考えさせることができたのではないかと思う。



『ショーシャンクの空に』に俳優として出演していた

ティム・ロビンスが監督だったんだ。後から知ってびっくり。

スーザン・サランドンとは長年に渡りパートナーの関係だっととのこと。

それも後から知ってびっくり。









2010年09月10日(金) 『ラブ・アクチュアリー』 『プロヴァンスの贈りもの』 『普通じゃない』


『ラブ・アクチュアリー』Love Actually 2003年英=米 リチャード・カーティス監督


基本的に『ホリデイ』同様、この手の作品にあーだこーだ言うのは

野暮なのかもしれないとは思う。

にしても、結構評価が良さげなのにはびっくりする。

堅苦しいこと抜きに、ライトなエンターテイメントなノリに

自分の中のピントの標準を合わせて見れば、それなりに面白いとは思うが

数組のカップルの愛の行方、愛の形を同時進行させているので

深く掘り下げられず詰め込まれて、表面的な描写にとどまっているように感じる。

それぞれは面白い設定のカップルだから

もっと掘り下げた関係性を見てみたい欲求が残る。

そして物語の中盤以降、バラバラに見えていた人間関係が実はどこかで

つながっていた・・・という件も、自分の中では予定調和に感じることだった。

たぶんキムタクが総理大臣になるドラマなんかが

好きな人にとっては、はまる映画なんじゃないかと思う。

ひねくれてるかしら。

リチャード・カーティス監督は『ブリジット・ジョーンズの日記』の脚本を書いた人だそうだ。

『ブリジット・ジョーンズの日記』の方が断然良いと思える。








『プロヴァンスの贈りもの』A Good Year 2006年 リドリー・スコット監督


リドリー・スコット監督作品なので、レンタル店で見つけた時には

小躍りするぐらいうれしかったのだが

イマイチ何に焦点を合わせているのかよくわからない作品だった。

期待が大き過ぎた落差は差し引かなくてはならないにしてもだ。

金融界であくどい手法もいとわずマネーゲームに身を投じる男を演じる

ラッセル・クロウが、叔父が遺したぶどう園とどう関わっていくか、

マネー業界の男がどう変貌を遂げるのか、そういう物語なのだ解釈して見る。

しかし男が変化したにはしたが、変化の過程に説得力がないと思う。

それにラッセル・クロウをめぐる人たちとの関係も釈然としなかった。

方向的にはハートウォーミングな物語なのだと思う。

そっちの方向へ、もっとベタに向かった方が

かえって物語の特色がハッキリしたんじゃないのかなあと思う。






『普通じゃない』A Life Less Ordinary 1997年 ダニー・ボイル監督


ダニー・ボイル監督作品なので、小ひねくれたところがあるかと

ちょっと身構えていたが、思いの外(物語の設定は普通じゃないかもしれないが)

意外とフツーにキュートなラブコメディだった。

ユアン・マクレガーとキャメロン・ディアスの迫力ある?ボケ、ツッコミが

リアルに笑えて魅力的。

ロマンチックな物語の中の登場人物の男(ユアン・マクレガー)が

清掃業に就いている設定もいいと思う。

弁護士や医者、カタカナ職業など、ある意味権威主義の現実離れした設定ではなく

掃除夫(低階級層と見なされている=労働者階級=一般庶民)が

汗と涙にフォーカスした物語ではなく

ロマンチックなラブ・コメディの登場人物でもあるべきだし

それがリアルでもある。

これはウォン・カーウァイ監督作品を見た時に初めて感じたことだ。

その時の感覚を思い出す。

再見する。









2010年09月09日(木) 『理想の結婚』 『ザ・インターネット』


『理想の結婚』An Ideal Husband 1999年 オリバー・パーカー監督


すごく面白かった。

スター然とした俳優さんは出演しておらず

演技の上手い俳優さんたちに浸って見るタイプの作品だ。

ケイト・ブランシェットの鋭いナイフが異空間に浮遊しているような

何とも言えない摩訶不思議な魅力に引き付けられた。

上手いなあ。ジュリアン・ムーアもそうだ。

『エマ』同様、ジェレミー・ノーザムは紳士が本当によく似合う。

議会で演説するシーンは胸に刺さった。

作品自体、初めて触れるような微妙なズレ感が新鮮だった。

再見する。






『ザ・インターネット』The Net 1995年

あんまり期待してなかったせいか意外と面白いと思えた。

にしてもだ。サンドラ・ブロック演じるソフト会社のソフトチェッカー?の

アンジェラが、何故あんなに大掛かりな仕掛けで狙われるのかイマイチよくわからない。

場面転換の時間経過の辻褄も合ってない。

作品は全体的にシリアスタッチなんだから

ダークサイドの人間を演じるジェレミー・ノーザムが

サンドラ・ブロックにビンで殴り倒されたり、

挙句の果てにラスト、消火器で殴られて死ぬなんて

あまりにもクールじゃなさ過ぎる。まるでコントではないか。

作品的にはかなり?な感じだけど

ジェレミー・ノーザムへの好奇心があるから集中して見られたのだと思う。

『理想の結婚』にしろ『ザ・インターネット』にしろ

自分の中に『エマ』のナイトリーの基準があるから

ジェレミー・ノーザムの魅力を解釈できてるのだと思う。

『エマ』の下地なしにいきなり『ザ・インターネット』を見るのはたぶんキツイ。

ジェレミー・ノーザム見たさに再見する。(かも)

