はやりの病気
このままだと口が1ミリも開かなくなるぞと脅された。
なので、歯科医院の予約を取った。
大学病院の口腔外科に行く前段階としての診察になるか
そこでなんとかなるか。
楽観的になると、あとでがっくり来るので、
口腔外科に回される前提で考えておこう。

とりあえず顎関節のマッサージ方法を教えてもらった。
下顎と上顎の関節の構造まで講義してくれたけれど
ほとんど聞いてなかった。
覚えているのは、顎関節症が大流行してるらしいこと。

久しぶりにヤマからメールが来た。
漢文もどきの件名のおかげで、[MEIWAKU]と括弧つきのメール。
能天気な官能小説を書いたので感想を聞かせてほしい
とあったので、思い切り添削して送り返した。
件名のことも付け加えた。

 いつも使ってるマックが突然アボーン。
 あんな画像もこんなムービーも、今までのメールもすべてアボーン。
 はー、内容が内容だけに、バックアップも無しです。
 悲しいっす。

だそうだ。
心機一転、あんなのも、こんなのも、また収集するがよろし。
私の写真も失ったそうで、これは何よりの朗報かも。
可哀相なので、Sちゃんと撮ったピンボケ写真を
さらに画質を落として添付。

ようやく彼の仕事が落ち着きそうな気配。
ろくでもないことが続いているけれど
一ついいことがあってよかった。




2005年07月29日(金)

痛み
あの年、27日の23時ごろから
押し問答が始まった。

行くから
来なくていい
もう車に乗った
勝手にすれば

28日になり彼が部屋の近くに着いたのは夜明け前。
通りに停めた車と彼の横顔を思い出す。

あの日からいろいろなことがあり、
これからもいろいろなことがあるだろう。

食事の最後に彼が頼んだ自家製プリン。
彼は必ずデザートを注文する。
部屋に戻り、冷凍室のウォッカを飲もうとしたけれど、飲めなかったね。

今年初めての寝苦しい熱帯夜だったけれど
やはり私たちは熟睡した。

彼が白髪を抜いてくれた。
無数にあるらしい。
この1年で急激に増えたみたい。

指を揃えて、縦にして3本から4本、すんなり入る大きさに
口を開けられるのが普通なのに、今は2本でも痛い。
顎関節症とは無縁だったけれど、どうしてだろう。
片側だけが痛む。
先日の地震の日からなのでストレス。
同じ半身が痛んだままなので、ついに。
素人判断は控えて主治医に尋ねないと。

彼が部屋に入ったとき、私の顔を上げてキスしようとした。
私は痛みで顔を上げられない。
背中から肩、首にかけて、顔を引き上げようとすると痛みが走る。

全身ガタガタ。
本当に明日はない。
私を突き落とした張本人は彼。
だから今回は、私の我儘を聞いてくれた?
それとも彼が以前より深く反省した?
二度と私を失いたくないと彼は言った。
なのに傷つけられる回数は、まだまだ多いね。

痛みは嫌い。
身体の痛みより、心の痛みのほうがずっと嫌い。

2005年07月28日(木)

彼の横で
彼は今、ベッドで眠っています。


7月27日零時過ぎ、彼からのグリーティングカードが届きました。
 この日に逢えたから、今の二人がある。

ほとんど眠らず、彼は私の許にやってきました。
私の願いを聞き入れ、今夜は一緒に眠ります。

あの日以前に戻してほしい。
知り合う前に戻りたい。
何度も繰り返す私。
彼は遮ることなく、私の名前を呼び続けました。

別れようと言ったのにどうして?
ようを離さないと決めたから。

声が出なかったのに、話せるようになりました。
口を大きく開けると痛みます。

どうしても今日という日に逢いたいと言われました。
彼と知り合ってから、初めてのことです。


彼の横で今から眠ります。


2005年07月27日(水)

覚悟
モニターにヘッドセットを投げつけたので、2箇所に傷がついた。
これから2日間、彼に連絡を取らないように言った。
3日後逢えるか、残り少ない人生逢わずに終えるかは彼次第。
同じことを繰り返している。
繰り返すなら別れると言ってあったので、そう宣告した。
前回と違う点は私のこれからの身の処しかた。
嘘はつかない。ここで朽ち果てる。
脅しに聞こえるかもしれないけれど、私は本気。
生き恥を晒して永らえるつもりはない。

経済的にどうだろうと、仕事が忙しかろうと、
他に気にかかるものがあろうと、彼の並べる理由は
私には言い訳にしか聞こえない。
前回は、日記に書くだけで彼に伝えなかった。
今回は言いたいことを全部言って決断を迫った。

