ぶらんこ
index|past|will
 夕暮れせまる空 いちめんに拡がる雲たちが 大きなおおきな 天使の翼のように見えました 優しく強く どこまでも 母の日 おめでとう
夢を見た
タクシーに乗っていた わたしの連れは右手に包帯をしていた けっして新しいとはいえない 少しほどけかかってるような、白い包帯だった どんな傷なのかわたしは知らないけれど もう治っているのかもしれないけれど わたしは連れの右手を取って 「良くなりますように」 そう祈っていた 連れは何も言わず、ただ、なすがままにまかせていた
そんな夢を見た
わたしは何を癒そうとしていたのだろう? どこへ向かおうとしていたのだろう?
目覚めてから思い出すのは 連れの深い瞳と 白い包帯と。。。。
とてもとても素敵なおばちゃんと会えた。
おばちゃんはすぅごく明るい。 笑顔。笑顔。笑顔。なんだって笑い飛ばす。そのせいかな?ほっぺたなんかツヤツヤ。 「おばちゃんの肌ってとっても綺麗」 わたしがそう言うと 「真っ黒でしょう〜」 おばちゃんは恥じらいながら笑った。 そういうところ、すごくかわいい。80歳に近いだなんて、とても信じられない。
おばちゃんはずっと、だんなさんとふたりで暮らしている。 ご主人さまはもう長いこと、寝たきり。 病気が進行して、おじぃさんは言葉をも失ってしまった。それでも、おばちゃんにはちゃんと聞こえている。 きっとふたりは、わたしたちの知らない方法で話をしているのだろう、と・・・思う。
広い畑の一本道。おばちゃんが、おじぃさんを車椅子に乗せて歩いている。 おばちゃんは、カメラを見ながら、おおきく笑っている。 おじぃさんも、ほんの少し顔を上げて、ちいさく笑っている。 引き伸ばされた一枚の写真は、おじぃさんのベッドから見えるところに飾られている。 畑の緑は濃く、青い空はどこまでも高く。 おばちゃんの手拭いが、眩しいほどに白く光っている。
なんもせんでね、と言うのに、おばちゃんはちっちゃな台所で、カチャカチャ音を立てながらお茶を準備してくれた。 本当は「してはいけないこと」になっている。でも、断る必要がどこにあるというのだろう? おばちゃんの話を聞きながら、一緒にお茶をいただいた。 おじぃさんの痰のこと、吸引のこと、入浴サービスのこと。 おばちゃんの息子のこと、孫のこと、猫のこと。 庭のテッセンのこと、山の中の畑のこと。。。。
「畑は大変よー。こんな忙しくせんでもいいのにっち、思うんだけどねー」 おじぃさんがいるので、畑に出られても2時間が限度だからどれもこれも中途半端になってしまう。 「そうこうしてるうちに、雨が降るしなぁー」おばちゃんはおでこを叩きながら笑う。 「おばちゃん、野菜の出来るのがかわいいんでしょう」わたしがそう言うと、 「もうね、自分ではよぅ食わんのにねー、畑は楽しみなんじゃねぇー。うん。野菜がかわいいねぇ!そんとおり!」 なんとも言えないほどに嬉しそうな表情になる。
おばちゃんは、自分の暮らしを自分で創っている。 自分が思うように。やりたいように。 おばちゃんの笑顔の秘密はそこにあるのかも。。。。
わたしも、おばちゃんのように笑っていたいなぁと思う。
しあわせなひとは まわりのひとをも しあわせにする
ひとはいつか、その生を終え、死ぬ。 すべてのいのちがそうであるように。
先週の列車脱線事故で、百人を超す人々が犠牲になった。 彼らは皆、それぞれがいつもどおりの朝を迎え、いつもどおりに出かけて行ったのだろう。 事故に遭おうとは夢にも思わず・・・。 「人生、何が起こるかわからない」とはよく言われるけれど、残されたご家族の深い悲しみをおもうと胸が痛んでたまらない。 どうぞすべての人々が一日も早く癒されますように。。。。
ただ自分の人生を生きて、他の人にもただそれを許したなら、 神はすべての瞬間にも、マスタードの一粒にも、生まれては消えてゆく雲のどの部分にも、存在することになる。 神はそこにいるのに、それでも人はまだ探し続けなければならないと信じていた。 人生はただ信じることだということを受け入れるのでは、あまりにも簡単すぎてしまうから。
