自分を叱咤
自分に素直になることと、彼に伝えることは違う。
彼の声を聞けるわずかな時間が支え。
だけどそろそろ身体が悲鳴を上げだした。
だからラクになりたくて、持っていた胃薬を飲んだ。
このままじゃ、また出血しそう。
黙っていられなくなって彼にメールした。
すぐに電話があった。
忙しい合間に何度もかけてくれる。
辞めてしまいたい。
でも、次を探す気力がない。
このままじっとしていたい。
でも、もう行きたくない。
ぐるぐる同じところを回り、胃が壊れそうな予感。
前は、背中が痛むまで気がつかなかった。
前までの彼なら、風邪引いたのかなだったのに。
ストレスだねと言ってくれた。
彼がこの日記を知りながら黙っていたのは
見つけても知らんふりしていてと、私が頼んだからみたい。
覚えてなかった。
それに見つかると思わなかった。
彼が自分の書いている場所を教えてくれた。
読んでもいいと言われてのに、なかなか開けなかったのは
怖かったから。
私へのラブレターみたいなものと聞いていたけれど。
思い切って読んだ。
一日目は、くすっと笑ってしまった。
彼には私が時間にルーズと思われている。
なぜか彼との約束の時間に遅れてしまうから。
Sちゃんとの待ち合わせには30分前にについてしまった。
幼馴染との場合は10分前。
待たせるより待つことのほうが圧倒的に多い待ち合わせ。
彼との場合、待たせて場所までわからなくなった。
1ヶ月に満たない日記は、彼が話してくれたそのままの
ことが記されていた。
柔らかい丁寧な書き方が、余計に私の胸を締め付けた。
読み進めると涙が零れた。
彼の優しさが溢れていた。
もう読まないから書き続けてと伝えた。
彼と過ごすわずかな時間が、私の毎日を支えている。
仕事を休んでも、会社に行っても緊張したまま。
1時間に満たなくても彼と過ごす時間が拠りどころ。
2005年03月01日(火)
オマヌケ
私は彼と逢ってから、この日記につけているアクセス解析を
すっかり忘れていた。
いっそ、はずしてもかまわないと思っていた。
page05、page06は、もうどこにもないし、
アクセスログを辿って、彼の存在を確認する必要もなくなった。
誰ともリンクしていないし、誰かの掲示板にお邪魔するときに
サイトアドレスを残したこともない。
先週末、はずしてもいいかと思い、なまログを見てみた。
今月に入って3週間足らずで、1000回以上の訪問者がいると
知って驚いた。
もっと驚いたのは彼が住んでいる県からのアクセスだったこと。
今までの私なら、アクセス時間を詳細に検証していた。
少しでも自分が抱く疑問を解決するために。
だけどあまりの回数の多さと、この日記では個人情報が
取れないように書いていることとで、彼にあっさり尋ねた。
ところで、最初に書いていた日記は、彼が読んでいた。
そのとき言われたのは
ようは地名を出さないと言ってるけど、大阪と書いてる。
私は
大阪も東京も平気で書けるよ。
人口がどれぐらいだと思ってるの?
大阪市内って書いてる。
大阪市内の人口、知ってる?
大阪府全体の人口は?
