ぶらんこ
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昨日の早朝。電話の音で目覚めた。 寝ぼけていたので子機がどこにあるかわからず、慌てて親機まで駆けてったのだが間に合わなかった。 誰からだろうーーーー。気になりながらベッドへ戻った。 と、しばらくするとまた電話が鳴った。うぎゃー。また駆けつけたが、遅かった。うーっ。
なんだか気になるので、もう起きることにした。せっかくのお休みだから、もっとゆっくり眠っていたかったのだけれど。 とりあえず珈琲を淹れ、なんもせず長い間ぼーっとしていた。 すると、だいぶん経って(もう電話のことなど忘れていたときに)また電話が鳴った。
ソファから飛び起きて電話をとると、受話器の向こうから、少しくぐもった声で誰かが話しかけてきた。 「もしもし?アイちゃんね?」 「あっ いえ、違いますが。」 「あれ?違う?そりゃどーも。。。。」 「あの、ちょっと待ってください。もしもし?もしもし?」
思い出した。 この男の人、知ってる。 いや実際知ってるわけではないが、これまでに何度も何度もかけてきた人だ。 相手はアイちゃんだったりケイコさんだったりする。 何十回もかかってきてるので覚えてしまった。他人とは思えないくらいだ。
しばらくしてまた電話が鳴った。 おんなじおじさんからだった。 「あれ、違う?そりゃ、どーも。。。。」 「あのっ もしかして○○さん宅におかけですか?」 わたしが尋ねると、彼は息を吹き返したように元気な声になった。「そうです!いるんですか?」 いえ、違うんです。わたしは○○さんを知りません。ただ、この電話番号は、もうその人たちは使ってなくて、わたしが使ってるんです。 でも、おじさんはなかなか納得しない。電話帳に載ってるんだけど、と言う。 でも、うちは電話帳に載せていない。きっと古いものなのだろう。 この電話番号を使うようになって、一年近くなります。○○さんへの電話はよくかかってくるんです。でも、もうこの番号じゃないんです。 なんとか説明するが、彼は腑に落ちない様子だった。「そうですか。んーー、そうですか。」そう言って、電話を切った。
朝から知らない人と(もう知り合いのようにさえ感じるのだけれど)話をして、なんだか不思議な気分。 でも実を言うと、このおじさんには、以前も同じように説明している。話していて思い出したのだ。声と、イントネーションとで。 彼はわたしのことを覚えていないのだろうか。
なんだかなぁ。。。。 間違い電話が迷惑だとか、早朝の電話だったから腹が立った、とかではなくって。 なんとなく切なくなってしまった。 なんともやりきれないような。
もうその○○さんはいないのだ。 少なくとも、そのおじさんの手の届く世界には存在しない。 何かの理由があって、姿を消したのだろう。よんどころのない事情で。
きっとそのおじさんも知ってるのだろうな・・・とも思う。いや、知らないのかな?どうしてもその事実を受け入れきれないのかな? どちらにしても、ときにふと思い出すのだろう。 電話したら出るかもしれない、と思うのだろう。
そんなことを考えていたら、おじさんがまるで過去に電話しているような気がして、なんとも言えない気持ちになった。 別に、過去を断ち切れ、と言いたいわけではなく。 なぜって、彼にとっては過去でもなんでもないわけだし、そうであったとしても執着するしないは彼の自由だし。
もしも過去に電話をかけたらどうなるんだろうなぁ。。。。 いつか、パッと繋がったりすることもあるかもしれないなぁ。。。。 もしも繋がるとしたら、良い話が出来るといいなぁ。。。。
なんて。
雨の音が近く、遠く、強く、弱く聴こえていた。 気が付くと窓から雨が打ち込んでいて床まで濡れており、慌てて窓を閉めた。 おじさんのところも○○さんのところにも、おなじ雨が降っているのかもしれないなぁ、と、思いつつ。。。。
昨日こころは水泳だったようだ。 潜水で進むのがすごく巧くなったんだよー、と喜んでいた。 水泳だったの? と、わたし。バスタオルとか、いろいろ持ってってたの? 失礼だなー、ちゃーんと持ってったよ。だから水泳できたんじゃない。 こころがなんでもない風に答えるので、へぇ。。。と、思う。そっか。ふーん。
