ぶらんこ
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2005年01月06日(木) 神戸

*少し前にひょっこりと思い出したことを書こうと思う。もう随分前のことなので、記憶があやふやだけれど。


17か18歳の頃、初めて神戸へ行った。
なんで神戸なんかに行ったんだっけ・・・?と、よーーーく考えてみたら、それは修学旅行だった。笑
神戸だけでなく、京都、奈良、倉敷、それから宮島にも行った。
(でも、どんな順路で行ったのかは、まったく思い出せない。)


神戸では、異人館?だったかな。。。うろこの家とか、そういった屋敷を見て歩いた。
人がわんさかうじゃうじゃいた。みんな、坂道で斜めになりながら写真を撮っていた。
とても良い天気だった。
屋根の風見鶏の上に、澄み切った青空が広がっていたのをよく覚えている。


一緒にいた友人のひとりが「海を見に行こう」と言った。
それを聞いたわたしは飛び上がって喜んだ。
海に行くのならこんなところにいる時間はない、と思い、皆を急かした。

その場所は、当時、何かを建設中の、たぶん埋め立て地(或いは人工島)だったのだと思う。
何を建設していたのかは思い出せない。
その頃は大きなニュースだったと思う。電車の中には、そのポスターもあったような気がするから。

でも、そこへ到着したわたしは、正直言って、ちょっとがっかりした。
海なんか見えなかったからだ。これじゃぁ電車の窓からのほうが良く見える。

わたしたちは、確かそこだけがオープンしていたお店か何かでちょこっとだけ買い物をし、外へ出た。
そして、建設中の建物たちをを見ながら、戸外を歩いた。
友人はふてくされているわたしのことをからかいながら「しょうがないじゃーん」とか言って、慰めた。


時間をつぶしながらずんずん歩いていくと、堤防が見えた。
堤防。防波堤。ということは、その向こうは海じゃないか!

近づくと、それはとてつもなく高い堤防だった。
怖ろしく、高い。
こんな高い堤防は、一体なんのためだろう?と首を傾げるくらいに。
でも、通常の堤防らしく、ところどころにはちゃんと「はしご」がかけてあった。

「やめなよーーー」と言う友人を尻目に、わたしはもちろん、登り始めた。
「だーいじょうぶだって!せっかくここまで来たんじゃん。」とかなんとか言いながら。


堤防の上は、予想以上に広かった。
登っているときに目がくらくらしたので、かなり高かったのだけれど、そんなこと忘れるくらい、安定した広さだった。
そして、海はもっともっと広かった。色が深い。白波が立ってる。
おでこに冷たい潮風。
気持ちいい!
「貨物船が見えるよー」
わたしはそう言って、みんなを呼んだ。
けれども、登ろうとする友人はひとりとしていなかった。
それどころか皆、「もう降りてきなよー」と、不安気だった。


そのまま降りるのが惜しかったので、駅へ行く途中まで、わたしは堤防の上を、友人らはその下の道路をともに歩いた。
彼女たちは楽しそうに話していたが、潮風のせいで何を喋っているのか、よくわからなかった。
特に聞きたくもなかったし、海を眺めているだけで満足だった。
そうやって、ひとり、海と歩いた。


ところが。。。
いよいよ降りなければならない、というところで、大変なことになってしまった。
どうやっても、足がすくんで動かないのだ。
防波堤は、地面から垂直ではなく、海側に向かってゆるやかにカーブし、途中で反対側に反るように立っている。
そこへ、かろうじて弱々しくどうにも頼りなげにはしごがかけられてあるのだ。(そのはしごを登ったのだけれど。)

最初は笑っていた友人たちも、わたしがふざけているわけではないということがわかったのか、必死な形相となってきた。
「登れたんだから、降りれるよ。大丈夫だって!」
・・・そう言われても、困る。自分だってそう言い聞かせてるのだ。
なのに、情けないことに、本当に、足が動かない。
実を言うと、駅が近くなるにつれ、降りてみようかな、と思いつつも、はしごをひとつふたつと、見過ごしたのだ。
降りられないかもしれない、、、と、思って。。。