私が恐れるのは、「現実の私」を知っている人に
ネットの自分の存在を知られること。
だけど、やはり私はオマヌケだ。
彼に直接尋ね、答えが返ってきた。
犯人は俺かな
私からの返事を出した後に、思い出した。
彼がPCを初期化した後に、この日記に使っている画像の
フォルダのプレビュー。
私ね、XPを使い慣れてなかったよ。
だって2000のほうが好きだったんだもん。
見えた瞬間、冷や汗出たもの。
XPを恨んだよ。
自分の無知のせいだけど。
今まで彼が不安になるたびに、去年の私の日記を
抜粋して彼に読んでもらおうと、何度も思った。
私は、彼が最初から恋しかったと知って欲しかった。
できなかったのは、抜粋でもきっとキーワードを見つけて
検索すると思ったから。
そこまで慎重になってでも、ここを隠したかった。
Webで公開している以上、読む人がいて当たり前。
「私」を知らない人には見られてもいい。
だけど、「私」を知る彼が読むと、腹が立つことが
たくさん出てくる。
そうなると書けなくなる。
書きたいことを書けなくなれば意味がない。
私の中でこれは書いてはいけないってラインはあるけれど。
なんだかんだ言っても、私がヌケてたってことで
しらばっくれてた彼のほうが、1枚上手だった。
2005年02月28日(月)
それぞれの生き方
彼の誕生日に何か贈りたいと思った。
何か欲しいものある?と尋ねると、ようが欲しいと答えた。
こんなとき、私はいつも、私はモノじゃないと、とっさに
思い、返してしまう。
モノはいらない、ようが欲しい。
彼の言いたかったのは、こうだとわかっているのにね。
彼がお揃いの置物を懸命に探してくれていた。
「置物」と聞いて、「熊が鮭を咥えている木彫り」が
浮かんだ。
置物って言葉を久しぶりに聞いた。
だから散々、いくらもつけていいよと冗談を言った。
私が寂しがらないように、いつも見ていられるように
彼はパソコンデスクに飾れる、小さな二対のウサギを
探していた。
彼は出かけるたびに店を覗き、探してくれた。
ここはやっぱり田舎だね。思うようなものがなかなか
見つからない。
対の物をそれぞれが飾ると思っていたら
二つとも私が持っているように考えていたそうだ。
それは少し寂しい気がした。
それとも、並んでいるほうが楽しそうかしら。
日曜日。
彼と知り合ってから、日曜が嫌いになった。
だから日曜が必ず休めない仕事についた。
彼ではないのに、彼はこんなふうに過ごしているだろう
と想像を膨らませてばかりの職だった。
日曜を忘れるための職業が、思い出させる職だと知った。
彼と一度別れ、一年間離れ、私は日曜が休日の
仕事をしている。
私の思いに気づいていないフリが癖になり
いつのまにか、答えないといけない状況になるまで
知らんフリをするのが私との接し方になっていってた。
少し前、彼が正直に話してくれたあの頃のこと。
先週は、毎日楽しく今起こっていること、どんなふうに
過ごしたかを報告し合った週だった。
仕事上の深刻な話もあったけれど、二人が抱えている
問題の進展は何もなく、私の頭にも浮かばなかった。
彼との今後がどうなるか、それも浮かばず、二人で
過ごす時間は楽しかった。
今日は日曜日。
だけど私はざわめかず、あの頃の狂おしい思いは感じない。
1ヶ月に1度逢えるかどうかわからなくても
私の気持ちは落ち着いている。
昨日逢った友達は、エルメスで身を飾っていた。
実家住まいで、20年以上同じ会社に勤め
独身のまま、高齢の両親を抱えている。
これからも結婚するつもりはなく、恋人もいないと言った。
複数のお稽古事に通い、趣味も多数持っている。
海外旅行の話になると、いくつものブランドが出てきた。
仕事帰りに立ち寄るレストラン、バー。
楽しそうで充実している様子。
彼女がエルメスの職人たちの手仕事を話して
なぜ高価なのかを説明してくれたとき
私は思い出していた。
パリ本店から顧客向けに毎年送られてきたカタログ。
彼女が知る以前に、私は知っていたのだと思い出した。
昔の私なら、傲慢さが顔に出て、彼女の話を遮ったか
もしれない。
バッグの値段を語る彼女に、私は金額を知らなかった
自分を思い出していた。
今の私は、モノに対する執着が薄れ
これいいねと言っても本当に欲しいモノはないと
彼女に正直に言った。
今何が流行っているのか、どんなシリーズがあるの
かも知らない。
雑誌も見ないし、ウィンドウを覗いても
商品よりディスプレイのデザインが気になる。
彼が探してくれているモノと、私が彼に贈りたいモノ。
同じモノではあるけれど、込める思いが違う。
彼女の場合は、一人で生きていく決意の表れだろう。
強い彼女がまぶしかった。
それぞれの人生だと考えた。
2005年02月27日(日)
幼馴染
小学校時代からの友達と会った。
会うのは、何年ぶりだろう。
私が大阪にいて、まだ結婚していた頃だった。
彼女にレディースクリニックを教えてもらった。
大学付属や総合病院の他に選択肢が増えた。
彼女の案内でお昼はベトナム料理。
食後は喫煙できるコーヒーショップ。
夕食は、イタリアン。
和紙のお店を覗いたり、アップルストアで遊んだ。
小学校から彼女が転校した高校の頃まで
話はつきなかった。
私の部屋と彼女の職場は目と鼻の先。
平日でも土日でも会えるとわかった。
彼女も好きだとわかったミュシャ展に
もう一度行く約束をした。
2005年02月26日(土)
将来性ゼロ
今まで彼に黙っていた話をした。
仕事に対する社長の姿勢。
こんな話をすると、なんでそんなヤツのところにいるの?
