ぶらんこ
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Yup. Everything's good over here. I've been going to the pool everyday, and, believe it or not, I play with Bruce a lot. Outside. I'd throw his tennis ball or kick the basketball....and sometimes I'd do the hula hoop. Bruce goes nuts!!!! Brucie's different from Pookie, and he would actually bring the ball after he gets it so it's a lot easier~. But I miss Pookie. Hope he's doing okay.
ブルースとぷーは違う、という箇所に思わず「納得、ナットク」。 同じ犬種なのに性質も違えば頭の出来も違うのだ(ごめんね、ぷーちゃん)。 でも、だからこそ、「恋しい」のかも。 ブルースはブルース。ぷーはぷー。だから、どちらも、大好き。
こんなことを言うのはおかしなことかもしれないけれど、わたしは、犬にも感情があると思う。 たとえば、淋しいとか、悲しいとか。 好きとか、嫌いとか。 やりたいとか、やりたくないとか。 わたしたち人間とおんなじように彼らは「感じて」いると思う。 けれども、わたしたちと決定的に違うところがある。 それは・・・なんて言ったらいいだろう。 「明日のことを思い悩まない」とでも言えばいいかな。。。。或いは「過去を悔やみ悩まない」とも。
たぶん、彼らにとって大事なのは『今』だけなのだと思う。 もちろん、もしかしたら少しは何か「おもう」こともあるだろう。 (帰りの遅いわたしのことを、ぷーは窓から外を眺めながら、あーあ。いつになったらマミィは帰ってくるのかな・・と思っているだろうし。) それでも彼らはわたしたち人間のように不安を抱え込んで悩むことはないように思う。 それはきっと、自然の法則に従う、ということだ。 植物が芽を出し、葉を茂らせ、花を咲かせるというのと同じこと。 天を信頼しているということ。それに身を任せている、ということ。
一年半前、ブルースとぷーきーは離れ離れになった。 そのことで、わたしたち家族は皆、それぞれが悩んだし、辛く悲しい思いをした。 今でもそのことを思うと、胸が痛む。涙が出ることもある。 けれども、彼らは違う。 もちろん、淋しかっただろうし、最初は混乱もしただろう。 ぷーなんか病気にさえなった。
でも、彼らはそういったことすべてを受け入れる。 そして、そのときそのとき与えられた環境のなかで、生きる。 大袈裟な表現かもしれないけれど、どんな状況であれ、その生を全うする。 彼らはどんな場面でも、忠実に務めを果たし、思いっきり楽しみ、たっぷり甘える。 彼らのわたしたちに対する愛情には、なんら変わりがない。
こころはブルースと再会して、そのことを深く感じていると思う。 たとえ物理的な距離はすごく離れていても、お互いを隔てるものは何もなく、とてもとても近い。
もしかしたら、ブルースもぷーも、そのことを知っていた(る)のかもしれない、わたしたち人間と違って。
ふいに思い出した。 こころが小さかった頃、いろんなことをまだひとりで出来なかった頃、わたしは絵を使って教えた。
たとえばおトイレ。
�.僖鵐弔鮹Δ�ます。(女の子がパンツを脱いでいる) �△�トイレに座ります。(便座に腰掛けてにっこりしている) ��おしっこ、うんちをします。(それなりの表情で) �いΔ鵑舛�出たらマミィかダディを呼びます。(うんちはいつもチェックしました) �ゥ據璽僉爾鮗茲蠅泙后�(ロールペーパーを引き出す) �Δ�しりを拭きます。うんちのときは手伝ってもらいます。(誰にも見せられない格好かも) �Д侫薀奪轡紊靴泙后�(バイバイ!) �┐�トイレの電気を消します。(ちょっと背伸びしてね) ��石鹸で手を洗います。(洗面所で)
これら一連の作業を絵に描いておトイレの壁に貼っていた。 こころはこれを大変気に入って(笑)、ひとりで最後(��)までやって、いつもとても誇らしげだった。 これはわたしのアイデアではなく、姪っ子の通っていた「生活団」という幼稚園(のようなもの)からのもの。 なかなか面白い企画だったので、真似てみた。 そして、せっかくだから、こころをモデルにしたわたしが絵を描いたというワケ。 あの絵は今でもこころの日記と一緒に、箱にしまってあると思う。どうだろう。捨てたかもしれないけれど。
週末、自閉症の子どもについての特集をやっていた。 自閉症という病気がどんなものであるのか、特有の症状、社会の誤解、などなど。 その中で、自閉症の子を持つお母さんが「絵カード」を使っていた。 大きな○、×をして、良いこと、良くないことを、絵で示していた。 父親はその効果に疑いを持っていたらしい。けれども、約3ヶ月で、効果は現れた。 母の愛情はなんと大きく、深く、希望に満ちていることか。 美しい目の女性だった。 そして、とってもとっても、かわいい子だった。
途中、患者さんに呼ばれたので最後まで見られなかった。残念だった。 自閉症という病気が、社会においてもっともっと理解されますように、と、心から願います。
一週間ほど前のこと。仕事帰り、大きな白い鳥が飛んでいるのを見つけた。 白鷺のような。。。名前はわからないけれど、とにかく大きな鳥だった。 夕暮れのせまる、陽射しがようやくやわらぎ始める頃だった。 昼間の熱はそこかしこにまだ残っていたけれど、水色の空に引かれた長く薄い雲が涼しげな空気を連れてくるように見えた。 そんな空に、鳥のくっきりとした白がとても美しく映えた。 わたしはすっかりと心うばわれてしまい、歩きながら、じっとその鳥を見上げ眺めていた。
彼は一羽だけで悠々と空を飛んでいた。 そのうち、高い杉の木に近づき(何本かの杉が群となって立っていた)・・・なんと一本の杉の木の梢にとまった。 てっぺんのてっぺん。先っちょの先。まさしく三角の頂点。しかも細長い三角の。 木は一瞬しなり、鳥はぶるぶるっとその体を奮わせた(ように見えた)。 そして、ほんの少し羽を拡げかけ、それをゆっくりと収めた。
鳥が杉の木の梢にとまっている。 どれくらいの大きさなのだろう。遠くからはよくわからない。 でも、あの杉の木の高さからすると、相当な大きさだと思う。 なのに彼は、静かにそこにとまっている。 そして木もまた、静かにそこに立っている。
わたしはただただ、感嘆してしまう。 どうしてあんなことが起こるのだろう。 あんなに大きな鳥なのだから、重量もそれなりにあるだろう。なのに、あの細い梢にどうやってとまっているのだろう。 あの梢はどうして折れてしまわないのだろう。ましてや、揺れることもないのだ。 すごい、すごい、すごいー!
