SAKURA'S STUDY DIARY
さくらのきままな毎日 一日一読一書 A reading and a writing for a day
国語はとても大事なのに、今までみんな軽視してたもんなぁ。当然と言えば、当然の結果かも。 と言うわけで、昨今の英語重視傾向に警鐘をならすべく、海外在住元英語コンプレックス持ち、さらに今も言うほど英語が出来ないさくらが、如何に日本語が大事かと一節論じようかと思いましたが。 あれこれ書いても全然まとまらない(大体私の話は長くなる)上、何が言いたいか分からなくなってきたので、とにかく、何よりも日本語は大事だ! と強調して終わりにします。 身近な教訓。 こういう人がどんなに英語をやったところで、説得力のある英文が書けるようになる訳がない。
鮭4切れ、千円。 ポン酢及びマロニー、日本から持参。 メインの具は鳥団子だけど。 予算上そうそう食べられない、豪華鍋が今晩の献立。 (ちなみに、たらは鮭の半分の切り身が千円だったので論外で却下) でも、地の国では白菜もネギもなかったから。 鍋が出来るだけでも、幸せなのぅ(しみじみ)。
英語だったらどんな感じになるんだろう、と主要人物の初登場だけ確認してみようと思ったのに、気がついたら最後まで見てました。 うーん。 早口で長台詞をまくし立てられると、何言っているか分かんなかったけど、それでも分かる範囲内でね。 全体的に英語になったら重さがないというか。 英語という言語の響きもあるのかもしれないけど。軽いのね。日本語のように簡潔に表現できないせいとか、早口になるとけたたましく感じられるのか。言葉や声の調子が変わっただけで、すごい印象が変わる。 全体的に声域が高音域に移っている感じなので。 女性陣はみんな可愛らしい感じ。特にモロからは凄みが消え、高貴なお年寄りって感じで淋しかったわ。逆に、乙事主は聞きやすかったけど(苦笑) 後は、あのもののけ姫の歌から怪しさが消え、完全に清く美しい歌に。やっぱ、あの歌も怪しくないとダメなのねー。 映画を日本語に訳すにしろ、英語にしろ、どうしても「翻訳」の作業の部分で削られる言葉、補われる言葉があって。文章と違って、字幕映画の場合は表示できる文字数に制限があるから、削られる言葉も多い。だから最近は、吹き替え版の方が言葉の量が多い分、中味がもっとよく伝わるかしら、と思っていたけど。 今回、何度も見た日本語の映画を英語で初めて見て。 日本語吹き替えの映画を見ると、ネイティブはこんな感じの違和感を持つのかしらと思ったら。 映画全体の雰囲気を味わいたなら、言葉の量が多くて分かりやすいとかよりも、やっぱりオリジナルの音で見る方がいいのかもね。
寒くなってから。 夜中の走行はピタリと止まった。恐ろしいほど静か。 そうかー。寒い中走り回る根性はないねんな(笑)。 やれやれ、これで次の夏までは静かねー、と思っていたら。 ヤツら、昼間に走り始めた。 ……この暇人め。 やんちゃなことは、真っ昼間からするもんじゃない。 走り回りたかったら、防寒着着て夜走れ!(あれ?)
このニュースを見るたび、私は思うんだ。 じゃあ、イスラム教徒以外がイスラム国家で生活するとき、スカーフをしないって主張したらどうなるんだろって。 私が今いる国は、スカーフはしなくてもいいけど。 国によっては、外国人だろうがなんだろうが町中でスカーフをしないと連れて行かれちゃう国もある。 スカーフに限らず、私達はイスラム教徒でないのに豚肉は食べられないは、お酒はおおっぴらに飲めないわ、かわいいキャミソールワンピは着られないは。 法律で決められていることもそうでないこともあるけれど、イスラム国家で生活すると、そちらのルールに従わざるを得ないのだけど。 そういうことは、あんまりニュースにはならないのよね。 スカーフをする権利があるなら、スカーフをしない権利はどうなるのだろう? 私が言いたいのは、私達の権利を認めろというのではない。 そんなことをしていたら、こういうぐろーばるな時代は対立するだけ。行った先の習慣に従うので丸く収まるなら、お邪魔している方が相手の文化を尊重するって事は大切だと思う。 他人の国には、他人の国のやり方がある。 それを認めずに一方的に権利を主張するなら、まずは自分の宗教の下で異教徒がどう扱われているかをじっくり見ていただきたい、ということ。 読了:『半落ち』 横山秀夫 泣けると話題の本たが、泣けず。逆に拍子抜け。高村薫のような骨太のミステリを期待したのがよくなかったのか、それとも私が冷たいのか。「半落ち」である理由が弱いと思うんですけど。別に、隠すような理由ではないような。少なくとも、全然ミステリではないよね。これは。 ……書評はしないつもりだったのに、どうにもこうにも(苦笑)。
ぱちん、と電球一個お亡くなり。 まったく、配線の仕方に問題あるんじゃないの? 電気のスイッチを入れる度に、電球が切れるリスクを負うのは堪らない。もう、一度つけた電気はずっとつけっぱなしにしておくことにした。自分が払う訳じゃないけど、電球一個の値段と、つけっぱなしの電気の値段を比べたら、あながち馬鹿にならない気がするもん。 ま、この国は油ががさがさ出るから、省エネという概念とは無縁なんだけど。 でも、油を売ったお金で働きもせずに豪遊して、世界中のありとあらゆるものを輸入するだけで何一つ生産せず、実質この国の労働力である出稼ぎ外国人を見下して一月10万円以下の給与でこきつかってるのを見ていると、日本に帰ったら出来るだけ石油エネルギーを使わない生活をしてやるって思っちゃう。ここの人達が遊び回るためお金の足しになるなんて、考えただけでむかつくもん。 逆に、ここにいる間は無駄にしてやろうって思っちゃうけど(苦笑)。 どうせ、タダで使わせていただけるんだし。 石油なんて早くなくなっちゃえっ、労働の大切さを学んでよねー、と切実に思うのでした。
とりあえず、ジオが統合されて気になっていた部分は表面的には解決。 ついでに、過去日記をちょうど1年前まで上げました。 過去日記の整理は、面白いようでちょっとツライ。 もちろん、こんな事あったけ、と思い出して楽しいこともあるんだけど。でも、それより、薄まりつつある悲しい記憶が、日記を読むことで当時の鮮烈な印象に戻ってしまうから。 そういうことがあったことは、もちろん覚えてるんだけど。何年の何月何日という日付から具体的な事を思い起こすって、あんまりないの。そうやって、無防備なまま過去の日記を開けて、その時の気持ちを正直に書き込んだ自分の文章を目の当たりにして、ドキッとするの。ああそうだ、この日にこんな事があったんだって。 楽しいことは、文章で読み返してもその時の嬉しさがそのまま甦るってことはないのに。 悲しいことは、どうして心を同じく重くするんだろうね。
AOISAKURA
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