ぶらんこ
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2004年09月26日(日) 誰も知らない

こどもたちの力。
それは、現実を、ただ在るがままに受け止めること。
与えられたものが、どんなに厳しいものであっても、彼らはそこにちいさなしあわせをも見い出すことが出来る。

そして、何よりも素晴らしいのは、彼らは過去にとらわれない、ということ。
過ぎ去ったことを、彼らはけっして嘆かない。
彼らは前だけを見ている。
彼らなりに描く、しあわせな未来を見ている。


この映画は、わたしにとっては他人事じゃなかった。
あきらは、兄貴であり姉でありわたしだった。
「そしたら4人一緒にいられなくなるから。」
あきらの言葉が胸にしみる。。。


幼い子らの、餓えと貧困のなかで放つ生命の光に包まれた。
是非、すべての人々に見ていただきたい映画です。


2004年09月24日(金) 海にかかる虹

朝から雨。
忘れ物を取りに引き返すと、東の空が朝日で光っていた。
雨はまだ降っている。
大きく、小さく。
強く、弱く。



視界が開け、海が拡がった。
海には霧のような雨が降っている。
雨は海を優しく包み込むよう。

と、そこから虹が生まれ出た。
七色の光の帯が、大きく弧をなし空にかかった。
なんという光景。
喜び。
祝福。
感謝。


・・・やがて、雨が強くなり、虹は静かに消えていった。


海は烈しい雨に打たれていた。
七色の光は、もう見えない。





 誠実なひとよ
 それでもわたしは
 あなたを信頼する
 わたしの心が
 雨に濡れても
 わたしは
 あなたの心を慕う
 静かに海にかかる
 見えない
 七色の光でありたい


2004年09月23日(木)

水のダンスを見た。
彼女のからだ全体が水だった。

水は流れる。どんな形にもなる。
その流れはとどまることがなく、そして水は循環している。
大昔から、ずぅーっと。
「あなたの飲んでいる水は、クレオ・パトラが飲んだ水である。」

彼女は「水」を世界中の言語で言った。
そして、ひとが生まれて初めて発する言葉が「Ma」なのだ、と言った。
Maとは、大昔の言語(何語だか忘れてしまった)では「水(アクア)」という意味だそうだ。

わたしの名前は「Mako」だ。「水」の子。

それが、とてもとても嬉しかった。



2004年09月21日(火) 隔たりと繋がり

鹿児島(市内)まで出かけてきた。
フェリーに乗って、行った。
鹿児島へは車でも行ける。桜島を周って陸路を行くと辿り着くはずだ。
でも、フェリーを使う方が怖ろしく速いし楽チンなので、大体はフェリーに乗って行くことになる。
また、フェリーで車を渡すことも出来るが、安いとは言えないので、車は港の無料駐車場へと置いていく。


いつも感じるのだけれど、フェリーが離岸するときというのが、なんとなく好きだ。
海を渡って「あちら側」へ行くことに、こころもち、わくわくしてしまう。
甲板から眺めていると、つい今さっきまで自分が立っていたところから、ゆっくりと、でも確実に、離れて行く。
世界が分断される感じ。
あの場所にはもう、自分という存在はない。
なんとも不思議な隔絶感を味わう。
そして、向こう岸へと渡ることに、なんとなくちいさな期待感があったりする。
特別なことが何もなくったって、いつもそう感じるのだから、我ながら馬鹿みたいだなぁ・・と思う。



矛盾しているのだが、鹿児島市内に行くと、これまた奇妙な気分になる。
なじめない感じ。違和感。
街のそこかしこに、人々の往来に、「自分」が含まれていないことを感じる。
そこに住んでるわけではないので、それは当然のことかもしれないし、何も気にすることもないのだと思う。
それなのに、わたしは、どうもこのような気持ちとうまく付き合えないでいる。



問題なのは(問題にしなくても良いのかもしれないけれど)、人との関係のなかでもそういう「隔たり」を感じてしまうことだ。
ふとしたことで、ポーン、とひとりだけ、宇宙に投げ込まれたような気分になる。
目の前で話している人たちは、本当はどこかの異星人で(或いはわたしが異星人で)、彼らはわたしの目の前で何やら喋っている。
たぶん、わたし抜きで。
そんなときわたしは、我が家のぷーちゃんみたいにただそこに座り、時々見つめられたり、撫でられたりするのを待っている。
でも、ぷーと絶対的に違うのは、彼がすべてをそのまま受け入れているのに対し、わたしはそうではない、ということだ。
わたしはひとりだけ、違う空気を吸い、異なった滋養の下、くだらない思考の中にいる。




