気晴らしになるなら
Sちゃんから電話。
彼女が来ることをすっかり忘れていた。
前に電話があったとき、カレンダーに「仮予約」の印をつけておくと
約束して、ちゃんと書いていたのに忘れていた。
友達の結婚祝いに送るフラッシュ。
Flash MXを教えるのは、やはり無理。
数時間で納得のいくものを作れないだろう。
お手軽ソフトを思い出した。
Mac専用ソフトのKeynote。
MotionやFlash MXよりも、Keynoteのほうがずっと簡単。
久しぶりに使うので、予行演習をしてみた。
4パターンほど、Sちゃんに教えるときの見本に作った。
準備はばっちり、後はSちゃんが来るだけかな。
*** *** *** *** ***
ついさっき彼から電話。
ヤケを起こして、投げやりなことばかりを言う。
こんな時、私は優しくなれない。
電話切るよ。
そのほうがいいね。
じゃ。
あっさり私のほうから切った。
数分後、彼からまた電話。
逆切れは納まった? と嫌味を言ってしまった。
うまくいかない時は、うまくいかない。
私と再会してから?
強気と弱気が交互に押し寄せてくる。
1週間でも2週間でも、ずっと一緒にいるよ。
美味しい物を食べ歩いて、楽しいことだけしていよう。
彼の気が晴れるなら、何日だって付き合うよ。
上手に慰められなくてごめんね。
2005年07月15日(金)
癖
小学生の頃、日本文学全集と世界文学全集合わせて60冊ほどを買ってもらった。
とにかく本を読んでいられれば満足だった。
子供向けの小説でなく、単行本、文庫本を読み出した中学の頃、
登場人物の名前に混乱したのが、中国文学とロシア文学。
どちらも確か、幼少期と成人してからの名前があったと思う。
そういえば、日本でも昔の武家は幼名があったな。
ソルジェニーツィン、ドフトエフスキー、トルストイ、チェーホフ。
なぜか、ロシアの作家は読み続けることができた。
中国の作家は、魯迅くらいしか思い出せない。
登場人物の名前がわからなくなり、私はメモ書きをするようになった。
名前、幼名、生年月日。
いつのまにかメモする種類が増えた。
歴史小説を読むときは、相関図、家系図まで書いて、しおり代わりにしていた。
そして、何年何月何日、登場人物に何が起こったか、何をしたかを一覧表にした。
メモする癖は、他の何を読む場合にまでも広がった。
ミステリー、SF、恋愛、法廷、分野を問わず、手許にメモを用意して走り書きする。
今では、印刷された活字だけではなく、Web上に公開されたものに対してもしてしまう。
彼が逢いに来てくれたとき、書き散らしたメモを見つけた。
自分以外が読んでも、なんのことかわからない。
書いた本人でさえ、すぐにはどの話のことなのかわからなくなる。
1年間にどれほど読めるか、やってみたことがあった。
読むスピードは、比較的早いと思う。
1年365日、読んだ本の題名と作者名を書いていった。
285冊。
さすがに、数をこなしただけで、内容をはっきり覚えていない。
丹念に読み込みたいとき、目的があって読むとき。
私はメモでなくノートを用意し、ポイントをメモしていく。
子供の頃からの癖は、今も続いている。
2005年07月14日(木)
予想外の展開
昨夜、酔った彼から電話があったのは
深夜0時過ぎ。
最初は軽口だったけれど、この数日
何度も言われていたことをまた
繰り返し始めた。
それから、話は私たちの今後についての重要な部分へと移った。
私にすれば、全く思ってもみなかったこと。
それも、眠くて寝ようとしていた矢先の電話だったので、
混乱してしまった。
誰かの話がきっかけになって、自分の中に眠っていた思考が
浮かび上がってくる場合がある。
今回の彼がそうだった。
話し終わったのが、2時半近く。
2時間の間、重い内容の話が続いた。
今日、また話し合った。
彼は私の気持ちを知りたかっただけだと言った。
だけど、私にとって180度方針転換しなければならないほどの決意を
見せてほしいと言われたも同然。
すぐに答えは出せない。
