ぶらんこ
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2004年08月18日(水) |
user unset |
台風の影響で飛行機が飛ぶかどうか、かなり怪しい。 しかもプロペラ機だ。 それでも、定刻より30分ほど遅れはしたものの、搭乗口へと誘導された。 その後しばらく待たされ、ようやく「搭乗してください」というアナウンスが流れた。 と、そのとき電話が鳴った。
空港まで送ってくれた姉からだろうと思って慌てて出たが、同時に「user unset」という文字が見えた。 あれ?と、思いつつ返事をする。 すると、聞き慣れない男の人の声が「わかる?」と言う。 島口じゃない。東京弁。たぶん。
わからん、と答えるのに、その人は悠長に「え?わからない?」と笑っている。 失礼かな、と思いながらも、誰だれだれ?と聞きまくる。 もう飛行機に乗らなくちゃいけない時間だし。
そのことを口にしかけたが、なんとなく不審に思い「誰にかけてるんですか?」と聞いてみた。 するとその男、「ん〜。誰だろう・・・」とのたまう。 そして 「あのさー 寂しかったからさー 適当にまわしてかけてみたんだよね」
「あっ そっ!」
わたしはそう言って電話を切り、そのまま電源も切った。
嫌だいやだ、気持ち悪い。
サミシイなんて言うな。 サミシイなんて口にするな。 user unsetにしといて、そんなこと言うなんて、卑劣だ。
サミシイなんて言葉、知らん人に言うな。 サミシイなんて気持ち、自分でなんとかしろっ!
怒りまくり、その後なぜか、自己嫌悪。。。

島の南部まで出かけて行った。 お盆を過ぎてようやく・・・という感じ。
ヤドリ浜。 海岸線をそのまま利用して作られた海水浴場。 個人的に、とっても好きな浜。 死んだ兄貴を感じる浜。 なのに、ここで泳ぐのは今回が初めてだった。
がじゅまるの木陰に車を停めるとそのまま浜へ下りていける。 同じようにがじゅまるの木陰へゴザを敷き、そこへ荷物を置く。 寝っころがって海風に吹かれて、なんともしあわせだ。 そうして、身体が熱くなったらば海へ入る。 木陰にいると涼しいので、海へ入るのを忘れそうにもなる。 けれども、波の音に誘われて、ついつい海へ向かう。
干潮だったので、フィンは途中で脱いだ。 見事に拡がるさんご礁を傷つけてはいけないから。
海のなか。 静寂にして生に満ちあふれる躍動の世界。
水中メガネを通して見るわたしは、 ただただ、深呼吸。。。
写真は、 マネン崎(まねんざき)の展望台よりちょい手前のところから撮影した 大島海峡。 天気はいまひとつで、雲が流れていくのに、海は穏やかに見える。
ヤドリ浜はこの先にある。
町中の煙突から煙が噴出している 人々が 眠っているときも
古いのに新しい
湯屋の町
散歩の帰り、ぷーきーとかくれんぼをして遊んだ。 ぷーはいつもわたしの先を、振り向きふりむきながら、歩く。 わたしはぷーの目を盗んでは、ちいさな小道に入ったりして、草むらの影に隠れる。 ぷーはわたしがいないのに気付くと はっはっはっは、と言いながら走ってくる。 息をひそめ、身をかがめて隠れても、すぐに見つかる。
今日、ぷーはとんぼを追いかけるのに夢中だった。 わたしはしめしめと思って、違う小道をずーーーっと進んで行った。 珍しくぷーはこちらに気付かない。 でもだいぶん進んだところで、たったかたったか、と馬の蹄のような音が近づいてきた。 ぷーがものすごい勢いで走ってきたのだ。 あまりにも真剣なので、おかしくて大笑いしていると、 ぷーは突然止まって、右足をあげたまま背伸びをし、すすきの葉っぱに鼻を近づけた。 その姿がとてもかわいくて、思わずにっこりしてしまった。
夕暮れが近づいてきて、風がびゅーんと吹いた。 ぷーきーが元気になって、わたしは、とってもとっても、とっても嬉しい。
近所にある古びたホームセンターの駐車場の片隅に、ちいさな屋台ラーメンがあった。 軽トラの荷台を利用した、ちいさなちいさなお店だった。 わたしはそこを通るたびに、あ、お客さん入ってるゾ・・・とか 今夜は静かな晩になるのかな・・とか思いながら いつか食べに行かなくちゃなぁ。そう思って見ていた。
10日程前、そこを通ったとき、 軽トラには「本日売り切れ」と書かれた大きな紙が貼られていた。 おぉぉぉすごいなぁ。。。わたしは、こころ密かに喜んだ。 なかなか売れてるんだなぁー。なんて。
でもその紙は、翌日もそのままになっていた。 「本日定休日」っていうより聞こえ良いからかな?あきんど魂というヤツなのかな。 ・・・けれども、わたしの思いはどうも違っていたらしい。 その翌日も、そのまた翌日も、軽トラは動かされた様子もなく、そのまんまになっていたから。
いつからか、その駐車場から彼の軽トラは消えていた。 閉店したのか、或いは場所を移動したのか、わたしにはわからない。
どんな味だったのかな・・と今になって思う。 なんの変哲もない普通の味だったのかもしれない。 口コミで拡がるような、そんなお店ではなかったのかもしれない。 けっして目立つとは言えない場所で、誰も来ないような日があったのだろう。 今日はどれくらい入るかな、と店を準備しては、食材を無駄にしてしまった日もあったのだろう。。。 そんなことを想像したら、胸が痛くなった。
そういう状況のなかで、同じ場所に留まるということは、相当キツイものだと思う。 なかなか出来ないことだ。 不安はさらなる不安を呼び、やがてそれは、恐怖やあきらめといったものに変わってしまうだろう。 お金だって、いつまで続くかわからない。 多少なりとも残っているうちに。。。そう考えてしまうのが普通だろう。
でも、それでもそこへ留まったとしたら? 同じことを同じ場所で、同じように、黙々と、永遠に、何かを信じて。 いつか誰かが誰かを誘うかもしれない。 そうだ、あそこに行くと必ずやってる店があるんだよ。なんて。
そこまで続けられるかどうか? というのが、実際の分かれ目なのかもしれないけど。。。
「待ち続ける」ということはとても厳しいことだ。 でも辛いことの向こうにはしあわせが待っているに違いない、と、思いたい。 待つ不安が良くないものを呼ぶとしたなら、その反対だってあるはずだから。
・・と、最近しぼんじゃってる自分に、しあわせを呼ぼうよ、と奮起。。。
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