ああ、かっこいい。









2010年09月08日(水) 『スター・ウォーズ エピソードⅣ新たなる希望』


『スター・ウォーズ エピソードⅣ新たなる希望』Star Wars 1977年 ジョージ・ルーカス監督


『スター・ウォーズ』と『スター・ウォーズ エピソードⅣ新たなる希望』は

何か仕様が異なっているのだろうか?

NHK-hiで録画したのを見る。

久方ぶりの再見なのでほとんど初見感覚で見る。

とくに物語の発端部分がそうだった。

ハリソン・フォード演じるハン・ソロ登場後のシーンの記憶の断片は結構あった。

そういう状態ではあるが、頭の隅にずっとあり続けた作品だ。



初見の時と違っているのは、今の自分は熱に浮かされたように

黒澤明監督作品を半年以上見続けたことがある自分だということだ。

まず黒澤明監督作品に共通すると感じた一点目は

オープニングに特別な仕掛けがないところ。

黒澤明監督はオープニングが面白い作品はだいたいにおいてつまらない

というようなことを随筆に書いていらっしゃったと思う。

確かに黒澤明監督作品のオープニングは、卑近な言い方をすれば

つかみはOK的な描写ではないと思う。

そしてこれは有名な話だと思うがC-3PO、R2-D2の設定。

そして『七人の侍』『椿三十郎』などの黒澤明監督作品に見られる

老成した(あるいは熟達した)男が、男になる前の青二才を懐深く受け止め、

ある時は慈しむように若造をこども扱いし、己の技を伝授するという関係性。

あと漠然とした言い方になってしまうが、物語全体を覆う精神性など。

これら黒澤明監督作品から受けていたものとオーバーラップした。

すごく『七人の侍』や『隠し砦の三悪人』が見たくなる。







「虫歯と優しさ」 読む。

「人のセックスを笑うな」に収録されていた短編。

「人のセックスを笑うな」より好みかも。









2010年09月06日(月) 『エバン・オールマイティ』


『エバン・オールマイティ』Evan Almighty 2007年


何となく乗り気じゃなかったけど

『リトル・ミス・サンシャイン』『40歳の童貞男』の

スティーヴ・カレルへの興味で見る。

スティーヴ・カレル演じる元キャスターで議員のエバンが

突然現れたモーガン・フリーマン演じる神にノアの箱舟を創造するように

言い渡される・・・という話なのだが

何の振りも起伏もなく、ただノアの箱舟創造を見せられる進行で

聖書と共に歩んでいるような人以外、どこに感情移入しろというのだ?