になってしまうから言わなかった。
感情が入って冷静に聞いてもらえなかったから、全部
やまに愚痴っていた。
私の気持ちが彼にだけあることを、ようやく納得した
彼は冷静に話を聞いて、自分の考えを話してくれた。
結果は、やまと同じ意見。
やまは遠慮があるから言わなかったけれど、彼はずばり
言った。
その会社、将来性ないね。
私もそう思う。
どんどん仕事がなくなっている原因をわかろうとしない。
私が言っても、「素人が、口を出すな。」と馬耳東風。
無駄だとわかったので、ここに来てからは言っていない。
この2週間、私はまともに仕事をしていない。
掃除したり洗い物をしたあとは、インターネットって
楽しいですねと、大半を遊んで過ごし、お昼ご飯を食べて
帰ってきただけ。
勉強しようと本を引っ張り出しても、横から覗き込んで
あれこれ言われるとやる気がなくなる。
彼に「こんなことできる?」と聞かれ、どうだっけ?と
思い出しながら、彼の説明を聞いた。
前に資料を集めていた。
わからない部分を彼に教えてもらって、やってみた。
したことのないことだったけれど、なんとか合格した
みたい。
役に立てて嬉しいです。
社長がまた同じことを言った。
Macはヒラギノだからいいだろう。
自分の手柄のように言うのを聞くのは、うんざり。
フォントもMacも、あなたが開発したんじゃないから。
喉まで出掛かって飲み込んだ。
そうだよね、すごく見やすくていい。
私はMacに対する感想を言っただけです。
2005年02月25日(金)
病院探しと結婚観
気が緩んで会社を休んだ。
理由は悪寒と腰痛。
さっきから雨が降り出した。
ああ、腰痛の原因はこれだったと気づく。
雨が降る前の湿度変化を腰が敏感に察する。
子供の頃からの腰痛の原因。
国立がんセンターに電話をして、予約が取れないことを
知った。ここは重篤な患者さんを優先的に受け入れる
ところだったと思い出した。
癌だと診断されて、真っ先にセンターのサイトを
読んだ記憶が戻った。
次に、やまが入院していた病院に電話をした。
紹介状なしでも大丈夫だと聞いて安心した。
この病院は、私がまだ行ったことのない街にある。
もう一つ気になっていた病院もある街。
街探検を楽しもうと思う。
「代表取締役」のステキな肩書きを持つ叔父に電話した。
教えてもらった番号は、大阪のもの。
この番号で出てきたって事は、今は大阪にいるのねと
笑ってしまった。
来週、東京に行くので、昼食ならおごってやれると
頼もしい返事をもらった。
あの父親に何か頼むと、必ず一言余計なことを
言うだろう。
だから何かあったら、いつでも電話しておいで。
一言どころか、イヤになるほど言われるよ。
私の住所を何度も間違えながら聞こうとする。
何してるの?
今パソコンの前にいて、地図で場所を調べてる。
叔父の息子、つまり私の従兄弟のケータイ番号まで
教えてくれた。
それも、会社用と個人持ちの両方。
Yに電話すると、私がご馳走しないといけないじゃない。
ついでに私の仕事も話し、ぜひ会社でお茶汲み係りとして
採用してくれと頼んでおいた。
彼は、私の今の状態を心配してくれている。
だからさっそく報告した。
ようの親戚って、社長が多いの?
多いかもしれない。
すごいね、いいね。
別に、いいことなかったよ。
私が親戚に頼らないのは、コネの怖さを知っているから。
年中、親戚間で揉め事があるから。
今までみんなが、私を遠巻きに心配していたのは
父親が傲慢で、私に手を差し伸べると暴れるから。
今のおまえが不憫だよ。
小さい頃に恵まれすぎたからかな。
あれが恵まれてたの?
精神的には、恵まれてないか。
今、お金はないけど、開放された気分だよ。
清貧ってヤツか?
一杯の掛け蕎麦みたいか?
