ぶらんこ
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こころが自転車の鍵を失くした。 自転車通学を始めてわずか3週間足らず。 何やってんのよ、もうー。どうすんのよー。 こころは一生懸命心当たりを探したらしい。なのに、出てこない。 駐輪場も学校の事務室もわたしの車も、考えられるところすべて探したのだけれど、どこにもない。 買ったばかしの新車なのに。
・・・がっくし。
こうなったらしょうがない、とりあえず合鍵を使うか。 ということになったのだが、今度はその合鍵が見つからない。 どこかにしまったのだ。万が一こころが鍵を紛失したときのために、って。 家中をもう三日も探し続けているのに、出てこない。 テーブルに置きっぱなしになってた合鍵を握り締め、 「もうーこんなとこに。絶対そのうち失くすんだから・・・」と、思ったのだ。 そして、ちいさなガラスのボトルに入れようと思ったら蓋が閉まらなくて・・・ と、いうところまでは覚えているのに、その後がどぅ〜しても思い出せない。。。
何やってんのよ、もうー。どーすんのよー。 あなたが鍵失くしたからでしょう。 マミィも合鍵失くしたんじゃん。
・・・がっくし。 もう探し疲れたよ。
いつも家の裏の畑の道を歩いていく。 灯りのない道だけれど、歩いてるうちにだんだんと慣れてくる。
ぷーちゃんはノー・リーシュなので自由気ままに歩く。 今日は何か強い匂いがするのか、麻薬犬のように鼻を地面にくっつけたまま忙しく歩いていた。
ぷーの後に続き、わたしはのんびり歩く。 そして、畑の真ん中あたりまで行くと、いつもそこで寝っころがる。 今日はお月さんはいない。 雲が近くて大きい。 星は遠くにちらほら。 ぷーが遠くへ行っては戻ってくる。 稲光。 川薩地方だか、大雨洪水警報だったかなぁ・・・よく思い出せない。 鈴虫の声がする。
散歩から帰ってきたら、こころに「今日はやけに遅かったね」と言われた。 そうかもしれない。 どれくらい経ったのか、時間はわからないけれど。 「うん、眠っちゃったからね・・・」 そう言うとこころは大袈裟に驚いてくれた。 「マミィ、そのうち誰かに通報されるよ!」とかなんとか。
どうせ誰もいないよ。
ちょっと遠回りしてみたあぜ道の端っこに、赤い花たちが咲いていた。 曼珠沙華。 花は誰に聞かなくとも、ちゃんと季節を知っているらしい。 彼岸花とはよく言ったものだ。
この花を見ると、心のなかで思い出す人がふたりいる。 いつかまた話せるといいなぁ・・・と思う。 お元気でいるといいなぁ・・・と思う。 わたしはなんとか元気でおりますよーと、言えたらいいなぁ・・と思う。
でも、表面では離れていても、目に見えなくても、ちゃんとどこかで繋がってるような気がする。 きっと来年も再来年も、この花が咲くたびに、心のなかに浮かんでくるのだから。 季節はとぎれることなくまわっていく。 心もそうやってまるくなるといいな、と思う。
夕方。 我が家の庭にも、もみじの木の後ろにマンジュシャゲたちが咲いていた。 白いマンジュシャゲ。 ―昨日まで気付かなかったのが不思議だ。。。
もうすぐ秋彼岸。 月がまた、少しずつ膨らんでいく。
錬金術。
『黄金をつくり出す技術の追究を中心とし、不老長寿の霊薬の調合と重なり合う中で、 広く物質の化学的変化を対象とするに至った古代・中世における一種の自然学。 中国・インド・アラビア・西欧など、それぞれに宗教・哲学と結びつき固有の内容をもつ。 中世ヨーロッパでは、アラビアで体系化されたものが精緻化され、 種々の金属の精製や蒸留・昇華法など化学的な知識の蓄積を見、近代化学の前史的段階をなした。』(goo辞書より)
錬金術とは、簡単に言えば鉛を金に換えること=物質の組成を換えること。 錬金術師は、その方法を学ぶなかで(「賢者の石」という存在もあるようだが)、物質の変換の「真の意味」を見出す。 のではないかなぁ・・・と、いうのが、わたし個人の考え。
『鋼の錬金術師』というアニメがある。 初めてこのアニメを見たときは、驚いた。 悲しい場面が多い。 怖ろしい場面もある。 常に破壊が伴う。 死んだり、殺されたりする。 壊され、そして、創られる。 これらを、子どもたちがどのように受け取るのかは、わからない。 ただ、このようなアニメが存在すること自体に、世界がどこかに向かっているようにも思う。 そしてその向かう方向は、間違ってはいないように思う。
September 11th. あれから3年だ。
世界はどう変わったのだろう。。。 マイケル・ムーア監督の映画「華氏911」が話題を呼んでいる。 この映画は、観るのならこころと一緒にと決めてある。 たぶん非常に偏った作品なのだろうと思うのだけれど、それでも観に行くつもりだ。 今、世界が動いているように思うから。
あの日から、わたしの中で何かが変わったように思う。 壊され、生まれたものがあるように思う。 それはただのちいさな石なのかもしれない。 まだまだ磨かれなくてはならない、なんでもない石なのだろうと思う。 そして、その方法をよく知らないでいる。 だから困ったり、持っているのが辛くなったり悲しくなったりする。
でも、投げ捨てようとは思わない。 何かに換わるような予感がするし、何かに換えるのは自分自身だと知っているから。なのかも。
台風が過ぎ、家の周囲の後片付けをしていたら、お隣のご主人と会った。 今回の台風の話をちょこっとする。 彼の家の、うちとの境界にある垣根は壊されてしまっていた。 大変だ。。。 わたしは、彼が後から作業しやすいよう、その垣根の周囲を先に掃除した。
しばらくして、彼が食パンを二斤持ってやって来た。 「これ、昨日のだけれど、良かったらどうぞ。。。」 とっても驚いた。 食品を扱う商売をしてる、って、パンのことだったんだなぁ。 お礼を言って、ありがたく頂戴した。
良い人だったんだなぁ・・・と、今になって思う。 というか、悪くなかったんだね、最初から。 とっつきにくそう、って感じたのはお互いだったのかもしれないなぁ。 ・・・誤解した(された)ままでなくって、本当に良かった。
人と人って、どうなるかわからない。 たぶん、ちゃんとなるようになるのだ。 ちゃんとしたときに、ちゃんとしたところで、ちゃんとした形で。
ふにふに食パンを抱いて、にこにこ顔に、なりました。
・・・
『あいたくて』 工藤直子
だれかに あいたくて なにかに あいたくて 生まれてきた― そんな気がするのだけれど
それが だれなのか なになのか あえるのは いつなのか― おつかいの とちゅうで 迷ってしまった子どもみたい とほうに くれている
それでも 手のなかに みえないことづけを にぎりしめているような気がするから それを手わたさなくちゃ だから
あいたくて
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