ぶらんこ
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母が来ていた。 しばらく滞在する予定でいた。 でも、今日、島へ帰った。 突然の訃報が入ったので。。。
昨夜、母と、死んだ兄貴の話をした。 父の話もした。闘病の頃から、亡くなるまでの話。。。 また、父の頃から親しくしていただき、兄がその生を終えるときにもまた懇意にしていただいた、神父さまの話。 そしてその神父さまが亡くなられたときのこと。。。
そんな話をした翌朝だった。 何かが知らせてくれたのかなぁ。。。と、思わずにはいられない。
ときどき、死んだ父や兄貴は、今どこにいるのだろう、と思う。
天国は、花園のようなところだと、幼い頃に教わった。 人(いのち)にはそれぞれ、部屋のようなものがあり、その人が良いことをすると、そこに美しい花が咲くのだと言う。 そしてその花は、悪いことをしたらしぼんでいまうのだと言う。 わたしはその話を、心から信じた。 いつも、ちょびっと悪いことをしてしまってる自分の部屋が、枯れた花でいっぱいなのではないか、と心配したものだ。 実のところ、今でもそのようなイメージがある。 その話が、きっと幼子に対する比喩なのだろう、と、感じていても。
大人になったわたしは今でも、自分の部屋が花でいっぱいだといいなぁ。。。と、思う。 色とりどりの、美しく、かぐわしい花たちで。
死んだひとはどこへ行くのだろう。 肉体は滅びる。 魂はその肉体を離れる。 では、心は???
わたしの心はどこへ行くのだろう。。。
そう思ったら、今、感じているこの心を、素直に、丁寧に、あらわしたい、と思った。 今、感じているこの心を、大事にしたい、と。
書きたい。 描きたい。
会いたい。 触れたい。
わたしの心。 わたしの身体。 わたしの魂。
わたし。。。
わたしは、花のように、優しく、はかなく、そして、凛としているといいなぁ。。。と、望みます。
23日の夕暮れ。 帰りのフェリーで、イルカの大群に遭遇した。
夕陽が綺麗だったので甲板に出てみたら、きらきらと光る波間にイルカが二頭、ぴゅーんぴゅーんと跳びあがった。 うっわぁーーーー、と慌ててこころを呼び出す。 見ると、あちこちでイルカたちが飛び跳ねている。 大きいの、ちょっと小さいの。 一頭だけだったり、二頭一緒にいたり。
ざっと50頭はいたと思う。 かなりの広範囲だったから。 ―あんな大群、初めて見た。。。 錦江湾のイルカたちがみんな出てきてくれた感じだった。
彼らは楽しそうに遊んでた。 わたしたち人間に挨拶してくれてるようにも感じた。 というか、実際そうだったんだろうと思う。絶対に。
ちょうど夕陽が沈むところだった。 海面がきらきらと橙色に光ってて、イルカ達の灰色の体が黒く浮かび上がって、とっても綺麗だった。。。
母が昨日から来ている。 母にこの話をした。 母が言うには、わたしの生まれた村のちいさな浜辺にも、イルカ達がよく来たそうだ。 昔むかしのこと。まだ、埋立地の出来るもっと以前の話。
タイトルの『ふとぅ』というのはイルカのこと。 母から教わった島口。
「何回も言った。言ったけど駄目だった。誰もわかってくれなかった。」 と、言うので、何を言ったのか、何をわかって欲しかったのか、ということになった。 そしたら、『言ったこと』と『わかって欲しかったこと』は、ちょっと違ってた、ということがわかった。(ややこしいけど)
まず、言ったことは、いわば『状況』であり『事実』。 わかって欲しかったのは、そのときの『想い』。だからこんなに悲しいんです、ということ。
「例の『わたしメッセージ』でちゃんと話してみたら?」と、わたしが言うと、 「あんなの意味ないんだよ!」と、こころは怒っていた。 確かにそうだよなぁ。。。とわたしは笑ってしまう。(けっして茶化すつもりはなく)
彼女は怒ったり泣き出したりしながら、堰を切ったように話していたが、なるほど言うことに筋は通っているなぁ、と感心する。 いろいろあるよなぁ。。。と、感慨深く聞いている。 聞いているのだが、怒りの矛先がわたしに向かってくることがあるので、むっとしたりもする。 そして、八つ当たりしないでよ、と言う。 あなたの気持ちはわかるけれど、そんな風に攻撃されると、マミィも傷ついた気持ちになるよ。悲しいし、辛い。
答えなんてものはない。(わたし的な解決策はあるけれど) 結局はこころが自分で決めることだし、本当はもう既に決めているのだろうし。 どうするか決めてはいるのだけれど、たぶん、いろいろと噴出すわけだ。手っ取り早いところで、一番言いやすいマミィに対して。 それはそれでいい。そうあって欲しい、とも思う。
感情はいろいろだ。
こんなことをするのは正しいことであっても迷惑なことかもしれない。とか、 自分は間違ってないのにきっとまた悪く思われるんだろうなぁ。。。とか、 先生もシスターも立派なことを言うくせに全然完璧じゃない。とか、 マミィだって逆ギレしてないでただ聞いてくれよ、とか。笑
心のなかに、いろんな想いがぐるぐるとある。 それをじぃっとため込んだり、たまにちょこっと見せたり、ときにぶわーーーっと吐き出したり。 そんなこんなで、想いは変わっていくのだろう。
そのどれもが、とっても大事なことだと思う。 そして「よりよい人間関係」などという親業マニュアル(?)なんか、なんの意味も持たない。 たぶん。。。笑
