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出発の日は朝まで続いた豪雨で電車のダイヤも乱れていた。新天地での暮らしへの期待よりも愛猫を飛行機に乗せる不安のほうが大きくて、胸がはり裂けそうだった。家族も旅慣れたわたしのことは全く心配していないが、猫だけが心配で仕方がないと言った。猫に"これから出かけるからトイレを済ませなさい"なんて言っても解るはずもなく、朝トイレに行ったっきりだった。夕方に母が空港まで送ってくれた。猫の入ったバックパックを背負い、大荷物を持って大騒動だった。こまめにトイレの個室へ連れて行き、バックパックから出して自作の簡易トイレと水とごはんを置いた。全て気に入らないといったふうに飲まず食わず、トイレも使わなかった。
機内では一番後ろのトイレに近く目立たないところに席を取った。隣に誰もこなかったのはターキッシュエアラインズの気遣いだったのか、クロエちゃんの入ったバックパックを隣の座席に置くことができた。機内ではずっと鳴き続けていた。機内の轟音に紛れてそう周囲に響き渡る感じではなかったが、とにかくクロエちゃんが心配だった。本当はこんなことをしてはいけないのかもしれないが、機内でもトイレの個室へ連れていって、簡易トイレと水とごはんを置いてみた。バックパックに入れて7時間が経った頃、ずっと我慢していたのだろう、簡易トイレで用を足してくれた。しかし一向に飲食はしないので、水だけは無理矢理口に入れて飲ませた。鳴き続けていても心配だが、ふと鳴き止むとまた心配になる。常に生存確認をして背中をさすった。ターキッシュエアラインズのヴェーガンミールは見た目も美しくて、色んな種類の豆がいっぱい入っていたりして、いつものわたしなら嬉々として平らげただろうが、この時ばかりは食べ物が喉を通らなかった。スペシャルミールなどリクエストしておきながら食べないなんて申し訳なかった。
12時間でイスタンブールに着いた。クロエちゃんは生きていた。何も食べてないからなのか、家を出た時よりもバックパックが軽くなったように思えた。機内で前に座っていたおねえさんと乗り継ぎのフライトの時間がほぼ同じで、4時間もあったので空港のスタバでおしゃべりした。気持ちが和らいだ。クロエちゃんも夜中の静かな空港の中へ来たら安心したのだろう。バックパックの中で静かに寝ていてくれた。
イスタンブールからニースまでは2時間ちょっと。またまたずっと鳴きどうしだった。ニースに着陸した時、大きな目がパチクリと動いているのを見て、生きてた!とわたしのほうが泣きそうになった。たった5㎏の小さな体にこんなストレスを与え続けて耐えられるのか、半信半疑だった。
ニースの空港では一応申告したのに猫一匹なんてかまってられない、といった様子で、書類も渡していないのに通れてしまった。一秒でも早く家に着きたかったので有難かった。
出口でリュカが待っていてくれた。何かあった時のためにニースの空港付近と家の近くの獣医を調べてくれていたが、駆け込まなくて済んだ。ニースの駅でクロエちゃんが突然すごい勢いで水を飲み始めた。
家に着いてバックパックから出した。30時間この中にいたのだ。しばらく家の中をきょろきょろと偵察するとトイレに駆け込み大も小もして、すごい勢いでごはんを食べ始めたのだった。
ベッドに横になると隣へ寝転んで喉をごろごろと鳴らした。こんな過酷な状況に追い込んだのに、相変わらず慕ってくれていた。疲れと安堵で涙がぽろぽろでてきた。
(写真:母の庭で寛ぐクロエちゃん)
猫のことをあれこれ調べていて、たまたま見てしまった知恵袋の投稿に気が沈んだ。19年も生きている猫が痴呆症にかかって夜も鳴きどうしで自分はずっと不眠症だ。いけないと解っていても叩いてしまう。自分の時間もなくて介護ばかり。あと4匹猫がいるが処分してしまいたい云々。
「好きなことだけして生きよう」
みたいな本がわんさか書店に平積みされている今日この頃、この言葉は非常に正しいと思う。先日実家の17年生きた黒猫が死んだが、死ぬ寸前はまさにこの人の猫のような感じだった。しかし、母は"当たり前"といった顔でおむつを取り替え、毎晩お風呂で汚れた体を洗ってあげていた。母は言いたいことも言わず耐え忍ぶような人間ではないので、本当に当たり前だと思っていたのだと思う。むしろ死んでしまった時、手のかかる猫がいなくなって心にぽっかり穴があいてしまったらしい。
前者と母の違いは人間的な成熟度とかそういうんではなくて献身の精神か趣味かというところに尽きる。母に趣味を尋ねると
「家族」
と即答する。これは本当なのだと思う。献身の精神はないから、嫌いな料理はいい加減にやってるが、好きな庭仕事は庭師にでもなったほうがいいのではないかというくらい精をだす。母は家族のために本当にあれこれやってくれたが、そのために自分のやりたかったことを全部諦めたなどと言われたら家族は嫌な気持ちになっただろう。