考えてみれば、わたしはこころの毎日について、あんまり知らない。 知らない、というか、知ろうともしていない。 今度いついつが何々だってよ。と、言われ、あっそう、わかった。と、答える。 マミィ、何々のことやってくれた?と、言われ、あっやってない、忘れてた。と、答える。 全部が全部、とは言わないが、まぁ大抵いつもそんな感じだ。 本当にぐぅたらだなぁ・・・と、思う。 で、母親がこうだから、娘はその分しっかりと・・・ということもなく、彼女も何かしら忘れがちである。(血は争えない) 実際、先週の水泳では水泳帽を忘れた為に見学を余儀なくされたらしい。(前の晩にわたしがちゃんと出しておいたのにー) 誰のせいでもない。自分の責任だ。 彼女が見学になろうと、それでどれだけ恥ずかしかったり悲しい思いをしようと、わたしは痛くも痒くもない。 こころ自身、その部分(わたしの論点)を知っているので、文句は言わ(え)ない。 忘れたあなたが悪いんでしょ。 そうだよ、でもマミィだって忘れてたでしょ。 程度の(苦渋の)反抗は、あるけれど。
それにしても、いささか自分は放任だなぁ・・・と、思うことがある。 それは、彼女の自立を目指しているからというわけではなく、自己中心的なだけなんじゃないか?と、思うことがある。 ちょっとばかし、反省したりもする。もちょっと気にかけてあげなくちゃ、かなぁ、と。 だから、今回のように(わたしの知らないところで)自分でちゃんと準備していたことを知ると、心から賞賛したくなる。 素直に嬉しい。
今日、心友と長い時間、話をした。彼女と話していると、いつもいろんなことに気付かされる。 彼女はわたしの「ぐうたらさ」を「良い力の抜き方を知ってる」という風に表現してくれた。 とてもありがたい。 でも、そうじゃないと思う。やっぱりぐうたらなだけだと思う。だって、力は抜きっぱなしだもの。
こころを含め、わたしのことを好いてくれる人々は、そんなわたしのぐうたらさがさほど気にならない人たちなのかもしれない。 それだけ、愛情が広くて深いのだ。ありがとう、みんな。
でも、その愛に甘えてばかりじゃ駄目だなぁ・・・と、最近、思う。 じゃぁ何が出来るか、というと。。。。 それは、自分の思うことをやる。心から思うことを、心から行う。そしてそれに責任を持つ。 イコール愛する。ということ。だと思う。 たとえ、馬鹿だとか愚かだとか、或いは優雅だとか言われても(人の見方というものは本当に様々だ)、それはそれで良い。
わたしの基準があり、誰かさんの基準があり。 皆それぞれがそれぞれだ。 わたしは自由でありたい、と願う。 みんな自由であって欲しい、と願う。
そんなことを思いつつ、今日はこころに新しい水泳帽を買ってしまった。しかもなんと、ゴーグルまで! ・・・100円ショップだけどね。
どうにもならない
という気持ち って
どうにかしたい
という気持ちが ない
ってこと?
本当のホントに?
・・・
自分らしく。ということを考えてみた。
それはきっと、自分の中のものを存分に出せること。 そして、存分に限りなく近く出せた、と感じること。かな。
限りなく近く、というのは、ある意味いつも、 もっともっと、という気持ちでいたいから。かも。。。。
自分が自分らしいと感じることは、しあわせ。 限りなく近くそうありたい、と願うこともまた、しあわせ。
・・・
どうにもならない。 というのは、あきらめではなく どうにでもなる。 ということ。 かも。。。。
たぶん、それが「わたし」。
2005年06月03日(金) |
no rain, no rainbow |
“雨が降らなきゃ虹も出ないよ” ある写真家が言ってた、彼の大好きなハワイの言葉だそう。 なんて素敵な表現。どんなときに使われるのかなぁ。
たぶん「雨降って地固まる」みたいな意味も持ち合わせているのだろうけれど、 でももっと、どこか明るい感じがする。 「そういうときもあるさ」或いは、「それでいいんだよ」みたいな。
雨が降る。空を見上げる。虹がかかってる。 雨に「ありがとう」。虹にも「ありがとう」。 とても素直な、どんなときにも天を賛美する気持ちがあふれてるような。
no rain, no rainbow なんて綺麗な言葉。。。。 きよらかな雫で心のなかが満たされて、やわらかな虹がすーっとかかりそう。
「それはモラルの問題」・・・だって。 モラルってなに?道徳心? じゃぁその発言はモラル的なわけ? そんな言葉で誤魔化して、拘束しないで。 それとも、 脅されてるように聞こえちゃうわたしが、ただの弱虫なの?
モラルのあるなしではないでしょう。 良いも悪いもないでしょう。 「自由意志です」 それでいいんじゃない?
もちろん、そちらの判断も自由でしょうし。
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