東京じゃ、掛け蕎麦すら高いんですけど。
叔父との20分ほどの電話で、たくさん笑った。
彼の知らない世界を、私は持っていた。
私が忘れかけていた世界。
彼と結婚について話していたときのこと。
お互いの実家に世間で言うところの格差があり
女性の実家が格上の家だとみなされると
男性側の両親は、気後れし遠慮がちになる。
これが、今も根強く残る日本社会の一側面。
だから、私は結婚制度を敬遠してしまう。
愛し合った男女が一緒にいたいと思い
それは個人の感情の結びつき。
なのに結婚になると、今でも家同士の結びつきと
捉えられる。
それが疎ましい。
2005年02月24日(木)
ざわめいた10日間
先々週から先週初めのゴタゴタで、私は疲れていた。
やまとのデートで気分転換したかった。
屈託なく笑う時間が欲しかった。
まるで、他に気を逸らさずに、真っ向から立ち向かえと
言われたように、やまからデート延期のメール。
落ち込んだ気持ちをどうにか奮い立たせようと
自分で楽しめることを探し、それに没頭している間は
気が紛れてよかった。
だけど、彼とやり取りしていると、やはり苛立つし、焦った。
彼に見せないように話題を、それ以外にしても
いつのまにか戻ってしまっていた。
攻撃的になったし、彼に対してではなく
いつまでも駆け引きを続け、自分が不利にならないように
できるだけ多くの物を、彼から毟り取ろうとする姑息さが
鼻についた。
彼と軽い内容のメールをやり取りしている途中
俺がいたら苦しい?
いなかったら楽になる?
と、突然のメール。
たった2行で打ちのめされてしまう。
反射的に打ち返した。
そんなこと、二度と言わないで。
彼がまたいなくなると、文字で問われただけで
深い闇の底に引きずり込まれそうな絶望を味わった。
いないから苦しい。
いなくなったら、私はどうなるかわかってない。
もう言わない。
ようも苦しいけど、俺も苦しい。
俺が原因でようが苦しんでるのならって思ってしまう。
もう言わない ごめんな。
私は彼の苦しみに気づかなかった。
のらりくらりかわしていた、以前の態度の再来だと思った。
自分の苦しみを、相手に対する攻撃と罵倒に置き換えた。
ただ、わめき散らすのではなく、相手の行動を
一つづつ槍玉に挙げ、鼻で笑い続けた。
彼との会話が終わると、相手に対する辛辣さだけが残り
夜明けまで眠らないでいた。
だけど彼は約束どおり、経過を伝えてくれ、気長に
私の気持ちをほぐしてくれ、今は落ち着きつつある。
問題を抱えているのは、彼だけでなく私も同様。
会社に行けば、寝込んだままの君がいて
菓子パンの残骸が転がり、使ったままのカップやグラス。
社内には、風邪の熱と残飯の悪臭が立ち込めていた。
毎朝それを片付け洗うことから、1日が始まった。
だらしなく澱んだ空気は、建物の構造上、
窓を開け放つことはできず、換気扇を回すことでしか
入れ替えることができない。
彼に出したメールの中で、彼に強い嫌悪感を与えて
しまった箇所があった。
やまに会ってほしくないけれど、それで私が少しでも
楽しく過ごせるなら行っておいでと彼が言ってくれていた。
何故やまに会うのか、その理由に、私は自分のバランスを
取るためだと書いた。
彼だけに気持ちを集中させると、私自身と彼を
追い込んでしまう。また同じことを繰り返したくない。
彼は以前、私がやまとの距離を保つために
別の男性と会ったことを覚えていた。
ようは、またそんなことをするの?
やまさんと会うのは、友達だからでしょう。
バランスを取るなんて、言わないでほしい。
俺がバランスを取りたいから、他の女性と会うよ
と言ったら、どう思う?
