ぶらんこ
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いつもどおり4時半に目が覚めた。 わりと静か。 でもそのうちに突風が吹き荒れ、激しい雨の音が混じる。 風がごうごうと唸る。 荒れ狂うようにうねりながら吹くさまが見えるようだ。 雨は屋根を、雨戸を、これでもかと言わんばかりに叩きつける。 捉えることの出来ない不規則なリズム。 どこか近くで、ぎぃぎぃと鈍い金属音がする。 何だろう?錆びれたぶらんこのような音。 もしかしたら屋根が落ちてしまうのかな、、と思う。 そうなったときは、どうやって逃げたら良いのだろう・・・。 逃げられないかな。。。 ぼんやりと、そんなことまで考える。 そのときはそのときなんだろうなぁ・・と思う。 少し、怖い。 こわいのだけれど、でも、どこか静かな気持ち。 ちっぽけな存在であるわたしたちは、すべてをおまかせするしかないのです。
偉大な自然の力を聴きながら、いつの間にかまた、眠った。。。
台風接近。 昨夜、久しぶりに「一緒に眠ろう」と、こころがやってきた。
そっか。そうだね。。。と、彼女の話を聞きながら眠る。 このところ、いろいろと心配事があるみたい。 のんきなくせに小心者。誰かさんと一緒。
幼い頃から守護天使(guardian angel)の存在を信じている。 「なんでもうまくいくようにわたしを見守っていてください」 そんな風に祈った。それは大人になった今でも、たいして変わっていない。 でも、ちょっとは変わった。 いつも、こころの分もお願いしているからね。
「だからあなたには、マミィのguardian angel、ダディのguardian angel、自分のguardian angel、 3人の守護天使がついてくれてるの。だからその分、なんもかも、うまくいくようになってる。」 それを聞いたこころは、まんざらでもない顔で笑っていた。
フェリーが運航してる、と言うのでいつもどおり港まで送って行ったのだが、 9時20分のフェリー以降は欠航決定、となり、急遽とんぼ返りでまた迎えに行った。 港へ着くと、こころは同じフェリーに乗り合わせたという女の子と一緒にいた。 その子の家はわたしたちの近所だそう。 そして、バスを待ってると言うので、わたしの車で一緒に帰ることになった。
聞くと、彼女もこころとおんなじ中学1年生。 毎朝5時20分のバスで通学しているそうだ。 学校こそ違うが、こころと似たような境遇じゃないか。 「すごい、すごい、おんなじ、おんなじーーー!」 母子ふたりで喜びながら彼女の話を聞いていたのだけれど、よーく聞くと、これが全然、違う。
3時半に起床。少し勉強。5時20分のバスで港へ。学校は8時から。 夜7時半帰宅。8時から11時まで塾。帰宅後、晩御飯。12時就寝。
・・・眠る時間、ないじゃないかぁーーーー。 こころもわたしも、あんぐり、大口を開けて聞いていたんじゃないかな、と思う。 本当に、心底、驚いた。 彼女は彼女で、わたしたち母子のアホな会話に驚いていたみたいだけれど。
彼女を家の前で降ろした後、ふぅ〜っとため息が出てしまった。
「あの子、守護天使があなたのために送ってくれたのかもしれないね」 そう言いながら、ふと、あの子の守護天使もまた、わたしたちをあの子のために送ってくれたのかな、と思ったり。。。
どちらにせよ、こころの心は軽くなったみたい。 守護天使が降りてきてくれた、台風接近の朝。
こころがまだ小さかった頃、わたしはよく彼女に「素敵なLadyになりたいでしょ」という言い方をした。 彼女の頭のなかでは、わかりやすいところで、CinderellaやSnowWhiteといった美女たちが微笑んでいたことだろう。 その言葉は、ミラクル・マジックのように、素晴らしい効力を発揮した。 素敵なLadyになるべく、彼女はマミィの言うことをきちんと聞いたものだ。 (どんな内容だったか、もう覚えてはいないのだけれど)
今になって、「Lady」ではなく「人間」と言い換えても良かったなぁ。。。と、思ったりする。 でも、当時、意識的にはそういう意味で使っていたような気もするし、 そこのところは、彼女にもちゃんと伝わっていた、と、信じてもいる。
