ぶらんこ
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こどもたちの力。 それは、現実を、ただ在るがままに受け止めること。 与えられたものが、どんなに厳しいものであっても、彼らはそこにちいさなしあわせをも見い出すことが出来る。
そして、何よりも素晴らしいのは、彼らは過去にとらわれない、ということ。 過ぎ去ったことを、彼らはけっして嘆かない。 彼らは前だけを見ている。 彼らなりに描く、しあわせな未来を見ている。
この映画は、わたしにとっては他人事じゃなかった。 あきらは、兄貴であり姉でありわたしだった。 「そしたら4人一緒にいられなくなるから。」 あきらの言葉が胸にしみる。。。
幼い子らの、餓えと貧困のなかで放つ生命の光に包まれた。 是非、すべての人々に見ていただきたい映画です。
朝から雨。 忘れ物を取りに引き返すと、東の空が朝日で光っていた。 雨はまだ降っている。 大きく、小さく。 強く、弱く。
視界が開け、海が拡がった。 海には霧のような雨が降っている。 雨は海を優しく包み込むよう。
と、そこから虹が生まれ出た。 七色の光の帯が、大きく弧をなし空にかかった。 なんという光景。 喜び。 祝福。 感謝。
・・・やがて、雨が強くなり、虹は静かに消えていった。
海は烈しい雨に打たれていた。 七色の光は、もう見えない。
誠実なひとよ それでもわたしは あなたを信頼する わたしの心が 雨に濡れても わたしは あなたの心を慕う 静かに海にかかる 見えない 七色の光でありたい
水のダンスを見た。 彼女のからだ全体が水だった。
水は流れる。どんな形にもなる。 その流れはとどまることがなく、そして水は循環している。 大昔から、ずぅーっと。 「あなたの飲んでいる水は、クレオ・パトラが飲んだ水である。」
彼女は「水」を世界中の言語で言った。 そして、ひとが生まれて初めて発する言葉が「Ma」なのだ、と言った。 Maとは、大昔の言語(何語だか忘れてしまった)では「水(アクア)」という意味だそうだ。
わたしの名前は「Mako」だ。「水」の子。
それが、とてもとても嬉しかった。
鹿児島(市内)まで出かけてきた。 フェリーに乗って、行った。 鹿児島へは車でも行ける。桜島を周って陸路を行くと辿り着くはずだ。 でも、フェリーを使う方が怖ろしく速いし楽チンなので、大体はフェリーに乗って行くことになる。 また、フェリーで車を渡すことも出来るが、安いとは言えないので、車は港の無料駐車場へと置いていく。
いつも感じるのだけれど、フェリーが離岸するときというのが、なんとなく好きだ。 海を渡って「あちら側」へ行くことに、こころもち、わくわくしてしまう。 甲板から眺めていると、つい今さっきまで自分が立っていたところから、ゆっくりと、でも確実に、離れて行く。 世界が分断される感じ。 あの場所にはもう、自分という存在はない。 なんとも不思議な隔絶感を味わう。 そして、向こう岸へと渡ることに、なんとなくちいさな期待感があったりする。 特別なことが何もなくったって、いつもそう感じるのだから、我ながら馬鹿みたいだなぁ・・と思う。
矛盾しているのだが、鹿児島市内に行くと、これまた奇妙な気分になる。 なじめない感じ。違和感。 街のそこかしこに、人々の往来に、「自分」が含まれていないことを感じる。 そこに住んでるわけではないので、それは当然のことかもしれないし、何も気にすることもないのだと思う。 それなのに、わたしは、どうもこのような気持ちとうまく付き合えないでいる。
問題なのは(問題にしなくても良いのかもしれないけれど)、人との関係のなかでもそういう「隔たり」を感じてしまうことだ。 ふとしたことで、ポーン、とひとりだけ、宇宙に投げ込まれたような気分になる。 目の前で話している人たちは、本当はどこかの異星人で(或いはわたしが異星人で)、彼らはわたしの目の前で何やら喋っている。 たぶん、わたし抜きで。 そんなときわたしは、我が家のぷーちゃんみたいにただそこに座り、時々見つめられたり、撫でられたりするのを待っている。 でも、ぷーと絶対的に違うのは、彼がすべてをそのまま受け入れているのに対し、わたしはそうではない、ということだ。 わたしはひとりだけ、違う空気を吸い、異なった滋養の下、くだらない思考の中にいる。
