2012年06月24日(日)
次男坊の100日目のお祝い「お食い初め」でした。 長男のとき同様、夫の実家に親戚が集まりました。 親戚といっても夫の父母と夫の兄家族です。
ほぼ月に一度、こうして親戚が集まります。 ときどき面倒くさいなぁと思うこともありますが、それでもわが子たちには数少ない血縁。 たいせつな存在に違いありません。
わが子たちと遊んでくれる親戚たちを見て、ふと懐かしい感覚にとらわれました。
そう、私も幼いころはこうして親戚にかわいがってもらっていました。 思い出すだけで切なくなる特別な時代です。
かつて私がなくしたと思っていた宝物は、ホントはなくしたわけではなくて「見ないように」していただけなのかも。 特別なものに触れることで消えてなくならないように、宝箱の奥底に片付けてしまっていただけなのかも。 私のたいせつにしている「思い出の宝箱」は、現実から逃げるための道具になってしまっているのかも。
………。 ……………。 でも、それでいいのです。 「思い出の宝箱」があるからこそ、私は前を向いて歩いてこれたのですから。
わが子たちの思い出は、まだ宝箱には入りません。 だって、生き生きとしていて宝箱に入れてもぴょんぴょんと飛び出してきてしまうからです。
おやすみ。
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