2人にとって、よりよい形を考えたいと伝えた。
だから、彼にもお願いした。
再会してからの私は、強く迫りもせず、彼のペースを尊重していた。
これからは、もう少し速度をあげてくださいと。
5日経過。
2005年07月13日(水)
横浜散歩3
Sさんと公園のベンチに腰掛けて、日が落ちるまでしゃべってた。
でも、他のベンチには恋人たちが寄り添っていた。
ベンチでの女二人は、私たちだけだったかもしれないね。
氷川丸も水上バスも観覧車も、みんなライトで飾り付けられていた。
時間が遅くて、ランドマークタワーの展望台に上がれなかったのが残念。
彼に楽しかった1日を報告して、写真を撮ったと話すと
全部送ってほしいと言われた。
20枚近くあるオリジナルの写真を全部見てもらった。
いつか一緒に行こうと約束した。
今夜は彼は友人たちと飲み会。
そろそろ電話がかかってきそう。
2005年07月12日(火)
横浜散歩2
中華街を抜けて山下公園へ。
Sさんはトイレを撮るの?と笑ったけれど、この形はなかなかいいでしょ。
建物を撮る機会が少なかったので、とても嬉しい。
しばらくの間、沖縄のエイサーを演じている人たちを見ていた。
踊り手もサンシンを弾く人も迫力ありました。
海を久しぶりに見た。
本当は、海が怖いのです。
小さい頃、波にさらわれそうになったから。
なぜか砂浜からの海より、岸壁の海が怖い。
足がすくみそうになりながら撮ったのは氷川丸。
夕暮れ時にライトアップしたものを撮ると、あまりきれいじゃないけれど、実物はきれいだった。
歩き疲れてSさんとベンチに腰掛けて、またおしゃべり。
少し離れたところで、ジャグリングしてました。
気がつくと21時前になっていて、私たちは夕食を取るためにランドマークタワーへ。
少し歩くと、道路に埋め込まれたタイルを撮り、また少し歩くと街灯が撮りたくなり。
時間がないのに付き合ってくれてありがとう。
本当に楽しい1日を過ごせた。
*** *** *** ***
楽しい1日を過ごし、本日のご訪問。
エリスさん
00:35
07:14
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18:40
あなた、ビョーキじゃない?
2005年07月11日(月)
横浜散歩1
Sさんと一緒に横浜へ。彼女に会うのは4ヶ月ぶりかな。
駅のホームまで迎えに来てくれて、ありがとう。
身体にまとわりつくような湿度の高さと、中華街独特の熱気を感じながら歩いた。
まずは中華街の入り口近くのオープンカフェで、おしゃべりに花を咲かせた。
女が二人でいると話が尽きない。
ほんとに二人ともよくしゃべった。
私の愚痴を聞いてくれて、ありがとう。
通りに面したショップに入り、雑貨を見るのは楽しい。
横道に入り、ランチタイム。
どこに入っても美味しいですよとSさんが言ったとおり、本当に美味しかった。
昼食の後は、またぶらぶら歩いて、横浜大世界へ。
どの店の前で立ち止まっても、大変な勢いで商品説明を始める。
ぼーっとしていると、勢いのある売り口上に負けてしまいそうになる。
京劇の衣装を着て写真を撮るコーナーがあった。
着てみたかったけれど、本当に着たかったのは展示してあった本物のほう。
レンタルにしても、展示してある衣装にしても清潔さに疑問点。
チャイナドレスを売っている店や甘栗を売っている屋台。
見るもの全てが珍しく楽しかった。
2005年07月10日(日)
恐れずに
美容院で髪を切った後、肩や首の凝りをほぐしてくれる。
これだけ凝ってる人は久しぶりですね。
そろそろ限界かな。
痛いのを通り越して、重い。
近くでマッサージしてくれるところはたくさんある。
たくさんありすぎて、どこに行けばいいかわからないほど。
どこにしようかずっと迷いながら、自分でストレッチをして誤魔化していた。
美容院での一言で、勢いをつけて、ハズレてもいいとマッサージの店に入った。
どこを重点的にしましょうと最初に聞かれ、肩と腰をお願いした。
こんなになるまで、いつも我慢してるんですか?