世のため人のためという崇高な精神を持ってもやはり人は自分が思考の中心であるし、それでいいのだと思う。野良猫を助けたいなんて思う人間が、病気にかかったからといって猫を処分してしまったとしたら、一番苦しむのはその人自身となるだろう。責任感だけで物事を遂行するのは難しい。痴呆症の老猫の面倒を見なければということよりも自分がよく眠る道を模索したほうが人も猫もお互いに幸せなのではないだろうか。
クロエちゃんを連れて成田空港内の検疫所へ出向いた。不慣れで恐いのだろう、バックパックの中で息を荒くしてなきわめくので、不安で心配で生きた心地がしなかった。成田空港の検疫所は、メールは必ず24時間以内に帰ってくるし、書類も隅々までチェックし指導してくれたしで、本当に安心のクオリティだ。こういう時ほど日本でよかったと思うことはない。今日は検査官と一緒に書類のチェックをし、クロエちゃんの健康診断をし、最終的に検査官が書類を仕上げるという手順で終わった。最後に自分のサインを入れ、これで猫の輸出の全ての準備が整った。行きには大なきしたクロエちゃんが帰りは妙に大人しい。それがまたこわかった。途中でトイレの個室でバックパックから出して、自作のミニ簡易トイレを出し、水も置いてみたが、どちらも見向きもしなかった。
たった4時間くらいの外出だったのに、猫も飼い主も寿命が縮んだかのようだった。床に寝転んだらそのままぐっすり寝てしまい、午後は何もせずに終わった。クロエちゃんはこんなに暮らしを脅かす飼い主でも好意を持ってくれているらしい。夕飯を食べ終えたらいつも通りわたしの寝床でうたたねをしていた。
あらゆる手続きがひとだんらくして、兼ねてからずっと出発前に会っておきたい、と頭の片隅にあった友人に連絡した。半年ぶりに連絡が来たかと思ったら急展開で驚いただろうが、忙しいスケジュールを縫って時間を作ってくれた。六本木で落ち合った。カリフォルニア発祥のチェーンでアカデミー賞の専任シェフの店というレストラン。そんな大仰なタイトルの割に店はちょっと大人っぽくしたファミレスのようにカジュアルな雰囲気だった。スモークサーモンのピッツァが有名だというのでそれをいただいた。価格もピッツァ1枚にしてはすごいなというものだったが、出てきて納得。ピッツァ生地にチャイブを練りこんだクリームチーズが塗られ、その上に寿司屋も真っ青というくらいたっぷりのスモークサーモンとイクラが気前よく乗っていた。これは美味い。
「娘に将来何になりたいかって聞いたら"You Tuber"とか言うの」
「フランス人とかわたしは絶対無理。だって話に起承転結がないんだもん」
というのがすごく笑えた。
少し年上の彼女はナチュラルなタイプの美人で、アクティブで、やさしい。娘さんとは友達のようで、シングルマザーで自分のことはなりふりかまわず娘を育ててる、とかいうような献身的な雰囲気を全く漂わせないところにも彼女の潔さと聡明さを感じさせる。こんな女性を目指したい、と思える憧れのおねえさんだった。
昨夜半年ぶりにメールしてもう出発寸前だなんて言ったのに、プレゼントを用意してくれていた。
帰宅してプレゼントを開けたら檜の杯から森林の香りが立ち込めた。この半年、気持ちがずっと張りつめていた。この先もしばらくは気を張ってあらゆることをこなしていかなければならない。檜の香りに癒されて、友人がエールを送ってくれたようでジンときた。
ニュースを見ていて思う。この国の人々は社会の中での自分の役割に対しての責任感が強いけど、自分自身のこととなるとたちまち粗末に扱う人が多い。もっと自分のことを大切に考えて、自分の責任で行動しなければならないのではないか。自殺とか暴言とか、何がどうであれ選択したのは自分なのだ。他人のせいにばかりして幼稚すぎないのか。そもそも何かあったら全て学校や会社に責任をなすりつけるような風潮が出来上がっているのはそこに依存し過ぎているからなのだろう。責任とは必ずしも辛い場所に留まってそれを乗り越えることではない。子供を虐待するような親は問題外だが、子供を甘やかしすぎるのも痛々しい。親の役目は子供を全ての危険から遠ざけることではなくて、自立し、自分の頭で考え、自分で物事を解決できる力をつけさせ、何にも負けない精神の強い子供に育てあげ、それをあたたかく見守ることではないのか。子供は子供の世界の中で必ず外敵に会うし、多少なりとも傷つけられる。親の役目は外敵や傷ついた要因を排除することではなくて、負けない子供に育てあげること、だと思う。
2017年09月19日(火) |
Sami Blood |
「サーミの血」を観た。スカンジナビアの先住民サーミ族という出自を捨て、スウェーデン人として生きていくことを選んだ少女の物語。美しい森の風景の中で自然に身をまかせて暮らすサーミ族が同化を強いられたというのだが、その政策がなんだかすごく中途半端。学校に通わせ、スウェーデン語を強制的に教える癖に希望しても進学はさせない。
