ぶらんこ
index|past|will
過去の出来事はいつまでもそこにある。 それを思い出そうと忘れてしまおうと、関係なく、その場所(時空?)に存在している。 それは消えることはないし、変えることも出来ない。
あるとき強烈に、そのときの匂いとか感触とか光の加減とかが、まるで今体験しているかのように蘇ってくることがある。 それは意識してではなく、何かのおりに、ふと。 もしも過去へタイムスリップしたらこんな感じなのかもしれない。(それとも、『してる』ってことなのかも?) 今ではもうすっかり忘れていた、そのとき湧き起こった自分の「感情」を感じたりもする。 悲しかったり、嬉しかったり、痛かったり。 嫌悪を感じたり、しあわせを感じたり。 でもそれを体験している自分は、そのときとは違う、「今」の自分だ。 実際体験していながらも、そんな自分をどこからか眺めているような。 そんなとき、「過去」を実感する。 過ぎ去ったこと。決別。 そして、とても神秘的な何かを感じる。
今日、映画を観に行った。 夏休み最後の日に、こころとふたりで。ずっと前からの約束で。 「鋼の錬金術師」 エドの選択。アルの選択。誰かの選択。 ふたりが決別した世界。 過去にとらわれず生きていく、ということ。
映画を観た後も、彼らの世界について考えてしまう。 生きて死んでいくということ。 等価交換。代償。錬成。 たぶん、わたしとこころ、それぞれがそれぞれ違う感じかたをしているだろう。 家に戻ってきてからも、わたしはまだ悲しい気持ちが心のどこかに残っている。 それはそれで良いことなのだろう。 あーあ。でも、夢に出てきそうな気もする。。。。エドもアルも笑っていると良いなぁ。。。。 そういえば、目覚めた後に夢を思い起こすことと、過去の記憶を思い出すことって、おなじことなのかもしれないね。
自己体験の反芻。 それは自分自身を癒すことだ。 そしてそれは、未来へと繋がる可能性なのだと思う。
その方は、生きる意志を持っておられた。 まだまだ、生きる。 彼は「死」というものについて考えてはおられなかった。 少なくとも、わたしたちにはそう見えた。 そう見せていた。
奥さまはご主人を送り出すつもりはなかった。 まだまだ、頑張れる。 彼女は彼(彼の魂)がその生を終えようとしているとは思わなかった。 また以前のように元気を取り戻せる。 そんな気持ちで介護されていた。
告知はなされていなかった。 ご本人と奥さまは何も聞かされていない。 それは息子たちによって決められていた。 そのことが良いとか悪いとか、そんな判断は意味をなさない。 与えられた状況のなかで、わたしたちはわたしたちの出来ることを、そのときそのとき、介入していくしかない。
久しぶりに訪問したとき、彼がもう長くはないのが見てとれた。 でも彼はまだ生きる意志を失ってはいなかった。 奥さまもまた、彼を信じていた。 彼は驚くほどの生命力で、意識を保たれていた。 身体を拭き、痰を吸引する。 彼はけして「苦しい」とはおっしゃらない。
彼の額に手を当てて祈る。 奥さまの肩を抱いて祈る。 どうぞおふたりにとってすべてが良いようになりますように。
翌日、状態は尚、悪化していった。 奥さまは彼をほとんどひとりで介護されてきた。 彼はいつも奥さまを「おーい」と呼んでいた。 あれをしろ、これをしろ。 わたしたちが近くにいても、彼は奥さまの姿をいつも探していた。 そんな彼がその朝、奥さまにこう言われたそうだ。 「がんばりぃや」 「もうがんばれん・・・・苦労かけたな」
奥さまが涙ながらにおっしゃる。 そげんこつ言うひとじゃなかった・・・もう充分です。
きっと彼は逝く準備が出来たのだろう。 そしてこの一言によって、奥さまもまた、彼を看取る準備が出来た。
彼はそれからも、その生の灯が消えるまで闘われた。 奥さまずっと、最期まで彼の手を握っておられた。 彼は、家族や親戚に見守られながら、旅立たれた。 ・・・なんてしあわせな光景だろう。
この夏、何人もの患者さんが亡くなられた。 それぞれの「死」は、確かな何かを残していく。 別れは辛く悲しいものだけれど、死に関わったひとにはそれ以上の大きな糧となる。
