ぶらんこ
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夢がある。 その夢を叶えるまでは胸のなかにそっとしまっておこうと思う。 具体的なプランは今のところ、ない。 でも、おぼろげながらもその光景が見えるから、きっと叶うだろう。 蒔かれた種が自然の法則に従って芽を出し伸びてゆくように。
今日は天気が良かったのだけれど、つい先ほどから雨が降り出した。 雨の音が心地よい。 ぐっすりと眠れそう。嬉しい。
・・・
Happy Valentine’s Day♪ あなたもわたしも たくさんの愛でハートが満たされますように!
 本土最南端 佐多岬(へ行く途中) この近くに 北緯31度線というでかい看板があった(はず)
海岸線を走るときは自然とにこにこしてしまう。 工事中のおじさんにも笑顔で手を振ったりなんかして。
大隅半島を錦江湾を右手に見ながら南下して行った。 海の向こう側には開聞岳が見える。薩摩半島だ。 進んでいくうちにどんどん形が変わっていき、湾を出ようとしているのがわかる。 こちら側のほうがあちら側より南になるんだなぁ、と、あらためて思う。 当たり前のことに、なぜか感動。。。
海岸沿いの道を走ると島を思い出す。やはりどこか似ているなぁと思う。 カーブを曲がる毎に広がる水平線。 ビロウやシュロの木。 錆びたガードレール。 ちいさな集落。
広い海。 海が広い!!
すごく良い天気。 お日さまに照らされて海が大きく光ってる。 夏が待ち遠しい。 海のなかが恋しい。
昨日は父の命日だった。 お墓には行けないが、いちにち、父のことを想った。
父はわたしが6歳の頃に亡くなった。父は46歳。47になる誕生日の直前だった。 父に対する記憶はあまりない。思い出そうとするのだけれど、頭に浮かぶ父はとても曖昧だ。 母や兄、姉たちから聞いた話を、自分の記憶として持っているような気もするし。 ときどき、父の仕草や声の感じを知りたいな・・・と思うことがある。
写真で見る父はとてもハンサムだ。いや本当に。 以前は、兄弟の中で弟が父に良く似ていると思っていたのだけれど、彼の顔は歳をとるにつれて変化してしまった。 つまり、父のほうが数倍かっこいい。 兄貴たちもしかり。どれも母の顔が入ってるせいかな?(なんて)
父が亡くなったときのことをおぼろげに覚えている。 わたしは弟や姉たちと一緒にオモテ(居間)で寝ていた。 そして突然、誰かに起こされた。長兄だった。 彼は布団をはぎながら「今から病院に行くから」と言った。 父のところへ行くのだ、と感じた。眠かったけれど、すぐに起きなくちゃいけないんだ、というのもわかった。
わたしたちは兄貴の小さな車に乗り込んで、父が入院していた県立病院へ向かった。 まだ夜は明けきらず、真っ暗だった。 わたしは車の後方、右側の端に座っていた。 車は海岸沿いの道を走っていった。 冷たい窓におでこをつけたまま、わたしは黒いタイヤがぐるぐるとまわるのを見ていた。 どこまでも続く道路の白い線を見ていた。 それから、横たわる黒い海を見ていた。黒い波が黒い岩に打ち付けるさまが見えるようだった。 誰も何も喋らなかった。 と、思う。或いはわたしが何も覚えていないのかも。 重く、暗く、冷たく、長いドライブだった。
病室で母が泣いていた。 そんな母の姿を見て、わたしも悲しかった。 父が逝ってしまった、ということは理解できなかった。でも、何か大変なことが起きてしまった、という感覚はあった。
父は家に戻り、オモテに寝かされた。 親戚や近所の人たちが集まり、神父さまが来て、死者のための祈りを捧げた。 わたしたち兄弟姉妹は父の棺の左側に並んで座った。兄貴たちを前列に、歳の順に。 母は父にいちばん近いところにいた。そしてやはり、泣いていた。 母がずっと泣いているので、わたしは不安でたまらなかった。 そして、兄貴たちが泣いているのにも気付いた。 兄貴が泣いている。ショックだった。どうしよう、、、と思った。 弟がしくしくと泣き始めた。そのうち声が大きくなり、彼はしゃくりあげ始めた。 母のところへ行きたかったのだろう、と、今になって思う。 二番目の兄貴が、弟を彼の膝の上において抱いた。弟は兄貴にしがみつきながらわんわん泣いていた。 それを見て、わたしも泣いた。。。ように思う。
教会で父のお葬式が行われた。 祭壇の中央に父の写真が飾られ、たくさんの白い菊の花で覆われていた。 とてもとても美しかった。 父が逝ったということは理解できていなかったのに、父のためのミサだということは理解していた。 わたしは、父の写真を見て誇らしく感じたのを覚えている。
父の命日にはいつもこのことを思い起こす。 父の記憶で確かに自分のものとして残っているのが亡くなったときのことだなんて、ちょっぴり淋しい気もするけれど。 父はどう思っているのだろう。
父はこどもたちのことを洗礼名で呼んでいた、という。 どうしてだろう?母に聞いても「なんでだろうね?」と笑うだけだ。父は変わった人だったのかもしれない。 「ヨハネ」「パウロ」「アンドレ」「アグネス」そして「マテオ」。 父はなぜか4番目の兄貴を最後に、呼び名を普通に変えてしまった。 なんでよ?母に聞くと「なんでだろうね?誰が何かわからんくなったからじゃないの?」と、笑う。 わたしはもちろん、洗礼名で呼ばれたことはない。だから今でも兄貴たちが羨ましい。
わたしにとって、父はいつまでも憧れの人だ。 幽霊でも夢のなかでもいいから、父と会って話がしたい、と心から思う。 父はわたしのことをなんて呼んでくれるかな? 笑
 a real Teenager!!! ちいさな言葉ひとつにも いろんな意味があって 日本語でも英語でも伝えきれない ・・・そんなことのわかる 歳になりました
こころさん 13歳 おめでとう♪
ボールを投げる。 ゆるやかな球。 ダイレクトな直球。 むやみやたらに。丁寧に。 勇気をもって。 なんとなく。 近くへ。遠くへ。 あなたに投げる。 ただ、宙に放る。
ボールを受け取る。 しっかりと。 反射的に。 そうっと。 駆けてって。 あなたの投げた球。 誰かの投げた球。
間に合わないときもある。 ・・・転がっていくボールを追いかけ、拾う。 見失うこともある。 ・・・どんなに探しても、見つからない。 追いかけないこともある。 ・・・追いかけたくない。きっと、誰か別の人が取りに行くだろう。
ボールを投げる。 あなたのフィールドに。
ボールが返ってくる。 わたしの心に。
あなたが返してくれたボールじゃなくても それはもう違った形になっていても。
ひとはひとに、何を求めて、何を伝えたいのでしょう。
2005年02月03日(木) |
certain someone |
そのような変化を明確に定義したり理由を説明することはできませんが、物事は二度と同じではありえないことを知るのです。 ・・・・・そして、新しい友人の出現とともに、古い友人たちは人生から姿を消していきます。 感情的、精神的なきずなが変化したり壊れたりするでしょう。・・・・・・
アモラ・クァン・イン
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