『明日何が起こるかわからない』
この数年身をもって経験してきた人間に
「いつか」や「これから先」は通じないと彼に言った。
あのときああすればよかった、こうすればよかったと
何度も言われるのはもうたくさん。
私には明日なんてない。
口先だけは、もういらない。
態度で示してもらうと最後通告。

これ以上苦しみは感じたくない。
生きていなければ感じなくて済む。
そういうこと。
昨日のことで這い上がれないほど、叩きのめしたのは彼だ。
何度も気を取り直して、立て直した数年。
もう立ち上がる気力も体力もない。

彼との件で忘れているんじゃないよ。
最期に道連れにしてあげるから覚悟していなさい。
自己破産し、その後も借金まみれのまま。
チャット部屋を作るのは、性欲を満たす男漁りと
金主探しが目的の人間のクズ。
ネットや現実で、生き恥を晒して生きている女。
異論はないでしょう。
自分で言いふらしているのだから。

2005年07月25日(月)

忘れていい
22:00から、この番組を観ていた。
「オレを覚えていてほしい」
異色のインターネット闘病記“ガン漂流”の作者奥山貴宏と
読者850日の対話

この人を知ったのは2004年の夏。
初めてここで書いたのが、『私は ここに いる』
そして2005年4月の『訃報』

さるさる日記の頃読み始め、彼がブログで書き出してしばらくして
読まなくなった。
読めなくなったと言った方が正しい。
1ヶ月か2ヶ月に1度の割合で、サイトがまだあることを確認し
ざっと目を通していた。
亡くなったことを知ったのは偶然だったかもしれない。
いつもは簡単に開くブログサイトが、なかなか開かず
コメント欄がチャットのように増えていくのをじっと見ていた。

そして今日偶然に番組が始まって数分後、チャンネルを回し
奥山さんを見つけた。


夕方の地震以降、私はダメになっていた。
パニックを起こし、ガタガタ震えた。
楽になれるなら病院に薬をもらいに行こうと思った。
ネットで不動産物件を探した。

彼に電話をかけ続け、何度も留守電にメッセージを入れた。
支離滅裂な単語を並べた。
そしてようやく彼からの電話を受け取ったあと、
「もうどうでもいいや」が頭の中にこびりついて離れなかった。

揺れた直後、PCを落とすのに手間取り、テレビをつけ
浴槽に水を張りながら、飲み水をやかんやポットに溜めた。
電気は消えず、水道から水が流れ、ガスも止まらない。

Sちゃんから電話をもらった。
いかれたように洗濯し、アイロンをかけ、部屋を掃除し
タバコを買いに出かけた。
道を歩いていると「普通の日常風景」だった。
車が走り、人が歩き、店には煌々と明かりが点き
ここは違うんだと理解した。

テレビで奥山さんの番組を観て、
死ぬことよりも、忘れ去られることの恐怖が勝ると聞いた。
肉体的な死と、精神的な死なら、どちらが怖いだろう。
癌を宣告されたとき、精神的なダメージが大きかった。
生きられるとわかったときは、何に対しても感謝した。

ここに、こうやって書いていられるということは
前回ほどのダメージはなかったのかもしれない。
数時間前、全てを終わりにしようとしていたのに
今はPCを起動して書いている。
だけどね、もう終わりにしたいんだと、
この考えが拭えない。

奥山さんの最後のブログを、あのとき、私は読んだ。
だけどね、どうしても、今の思考を払拭できない。
私は覚えていてほしくない。
生きていた証もほしくない。
存在理由も存在証明もいらない。
疲れた。

2005年07月23日(土)

恋の始まり
Sちゃんと撮った写真を彼に送った。
彼以外と撮ることが滅多になかったから、
見ながら話していると、彼と行っていない場所に別の人と
写っている自分に違和感。
彼と行きたかったな、彼とここで撮りたいなと思った。 

写真を見て、ように会いたくなったと彼は言う。
毎日話して、毎日メールしているのに。
以前よりずっと逢える回数が増えているのに、私も逢いたくなる。

 明日の夜、コンパに誘われた。

 合コン?いいなー、私も行きたい。

 なんで?