集合時間が近づき、友人のひとりが思い切った行動に出た。
近くで建設中のビルにいたおじさん達を呼んできたのだ。
わたしは恥ずかしくてたまらなかったけれど、もうどうにでもなれ、という気持ちだった。
おじさんはもうひとりのおじさんからヘルメットを取り、それを持ってはしごを登ってきた。
「よぉこんな高いとこまで登ったなぁー!こりゃ、降りれんわ」
おじさんはそう言って笑った。(そんな感じの関西口調だったと思う)
それから、持ってきたヘルメットをわたしにかぶせ、おじさんの背中におぶさるように、と言った。
そして、ふたりの身体を縄(だったと思う、)で縛った。
「目ぇつぶっときー」みたいなことを言われながら、おじさんはわたしを背負いながらはしごを降りた。
友人たちは心配そうに、でもそれ以上に可笑しかったのだろう、げらげらと笑っている声がいつまでも聞こえた。
わたしも可笑しかったけれど、それよか泣きたかった。。。笑


わたしたちはふたりのおじさんに、地面に頭が付くほどお礼を言った。
友人は、この事件は一生忘れないだろう!と言って、帰り道もずっと笑っていた。


でも、この大事件を、わたしはすっかり忘れていた。そしてつい最近、思い出したのだ。
しかも、ところどころ、曖昧な感じ。。。

だからこれは、もしかしたら夢だったのかもしれない。笑


2005年01月04日(火) 昔ばなし

「貧乏の子沢山」という言葉があるが、我が家はまさしくそれだった。
おまけに、父が早くに亡くなり、その後は母ひとりでわたしたちを育てたので、本当に貧しかった。と、思う。

と、思う。と言ったのは、今になってそう思う。ということだ。
(至極不思議なのだけれど)当時、わたしたちはそう感じてなかったから。
もちろん、裕福だと思っていたわけでもなく、ただただ、他の人々と何ら変わらない、という風に感じていたようだ。
脳天気なこどもたちだったのだろう。

実際、母は(今になって話すのだが)わたしたちを見て、なんて馬鹿な子らだろう、と思い、また、それに救われた、と言う。

「ワキャ クヮンキャ ヤ フルムン ナティ
ウヤ ヌ ウランタン
ヌーチン カンゲラジ
ヌーチン ヤジ
タマンダム アソビカタ ジャヤー ッチ ウムイカタ。
カミサマ ヤ キャシ シュン ジャヤー ッチ
アリガタ ナンヤー ッチ。」


かすかな記憶として残っているのだが(それももしかしたら姉から聞いた話を自分のものとして覚えているだけかもしれない)
幼い頃のこと。

わたしたちは、いつものように教会の庭で遊んでいた。
(教会の庭は村のこどもたちみんなのものだったので、信者も信者でない子らも、いつも一緒に遊んだ。)
ある日、わたしが大きな子に苛められ、泣きながら家に帰ってきたらしい。
わたしを見てくれていた姉も、眼にいっぱい涙を溜めていた。
母はわたしが泣きながら言っていた言葉を聞いて、胸が痛んで仕方なかった、と言う。
泣かされたわたしは幼くて、その子の言葉を理解してはいなかったと思う。
でも、痛めつけるだけの威力を充分に持っていたのだろう。
姉はそのことをよく覚えていて、今でもその話をするときは熱が入る。

そんなわたしたちの様子を見ていた近所の老婆の一言が、母は忘れられない、と、今になって話してくれた。

「ビンボウ チ ヤキイン ヤ ダナン ウサール
チュ ヤ ワァー ナンティ アラン ド
タルン クヮ ガ イサール
カン ショティ クー!」

わたしたちが「アンマ」と呼んでいた、とても怖そうな老婆だった。
その老婆が、母を励ましてくれただなんて、大きな驚きだ。。。

 ・・・


去年の暮れから母が来ていて、母の昔ばなしを泣き笑いしながら聞く毎日だ。

わたしはまだ、あの頃の母の年齢には至っていない。
けれども、こうして母の話を聞きながら、
いつか母の気持ちを、もっともっと理解できるようになるかもしれない。
そうだといいな、と思う。

あぁ・・・ラップトップがあれば、母の話を聞きながらタイプ出来るのになぁ。。。笑


2005年01月03日(月) ハート

クリスマス・カードも年賀状も、誰にも送らなかったのに
たくさんの方々からご挨拶が届き、とても驚き、そして恐縮している。
遅くなってしまったが、時間をかけて、ぼちぼち返事をしていきたいと思う。


「ハートが帰らない」という歌がある。
♪あれから ハートが 帰らない   (詩:草野マサムネ)


