2004年07月27日(火) |
「夢」と「実現」のはざま |
いろいろ、つらつらと「夢」をweb上で語っている。 そういう自分を、ふと「へんなやつ」と思うことがある。 例えば、「歌姫になりたくて」なんて歌を書いたけど、とりようによっては、笑いものだと思う。いつもそんなふうに思うわけではない。もともと、「歌姫になりたくて」は、子どもの頃思い浮かんで頭を離れなかったフレーズがもとになっている。子どもの頃の夢だから、それほどばかにすることもない。 けれど、「今の夢」だとすれば、どうだろう・・・。
「『歌姫』になりたい」と願うには、実力がなさすぎなのだ。 子どもの頃の夢ならともかくとして。 切に「『うたうたい』でいたい」と願う反面、自分にとっては、ほんとは分不相応な夢だな、と苦笑する時がある。
いろいろとやってみたいことはある。 音楽関係に限らず。 けれど、時間は限られている。 「自分の限界までがんばれよ」と自分自身をはげます反面、もっと夢を縮小して願いのレベルを下げろよ、という心の中の声がする。
落ち着いて暮らせよ・・・と思う反面、心のどこかであせりも感じる。 人と比べることは、極力減らした。それは成功しつつある。 けれど、自分の中の夢と現実の折り合い。 分不相応な「夢」が多くて、とまどっている。
2004年07月26日(月) |
Bill Evansによせて |
昨日、松永貴志について書いたので、jazzつながりで。 松永貴志についての情報を検索していたら、Bill Evansについてのリンクを見つけた。 早速見てみた。 あらためて彼の経歴をみて、心が動いた。 本当に彼は、死の直前までステージにいた。 そのことに深く心動かされる。 Bill Evansとの出逢いは、学生時代だった。 音楽サークルで、ギターもpianoもドラムもなんでもこい!というマルチな才能をもったN君が教えてくれた。 もうひたすら、夢中になった。 特に「Waitz for Dabby」は、無謀にも自分で弾こうと何度もしたぐらい好きだった。もちろん今でも好き。
「一枚の絵のような・・・」という表現が、昨日見つけたサイトにあったけど、本当にそう言ってもおおげさでない。 リリカルなpiano。躍動的なpiano・・・。
あらためて、pianoとBillが恋しくなった。 近いうちに聴こうっと!
2004年07月25日(日) |
Jazz ピアニストとの出逢い(松永貴志) |
先日、松永貴志の演奏をTVで見た。 どこかでかすかに彼のことは聞いたことあるような気がしたが、演奏を聞き、そして目にするのは初めてだった。 まず、第一印象は「なんて楽しそうに弾いてるんだろう!」だった。 それから、トークも聞いたが、とても楽しいおしゃべりで、個性的だった。 彼の曲で、「にゃーにゃーダンス」という曲がある。その曲の誕生エピソードがなんとも面白かった。 ある時夜道で猫に出会って、その猫相手に「にゃーにゃー」と1時間ぐらい遊んでいた、その思い出らしい。 なんとユニークなっ! 受け取りようによっては、へんなヤツかもしれないけど、わたしは気に入った! しかも、pianoそれもjazzでそれが表現できるなんて! 思いっきり憧れてしまうっっっ!
ハービーハンコックに「君に教えることはもうない」と言わせた、若き天才ジャズピアニスト松永貴志! うーん、目が離せないっ!
そういうアーティストにまためぐり合えてしあわせだぁ♪
昨日、エアロの先生から面白い話を聞いた。 マタニティビクスのレッスンをあちこちで受け持ってるインストラクターの先生なんだけど、いつも話がおもしろい。 そのエアロの先生が勉強のためでた、気功のクラスの先生の話らしい。
妊婦さんのおなかのあたりには、「気」が満ちてるそうだ。 その気功の先生によると、そんなにおなかがめだたないころでも、おなかあたりに「気」が満ちていて、見えるそうだ。
雨上がりの日、樹木のまわりには、地面からの「気」が上がってきていて、それが満ちているそうだ。その時、気功の先生は木の側で両手をひろげて、その「気」を感じるそうだ。
「そこまでしないと見えないのね〜。すごいよね〜。」とエアロの先生は言っていた。わたしも同感。 達人はものごとを極めてるなぁ、と感心した。 それと、「気」というか、オーラを見てみたいと思う。 見えはしないけど、そういう「気」というのはあると思う。 もともと、この話は、「臨月を迎えた妊婦は、パワーに満ちている」という話からだったんだけど、それは心あたりある。自分の経験でね。 きっとお産ってたいへんだから、それにむけて本能的に体と心が準備をするのかもしれない。 そして、お産に限らず、「気」のパワーってあると思う。 生命エネルギー。 見てみたいなぁ。 見えなくても、最大限引き出してみたいな。
2004年07月22日(木) |
ネガティブな思いについて(「晴日のひとりごと」より) |
わたしが長く応援してる相曽晴日さんのファンクラブHPに、「晴日のひとりごと」というコーナーがある。 このコーナー、背景がピンクで、晴日さんのエッセイという感じなんだけど、晴日さんのお人柄がほんわかあらわれていて、いつもほっとする。
そのほんわかの中にも、どきりとする話題、つまり考えさせられる話題があって興味深い。
最近、心にとまった話題。 「意地悪な気持ち。」というタイトル。
その中で、印象にのこったことは・・・。 「自分から発した『ネガティブな思い』は自分に戻ってくる・・・」ということ。 なんだか、心当たりあるよなぁ〜と身にしみた。 後ろ向きになる気持ちや、誰かに対してよくは思わない気持ち。 そういうものは、確かに自分を決して明るくはしないし、いもづる式に悪しき感情・思いを引きずり出すように思う。そして、そこからは大抵いいことは起こらない。そうして意地悪になってしまったりしたら、人を傷つけることはもちろん、自分も心のうちが濁ってしまう。そう感じることは今までにあった。
「無意識でも微量でも、悪意の毒はまわる・・・」 これも同感。 自分が出す毒、自分に向けられた毒・・・たしかにそうだ。
そして、一番うなずいたのがこの事。 「『意地悪をやめる』のではなく自分の心の何に反応して「意地悪」として出てきたのかをつきとめなければ、きっと無意識の「意地悪」は続く」 うんうん。 きっとそうだ。 「意地悪」になってしまうのは、自分の心の奥底に何かがあるからだと思う。 そして、その自分の奥底の気持ちときちんと向き合ってみたら、そこに自分の「本当の願い」が眠ってたり、うもれてたりする。 そう思う。 それが、たとえばうまくかなわないとき、不満になって、形をかえ、「意地悪」となってあらわれることってあると思う。
いつもうまく自分をコントロールできるわけじゃないけど、「ネガティブな気持ち」が頭をもたげたら、それを受け止めつつ、「本当の願い」に耳を傾けてやりたい。それは自分にしかできないことだから。 そして、できるだけ、前向きにその気持ちを方向づけてやりたいと思う。 「アクティブな思い」も自分に帰ってくると思うから。 それが、人との関係もほどよくつないでくれることもあるかもしれない。 結果的にね。
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