こころは「お小遣い」という言葉を知らない。 知らないので、彼女は「お給料」と呼んでいる。 でも、これはあながち間違いでもない。 彼女は自分で決めた家庭内での仕事をこなし、それにふさわしいお代をわたしから毎月いただいているのだから。 仕事をしなければ、もちろんお給料は支払われない。 お給料が欲しいから、決めた仕事はきちんとこなす。 至極単純明快。 わたしたちにとっては基本中の基本。
今日、こころはサイフを掏られた。 鹿児島市内へ、初めて友達とだけで出かけて。 ゲームセンターへ行ったりプリクラを撮ったりして遊んでいる隙に。全然気づかぬうちに。いつの間に。
たいした金額ではなかった。 それでも、それは彼女が働いて得た、貴重なお金だ。
こころは交番に行き、盗難届けを提出してから帰ってきた。 帰るための、市電とバスの代金は、友達から借りた。 幸いにも、通学に使っているバスとフェリーの定期は無事だった。 帰ってきたこころは、特別、憤慨した様子もなかった。意気消沈、ということもなかった。 「いろいろ勉強になったよ・・・。」と言っていた。
サイフもお金も、もちろん戻っては来ないだろうと思う。 犯人だって、捕まりはしないだろう。 でも、もしも盗んだ人に何か言えるのなら、こう言ってやりたい。
お金が欲しいのなら働け。 そんなことは12歳の娘だって知っている。 楽をするな。
恥を知れ。
2年程前から、ほぼ毎日のように、(短い文章ではあるが)英文を翻訳するという作業をしていた。
最初は英語のままさらっと読んでいただけだったのが、ちょっとしたことがきっかけとなって日本語に訳してみたのだった。 よく聞く話だけれど、どんな簡単な英文でも、いざ日本語にしようと思うとこれがなかなか難しい。 とりあえず普通に直訳すると、なんとなく違う、というのがわかるのだ。 さらに、自分のなかで「わかっていた」ことが、実は「理解しているつもりなだけ」だった、と気付かされる。 それがとても新鮮で面白かったので、なんとなく続けてきた。
翻訳という作業は不思議だ。やればやるほどにその魅力を感じる。 だんだん、その英文を書いた人の脳のなかに入り込むような気さえしてくる。 まるで自分がその人になってしまったような気持ちになる。 でも、これは大きな勘違いだ。決して、相手の想いを決めつけてはならない。
だから、とにかく何度も読む。 一度読んで、意味がわかっても、また、わからない箇所があっても、まずは読み込む。 何度も繰り返し読んでいくと、その文章が何を伝えたいのかが、ぼんやりとわかってくる。(そんな気がする) そうなって初めて「訳す」作業に入る。 すると今度は必ず、自分のヘンテコリンな日本語と格闘することになる。 何かが違う、と感じるのがなくなるまで、それが続けられる。 そして大体は、いい加減なところで手を打つ。 わたしのやってる翻訳は、まだその程度でしかない。
それでも、なんとなくこの作業に惹かれている。 これを生業にしたいという気持ちはないが、もっと勉強したいなぁとは思っている。
最近、自分の心を言葉にするということが、この「翻訳」という作業によく似ているなぁ・・と思う。 (もっと大きく言えば、絵描きさんとか陶芸家とか、何か創りだす人たちは皆、自分の想いを翻訳しているのだと思う。) 想いを言葉であらわしてみると、それでも何かが不足なような、或いはまったく違った感じの言葉になってしまったりする。 そうじゃない、と感じながらも、とりあえず言葉にしてみる。 口にしなくても、たとえばこうやって書いたり、消したりしながら。 そうやって繰り返していくと少しずつ、心に近づいた言葉になるような気もする。 「とにかく出来る限り多くの原文に触れ、数多く、翻訳してみること」が、良い翻訳者の心得だそうだし。。。
と言いつつ、今は翻訳することを止めてしまっている。
毎朝やっていたちいさな作業がなくなって、なんとも空虚な感じだ。 何度か自分のために翻訳してみたけど、どうもいけない。 たぶん気持ちがのらないのだと思う。わざわざ日本語にしなくても良いなぁ、と思ってしまうから。 綺麗な英文のままで頭に入れ、英文のまま受け止めている(気になっている)。 きっと、翻訳というものは、相手にそれを使って伝えないと、ほとんど意味のないものなのかもしれない。 少なくともわたしにとっては。。。
ひとの気持ちもそうかなぁ・・・と思ったりもする。 伝えること。
自分の気持ちを翻訳してみる。なるべく自然な言葉になるように。 それを誰かに伝えて、誰かがそっと受けとめる。 それがお互いにとって自然なかたちであればあるほど、ひとはわかりあえるのかもしれないなぁ。。。と思う。 そこには優しさとかあったかさとか、なんだかわからない心地良いものが流れるような気がする。 調和。かなぁ。。。
言葉から人の心を捉えようとしても限りがある。 でも、心は感じるもの、感じあうものだと思うから、そう信じて、出来る限り人の心に添えるひとになりたいなぁと思う。。。
そんな気持ちで相手の言葉を聞けるといいなぁと思う。 そんな気持ちで自分の心を言葉にできるといいなぁと思う。
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