極端なつぶやき
DiaryINDEX|past|will
先輩の仕事がピークで、先輩のテンパリ・グラフもピークです。 息つく時間も惜しいほど、忙しそうな先輩。 マウスを操作する音、発送作業をする音、気配から先輩の忙しさ、余裕のなさが伝わってきます。
金曜日は、先輩と私が部屋に二人きりの日です。
ああ、先輩がああも忙しそうだと、なんか緊張してしまう私です。 心がざわざわして、落ち着かないです。
先輩は小さな自分だけの世界に入って、ドアを閉じています。 そういう人と狭い部屋に二人きりは辛い。
先輩のことが非常に気になる私。 先輩に自分を見てもらいたい私。 自分に何か問題があるのではと考えてしまう私。
いろいろな反応が出てきます。
私は自分の気持ちにも敏感だけど、人の気持ちにも敏感です。 自分をよく観察しているけど、同じくらい人も観察しています。
頭の中をいろいろな考えがよぎります。 これをアサーティブトレーニングで取り上げたら、トレーナーは今の状況をなんて言うだろう?とか。 先輩は、本当、日によって、心のドアが閉じたり開いたり極端に違うなとか。 私に対してと、アルバイトさんに対してでは、全然態度が違うなとか。 私に対してでも、自分がしゃべりたい時やかまって欲しい時はどんどん近づいてきて、忙しい時はドア閉めちゃって、なんなんだよーとか
今日のお昼休みが先輩のドア閉じ度ピークで、きつかった。 心のドアが閉じる先輩、それに反応する私。 二人のパターン。
もし、同じ状況に友達がいたら、その子になんて言うだろう? 「子どもっぽい先輩だねー」 「あんたのせいじゃないよ。その人の問題だよ。」 「そんな人と狭い部屋に二人っきりで仕事なんて、大変だね。」 とか言うのかな。
とにかく、自分の問題でないことを、今はしっかり肝に銘じて、先輩と距離をとろう。
土曜日、1か月半ぶりのカウンセリング。 なんかいろいろ自分のことが言葉になって、理解度が高まって、よかった。
土曜日も、一人になると感情が出まくることについてカウンセラーに話す。 (今は、思い出し怒りというより、一人になると感情が溢れるという表現の方がピッタリくる。ここ最近は自分を怒りの方に持っていかず、泣く方に持っていってるからね。怒るより泣く方が全然楽。)
ここからは、思いつくまま、箇条書き。 *今まで、私は怒る自分を守ってきた。(一人になった時に物に当たりまくることで) 怒る女は嫌われるってことが分かっているから。
*みんなでいる時の自分と一人になると真っ暗闇の世界に入って、感情が出てくる自分の二人を行ったり来たりしている。 ちょっと分裂する感じ、一瞬バラバラになるけど、すぐまたみんなのところに帰ってくる。 ↓ このバラバラになる感じは、誰にでもある。私だけじゃない。誰もが持っている孤独とも言える。孤独が個を守る。その孤独があるから、自分がいる。他の人と違う、世界にたった一人の自分だと、自分のことを思える。
*摂食障害の人は自分だけが孤独だって思う傾向がある。それは違う。自分だけが孤独って思うと、自分に酔うことになる。そういう人は滑稽。
*一瞬バラバラになって、でもすぐみんなのところに戻ってきた自分を誉める。
*BFとの間でだけ、そんなにバラバラにならずに済む。BFは、私が一人の世界で持ち堪えてることを知っている、そういう私を見ていてくれる。BFはちょっと中間地点くらいまで、一緒に来てくれる。今気付いてないだけで、BF以外にもそうやって私を見ていてくれる人はいる。
なんか昨日のカウンセリングで、一人になると感情が溢れ出す自分を受け入れることがかなりできた。 そっかーこういう面は誰にでもあるんだ。 私だけじゃないんだ。 そんなに特別に思わなくていいんだ。
私は、今までこんな風に人といる時と一人になる時のギャップが激しいのは自分だけなのかも、と思っていた。 他の人は、私に言いたいことを言って、すっきりして、私は言われっぱなしで溜め込んで、一人になった時爆発して、なんだか損だなーと思っていた。 他の人は、なんでそんなに自分を出せるんだろう、いいなー言いたいことが言えて、とも思っていた。 でも、どうやらそうでないらしい。 他にもたくさん持ち堪えている人がいるし、みんな一人の世界とみんなと共有する世界を行ったり来たりしている。