ずっと以前に読んだことがあるのだけれど、 シュタイナー教育では、 「男だから」とか「女だから」という考えを持たず、 誰もが(その性別に関係なく)働くことを目指している、ということだった。 それは絶対的な思想というものではなく、たぶん個々の「意識」の持ち方を示していたのだろうと思う。
男性と女性は違う。 それぞれの役割もあると思う。 そして、男性らしさや女性らしさ、といったものも、大切にしたいと思う。
でも、もっと高い視点から世界を見ることが出来ると思うし、そうありたいと、わたしは願う。 「男」や「女」という区別なく、「ひと」として、目指すもの。 「魂」と言ってもいいのかもしれないなぁ・・・。
台風接近に伴い、雨風がひどくなってきた。 軒下の物干し竿を下ろし、はしごを倉庫へ片付け、自転車や植物たちを家の中へと移動させた。 そして、雨に濡れながらも、なかなかこういう作業が板についてきたなぁ・・・と、感慨深く思う。 女だから出来ない。なんてことは、ないのだ。
それでも、やっぱり、ど〜〜〜〜うしても ペッパー・ミルの蓋を開けることが今夜も出来なかった。。。
そして、 こんなとき男だったら・・・と、思ってしまう、へなちょこな自分も 相変わらず、いる。笑
こころの学校が始まった。
彼女は前日の真夜中までかかって宿題をしていたが、結局全部は終わらなかった。 「終わらんでもいいよ」とわたしが無責任なことを言うと、彼女はひどく憤慨していた。 必至になってやっている姿を見ていると、のらりくらりとぐぅたらに過ごしていた日々を思い出さずにはいられない。 でもまぁ、こんなモンなんだろう。 自分が納得するまでやらなければ、どっちにしても苦しいのは自分自身。 誰も助けてはくれない。 なぜって、自分を助けることが出来るのは自分自身だけだからね。 ・・・教えられなくても、それを知っているんだろうなぁ。 こころを見ていて、そんなことを思った。 宿題の提出は6日らしい。さて、どうなるか。
それにしても、どうして夏休みに宿題なんかあるのだろう。 先生方だって、添削するのが大変だろうに。。。(いや本当に!)
アメリカの学校は宿題なんて野暮なモンはない。 夏休みは生徒も先生も、思いきり休むのだ。(たとえ高校であろうと、部活すらない。) それが「夏休み」。 100% vacation だから、こころにとっては生まれて初めての、夏休み宿題地獄を経験したというワケ。
7月の終わり頃だったか、どこかのある教授がこんなことを言っていた。 「夏休みが長過ぎるので3週間に減らしてはどうか、という動きが出ている」 たったの、3週間??? 唖然、としてしまった。 そのヘボ教授曰く、「夏休みを減らすことにより学力低下が防止できる」とのこと。
なんてなんてナンセンス。
夏休みの宿題にしろ、夏休み短縮にしろ、どうして一時的な学力低下をそんなに気にするのだろう? それは一重に、教育の現場に立つ先生方が苦労するから・・ということなのではないか??? 「ゆとりの教育」という、名ばかりのシステムにこそ、問題があるんじゃないの???
わたしは、基本的に「忘れる」ことは良いことだと思う。 忘れてこそ、と、さえ思う。
こころの英語力の低下を先生方が気にしてくださっている。 夫も心配している。 実際のところ、こころ自身も気にしているようだ。ちょっと弱気になっている。 でも、わたしはまったく気にならない。 忘れてもいい。 なぜなら、それは一時的なものだから。 こころがこの先、再び英語の世界に入ったとき、それは何倍もの大きさとなって彼女に戻ってくるだろう。 忘れていた分だけ、より強固なものとなる。 だから、全然、問題なし。
「なんでわかるの?」と、こころが聞く。 「マミィがそうだったからだよ」
・・・こころ、相手にせず。
でも、絶対にそうだってば。 だから、どんどこ、忘れなさい! (この次までに、もっと説得力のある説明を考えておくから)
かすかに潮の香りのする すべすべしたまるいしに こころとふたりで 絵を描いた
夏休みの母子共同制作
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