ぶらんこ
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2005年04月12日(火) |
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 良好!
高千穂の峰 04/05/2005
友人から「もうお花見に行った?」と聞かれて「もちろん」と答えそうになったのだけれど、ちょと違う。 お花見=宴会 ということであれば、まだ行ってないんだなぁ。。。。 なんだか。忘れてたよ、そんなこと。
お花見なんて内地の人間のすることだ、という感覚があったので、ここらの人はしないモンだと思ってたのだけれど、ここも一応「内地」だった。 会社のお花見、友達とのお花見、何かの集まりのお花見・・・いろいろあるんだろうな。うへー、大変。 でも、皆さんそうやって楽しんでるわけだから、実は大変でもなんでもないのだろうな。
わたしは、基本的に人と集うのは苦手だ。 ここ最近、もっと苦手になってきた。 きっと仕事をしていないせい。社会生活から離れているせい。 これは、良くない。
というのも、実際、気楽で結構なことなのだけれど、何かの集まりがあるときになんだかギクシャクしてしまうからね。 どうも落ち着かないし、ガチガチに力が入ってしまったりする。 知ってる人ばかりだとそうでもないのだけれど。(まぁでも似たようなモンかも。。。) それなのに、周囲からは「どこ吹く風」のように見えていたりするらしい。 威張っているようにも(!)見えるらしい。 そんなーって感じ。 でも、わかるような気もする。。。。 わたしはきっと、人と合わせようという意識が薄いのだろう。冷たいヤツだ。。。 自分から話しかけることは殆どない。そこらへんが「ふんぞり返ってる風」なのかもね。 そのくせ、誰かから話しかけられたりすると有難いなぁ・・と心から思う。 そして、気持ちがうまく入っていかないことを申し訳なく思う。 これでも本人は努力しているつもりなのだから、ちゃんちゃらおかしい。その場にいる、ということの努力。 つまり「幼い」っちゅうことだなぁ。 「くゎっか(こども)」と言われたことがあるけれど、本当にそうだなぁと、思う。 集団の中で他者とうまく関われない、というのは社会生活を営むうえで問題だ、とは思わない。 けど、障害にはなるよ。。。。厄介なモンです。
ところで「お花見」。 桜の花を見上げてぽわわん。。。というのはしてるけれど、宴であるお花見はしてない。これからも予定はない。 でも、庭の木々が芽吹いて、いろんな花があちこちに咲き始めてとっても綺麗。 集いに出かけるのは苦手だし面倒だけれど、宴は(大)好きなので、そのうち我が家の庭でお花見をしようと思う。家族で。 さて、何を作ろうかなぁ。。。楽しみだ〜。
そうして、夏までにはガーデンテーブル&チェアーを買いたい。梅雨が明けてからがいいかな。 その時季はどんな花が咲いてるんだろう。 まぁ、花がなくてもお月さま見ながらわいんをば。。。。うーい。これまた楽しみ〜。
我が家の庭にも春の訪れを感じる。 この庭で春を迎えるのは初めてのこと。 暖かくなり始めてから草取りばかりの日が続いていたのだが、春が来たおかげで、庭の先住人たちにあらためて会えたような気がする。 それがすごく嬉しい。
抜くのが勿体無くて放っておいたクローバーたちに小さな黄色い花が咲いた。 何度か植え替えたマンサクの木には可愛らしい赤い花。(初めて見た。) 名前のわからない木に、鮮やかな紫色にも見える桃色の花がつき、その隣には(驚いたことに)薄桃色のイワツツジの花が咲き始めた。 イワツツジが植わってるなんて今まで知らなかった。 芙蓉の木はとうとう芽吹き、もみじの葉は日に日に色を変えながら膨らんでいく。 そんな庭で、座ってちまちまと草を取ったり植物に水をやったりしていると、時間を忘れてしまう。 陽射しが案外強いときもあるし、花粉症なのか鼻水が出たり顔の皮膚が赤く痒くなったりもするけれど。 とてもとても、気持ちが良い。 いつまでもこうしていたい、と思うしあわせなひとときだ。