 楽しそう。

 断ったよ。

 あら、ザンネン。

この反応は、女として間違ってるのかもしれないけれど。
合コン、楽しそうだ。

Sちゃんと歩き回ったのが、つい昨日のよう。
友達にDVDを届けたと電話があった。
何度も繰り返し観て、本当に喜んでくれたそうだ。
Sちゃんの始まったばかりの恋も、うまくいくといいな。

彼に話すと、そんなウブな時代のこと覚えてないって。
思い出してほしいです。
Sちゃんは気になる彼に、なんてメールを返せばいいかと
悩んでいた。
羨ましい、懐かしい恋の始まりで
 お母さんは応援するぞ!
と言ってしまった。


2005年07月22日(金)

卓球と富士スピードウェイ
筋肉痛で微熱があるのは、Sちゃんと卓球したせいだと思い出した。
なんだか、あっちこっち歩いて、いろんなことをして、この3日間
のことが細切れにしか思い出せなかった。

卓球したのは、何十年ぶり?
ゲームセンターに入ったのも?
私、上手ですよとSちゃん。
私は下手だよと私。
3ゲームして、1勝2敗。Sちゃんの勝利。

Sちゃんには黙ってたけど、子供の頃、4年ほど卓球をしていた。
最後の10分に、ようやく勘を取り戻したけれど
開始5分から、へろへろだった。
休憩中に一服して、ラケットを握り立ち上がるとふらついた。

楽しかったのは、MegaWeb。
TOYOTAの展示場兼アトラクション。
F1に参戦したTOYOTAのマシーンの展示や
富士スピードウェイの走行が、モーション付きで体験できるシアター
は、もう一度観たい。
レーシングカートを観て懐かしんだり、Sちゃんは動体視力の
ワークアウトをしたり。

帰りたいと言いながら、けっこう楽しんだな。
F1は、ティレルの6輪車時代から知っている。
最近は全く観ないけれど、懐かしかった。
今年もシューマッハ兄が強いのかな。






2005年07月21日(木)

疲労困憊2
初日の昼、テレビで放映された「美味しいラーメン店」に
騙され、翌日は「ラーメン国技館」で巻き返す。
でも、近所のラーメンのほうが美味しいと思う。

今日も全身筋肉痛になりながら、Sちゃんが行きたがった
浅草六区のマーズへ。
水曜定休でお店はやってなかった。
帰りたかったのに、なぜか浅草寺に連れて行かれてしまった。

Sちゃんと仲見世を歩いていると、誰かが芸能人らしい人たちを
撮影中だった。
前日から、フジテレビ、日本テレビとで、テレビづいたというか
芸能人づいたというか、撮影風景を撮影してしまった。


まさにミーハー。
さて、この人たちはどなたでしょう?
知ってる人は知ってるはず。




向こう3ヶ月くらいは、部屋と会社の往復で過ごしたい。
芸能人もテレビカメラも、観光地も遠慮したい。



2005年07月20日(水)

疲労困憊1


午前中にSちゃんを迎えに行き、昼食を食べた後、会社に直行。
滞在予定時間3時間のはずが、Sちゃんの満足する
作品は、深夜過ぎに完成。
11時間かけて、音入れまでして、完成品はDVD。

睡眠時間5時間弱で、翌日はお台場へ。
信じたくないほどの暑さの中、歩き回る、歩かされる。
「笑っていいとも」の収録風景まで、観ることになるとは。
 出待ちしますか?
と、Sちゃんが意味不明なことを言い出すのを遮り
 あれ、ロケ車ですよ
と、言われても、今すぐ部屋に帰れるなら乗せて欲しいとしか
言えないほどヨレヨレ状態。
私は、自由の女神が観られただけで、大変満足。




帰りたい気持ちを抑え、次はヴィーナスフォートへ。
もう一度、フジテレビに戻りたいと言った希望を却下し
部屋の近くの居酒屋で夕食。
前から入りたかった店で、本当に美味しくてよかった。
なぜか深夜零時前、Sちゃんの思いつきで
イラレとフォトショを起動して、DVDケースに入れる写真を作成。
部屋には普通紙しかないと言っても無駄だった。

Sちゃんには、山ほどお洋服を頂いたので感謝。



2005年07月19日(火)

着信音
今夜もSちゃんから電話。
けっこういろんな話をするのに、二人とも適当というか
肝心の「何時に着くか」や「何泊するか」を決めていない。
いつもの私なら、誰かと待ち合わせや約束なら
下調べして、きちんとタイムスケジュールまで考える。

こんな神経質さが、自分を疲れさせるんだけど
Sちゃんとなら、なんとかなるさと思えてしまう。
気楽でいい。

彼から電話。
Sちゃんが来るから、メールも電話もできないよと返事する。
Sちゃんが帰ったらすぐに連絡してと彼。

ケータイの着信音に、未だに飛び上がってしまう。
これも彼に伝える。
ちょっとしたことなのにね。

Sちゃんとどこに出かけようかな。



2005年07月17日(日)

初日 最新

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