こういう感覚というのは、人は皆、多かれ少なかれ、持っているのかもしれない。
それを多くの人たちはうまい具合いに心のどこかに整理し、きちんとおさめているのかもしれない。
だから、これは特別なことでもなんでもなく、ましてや悲しい気持ちになんてならないのだ。
実際にわたしだって、人々の中では出来る限り普通に振舞っている。(つもり)
ただ、どんな顔をしているのかはわからない。あまり良い顔はしていないように思う。
それから、その後にひどくくたびれる。重い気持ちになる。反省もする。なんでこうなんだろう、と落ち込む。
正直言って、辛い。


頭がどうかしているのかもしれないなぁ・・・と、思うこともある。
(人からそう言われたこともある)
また、こんな風に文章にしたからと言って、どうにもなるものでもないし、たぶん克服したいとも思っていない。
ただ、そういった自分を見捨てたくない。
人は皆、「ひとり」と「ひとり」だ。それぞれがそれぞれ。孤独はどこまでも付いてくる。
だから、悲しい気持ちになったら、そのときは素直にそれを手放せるようにしたいと願う。
悲しみにじぃっと浸らなくても良いように・・・と願う。




フェリーに乗って、帰っていく。
離岸。
鹿児島が離れていくのを見ていると、今度は夢の世界が遠のくような気持ちになる。
現実へと戻る感覚なのかな?そういうことでもないと思うのだけれど。。。




毎朝・夕、こころの送り迎えをしている。
港内にフェリーが近づき接岸するのを見ていると、自然と畏敬の念が湧き起こる。何かの力を感じる。
そして、向こう岸の世界から笑顔で戻ってくるこころを見つけると、ついついこちらもにっこりとしてしまう。

たぶん、両岸の(人との)「隔たり」を繋いでいるのは、彼女自身の意思なのだと思う。
わたしは彼女のことを無条件に尊敬する。
彼女の勇気を。勇敢さを。寛容さを。




2004年09月18日(土) 三人称

「もえはねぇ・・・」
とてもかわいらしい女性なのだが、(自分のことを名前で呼ぶような年齢じゃないだろうに。。。)
そう思って、ついそのことを口にしたことがあった。
しかし、それを聞いていたこころが、今になってにやにやしながらこう言うのだ。
「マミィもそうじゃん。」


・・・言われてみればそうだった。
わたしはときどき自分のことを話すときに「まぁこは・・・」と言うことがある。
でもそれは、家族・友人に対して話してるときだけだ。
いや、違う。
正しくは、対・とっても親しい人たち(@島っちゅ)だ。(ということに、最近気付いた)
でもよく考えてみたら、島以外の友人や、或いは職場なんかでも、ふと気が緩んだときに、言ってしまうことがある。
素に戻ってしまってるのかもしれない。
つまり、標準語(?)で喋っている自分というのは、ちょっとした仮面をかぶった自分でもあるような気がする。
英語で話すときもそうなのかもしれない。英語だと必ず“I”と言う。



それにしても、なぜ自分のことを三人称(代名詞)で呼ぶのだろう?


たぶん、それはうちが大家族だったからなんじゃないかな、と思う。
忙しく動く母に、これを要求しているのは「まこ」だよ、ということを明らかにしなければならなかったのだ。
母はわたしの姿を見ていないだろうから(そんな暇はなかった)、
かつ、声だけでは誰が誰だかわからないだろうから(声は皆、酷似している)・・・etc.
ちょっと強引か?
なぜならそれが現在まで残ってる、ということの理由にはならんわけだし。
つまりは幼子の心理そのまんま、ということなんだろうなぁ。



三人称というのは、「わたし(=話し手)」でなく「あなた(=聞き手)」ではない別の人(或いは物)だ。
自分のことを「名前」で呼ぶということは、「誰か(第三者)」がこうだよ、と、いわば離れた視点で言うことだ。
「自分」なのだけれど、それを口にするときにはほんの少し、自分ではないような感覚を伴うような気もする。
なのに同時に「わたし」を強く示しているのだから、不思議だ。。。
結局は自己主張が強い、ということなのだろう。


やっぱり「幼い」ってことなんだな。。。



「でさ、○○ねぇちゃんもそうなんだよね!」
こころにそう指摘され、ん?と思った瞬間、大笑いしてしまった。(○○ねぇちゃんというのは、わたしの姉のこと)
いやはや、よく見てる(聞いてる)モンだ。



「しかも、それが38歳と41歳の会話なんだよ!」

・・・余計なお世話です。


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