『ベロニカは死ぬことにした』 パウロ・コエーリョ
"We love rain!" 夕方から絵を描いて遊んだ。 ちまちまちまちま描いてるうちに だんだん眼がチカチカチカチカ・・・ 雨の雫がぐるぐるまわりながら 川になって流れてった感じ。
『家庭訪問』 学校の教師が、児童・生徒の家庭環境を理解し、家族と密接な連絡を保って、児童・生徒の教育に効果をあげるためにその家庭を訪問すること。
こころの学校の家庭訪問があった。 すっかり忘れていた。母子ともに初体験。内心、家庭訪問なんてまだやっていたのかーーーと思ったり。。。
学校教育における「家庭訪問」というシステムは日本独自のものらしい。 確かにアメリカではなかったし、夫にこのことを説明するのにちょっと手間取った。 いつ頃から始まったのかな?よくわからないけれど。 先に挙げた家庭訪問の主旨は理解できる。素晴らしいことだと思う。でも、それってどうなの?という気持ちもある。 なぜって、親は招待するつもりもなかったのに先生が家に来るわけでしょう。 ましてや「訪問してもよろしいですか?」と聞かれたわけでもない。 もちろん訪問するときのスケジュール調整はある。こちらの意向も聞いてくれた。 でも、学校側が「家庭訪問」という形を提示した時点で、「訪問」は暗黙の了解となり、拒否したくとも出来ないような、そんな感じじゃないかなぁ。 殆ど強制的なもの・・・かつ、流れ作業的な。 それは如何なものか、と。。。 教師側も大変だろうなぁ、と思う。ものの15分〜20分程度じゃ、相互理解が深まるどころか時間の割り振りで頭がいっぱいだろう。
なーんてことを例えばPTAなんかで発言したら目立つだろうなぁ。。。。
でも、検索していてこんな言葉を見つけた。 『全国的に見てみると、保護者の価値観の多様化やプライベートゾーンの広がり,また社会の変化などの影響でこの家庭訪問が大きく変化しています。 それは,家庭訪問をとりやめ地域訪問に切り替えたり,「家庭訪問」「個人面談」「グループ面談」から保護者が選択するといった学校もあります。 さらに,後者については家庭訪問を希望した者は,1人というクラスもあったと言います。』 これは、和歌山県教育研修センターの機関紙かなにかでの巻頭言。平成13年となっている。→こちら
学校の家庭訪問を受ける直前に、世のお母さんがたは大掃除をする。たぶん。 そしてシミュレーション。お茶かな。珈琲でもいいかな。お菓子は出したほうが良いのか? などなど。 訪問する教師も大変だけれど、迎える親も大変なのだ。年に一度のイベント。この日を乗り切るために。
わたしは先週から「訪問看護」の仕事を始めた。 医療保険とか介護保険とか個人情報保護法とか法人とか、いろいろいろいろなことが絡まりあって、「訪問」という形が出来る。 もちろん、患者さんやご家族は「訪問」を希望してくださっている。 病院や施設における医療或いは介護を「在宅」でやっていきたい、と希望されて、「訪問」というサービスを受けている。 それでも、常に忘れてはならないことがある、と思う。 それはイベントでもなんでもなく、「家庭」という「日常」のなかに、わたしたち看護師が「入っていく」ということ。 そのことをいつも謙虚な気持ちで心に留めておかなければ・・・と思う。おなじ家庭訪問でも、そのところが全然違う。
ところで、こころの先生の訪問は3時半頃から5時頃まで行われた。 玄関では座ってお迎えするべきなのかな・・?などと馬鹿げたことを考えながら待っていたのだけれど、そんなことはもちろんなく。 こころも一緒に3人でいろんな話が出来て、非常に貴重な時間を持てたと思う。 こころの先生はひとことで言うととっても「柔和」なひと。そして、心のなかが自由なひと。 わたしはお会いして、大好き!!になった。 こころ自身も今回の訪問で先生への印象が変わったみたい。 良かったよかった。。。。
|