ぶらんこ
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2005年08月31日(水) 錬成

過去の出来事はいつまでもそこにある。
それを思い出そうと忘れてしまおうと、関係なく、その場所(時空?)に存在している。
それは消えることはないし、変えることも出来ない。


あるとき強烈に、そのときの匂いとか感触とか光の加減とかが、まるで今体験しているかのように蘇ってくることがある。
それは意識してではなく、何かのおりに、ふと。
もしも過去へタイムスリップしたらこんな感じなのかもしれない。(それとも、『してる』ってことなのかも?)
今ではもうすっかり忘れていた、そのとき湧き起こった自分の「感情」を感じたりもする。
悲しかったり、嬉しかったり、痛かったり。
嫌悪を感じたり、しあわせを感じたり。
でもそれを体験している自分は、そのときとは違う、「今」の自分だ。
実際体験していながらも、そんな自分をどこからか眺めているような。
そんなとき、「過去」を実感する。
過ぎ去ったこと。決別。
そして、とても神秘的な何かを感じる。



今日、映画を観に行った。
夏休み最後の日に、こころとふたりで。ずっと前からの約束で。
「鋼の錬金術師」
エドの選択。アルの選択。誰かの選択。
ふたりが決別した世界。
過去にとらわれず生きていく、ということ。


映画を観た後も、彼らの世界について考えてしまう。
生きて死んでいくということ。
等価交換。代償。錬成。
たぶん、わたしとこころ、それぞれがそれぞれ違う感じかたをしているだろう。
家に戻ってきてからも、わたしはまだ悲しい気持ちが心のどこかに残っている。
それはそれで良いことなのだろう。
あーあ。でも、夢に出てきそうな気もする。。。。エドもアルも笑っていると良いなぁ。。。。
そういえば、目覚めた後に夢を思い起こすことと、過去の記憶を思い出すことって、おなじことなのかもしれないね。


自己体験の反芻。
それは自分自身を癒すことだ。
そしてそれは、未来へと繋がる可能性なのだと思う。




2005年08月27日(土) 在宅死

その方は、生きる意志を持っておられた。
まだまだ、生きる。
彼は「死」というものについて考えてはおられなかった。
少なくとも、わたしたちにはそう見えた。
そう見せていた。

奥さまはご主人を送り出すつもりはなかった。
まだまだ、頑張れる。
彼女は彼(彼の魂)がその生を終えようとしているとは思わなかった。
また以前のように元気を取り戻せる。
そんな気持ちで介護されていた。


告知はなされていなかった。
ご本人と奥さまは何も聞かされていない。
それは息子たちによって決められていた。
そのことが良いとか悪いとか、そんな判断は意味をなさない。
与えられた状況のなかで、わたしたちはわたしたちの出来ることを、そのときそのとき、介入していくしかない。


久しぶりに訪問したとき、彼がもう長くはないのが見てとれた。
でも彼はまだ生きる意志を失ってはいなかった。
奥さまもまた、彼を信じていた。
彼は驚くほどの生命力で、意識を保たれていた。
身体を拭き、痰を吸引する。
彼はけして「苦しい」とはおっしゃらない。


彼の額に手を当てて祈る。
奥さまの肩を抱いて祈る。
どうぞおふたりにとってすべてが良いようになりますように。


翌日、状態は尚、悪化していった。
奥さまは彼をほとんどひとりで介護されてきた。
彼はいつも奥さまを「おーい」と呼んでいた。
あれをしろ、これをしろ。
わたしたちが近くにいても、彼は奥さまの姿をいつも探していた。
そんな彼がその朝、奥さまにこう言われたそうだ。
「がんばりぃや」
「もうがんばれん・・・・苦労かけたな」

奥さまが涙ながらにおっしゃる。
そげんこつ言うひとじゃなかった・・・もう充分です。

きっと彼は逝く準備が出来たのだろう。
そしてこの一言によって、奥さまもまた、彼を看取る準備が出来た。


彼はそれからも、その生の灯が消えるまで闘われた。
奥さまずっと、最期まで彼の手を握っておられた。
彼は、家族や親戚に見守られながら、旅立たれた。
・・・なんてしあわせな光景だろう。



この夏、何人もの患者さんが亡くなられた。
それぞれの「死」は、確かな何かを残していく。
別れは辛く悲しいものだけれど、死に関わったひとにはそれ以上の大きな糧となる。