昨日、こんなことがあった。 以前にも日記に書いた、対人恐怖なんだけど自分でそうとは思ってない人、オーラと言葉がずれている人忍さん(仮名)。
その人とは趣味のサークルで一緒で、練習の帰り、サークルのみんなでお茶した時のこと。 その中にいた人が昨日あるバンド(仮名:★バンド)のライブに行って来たと話し出した。 それを聞いた忍さん、「私、すっかりライブがあること忘れてて」 私は、そのバンドを知らなかったけど、知り合いが何人かライブに行ったのは知っていた。 で、忍さんに 「(共通の知人であるアーティスト)Aさんもそのライブ行ったんだってね。」と話した。 忍さん「そりゃ、行くでしょ。」 (怒ってはないみたいけど、若干興奮。決して穏やかな口調ではない。) 私「それって、★バンドとAさんが関係が深いって意味?」 忍さん「Aさんが★バンドを好きだって意味。」 (冷たくはないが、穏やかでもない。若干、突き放し気味。)
なんか、嫌な気持ちになった私でした。 だってさー忍さんはAさんが★バンドを大好きってこと知ってるんだろうけど、私はそれを知らないし。それが悪いこと?別に、忍さんは私を責めてるつもりはないんだろうけど、、、あんな言い方しなくていいんじゃない? 言われた方がどんな気持ちになるか、もっと考えれば? 忍さん、コミュニケーション能力低すぎ。
忍さんは、自分のことを人への関心が薄い人間と思っているらしい。 そんな人間が私のあの一言に、ああいう反応するか? 変なの。
いろいろ考えてみたけど、このやりとりには、私には全く非がない。このことを肝に銘じようと思った。
私が、一番嫌いな人は気持ちを無自覚に垂れ流す人。 人と自分が違った時に、すぐ人を否定しようとする人。 人と自分が違うことに持ち堪えられない人。 自分の気持ち、揺れに鈍感な人。そういう人は他人の気持ちにも鈍感。だから、近づきたくないんだよね。
カウンセラーが前 「betyさんみたいに自分の気持ちに敏感な人だけだったら、どんなに安全な社会になるか、と思うわ。」と言ってくれたことがあって、それがすごくうれしかった。
垂れ流しにしないこと、自分の気持ちを人のせいにしないこと。 その二つは、私を支えてくれるプライドになっている。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 気分って本当にすぐ変わる。 忍(仮名)さんに対する嫌な気持ち、今は薄れてきた。 忍さんに関する情報が増えたと思えばいい。
真っ暗闇の自分ひとりの世界からみんなと共有する世界を行ったり来たり。 この心の運動。 死ぬまで続いていくのかも。。。
人と関わると、嫌なこともいいこともある。 いつも人から肯定してもらったり、受け入れてもらえればうれしいけど、そうもいかない。
人と関わろうとする度合いは人によって、様々。
私は、相当人と関わろうとする方。 他人を理解しようと努力するし、人をよく見ているし、人との関係を大事にする。 人にどう思われるかが気になるし。 人との合意を大事にするし。
その関わろうとするところを重いと感じる人もいるんだよね。
関わる、関わらないのバランスが難しいなー
人間関係って本当難しい。
同じことでも、相手によって喜ばれたり、嫌がられたり。
例えば、会社と趣味のサークルだと、いいとされる人との距離感が全然違う。
会社では、女らしい気配りが求められる。 言われなくても、周りをよく見て、人の要求を察して、満たすこと。 これを言ったら、相手にどう思われるか?考えながら話すこと。 なんかが求められる。
特に、一緒に働いている女の先輩が礼儀作法の先生みたいな人で、私の行動は常にチェックされているので、気が抜けない。
反面、趣味サークルの人との関係は全然違う。 サークルの人は、組織に属して働いている人が少ない。 ちょっと社会不適応の人が多い。 変わっている人が多い。
会社で喜ばれる関わり方が、趣味のサークルでは過剰に思われたりする。 会社で求められる程度の気配りをすると、考えすぎと言われ、私だけが浮いたりする。
Zさんがこの会社で、先輩と一緒に働くとしたら、半日も持たないだろうな。 先輩はZさんを受け入れないだろうな。