それがすべてではない
だから きみよ
混沌であれ
 「Turquoise Blue ってどんな色なんですか?」と聞かれて。
Turquoise Blue という言葉を始めて知ったのは3年か4年くらい前。 こころに「マミィの一番好きな色は何?」と聞かれたときに「Blueかなぁ。。。」と答えたところ、 「わたしのいっちばん好きな色はTurquoise Blue!」と、彼女が誇らしげに言ったのだった。
アメリカの小学校ではクレヨンを良く使った。 高学年になると色エンピツも時々使われたけれど、基本的にクレヨンが主流だったように思う。 クレヨンや色エンピツには、実にいろんな名前の色が記されていた。 その中にTurquoise Blueもあったのだと思う。
あのとき、「それってどんな色?」と聞くと、確か彼女は「奄美の海の色だよ!」と答えた。 わたしは、へぇ。。。と言いながら、ちょびっと嬉しかったことを覚えている。
ターコイズ・ブルーというと、その名のとおり「トルコ石の青」ということになるのだろうけれど、わたしの中では島の海の色だ。 青いような緑色のような、光に照らされて変わっていく海の色。 まるで夢のつづきのような。
病院の納涼祭があり、舞台上でソーラン節を踊ってきた。 新入職員(常勤)は参加義務があるのだそうで、やむなく。 わたしは「祭り」というものが苦手だ。 人込みが好きではないし、一種のトランス状態にあるようなあの独特の「熱気」に圧されてしまう。 遠くから眺める程度であれば良いのだけれど。
踊る直前になり、女性たちがお化粧を直しはじめた。(もう充分、美しいのに!) と、その中のひとりがわたしに近づいてきて「やってあげる!」と言う。 彼女はわたしの顔を覗き込み、持っている道具からピンク色を選んでわたしの瞼に塗り始めた。 もっと華やかな感じにしなくっちゃ、ということらしいが、わたしは目をつむりながら、もうーどうにでもなれ、、、という気持ち。 そして、仕上がった顔を鏡で見てぎょっとしてしまう。なんじゃこれはー、誰だこの『女ノヒト』はー。 なのに彼女達は口をそろえてこう言うのだ。「すっごよく似合う。アイシャドウ、いつもしたら良いよー。」 人の見方って、なんでこうも違うのだろう。
たくさんの人たちが来ていた。 患者さんやご家族をはじめ、近所の人たち、病院職員、そしてその家族。 いろんな人を見ながら同僚と話をしていたのだけれど、ひょんなことから年齢の話になった。 そして、同じ患者さんを受け持っているケアマネージャーさんが、わたしと同じ歳だということを知らされ、 えーーーーーー。 心底、驚いた。 彼女はわたしよりももっともっともっと、上だと思っていた。 わたしの目はどうかしているのだろう。 それに、彼女だってわたしが同じ歳だと聞かされたら、わたしとおなじように感じるのかもしれないよ。 わー。これってすごいことだと思う。 わたしは人から見たわたしの姿・雰囲気というものを、まったく知らないのだろう。 人のさま見て我がさまを知れ、ということか。
いつも気軽に声をかけてくれるN君(ケアマネージャー)が言う。 「ストレス、あるんだろうね。」 ん?なんのこと?と思う。「なに?仕事のこと?患者さん?ストレス?わたしの?あ、家庭のこととか?」 彼は、いや、いろいろとストレスがあるんだろうなぁって思って、と言う。 あるかなぁ・・・・あるとは思うけど、なくはないと思うけど。。。。 考えるわたしを見て、「いろいろあっても内に溜め込んで笑ってるタイプでしょう〜。」と言う。 彼はちぃっと酔っていたので、口が滑らかみたい。 んーどうかなぁー。わからん。と、答えておく。(だんだん、面倒になってきた。) 「でもなんだかさー、もう長いこといるような感じだよねぇ。」 「いえ!まだまだ慣れなくて毎日が緊張の連続です!たぶんストレスも溜まってると思います!」 彼は腹を抱えて笑う。「そりゃないって。最高〜!」
人から見たわたし。わたしから見た誰か。 すべては見るひとの持つイメージ=まぼろしなのかもしれないなぁ。 それにしてもまだまだいろいろ、学ぶことが多いのは確かだと思う。。。。
|