こういう感覚というのは、人は皆、多かれ少なかれ、持っているのかもしれない。 それを多くの人たちはうまい具合いに心のどこかに整理し、きちんとおさめているのかもしれない。 だから、これは特別なことでもなんでもなく、ましてや悲しい気持ちになんてならないのだ。 実際にわたしだって、人々の中では出来る限り普通に振舞っている。(つもり) ただ、どんな顔をしているのかはわからない。あまり良い顔はしていないように思う。 それから、その後にひどくくたびれる。重い気持ちになる。反省もする。なんでこうなんだろう、と落ち込む。 正直言って、辛い。
頭がどうかしているのかもしれないなぁ・・・と、思うこともある。 (人からそう言われたこともある) また、こんな風に文章にしたからと言って、どうにもなるものでもないし、たぶん克服したいとも思っていない。 ただ、そういった自分を見捨てたくない。 人は皆、「ひとり」と「ひとり」だ。それぞれがそれぞれ。孤独はどこまでも付いてくる。 だから、悲しい気持ちになったら、そのときは素直にそれを手放せるようにしたいと願う。 悲しみにじぃっと浸らなくても良いように・・・と願う。
フェリーに乗って、帰っていく。 離岸。 鹿児島が離れていくのを見ていると、今度は夢の世界が遠のくような気持ちになる。 現実へと戻る感覚なのかな?そういうことでもないと思うのだけれど。。。
毎朝・夕、こころの送り迎えをしている。 港内にフェリーが近づき接岸するのを見ていると、自然と畏敬の念が湧き起こる。何かの力を感じる。 そして、向こう岸の世界から笑顔で戻ってくるこころを見つけると、ついついこちらもにっこりとしてしまう。
たぶん、両岸の(人との)「隔たり」を繋いでいるのは、彼女自身の意思なのだと思う。 わたしは彼女のことを無条件に尊敬する。 彼女の勇気を。勇敢さを。寛容さを。
「もえはねぇ・・・」 とてもかわいらしい女性なのだが、(自分のことを名前で呼ぶような年齢じゃないだろうに。。。) そう思って、ついそのことを口にしたことがあった。 しかし、それを聞いていたこころが、今になってにやにやしながらこう言うのだ。 「マミィもそうじゃん。」
・・・言われてみればそうだった。 わたしはときどき自分のことを話すときに「まぁこは・・・」と言うことがある。 でもそれは、家族・友人に対して話してるときだけだ。 いや、違う。 正しくは、対・とっても親しい人たち(@島っちゅ)だ。(ということに、最近気付いた) でもよく考えてみたら、島以外の友人や、或いは職場なんかでも、ふと気が緩んだときに、言ってしまうことがある。 素に戻ってしまってるのかもしれない。 つまり、標準語(?)で喋っている自分というのは、ちょっとした仮面をかぶった自分でもあるような気がする。 英語で話すときもそうなのかもしれない。英語だと必ず“I”と言う。
それにしても、なぜ自分のことを三人称(代名詞)で呼ぶのだろう?
たぶん、それはうちが大家族だったからなんじゃないかな、と思う。 忙しく動く母に、これを要求しているのは「まこ」だよ、ということを明らかにしなければならなかったのだ。 母はわたしの姿を見ていないだろうから(そんな暇はなかった)、 かつ、声だけでは誰が誰だかわからないだろうから(声は皆、酷似している)・・・etc. ちょっと強引か? なぜならそれが現在まで残ってる、ということの理由にはならんわけだし。 つまりは幼子の心理そのまんま、ということなんだろうなぁ。
三人称というのは、「わたし(=話し手)」でなく「あなた(=聞き手)」ではない別の人(或いは物)だ。 自分のことを「名前」で呼ぶということは、「誰か(第三者)」がこうだよ、と、いわば離れた視点で言うことだ。 「自分」なのだけれど、それを口にするときにはほんの少し、自分ではないような感覚を伴うような気もする。 なのに同時に「わたし」を強く示しているのだから、不思議だ。。。 結局は自己主張が強い、ということなのだろう。
やっぱり「幼い」ってことなんだな。。。
「でさ、○○ねぇちゃんもそうなんだよね!」 こころにそう指摘され、ん?と思った瞬間、大笑いしてしまった。(○○ねぇちゃんというのは、わたしの姉のこと) いやはや、よく見てる(聞いてる)モンだ。
「しかも、それが38歳と41歳の会話なんだよ!」
・・・余計なお世話です。
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