「あなたたちの脳は文明に適応できないの」
などという研究結果をふりかざして。
ダンス会場で出会ったニクラスを頼って街へでていったエレ・マリャだが、このぬるい環境で育ったような青年は主体性がなく彼女を突き放すでも助けるでもない。恋愛映画と呼ばれるものならここでニクラスが親の反対を押し切ってもエレ・マリャと駆け落ちしたりするのかもしれないが、そんな展開はなかった。綺麗に手入れされた緑の美しい公園で野宿する一文無しのエレ・マリャが余計みじめで、可哀そうで、可哀そうで、どこかでニクラスが助けにくることを期待しながら観てたが、やっぱりそんなことは起きなかった。見終わった頃にはすっかりあんな男はこっちから願い下げよ!などと思った。顔が可愛いだけで優柔不断なダメ男じゃないか。自分の意志で歩いてるエレ・マリャのほうがよほど立派だ。将来にもっと素敵な出会いをしてほしい、と思った。でもその出会いはあったのか、なかったのか、エレ・マリャが親のくれた名前を捨て、クリスティーナというスウェーデン人として生きたという結論だけは解った。こんな地味な映画に続編があるとは思えないが、あるならお父さんのベルトを売って学校へ戻った後の話をやってもいいんじゃないかな。
原住民と新参者の問題はどこでも複雑。オーストラリアはもっと手荒な同化政策をしたし、アメリカなんかは戦争してるし。この映画でも裕福な新参者がサロンでコーヒーを飲みながら、
「自然保護区だというのに、サーミ族ってどこにでもバイクで乗り付けるのよ。自然を守る人達じゃないの?いやね。」
みたいな会話をしている。サーミ族にも世代交代で変化が起きている。そして"自然保護区"なんていう言葉があることこそ、それ以外の地域が汚されているという証拠なのだ。元来のサーミ族のような人々にはそういう意識はないだろう。全ての場所が自然保護区なのだから。
今日で退職。部内会議、残った仕事、挨拶まわりと最後の最後まで忙しかった。日々変化のめまぐるしいあっという間の9年間だった。大勢の前でする最後の挨拶は、噛まないように、素っ気なくならず、しかし長すぎないよう1分間で終わるようにまとめて練習したので、9年間無知なわたしを育ててくれたことに対する感謝をちゃんとうまく伝えられた。でこぼこで曲がりくねった道を足を掬われながらなんとか前進し続けて、やっと道が穏やかになってきたように感じていた。道中には苦しいこともあったが、それを乗り越えた先に美しい景色が広がっていたかのように、平穏な気持ちで退職できることを嬉しく思った。
「コートダジュールへ来ることがあったらご連絡を」
という文章とともに連絡先をグループのメンバー全員に送信したら、大量の書類に埋もれていつも頭を抱えている男性社員がすくっと席を立ち、遠い目で呟いた。
「地中海かぁ。太陽かぁ」
仕事を辞めるのはさびしかった。でもこの先にもまた素敵な体験が待っていると信じて進んでいくことにしよう。
2017年09月01日(金) |
たいへんよくできました |
アンティーク調のインテリアのイタリアン・レストランで開かれた送別会は自身の希望でグループのメンバーのみ総勢8人で行われた。あちこちで違った会話が飛び交うより、ひとつの話題をみんなで囲みたい、と考えるとこのくらいの人数が限度だ。4月に就任したばかりの新しい上司は本当にスマートだし、人間的に信頼のおける人だ。"みんなのお父さん"のようにひとりひとりをじっと観察し、どうしたらその持ち味を生かしてあげられるのかと考えてくれていたようだ。
「今日は彼を酔わして本音を喋らせようね」
などと朝から企んでいたわたし達は、少し饒舌になった彼がメンバーの印象について本音を話しだすと、その深い洞察力にすっかり感心し聞き入った。
「マネージング講習で習ったんです。マネージャーの役目は"傾聴"だって」
あっ、それだ。みんなが求めているのは。あぁしろ、こうしろ、ではなく、みんなの意見を聞いて誰に何をやらせたらいちばん活きるのか考えたり、悩みを聞いてくれたり。物静かで冷静で決して威圧的な態度や発言はしないけれど、結局みんな彼が好きだから信頼して着いていくのだった。わたしもこんな人になりたい。一見控え目な主張が実は着実に人々の耳に届くような影響力を持つ人。最後に人生の指針になるような人物に出会えたことは幸運だった。
赤ワインを片手に、ピッツァ、パスタとみんなよく飲み、よく食べ、よく喋った。長年に渡って、あぁだこうだと会議では熱い議論を、ほっと一息つく時間には冗談を交わしてきたメンバーとのお別れは寂しかった。
任務をこなすこと、そして優秀だと認められ信頼を得ることを目指して働いた。
「辞められるのは惜しい人材」
"たいへんよくできました"のスタンプを押すように最後に上司がくれた言葉でほっと胸を撫でおろして、心穏やかに次のステップを踏めそうな気がした。