ぶらんこ
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このところ仕事がハードになってきた。 というのは、イコール患者さんの具合いがあまりよろしくない、ということでもある。 患者さんと向かい合っているときはさほど感じないのだけれど、家に帰ってくる頃には「ちかれたー。。。」とバテ気味。
そんなとき、こころからのめーるが届いていたりするとにっこりしてしまう。 今日のめーるなんか、おもろい出来事がたくさん書かれてて、わはははわははは大笑いしてしまった。 そして、疲れまでぴゅーっと飛んでっちゃった感じ。 なかなか文才があるじゃないか、と思ったりする。 その場面・情景が目に浮かぶような、ともに体験してるような、それくらい生き生きと表現している。(身内ネタということもあるのだけれどネ)
こころからのめーるは英語で送られてくる。 日本語が入力できないわけではなく、面倒だからそのまま英語で書いているらしい。 で、それが読みづらいかというと、そんなことはなくて、実を言うとわたしは彼女の英語で書かれた文章を読むのが好きだ。 日本語で書いているやつだと、ノリが軽いというか、ちゃらちゃらした言葉の羅列のように見えて、何が言いたいんだかよくわからない。 でも、英語だと主題がはっきりしている。 それは「英語」という言語のもつ特性でもあるのだろうし、彼女のなかの「アメリカ」的アイデンティティーの表れでもあるのかもしれない。 よくわからないけれど。 ま、なんとなくシャープな感じがする、というだけかもしれない。
それにしても、こころからの英語のめーるを読んでいると、アメリカ人なんだなぁ・・・と、ちょっぴり不思議な気分になる。 でも、頼もしく思うし、素直に嬉しい。なんだか素敵な気持ちになるのだ。 それは彼女の言葉が生きているからなのだろうと思う。 で、さぁわたしも英語で返信をば!と思ったりもするのだけれど(一瞬)、もちろんそんなことはなく。 わたしは、いつものわたしの(生きた)言葉で返事を書くのだった。 言い訳かな???笑
ところでこの前、彼女はこんなことを書いてきた。 Thanks for the lovely poem. なんのこっちゃ?という感じ。わたしは彼女にぽえむなんか送っていないもの。 で、早速そのことを尋ねてみたところ、このような返事。 p.s. "poem" wa, tada mommy no mail ga poem ppokatta tte koto yo!!! しかもなぜかこの部分だけ日本語(ローマ字表記)。 わたしのめーるのどこがぽえむっぽかったのか???? 母ちゃんにはまったくわからん。 それに、ぽえむって、一体なんぞや?
心のなかから湧き出る言葉を紡ぐこと。かなぁ。。。。。 んーーーーー。またゆっくり考えてみよう。いつか。
夜になるのを待ってから、ぷーちゃんと一緒に散歩へ。 星がとっても綺麗な夜だ。 トウモロコシが黒く太く長い影となって空へ伸びている。 たぶん飼料用だろう。そういえば去年とは違った場所に植えられている。
この地へ越してきて、ちょうど一年が過ぎた。 思い起こせばいろんなことがあったなぁ・・・と、思う。
変わりたいとか、変わりたくないとか、自分が意識しようがしまいが、いろいろなことが変化していくものなんだな、と、思う。 それはすごいことだと思う。 それはとても神聖なことだと思えてくる。 どこかへちゃんと向かっている。 きっとすべてが良い方向へ。
半月が浮かんでいる。 こころも飛行機の中から見てるといいなぁ。。。と思う。
(でも見えないだろうな。。。 今頃はどのあたりを飛んでるんだろ? ひとりで退屈してないかなぁ。 隣のひとが良いひとだといいな。 ぐっすりと眠れていますように。。。。)
『そなたの中には夜叉がいる』と、アシタカは言った。 なんて的を得た表現だろう、と思う。いつ聞いても、はっとさせられる。
すべてのひとの心の中に夜叉がいる。 夜叉。悪の芽。暴力。闇。。。。 それで良いのだと思う。というか、それが自然の姿なのだと思う。 それらは否定されるものではなく、ましてや排斥されるものでもない。
「じゃぁどうすれば良い?」 ひとはいつも『答え』を欲しがる。 どちらか一方を「よし」とし、もう一方を「悪しき」とする。 どちらかは「必要」で、他方は「不要」と。 そして、たぶん「待つ」ことを嫌う。
本当は誰もがその答えを知っている筈なのに。 でもそれはあまりにも単純で容易で、馬鹿げているように思えるの? だから知らんふりしてる? それとも、それが答えだとはもう思えなくなってしまった?
「いろんなことをはっきりと言うの、どぉ思う?」 この前、こころが聞いてきた。 「良いんじゃないの?」 わたしがそう答えると、彼女はしばし考えてからこう言い直した。 「いろんなことはっきり言うとき、どんな風にしたら良いと思う?」
ふむ。なかなか良い質問だ。。。 さて、どうしたら良いんだろうね?
「すべてのことには意味がある」 と、イルカが言ったらしい。 確かにそうかもしれないなぁ。。。と、思う。
この言葉は、体力がやや回復しつつあるときに読んだ本のなかで見つけた。 「犬と話す」とかなんとかいうタイトルの本だったと思う。 身体が衰弱していると心まで弱っちくなってしまうものだが、この本を読んで、病気になったこと、しかもこんなにも重症になったこと、 なんかについてをちょこっと離れた(冷めた)視線で見ることが出来たみたい。 ま、たいした考察はしてないけどね。
すべてのことには意味がある。 そうだそうだ。そうかもしらん。
けど、だからこそわたしはナンセンスも求めたいのだ。きっと。
あなたはもうすぐ死にます。 そう言われたら、あなたはいったいどうするだろう。 あと3ヶ月、いや1ヶ月かもしれません。 もしもそう言われたら?
望むことをやりたい? したいこと、なんでも。 でも、もしも身体の自由が奪われていたら? ベッドの上でしか生きられないとしたら?
描きたいのに、筆を持つ手がなかったら? 歌いたいのに、声を出す喉がなかったら? どこかへ行きたいのに、身体を起こすことさえも出来なかったら?
会いたいひとがいる? 打ち明けたい気持ちがある? キスしたいひとがいる? 抱きしめたい?抱きしめられたい? 愛するひとと、愛を交わしたい?
あなたはもうすぐ死にます。 もしもそう言われたら、わたしは何をするだろう。 何をしたいだろう。
責める? 悲しむ? あきらめる? それでも何かを求める? そんなわたしに、何をどうして欲しい?
たぶんわたしは
どんなわたしでも、ただ、そのまま受け止めて欲しいだろう。 どんなに醜くかろうが、かっこ悪かろうが。 そのままで、変わらんでいいよ。 そう言って欲しいだろう。 そうして、平和な心を取り戻したい。
どんなひとでも、そのひとなりの死の迎えかたがあるのだろう。 そのときどきを、そのまま、受け止められますように。
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