2005年08月25日(木) 混沌

それがすべてではない

だから きみよ


混沌であれ



2005年08月16日(火) 夢のつづき


 「Turquoise Blue ってどんな色なんですか?」と聞かれて。



 Turquoise Blue という言葉を始めて知ったのは3年か4年くらい前。
 こころに「マミィの一番好きな色は何?」と聞かれたときに「Blueかなぁ。。。」と答えたところ、
 「わたしのいっちばん好きな色はTurquoise Blue!」と、彼女が誇らしげに言ったのだった。





アメリカの小学校ではクレヨンを良く使った。
高学年になると色エンピツも時々使われたけれど、基本的にクレヨンが主流だったように思う。
クレヨンや色エンピツには、実にいろんな名前の色が記されていた。
その中にTurquoise Blueもあったのだと思う。

あのとき、「それってどんな色?」と聞くと、確か彼女は「奄美の海の色だよ!」と答えた。
わたしは、へぇ。。。と言いながら、ちょびっと嬉しかったことを覚えている。



ターコイズ・ブルーというと、その名のとおり「トルコ石の青」ということになるのだろうけれど、わたしの中では島の海の色だ。
青いような緑色のような、光に照らされて変わっていく海の色。
まるで夢のつづきのような。



2005年08月06日(土) view

病院の納涼祭があり、舞台上でソーラン節を踊ってきた。
新入職員(常勤)は参加義務があるのだそうで、やむなく。
わたしは「祭り」というものが苦手だ。
人込みが好きではないし、一種のトランス状態にあるようなあの独特の「熱気」に圧されてしまう。
遠くから眺める程度であれば良いのだけれど。


踊る直前になり、女性たちがお化粧を直しはじめた。(もう充分、美しいのに!)
と、その中のひとりがわたしに近づいてきて「やってあげる!」と言う。
彼女はわたしの顔を覗き込み、持っている道具からピンク色を選んでわたしの瞼に塗り始めた。
もっと華やかな感じにしなくっちゃ、ということらしいが、わたしは目をつむりながら、もうーどうにでもなれ、、、という気持ち。
そして、仕上がった顔を鏡で見てぎょっとしてしまう。なんじゃこれはー、誰だこの『女ノヒト』はー。
なのに彼女達は口をそろえてこう言うのだ。「すっごよく似合う。アイシャドウ、いつもしたら良いよー。」
人の見方って、なんでこうも違うのだろう。


たくさんの人たちが来ていた。
患者さんやご家族をはじめ、近所の人たち、病院職員、そしてその家族。
いろんな人を見ながら同僚と話をしていたのだけれど、ひょんなことから年齢の話になった。
そして、同じ患者さんを受け持っているケアマネージャーさんが、わたしと同じ歳だということを知らされ、
えーーーーーー。
心底、驚いた。
彼女はわたしよりももっともっともっと、上だと思っていた。
わたしの目はどうかしているのだろう。
それに、彼女だってわたしが同じ歳だと聞かされたら、わたしとおなじように感じるのかもしれないよ。
わー。これってすごいことだと思う。
わたしは人から見たわたしの姿・雰囲気というものを、まったく知らないのだろう。
人のさま見て我がさまを知れ、ということか。


いつも気軽に声をかけてくれるN君(ケアマネージャー)が言う。
「ストレス、あるんだろうね。」
ん?なんのこと?と思う。「なに?仕事のこと?患者さん?ストレス?わたしの?あ、家庭のこととか?」
彼は、いや、いろいろとストレスがあるんだろうなぁって思って、と言う。
あるかなぁ・・・・あるとは思うけど、なくはないと思うけど。。。。
考えるわたしを見て、「いろいろあっても内に溜め込んで笑ってるタイプでしょう〜。」と言う。
彼はちぃっと酔っていたので、口が滑らかみたい。
んーどうかなぁー。わからん。と、答えておく。(だんだん、面倒になってきた。)
「でもなんだかさー、もう長いこといるような感じだよねぇ。」
「いえ!まだまだ慣れなくて毎日が緊張の連続です!たぶんストレスも溜まってると思います!」
彼は腹を抱えて笑う。「そりゃないって。最高〜!」


人から見たわたし。わたしから見た誰か。
すべては見るひとの持つイメージ=まぼろしなのかもしれないなぁ。
それにしてもまだまだいろいろ、学ぶことが多いのは確かだと思う。。。。



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