私が読んでいる本のタイトルを見て、母が「うわー、つまんなそうな本!」と言ったことは、10月27日の日記に書いた。 今日になって、母がその本を貸してくれと言ってきた。 意味が分からない。 いったいどういう了見なのか。 「つまんなそうな本」と言ったことも、すっかり忘れているのだろう。忘れるということは、その言葉がどんなに失礼なのか自覚もないのだ。
私が読んでいる本を、母親が「うわー、つまんなそうな本!」と言った。 信じられない。 他人が好んで読んでいる本のタイトルを見ただけでそんなことを言うなんて、人としてどうかしている。 どうして、思ったことを心に留めておけないのだろう。
別件。 両親は互いを長年「お父さん」「お母さん」と呼んでいる。 ところが、数日前から急に母親が名前で呼び合おうと言い出した。 相変わらず「お母さん」と呼ぶ父親に向かって、母が「(名前で呼んでと)何回言えば分かるの!」と強く言った。 「何回言えば」って、たった数日で何を言ってるんだか。 こっちは33年以上も父親から性被害に遭ってきて、「嫌だ」「やめて」を何百回、何千回言ったか分からない。それでも父はまったく意に介さずやめなかった。 何回言っても伝わらない、分からない、理解しようとしないのが父なのだ。 母もそのことを知っているのに、私がいるところで、互いの呼び方などというどうでもいいことでそんなことを言うなんて、本当に無神経だし、父の私に対する長年の性加害を軽く考えているか、忘れているのだろう。
| 2025年10月24日(金) |
そんなことを言うならさっさと別れろ |
母親が父親に向かって「(私はあなたと)よく50年も一緒にいられたなあ」と言った。 そんなことを言うなら、さっさと別れりゃよかったのに。 子どもを作る前に別れてくれていれば、私は存在しなくて済んだし、父親から長年、性加害されなくて済んだのに。 被害を受けた私の身にもなれよ。私のことを考えたら、軽々しくそんなことを言えないはずだ。 子どもなんか作って、本当に迷惑だ。
あるドラマの録画を母と観ていた。 老人が殺され、息子の妻が疑わしいが、犯人はまだはっきりしない。そこで次週に続いた。 母が「息子が犯人じゃないの? 執念深そうだし」と言った。 老人と息子の間に確執があったかどうかはまだ何も出てきていない。「執念深そう」と言うということは、裏を返せば、老人が何か息子に恨まれるようなことをしていたと母が推測しているということだ。例えば財産や保険金目当ての殺人なら、執念深いとは言わないだろう。 「執念深そう」という言葉には、本当はもう許すべきなのに許さないでいるというニュアンスがある。 だが、親が子どもに恨まれて殺される場合、それは親が100%悪いだろう。 私は、30年以上も父親に性加害を受け、それを今も許さずに、こちらから父親に話しかけることはない。そんな私を、母は執念深いと思っているのだろう。 結局、母は、尊厳を傷つけられ侮辱され続けた被害者の怒りと悔しさなんて、本当のところはまったく分かっていないのだろう。
夜、母の友人が気功だか手かざしだか、そういう怪しげな民間療法にはまっていると、母が言ってきた。 母は友人の気持ちを受け止めつつ、内心心配しているようだが、自分だって医学会で否定されている民間療法を長いこと私にやらせて、私の幼い頃の貴重な時間を散々奪ったくせに、そのことは棚に上げるだけでなくまったく反省していないように見える。 他人を心配する前に、自分が娘に効果のない民間療法を強制して、その過程で私を罵倒したことを心底悔いてもらいたい。 でも、無理なんだろうな。
朝から母親がどうでもいいことをずっと喋ってきて、うるさいしイライラする。
自分より若い人が亡くなると、気の毒より先に「羨ましい」と思う。 まあ、長く闘病で苦しんだとしたら気の毒ではあるが。
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