自分の気持ちを持て余し、どうにか正当化させたくて
自分のことだけでいっぱいになっていたと反省した。
そんな10日間を過ごし、少し落ち着いた。
2005年02月23日(水)
弱り目に祟り目
この2日間、君は風邪で寝込んだ。
顔の腫れがひいたと思ったら風邪。
それも眠りっぱなし。
お昼は、少しでも栄養を取ってもらおうと
考えて買ってきた。
私の選んだモノは好物ではなかったらしく
残されてしまった。
だけど、それが私の限界。
消化のよさそうな夕食を作ることも、洗濯物することも
頭には浮かんだけれど、実際何もしていない。
薄情を通り越して、極悪非道だと思う。
そして今日、久しぶりに起き出した君は、例によって
行き先を言わずに出かけてしまった。
帰ってきて
弱り目に祟り目だよな
と、言うのでそうだねと答えた。
この一連の体調不良だと思ったので。
だけど違った。
ガレージに置いてある車が車上荒らしに遭い
窓ガラスを割られていたのだと言う。
うろたえていたのかネットで近くのディーラーを
探そうとしていた。
それを見た瞬間、また言ってしまった。
自分で修理代払うつもり?
なんのために保険かけてるの?
今日は会社にいる間、左頬が痙攣していた。
会社を出たとたん、治った。
私はコンビニに寄り、就職情報誌を探した。
売っていなかった
帰ってすぐに親に電話した。
病院に出す紹介状について、あれほど言ったのに
きれいさっぱり忘れていたらしい。
国立がんセンターを思いつき、ネットで調べた。
事情を話して検診してもらうことに決めた。
叔父が勤めていた会社から、子会社の社長になり
東京に来ているらしい。
夕食をご馳走になろうと、親からケータイ番号を
教えてもらった。
ネットで調べると、代表取締役の欄に名前が載っていた。
夕食はもちろん、就職の斡旋をお願いしようかしら。
2005年02月22日(火)
ついに宣告
君にきっかけを与えてもらった。
つまり、大量の洗濯物を持って帰って欲しいと頼まれた。
何日ぶりだろうね。
今まで溜め込んでたのね。
てっきりコインランドリーに行ったと思ってたのにね。
政治のニュースを見て、NHKが好きで
国際ニュースに意見しても、身の回りのことができない
と、かっこいい意見も色褪せる。
親の世代、祖父の世代なら、それでもよかったかもしれない。
単身赴任なんて、よくあることと言い切った割りに
私に身の回りの世話をしてもらうのを前提としていたね。
言うこととすることの差が大きいと、みっともないね。
否定したけど、私は追及しなかった。
体調の悪そうな時期に、こんなことになるなんて
踏んだりけったりだね。
これが最後だからと、思わず受け取りそうになった。
だけどしなかった。
手が伸びなかった。
はっきり言いました。
プライベートなことでは、もう何もしない。
私が狡いのは、きっぱり別れを告げなかったこと
さよなら、仕事も辞めますとは言わなかった。
まだ1年経ってない。
まだ何も覚えていない。
このままじゃ、仕事は見つからない。
そして、君はこんな中途半端な私でも
いなくなると困るとわかっている。
今日したのは、君がわからずにやってしまったことの
フォローだった。
原因を探すより、作り直すほうが早かった。
こんな私でも、まるっきりの役立たずじゃないから
君はわたしが会社を辞めると困る。
だからね、そんなことを踏まえたうえで
駆け引きめいたことをした。
離婚前後の世間知らずだった私とは大違い。
職を失って、路頭に迷いたくない。
2005年02月21日(月)
甘い時間
毎日メールして、電話して、たくさんの言葉を交わして
これ以上、どうやって愛情表現すればいい?
好きで好きで仕方ないって、目を見つめて言って。
二人の楽しそうな弾んだ声。
私たちは恋愛の第一段階を、やり直している。
以前の第一段階は、私が気負っていたことや
警戒していたことから始まり、彼は無口で気持ちを隠し
突っ張り合っていた。
今、互いをどれだけ求めているか繰り返す。
気持ちも身体も、全てを欲し
隠すことなく欲しいと囁く。
今度逢ったときは
今度逢う日は
今度逢える日は
話していると時間を忘れてしまう。
約束だと思っていなかったことを彼は守っていた。
どんな相手と寝ても、メガネははずさなかったよ。
え?
前に、ようが言ったでしょう。私以外の人の前で
メガネをはずしちゃダメだって。
だから、誰の前でもはずさなかった。
悲しい約束だね
こんなふうに守っていたなんて。
いつも逢う時は、ただいまって言うよ。
帰るときは、行ってくるねって言うから。
だから、お帰り、行ってらっしゃいって言って。
楽しい約束をした。
これからずっと守るよ。
2005年02月19日(土)
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