環境破壊、家族のつながりというキーワードがあると思う。

だけど感情移入が出来るような突っ込んだエピソードが存在しないのが問題なのだと思う。

例えば冒頭、議員となったエバンが家族と共に引越しをする車中、

息子が友達と会えなくなるのが嫌だ、と言う場面を膨らませて

その息子の仲の良い友達が宅地開発(環境破壊)に巻き込まれて

息子は胸を痛めているにも関わらず、エバンは受け流す、

そして、息子は父のエバンに反発心を強める・・・というフリを作っとくとか。

そして家族の笑顔が一番だ、みたいなエンディングだったけど

そもそもエバン家は奥さんはじめ息子たちとも仲が良いではないか。

何の衝突もないし、ゆえに何も乗り越えていないように見える。

だからもう少し、せめて家族の会話の中だけでもすれ違いや

分かり合えていない状況を描いておくとか。

衝突と言えば、エバンの仕事の都合でピクニックに行けなかった事ぐらい。

そのささやかな衝突と思えるエピソードが、ラストの清算に使われていた。

象徴と見ればよいのかも知れないが

別に何かを乗り越えたという強力なメッセージを受け取ってもいない家族たちが

ラストにピクニックでハッピーエンドという場面を見せられても

何が言いたいのだ?という気分にさえなってしまう。



結論、スティーヴ・カレルは外へはじけるような役柄ではなく

哲学的?に内向する役柄の方が個性が生きると思う。

頭の体操になった。









2010年09月04日(土) 『ムーラン・ルージュ』


『ムーラン・ルージュ』 再見する。



2010年09月03日(金) 『ムーラン・ルージュ』 『エマ』


『ムーラン・ルージュ』Moulin Rouge! 2001年 濠=米 バズ・ラーマン監督


エラそうだけど、エンターテイメントに特化した姿勢はお見事としか言いようがない。

ユアン・マクレガーの出演作品歴を検索して

2~3ヶ月前にこの作品をNHK-BSで録画したのを思い出した。

情報は仕入れずに、まず録画してしまうので、後から「!」となることが多いのだ。

音楽に精通している人にとっての音楽的意見はどうかわからないけど

誰もが一度は耳にした音楽を、ニコール・キッドマンとユアン・マクレガーが演じる

踊り子と若い作家が、愛する気持ちを歌に託する場面は本当に胸がつまってしまう。



踊り子(高級娼婦)が若き作家を公爵と勘違いして

何とか取り入ろうとベッドで悶えている脇で

その若き作家は緊張で声を震わせながら詩の朗読を敢行しようとしている。

二人のコミカルな演技は(とくに二コール・キットマンの演技は)突き抜けている。

そして若き作家がエルトン・ジョンのyour songを踊り子にささげる場面に続く。

映像効果と歌が交錯したシーンに心を打ちぬかれる。

自分的には作品の導入部分のこの場面が一番好きだ。

二コール・キッドマンにイマイチ乗り切れない感情があったので

作品を見る前にどうなるかと思ったが、フィルターを取っ払て見る事は出来た。

(イマイチ乗り切れない気持ちは完全には払拭出来てないが。)




バズ・ラーマン監督は、先に見たレオナルド・デカプリオ出演の

『ロミオ&ジュリエット』の監督だった。

これまで見てきた作品の中から、箸にも棒にもかからない作品を

10作品選ぶとしたら『ロミオ&ジュリエット』は確実に10作品の中に入る。

『ムーラン・ルージュ』が、その監督の作品だったとは。それを思うと感慨深い。





根っこは歌舞伎の世界に通じていると思う。

絢爛豪華な場面の連続ではあるのだが

映画が醸し出す質感から見ると、傑作のカテゴリーには入らないかもしれない。

だけど自分が常々考えている 

人生は芸術  コメディは贅沢に にあてはまる。

だから好きな作品のひとつには違いない。





『エマ』 再見する。









2010年09月02日(木) 『トレインスポッティング』


『トレインスポッティング』Trainspotting 1996年 ダニー・ボイル監督


どういうわけか『ユージュアル・サスペクツ』と勘違いしていたことに最近気がついた。

レンタル店で見た記憶はあるけど、ダビングしたビデオがあったのでとりあえずそっちを見る。

たぶん公開年に近い時期に一度は見ていると思う。

しかし全くの初見感覚で見る。

自分にとって今がこの作品を感知出来るタイミングだったのだと思う。

ぶっ飛んだ。(初見でそういう風に感じた記憶がないのだ。)

この滅茶苦茶な失速感。

麻薬常習者の若者のキレた日常をいかにもソレ風に描写してるというより

良くも悪くも、まるで台風の目のど真ん中に放り込まれた感覚なのだ。

今の自分の時点で、好きな作品を10作品上げるとしたら

黒澤明監督の『七人の侍』『静かなる決闘』や

小津安二郎監督作品、山中貞夫監督作品に並んで

この作品もその中のひとつに入る。





ユアン・マクレガーが出演している作品をたどると

大体において自分の好きなタイプの作品とめぐり合う。

ユアン・マクレガーが好きだから見るというのもあるが

ユアン・マクレガーの作品のチョイスにしびれているのだ。

全く違う系統の作品に出演していることから

知らず知らずにはまっていたカセが外れて

世界が広がる。そんな思いだ。

ユアン・マクレガーに感謝だ。









2010年09月01日(水) 『北国の帝王』


『北国の帝王』Emperor of the North 1973年 ロバート・アルドリッチ監督


NHK-hiで録画したのを見る。

硬派なロードムービーであった。

これは男の映画だ。女と一線を画す世界。

ジェンダーフリーだなんだと言う次元ではないのだ。

男の信念を貫く生き方がロマンチックのかけらもなく男臭く描かれている。

北国の帝王と呼ばれる「男」の男っぷり。

そして「男」になる前の青臭い若造のコンビが

それぞれの魅力を引き立たせていると思う。

初めて見る俳優さんたちだが上手いなあと思う。

ただ男臭い、男の世界が描かれているというより

随所に琴線に触れるエッセンスを感じる作品だ。

ラスト、女子としてはもう少し甘さのひとかけらも欲しいと思ってしまうところだが

そうなったら「男」の映画ではなくなるのだ。

当初サム・ペキンパー監督によって企画されていたのが

ロバート・アルドリッチ監督に変更?されたのだそうだ。

作品のタイトルだけいくつか知っていたサム・ペキンパー監督は気になっていたので

これをきっかけに見てみたい。








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Barbara [MAIL] [バイオトープの庭]

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