カードを書くのは大好きだったのに、それが出来なくなってしまったのは、
わたしのハートがどこかへ行ってしまったからなのかもしれない。
だから、わたしのもとへハートが帰ってくるといいな、と思う。
そしたらまた、カードを送れるようになるかもしれない。


でも、もしかしたらもうハートは帰ってきてるのかもしれないなぁとも思う。
よぉーく見てみるかな。。。

そして、わたしのハートを抱きしめてあげたい。


2004年12月24日(金) Giving

 
 クリスマス おめでとう

 あなたもわたしも
 平和な心でありますように





いつもお世話になっている方へ“そうだ。クリスマスだからちいさな贈りものをしよう。。。” そう思っていたのだけれど、
さてそれはいかがなものか?と考えさせられることが少し前にあった。

「贈る」という行為。
それはどんなにちいさなものであれ、相手に「何か」を与える。
その「何か」というのは、受ける人にとってのもの。。。


ひととひとにはバランスというものがあると思う。
たとえば、純粋に「好き」という気持ちを持っていたとしても、相手にとってはそれが重いものでしかない場合もあるし、そうでないこともある。
想いがおなじような深さ?であれば、お互い一緒にいて気持ちが楽になるだろうし、もっと深くもなる。のかな。。。
そして、片っ方の想いだけが深いと、それは相手にとっては重く感じるのかもしれない。
或いは、何も感じないかもしれない。それもまた、バランスが取れてない、ということでもあるのかもしれない。


「贈られたひとにとっては何らかの負担になる」
というようなことを言われ、はっとした瞬間、思いがけず、涙がこぼれてしまった。。。自分でも驚いた。何を泣く必要がある??? 笑
― その言葉を聞くまで、そのような発想がなかった。
違うなぁ。。。あったかも。なのに、何も気付かなかった。考えなかった。
これまでにもそのような失敗?はあったのだ。相変わらずわたしは浅はかだ。。。

では、そのひとにとって負担にならぬような手だてを・・・と、考えもしたのだけれど、そうなると心がギクシャクしてしまった。
なんだか「計算」しているようで、自分が嫌になる。
「あげたい」という、あの純粋な気持ちがもうどこかへ消えてなくなってしまったような気がした。



クリスマス前にそんなことがあり、ちょびっと重い気分だった。あまり考えないようにしてたけど。。。

そして、昨日、ふと、心のなかに何かが入った。
こころに何か贈りものを・・・と、考えながら車を走らせていたときに。

彼女はきっと喜ぶだろう。
満面の笑みで受け取るだろう。
いつもそうだった。毎年、毎年。。。
ただ、「ありがとう!」と受け取る。マミィとダディにその分をお返ししなくちゃ、などという考えはない。
贈るほうだってそうだ。ただ喜んで欲しいだけ。そのほかには、何も、いらない。
その行為は、いつかどこかで何かに換わる。そのひとにとって、良いように。

それが世界の「バランス」なのかも。。。?



こどものような心で、素直に、贈り、いただく。
わたしは、そうありたいなぁ。。。と願います。


皆さまもどうぞ素敵なクリスマスでありますように!


2004年12月20日(月) 道標

夜の散歩へ出かける。
ぷーは相変わらず先を行き、わたしは彼について行く。

彼はだだだっと駆けていく。
わたしはその後をのろのろと歩く。
しばらく行くと、暗闇の向こうに、ぷーの白い首筋が浮かんでいるのが見える。
彼はわたしが来るのを、少し先でじっと待っている。
そして、わたしの姿を確かめてから、また先へ走っていく。
わたしはそんな彼の後姿を見ながら、のらりくらりついて行く。

ときにわたしが立ち止まると、ぷーは遠くから駆け戻ってくる。
はっははっは、息を吐きながら、彼はまっすぐな眼でわたしを見上げる。
そしてわたしの周りを飛び跳ね、やたらと付きまとう。
「マミィ、マミィ、マミィ!!」
わたしが返事をするまで、彼はわたしを放っておかない。


ぷーは夜の闇をいつも勢い良く駆けていく。
嬉々と。自由に。たくましく。
わたしは時々、自分がどこへ向かっているのかわからなくなる。
何を求めているのかわからなくなる。
必要なこと。
自然なこと。。。
なんだろなぁ。考えてもわからない。
考えること自体、不自然なことのようにも思えてくる。
だからただ、ぼーっと星空を眺める。



そうすると、ぷーがわたしを迎えにやって来る。。。。


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