いつの間に増えた鉢植えの植物たちも、むくむく、しっかりと育っている。 冬の間、お日さまに当てるためにいちいち外へ出しては、夕方、冷え込む前に中へ入れる、という作業を繰り返していた。 正直なところ、ひょっとして無駄なことをしてるんじゃないかなぁ・・・と思ったこともあったので、今になってちょびっと申し訳なく思う。 枯れちゃってるのかも・・と思った子も、ちゃんと新しい芽を出してくれたし、株分けした子たちもそれぞれ元気。
そんな彼らの姿を見ていると、すごいなぁ・・・と、心から思う。 彼らは季節を感じ取り、成長していく。 たとえ死んでしまう種子だったとしても、その成長の過程のなかで、他の生命を育む。 それはきっと、自然の法則に身をまかせているのだろうなぁ・・・と思う。 自然の流れのなかで、自らの伸びゆく姿を信頼し、ただ、それに向かっていく。ということ。。。なのかなぁ。
「自然にまかせようと思う。」 昨夜そう言ったときに、こころは目を丸くして驚いていた。 そうして、うーん。。。と考え込み、そうだね、それが良いよね、と言った。 ・・・何を感じたのだろうね?
自然にまかせよう、と、思う。 何かを無理に進めるのではなく。我慢するのでもなく。 いつも、自分のなかで大切にしていることを中心にして。心を開いて。 そうしたら、わからなくてもわからないなりに、進むべき道を見出すだろう。自然に道があらわれるのだろう。
もしかしたら、自然の法則って「愛」なのかな・・・と思う。
愛はすべてにかなう。 すべてにふさわしく、すべてを含む。
わたしは愛するひとになりたい。 自分の伸びゆく姿を想像し、それを心から信頼し。。。。
「いい女」って、どんな女性のことだろう。。。 それは、「いい人」と言われるのとは、ちょっと違った感じがある。 いい女。良い女。
それはきっと、性的な魅力を感じている場合に使うのだろうと思う。 異性であれ、同性であれ、性的な対象として見たときに感じる魅力。 そうでないものが「いい人」。とも言えるのかなぁ。。。 よくわからない。
「いい女」と言われたら普通、嬉しいのだろうなぁ。 というか、たぶん、嫌な気持ちはしないだろう。 実際、そういう経験がないので、わからない。 ちなみに・・・想像してみても、わからない。 嬉しいかな?どうだろう。。。 よくわからないけれど・・・なんだか違和感を感じるような気がする。 なんだ、そら? って。
「いい女」ってなに? 女性として魅力がある、ということ? つまり、愛を交わす対象として? それは、抱きしめたい、という感覚だろうか。 抱きしめられたい、という感覚だろうか。 束縛したい、という気持ちだろうか。 自由でいて欲しい、という想いだろうか。
わたしは、いい女なんて言われたことはないし、この先もそんなことを言われることはないと思う。 でも、そんな言葉は欲しくない。 そんなのちっとも要らない。
わたしは「好きだ」という言葉のほうが嬉しい。 「愛してる」という言葉のほうが欲しい。
形容は要らない。 ただの「想い」が欲しい。
無料の入浴券をいただいたので、早速、午後から出かけた。 車で20分くらいの、山の中にある町営温泉。 田舎の農道を通っていくのだけれど、わりと広く、きちんと舗装されている。 その両端にだだっ広い田畑が拡がっているのが、ちょっと不思議な感じ。
黄色い菜の花。 白い大根の花。 長靴をはいて遊ぶ子供たち。 いつの間に、田んぼには水が張られている。 おじさんが田植え機を上手に動かしている。
春の雲ってどんな感じだったっけ・・・ そう思ってふと空を見上げたら、雲がひとつもなかった。 田んぼには、うす青色の空が映っている。 お日さんがきらきらと反射して、なんだか眩しい。 まるで、海みたい。。。
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