どんなことになってるのか私にはわからないけれど、普通じゃないらしい。
肩は少々力を入れても感じないほど、ガチガチ。
反対に腰は、その5分の1でも飛び上がるほど痛い。
マッサージしながら業界裏話をしてくれた。
マッサージの免許を持っていない人を雇う店は、
「マッサージ」の文字を使えない。
だから「癒しの空間」「リラクゼーション」と書くそうだ。
「癒し」を売りにしたり、連呼するのは胡散臭いということだ。
だけど免許が無い、つまり専門学校で学んでいない人でも
技術がある人もいるらしい。
知識は無くても実技は得意って、わかる気がする。
昔、無資格のカリスマ美容師もいたことだし。
資格があっても、事故は起こる。
だから損害保険に加入する。
加入できなくて、事故を起こし、裁判沙汰になる人もいる。
だけどね、みんな貧乏だから支払えないんだよね。
怖い話だ。
自分の起こしたトラブルなのに、ない袖は振れないと開き直る。
そして、騒ぎがおさまると、別の場所でまたそ知らぬ顔をして再開する。
されたほうは、疲れて諦めるか、どこまでも食い下がるか。
現実も仮想現実も、人としてどう振舞うか。
ロンドンでの多発テロ。
地下鉄に乗るのが怖い。
自分は何もしていないのに、突然降りかかる人災や天災。
だけど部屋に篭っていても何も生まれない。
なるようになるさと外に出よう。
2005年07月09日(土)
中傷ー今後
井戸端会議や近所の噂話にも、有益な情報が含まれている場合がなくはない。
結婚している期間や子育て中には、噂話に参加したこともあった。
ところが
こちら
でも書いたように、横方向のおしゃべりは、今回の場合役には立たない。
また、独り言というものは、相手がいない呟きでしかない。
昨日書いたように信じられないほど大量のサイトのため、それらにつけられた名前を覚えていない。
それらに付随したBBS名、チャットルーム名、メルマガ名も同様。
ここ
の
中ほどで、エリスさんのケータイメルマガについて触れたが、私は読者登録していない。
人づてに概要を聞くのみで、転送してもらうこともない。
ネット上には、インターネット図書館があり、明治大正期の国文学を読むことができる。
先日は、
青空文庫
で太宰治の短編「愛と美について」を読んだ。
上質な作品を手軽に読めるのに、わけのわからない戯れ言を申し込んでまで、私は読まない。
私が読んでいるであろうと勝手に思い込み、私に伝わればよいと思われる内容を配信したらしいが
それは甘ったれたご都合主義だ。
言いたいことがあれば、私に対してはっきり理解できるように言えばよかった。
それをせずにいたのは、彼女の責任であり、勝手だ。
私が最初求めたのは、謝罪だった。
私が彼女に送ったメッセージを転記する。これはmixiのメッセージ機能を利用して送ったものだ。
一部伏字にしている。
--:--:--:--:--:--:--:--:--:--:--:--:--:--:--:--:--:--
宛 先 : エリス
日 付 : 2005年05月28日
件 名 :先日来からの件について。
そちらから一言の謝罪もないようなので、こちらから要求します。
あなたと○とのやり取りを詳細に聞きました。
○の怒りが、あなたにはうまく伝わらなかったようですね。
それどころか、○があなたを誘惑しようとしているかのような、
自己本位な想像を「エリス日記」で、ネタとして扱ったことを遺憾に思います。
また、私がどの点について怒りを覚えているのか、理解していないようです。
○にメッセを送る際「内緒で」を強調し、執拗に繰り返した点です。
これでは下心があると勘違いしてほしいと、思われても仕方ないでしょう。
あなたは、私と○に関して、よく知っている人間の一人だと言えます。
それを知った上で、「内緒にしてほしい」と言ったのは誤解されて当然です。
内緒にする理由に、私が絶対に会わせないと言った言葉の重みを感じたそうですね。
もし本気でそう感じたのであれば、ネトラジのことにせよ、
○に尋ねるのではなく、ネット上の他の知り合いに尋ねるのが筋でしょう。
あなたがmixiでどういった行動を取り、誰と交流しようが私の関知する
ところではありません。
以前にも「あなたの好きにすればいい」と言ったはずです。
ですが、今回の件ででしょうが、あなたのマイミクの●なる人物が
毎日、私のところに足跡をつけているのは不愉快です。
ですので、この人はアクセス禁止にしました。
私があなたをmixiに招待したのは、間違いでした。
ですが、招待された者、した者同士は、マイミクを切れないと規約にあります。
今回の一連の件で、私はmixi事務局に通報しました。
事務局から強制退会させられる前に、自主的に退会することを希望します。
また、私に対する謝罪を要求します。
あなたの独特な助詞の使用による、自分に落ち度はないかのような
ややこしい表現、及び言い訳は、全く必要ありません。
またこの件が終了次第、ネット上であれ、実生活上であれ、
交流を断たせていただきます。
本当に情けない。
これほど学習しない人を、見誤った自分に対しても憤っています。
--:--:--:--:--:--:--:--:--:--:--:--:--:--:--:--:--:--
このメッセージに対する返事は受け取っていない。
彼女が退会したのは6月6日だ。
そして、ようやく彼女からメッセージが来た。
以下引用
差出人 :エリス
日 付 : 2005年06月05日 04:01
件 名 : こんばんわ
お世話になりました・・
引用終了
彼女は言葉に思いを込めることを目指しているようだが、
立派に悪意が込められた一行メッセージで、彼女の目的をやや果たしている。