なかなか難しいっす。
その場によって、出す自分を変えるなんて誰でもやっていることだけどね。
生きていたら、葛藤や欲求不満や悲しみはあって当り前と受け入れることができたら。 なかなかそうもいかず、もがいている私です。
月経中だからだろうか? 過去の嫌なことへの囚われが、また激しくなる。
月経中だからだろうか?PMSだろうか?と考えてみるのは、今までの私にとっては新しい視点。
今までは、この感情の起伏を全部真に受けていた。 本当に、自分が怒っている、自分の中に怒りがあると思っていた。
でも、今は違った視点で見てる。 月経中だからかな?とか、不安なのかな?とか。
今まで、思ってもみなかったけど、もしかしてPMSがあるのかもしれない。 行きつけの漢方医に相談してみようかな。
声の教室の帰り、声表現の先生と生徒でご飯を食べる。 先生とご飯を食べて、楽しいやら、緊張するやら。
教室といっても何か技能を身に付けるための場ではなく、自己表現の場という感じで、教室のメンバーはどんどん入れ替わっていく。 そんな中、私は、この教室に通いだしてから、もう7年ほど。 なぜか続いている、なぜか続けている声を使った表現。
その先生との距離の取り方がよくわからない。
先生は結構有名人。 話の中にたくさんの有名人が出てくる。 でも全く気取らない。えらぶらない。気さくな人。 だけど、アーティストだからこその激しさを持っている。
で、関係が近くなればなるほど、そういう激しさにぶち当たる時があるわけです。 先生演出の舞台に立つ時や、この間みたいに数人でお食事して、たくさん話した時など。
激しい先生は、怖い。
その一方すごく繊細な感性を持った先生も見える。
営業や事務的なことが苦手な先生も見える。 つまり、人間の先生が見えるわけです。
長いこと私にとっては、憧れ、尊敬する声の先生。
その先生の生々しい、人間臭い一面が近づくにつれ、どんどん見える。
怖い。。。。。 でも、面白い。 怖い。。。。。 でも、面白い。
怖いと面白いは、つくづく近いところにあるなーと思う私でした。
でも、私の欲望ははっきりしています。 ただ、いい声の表現がしたいのです。 面白い、かっこいい声の表現がしたいのです。
まずは、それです。
私の良いところは共感能力が高いところだけど、それがマイナスに働くと、自分をないがしろにして人の欲望を満たそうとする。 人のことばかり考えすぎて、あわせすぎて、自分が分からなくなる。 人を分かろうとするあまり、自分が分からなくなる。 結果、人におもねることになって、自分や相手に腹が立つ、関係を切りたくなる。
そういう人のことを考える面が、表現の邪魔になったりする。 表現する時、人を信用することは大事だけど、信用と人におもねることは違うんだよね。
思い切って、自分を出してみる。 失敗を恐れずに。 今度のWSでは、それを心がけてやってみよう。
今朝の出来事。 私は小さい出版社で働いています。 自分のところで本の発送作業もしています。 小さい会社なので、社長も発送作業。 社長の机の上が発送物で溢れそうになっていたので、私が郵便局からもらったカゴに移動。 カゴは代車の上に二つ上下に重ねられてのっていた。 そしたら、後から「betyくん、入れてくれたのはいいけど、下のカゴからいれないとな。」と社長。 確かに。。。
「自分から移動しましょうか?って言い出したところまでは良かったのにな。誉めてやろうと思ったのに。」 あくまで、明るく軽い口調で注意する社長。
私「すみません、、、何にも考えず、上のカゴから入れちゃいました。」 謝る私。
カゴのところにやってきた先輩「本当こりゃいけない入れ方だ。」 先輩の口調も普通。
そのことは、それでもう終わったことだと思っていると。。。
例の旅館の女将さん先輩がコピー機のところで、ため息をついている。 アルバイトさんが小さな声で「どうしたんですか?」 先輩「今さっき、betyさんが発送物を移動したんだけど、上のカゴにいれて、、、」(以下、あまり聞こえず)
どうやら、今さっきの私の失敗(失敗というほどの失敗でもないと私は思っている)でため息をついていたらしい。
一体何? 何なの? 何なのー!!! 変だよ。先輩。 なんで、先輩がため息つくの? 何なの?