鳥が飛び去ってからも、わたしはずっとあの光景を思い浮かべた。 きっとあの鳥と杉の木とは、うまい具合いに均衡がとれていたのだろう、と思う。 鳥のもつ「気」(エネルギー)と、木の持つエネルギーとが合わさり、ふたつではなくひとつの「気」となったような。。。。 お互いの「気」がそれぞれでなく、全体に流れていたような。。。。 うまく言えないけれど、それはイエスが水の上を歩いたよな感じなのかも。 それから、「気配を消す」というのにも似ているような気もする。
今日、職場で手にした本のなかでこんな言葉を見つけた。
「古式術的な発想」 筋力をつけるのではなく、もともとある『チカラ』を有効活用することをめざす。 『もともとあるチカラ』とは、重力だったり、身体の「形」がもたらすものだったり、いろいろ。 つまり、筋力をアップさせるのではなく、効率的なチカラの使い方を工夫する、ということ。
著者はこれを『構造の力』=力の分散なのだ、と言っていた。 あえて局所的な力を使わないことにより、身体全身の力を引き出すことが出来る。 というもの。
これは介護の場面で、たとえば寝たきりのおばあちゃんを起こすときや、車椅子に乗せるときなどに活用される。 実際、この方法で面白い実験がなされ、体重40kgにも満たない小学生の女の子たちが92kgの大人を持ち上げたらしい。 (*わたしも真似して同僚ナースを持ち上げてみたら・・・・たぶんやりかったがマズかったのか、すごく重かった。笑)
もしかしたら、鳥が木の梢にとまっていたのも、この「構造の力」というものの成り立ちなのかもしれない。 わたしがぼんやりと考えていたことの正体を教えてもらったような、そんな気がして嬉しくなってしまった。 でも、同僚にあの鳥の話をしたところ、彼女は笑い転げ、話が出来ないほどだった。 「だって突拍子もないこと言うんだもん。」と。 わたしは大発見だーーー!と思っているのに。
暑い。 夏まっさかりにはまだまだ遠いはず。。。と思うのだけれど、暑い。 暑いと、あー夏だなぁ・・・と思う。(あたりまえ) わたしは夏が好きだ。 暑い夏は尚のこと大好き。
訪問先でケアをしていると、汗が滴り落ちてくる。 自分は汗をあまりかかないほうだと思っていたのだけれど、ところがどっこい。 (エアコンのないお宅がまだまだ多いのだ) 訪問先からステーションに戻るとまずユニフォームを着替える、ということも少なくない。
ケア中、汗が目に入ると滲みて痛い。 手洗いするまでは汗を拭うことも出来ないので、目をパチパチさせて痛みが通り過ぎるのを待つ。 そんなとき、なんだか幼い頃の記憶が呼び起こされる感じがする。 何かに、無心に、ただ没頭しているような。そんな気持ち。 「躍動」でありながら「静」でもあり。 それは、一種の「瞑想」のようなものなのかもしれない。
それにしても毎日こんなに汗をかいて・・・この夏は痩せるような気も・・・しなくはない。。。。かも。
お月見しながらぷーちゃんと散歩。 今夜は満月。 月の辺縁が眩しいくらいに輝いている。 そしてその周りに虹色の光が放たれている。 なんて綺麗なんだろう。 すっかり見とれてしまう。ずっと眺めていても、ちっとも飽きない。
風が吹いている。 葉摺れの音が心地よい。 虫が涼しげに鳴いている。
よーく見ると星がたくさん。 雲が薄く流れて、光が消えたりまた灯ったりしている。 ちいさな光も合わせて、50くらいまで数えてみた。 見え隠れする星たちに祝福を受けているような気分。自然に笑みがこぼれる。
ぷーちゃんが駆けてくる音がする。 はっはっはっと彼の吐く息も近づいてくる。
地面にはまだ昼間の熱が残っている。
飛行機が遠い空の彼方へと飛んでいく。
黒い畑の影が夜の海のように見える。
静かだなぁ・・・と思う。 わたしはこんな静けさが好きなんだなぁ・・・と、思う。
世界は澄んでいる。心からそう感じる。 嬉しい。そして、とっても満ち足りた気持ち。
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