私の神経を逆撫ですることが目的であるならば。
大きなお世話だが「こんばんわ」ではなく「こんばんは」が正しい。
文字を習いたての幼稚園児のような書き方が、痛恨の一撃にはならなかった。
反対に彼女の国語能力の無さを露呈している。
話を戻す。
ネットでのトラブルはネットで解決する。
悲壮な決意を装い、安っぽいメロドラマの主人公を演じても
私には伝わらない。
彼女からのメールは受信拒否している。
今となっては、メールで口先だけの「ごめんなさい」は必要ない。
行動で示してもらう。
1.マイプレスの「エリス日記」とライブドアブログ2つ、あわせて3つのサイトと
ケータイメルマガで、私に対する謝罪文を掲載及び配信。
2.2週間、削除修正せずそのままにする。
3.2週間後、この3つのサイトの完全削除とメルマガ発行停止(中止ではない)
4.「エリス」のHNを今後一切使用しない。
5.yahooID:erisu_kissとxx_erisu_xxを削除。(プロフィールを非公開にすることではない)
以上、5点を要求する。
解離性同一性人格障害の診断を下されたわけでもないのに、
「5つの人格」を持ち、ネットで自分を表現してきた彼女らしいので、
またこれから、彼女が言うところの別人格を出現させればいい。
なんなら妙音菩薩に戻ってもいいだろう。
この菩薩様に対する不敬にあたるかどうかは知らないが。
『またこの件が終了次第、ネット上であれ、実生活上であれ、
交流を断たせていただきます。』
まだ、この件は終了していない。
2005年07月08日(金)
中傷ーそれから2
昨日、私があそこまで書いた理由は、自分の汚名を晴らすためです。
ケータイメルマガ内で不特定多数の読者に対して、私を中傷したことは
許せません。
発端と言えるmixi内での一件だけでは飽き足らず、この2ヵ月
次から次に怒りをかきたてられました。
その一方で、彼女は「エリス日記」の過去日記を隠し、修正し
2つのヤフープロフィールを書き換えました。
表面上、日記、ブログは更新せず、
ヤフーチャットルーム音楽カテゴリーで「エリスの部屋」を開いていました。
私はこの日記で、マイプレスのエリス日記と、ライブドアブログの
2つのurlを書きましたが、ほぼ全てのサイトアドレスを把握しています。
彼女自身、忘れているかもしれないものも含めてです。
マイプレスで、あと2つ。ライブドアでもう一つ。
過去の@ダイアリーでの日記2つ。
オンラインショップ2つ。
彼女の「もう一つの顔」で作ったサイト多数。
それに付随するありえないほどの数と種類のBBS、チャットルームなどなど。
怒りを通り超して呆れてしまいました。
ホームページ作成マニア?中毒?
一人の人間が、これだけ大量のサイトを作って放置しているのを見たことがない。
個人情報漏洩の危機意識もなく、管理能力もないのでしょう。
私はこれまで何度も書いたように、ネットでのトラブルはネットで解決します。
彼女は、今現在も、自ら個人情報を撒き散らしていることに気づいていない。
破滅への道を転げ落ちたいのでしょうか。
追記:
7月6日付の日記で、「このページの中で、あなたが公開した家族写真を家宝に
すると書いている人が何人もいる。」と書きましたが、これは間違いですね。
正しくは、不倫日記サイト集15の続きに書き込まれています。
彼女がこの続きを読みたいなら、自分で探せばいいでしょう。
2005年07月07日(木)
中傷ーそれから
妙音菩薩ね。
私は日蓮宗にも法華経にも縁遠いから、検索するまでは知らなかった。
このHNに覚えがあるでしょう?
エリス日記
のエリスさん。
私が先日
日記
で、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と書いたのを、ただのこけおどしだと思っているのかもしれない。
あなたは、知らんふりをしているようだけれど、毎夜、この日記を見に来ていることはわかってるよ。
ここに
2002年6月
の日付が明記されたサイトアドレスがある。
自分を振り返って、この当時を思い出してみた。
癌検診を受けた結果、子宮癌と診断された。
そして、2002年7月に入院、手術をしている。
まだエリスというHNを持つ女性とは知り合っていない。
幸いなことにエリスという女性と知り合ったのは、mypressがヴァージョン2になって間もない
2003年4月
以降のことだ。
不倫日記サイト集15
。
これは2ちゃんねるのスレッドの一つをhtml化したものらしい。
このページの
535番目(2002年6月7日)
から、騒ぎは始まっっている。
リンクしている妙音菩薩のHNで書かれていた不倫日記はなくなっている。
だけど、このページにリンクしてある複数のサイトアドレスは、今も
アーカイブを通すと、ほとんど見ることができる。
「日本のどこか」どころか、住所、子供のフルネーム、自分のフルネーム、
写真まで公開していたようだね。
そして、それを公開しているサイトと、赤裸々な不倫日記を平行して書いていたのね。
本当に驚かせてくれる。
2002年6月
のこの騒ぎを読んでいくと、2ちゃんねるのこのスレッドに
集まった人に、どれだけあなたが救われたか知れない。
感謝すべきでしょうね。
なのに、この3年、何も進歩せず学ばず、2ちゃんねる用語を使うことだけを覚えたようだ。
このページの中で、あなたが公開した家族写真を家宝にすると書いている人が何人もいる。
2002年6月
に、子供を平気で犠牲にするような女と、知り合わなかったことを感謝したい。
2005年07月06日(水)
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