疑問と嫌な感じで頭がいっぱいになった私でした。
ちなみに、発送物の入ったカゴを移動しなおしてくれたのは社長。 先輩は、カゴのところまできただけ。 その動作で疲れたのかな? それはどうもすみませんでした。
やっぱり、この人重いなー 理解不能だなー そりゃ、私の失敗といえば失敗だけど。 重い、重いよ、先輩。 疲れる。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 後から、もう少し考えて、私は社長が発送物のカゴを移動しなおしてくれたのかと思っていたけど、もしかして先輩も一緒にやってくれていたのでは?と思いつく。 それなら、本当に申し訳なかったと思う。 でもさー それでもさー ため息つくなら、そんなこと言うなら、放って置いてくれればいいじゃん。 別に、私がやるんだから、私だってすぐ席を立ってカゴのところに行こうとしたんだから。 全く、マジ重い。マジ疲れる。
玄関をきれいに掃除しておくと、いいことがある(風水)と聞き、ここ1か月実践。 ワンルームのアパートなので、クイックルワイパーで部屋全体を拭いて、トイレを磨いても20分足らず。 トイレ掃除の後はお香を焚く。
はっきり、これといった「いいこと」があったわけじゃないけど、部屋にいる時の気分が全然違う。
部屋がきれいになっただけで、居心地が全然違う。 部屋の中の気が流れて、自分の中の気も流れる。 とにかく、気分がそれだけで上向きになる。 自分を大事にしようって気になる。
人間って単純。 こんな小さいことの積み重ねで人生は成り立っているのかも。
感情や気分って、本当に移ろいやすい。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 今日の日記は明るいなー 今までで一番明るい。
今日は、いつもより思い出し怒り状態に行く力が強い。 朝は、結構衝動がきた。 でも、物には当らなかった。 空気にはちょっと当った(笑
朝は、嫌な気分がわいてくることが多い。 でも、こうして書いている今は落ち着いた気持ち。 本当に感情はお天気のように変わりやすい。移ろいやすい。 大事な自分のことを知る手がかりの一つだけど、非常に移ろいやすいことも知っておかないといけない。 ないがしろにしてはいけないけど、あまり真に受けすぎてもいけない。
昨日は、少し泣いてしまった。 ある人とのやりとりを思い出して、辛くなって泣いた。 もう2年も前の出来事だけど、未だに私の心を揺すぶる。 その人(Aさん)にメールして、謝ってもらったけど、思い出すとやっぱり辛い。 Aさんからのメールの返事を読んだ時は、心がほどけてAさんと和解できた気がしたが、思い出し怒りの状態になると、Aさんが謝ってくれたことより、Aさんが私にひどいことを言ったことの方に意識が行ってしまい、Aさんが敵にしか思えなくなる。 Aさんが感じる心、考える頭を持った人間とは思えなくなる。 心のない極悪人のように思える。 とても辛い。
たまに、人から言われたネガティブなことばかり思い出して、真っ黒な世界に入ってしまう。 自分以外がみんな敵に見える。 すべての人が自分を責めてくるように思える。 そういう状態はとても辛い。 昔の辛かった体験の後遺症なんだろう。
Aさんの話に戻るけど、昨日は、私はAさんに分かってもらいたいんだって気付いて泣いた。 今まで、記憶の中のAさんが怖くて、責められる気がして、Aさんから自分を守らないと、と思っていた。そればかりに囚われていた。 その囚われは私にとって辛いものだった。
昨日はその囚われから一歩抜けて、私はAさんのことを理解しようと、Aさんとコミュニケーションをとろうと努力した私をAさんに分かって欲しいし、認めて欲しいんだって気付いた。
Aさんが極悪人で私を責めてくる、攻撃してくると、体を硬くするより、Aさんに分かって欲しい、認めて欲しいと泣く方が全然楽。
他者不信でいっぱいの真っ黒な世界にいる時、自分以外の人が感情のない、でくの棒のように思える。 心の中で、相手に「どうせ何にも考えてないんだろうし」ってつぶやくのが習慣になっている。 そうやって、私は自分の周りに殻を作って生き延びてきた。 それは本当に役に立つ方法だった。 でも、もう今はいらない。捨てていい。 今度、そういう思考の習慣が出てきたら、「そんなことないよ。人って考えてる時もあるれば、ないときもあるよ。」って自分に言おう。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 私は、Zさんに母を重ねてみているんだなと気付く。 Zさんの人を受け止める余裕のなさは、母にそっくり。 だから、こんなに反応するんだ。
気付いただけでも一歩前進。
2006年10月10日(火) |
本当は怒りじゃなかった |
先月のカウンセリングで、私の思い出し怒りのメカニズムがかなり解明される。
どうやら、私は思い出し怒りする時、本当は怒ってるんじゃないらしい。
どうやら、私は怒っているんじゃなくて、感情を感じないようために、思い出し怒りの一連の流れにシフトしているだけらしい。
このことに気が付いてから、大分思い出し怒り、ムカツキ発作が減った。 思い出し怒りの方に自分が行きそうなときは、自分に聴いてみる。自分の精神状態をチェックする。
「今の気持ちを感じていいよ。」 「今疲れてるの?不安なの?」 「悲しいの?」
私は、気持ちのエネルギーをお腹や胸に感じるんだけど(実際に波動を感じる)、そのエネルギーを止めないようにする。 波動を、ただ感じる。 すると、ある時波動が収まる。
このやり方で、ここ1か月ほどは、ほとんど思い出し怒りが起こってない。
私って結構すぐ不安になったり、人とのやりとりのちょっとしたことで傷ついたりしてるんだなーってことに気が付いた。
思い出し怒りで紛らわしちゃうと、その気持ちは感じきられないまま、心に残るけど、こうしてきちんと感じると、ちゃんと終わっていく。
感情を感じきる。 感じても大丈夫。 感じても壊れない。
これは、私にとってすごいシフトです。
最近は、こっちの日記を全然書いてませんでした。
mixiの日記は、音楽関係の知り合いが読むので、軽めに明るく、音楽ネタが主。 こっちには、それに書けないちょっと重めの話。 と分けている。
重めの自分がいなくなったわけじゃないけど、なんか書く気がしなくて、放置してました。 こっちの日記を書く自分は、ああでもない、こうでもないと考え、悩む自分。 mixiの日記の自分は、こんなことした、あんなことしたと行動した自分。
前は、考え、悩む自分を文章にして、誰かに読んでもらうことが必要だったけど、それが今は少しずつ変わってきた。 まっ、いいか、という感じ。 考え、悩む自分は変わってないけど、その自分に対する視線が変わってきた。まっ、いいかって。
それに、わざわざ人に読んでもらう必要はないか、と思うようになってきた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 私がZさんを拒絶しているのだと気付く。 Zさんに共感能力がないこと、Zさんが人の話を聞かないことは確かだろう。 だが、そういうZさんを私が拒絶しているのだ。
Zさんと私の共通の友人、Aさんから数ヶ月前、こんなアドバイスをしてもらう。 「betyさんとZさんは一緒にいる時間が長すぎて、お互いの嫌なところが見えすぎたんだよ。」 「もう、Zさんのこと観察するのやめな。」 「今は、ライブを成功させることだけ考えた方がいいよ。」 なんと、的確なアドバイス。
本当にそうだと思う。
Zさんのことをすごく気にしている私。 閑な時、気が付くとZさんのことを考えてしまっている。 それも、昔あんなこと言われてむかついたとか、Zさんが不幸にならないかとか、Zさんが他の人からも嫌われて、孤立すればいいのにとか、考えている私がいる。 そんな時、いつも明るく、自分に言い聞かす。 「過去は終わっている。もう、そのことはお終い。もう、それは過ぎ去ったこと。同じことは起こらないよ。私は、もうそれを乗り切ったよ。私は私、ZさんはZさん。私はZさんを変えられない。自分がZさんに反応していることは認めて、あとは手放していこうね。」
ゆっくり行こうと思う。 Zさんを受け入れなきゃと思うと苦しい。 Zさんに、もう囚われないようにしようと思っても、自分の気持ちはコントロールできない。 コントロールできるのは、行動だけ。 Zさんに囚われる自分を責めない。 Zさんへの囚われが湧いてきたら、ただそうやってアファメーションする。
|