ぶらんこ
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鬱々とした気分が晴れるとなんとものびやかな気持ちがふくらむ。 不思議だ。 ちゃんとそのようになっている。 またそのうちどんよりとへこんでしまうときもくるだろう。 そのくりかえしだ。 ぶらんこのように。
心理テストみたいなものが流行っているらしい。そうい言い方は良くないが、個人的にはあまり好きではない。
職場の勉強会で行われたものは、30項目についての質問に答えた。 よくあてはまる・どちらかというとあてはまる・あまりあてはまらないない・まったくあてはまらないの4つから選ぶようになっていたと思う。 もしかしたら5つだったかも。よく覚えていない。 このテストはその人の性質の傾向を知るもので、それを基に、どのように人をコーチすれば良いか、というものが導き出される。 いわゆる『コーチング』。 コーチというと指導者という感じだけれど、(簡単に言ってしまえば)コーチングというのはその指導方法みたいなものなのかもしれない。 「カウンセリング」が、過去を振り返りつつ現在を焦点にするのに対し、「コーチング」は現在の状況を知り未来を見つめるもの。らしい。 担当者に「質問にはあまり考えることなく、直観で答えてください」と言われたので、さささっと書いて提出した。 他の皆はまだ、黙々と取り組んでいたけれど。 その辺りにもわたしの性質があらわれているみたい。 結果、回答者は4つのグループに分けられた。 そのグループごとの性質が発表され、その人に適したコーチングはこんなこんな・・・という。 より良い人間関係を構築するために、という勉強会だった。 これはスタッフ間だけでなく、対患者さんやそのご家族との対応についても考えさせられたので、有意義なものだったと思う。 でも、もちろんその考え方は絶対的なものではなく、あくまで参考にするだけのものであると思う。 なにもかもにおいて、こうだからこう、というのはない。 すべては流動的であるから、けっして決め付けられはしない。 このようなものの結果は、そっかぁ。。。くらいに解釈するのが良いように思うのだけれど。 これもまた、わたしの性質をあらわしているのかもね。
こころからも心理テストを受け(させられ)た。 こちらはイエスかノーの選択のみ。 『この絵は光に見える』 『仏陀とキリスト、どちらかというと好きなのはキリストである』 『自分はわがままだと思う』 無茶苦茶な質問だ。笑 でも、なかなか深いような気もしないでもない。。。笑
仏陀とキリスト。 わたしは仏陀のことはよく知らない。 でも嫌いじゃないと思う。というか、好きだと思う。もっとよく知りたいし。 それから、仏陀もキリストも同じだと思っている。 生を受けた時代や場所が違うだけで、おおもとのものは一緒だと思う。 で、その「おおもと」というのは、ものすごく大きな壮大なもので、いろいろごちゃごちゃしたものをも含む。 人間の考え方なんて、塵のようにちっぽけなんだろうなぁ。。。。
話がまとまらないけれど、おおらかな気分でおしまいにしよう、と思う。笑
おひさまのこはみどりいろ
友から手紙が届く。 用があるわけではないけれど、と。 なんてことない四方山話がしたくなっただけ、と。
友の言葉はとても素直だ。彼女の心くらいに。 わたしは、会いたいなぁと思う。 いつも待ってばかりだもんなぁ・・・と思う。 それが良くない、というのではないけれど。 ただ会いに行きたい、と願う、今のこの心を大事にしたい。 静かな、でも、確かな想い。
友がいつもわたしにしてくれるように、わたしもそうありたいな、と思う。
「会いたい」という気持ちは、心を豊かにしてくれるみたい。
迷うなら 思う存分迷えばいい
決められないなら うだうだぐだぐだしてればいい
きみの気持ちだ きみしか付き合えないだろう
きみの心だ きみしか抱きしめられないだろう
誰のものでもない きみだけのものだろう
訪問看護の仕事を始めた頃は、患者さんの家を覚えるのに必死だった。 ポケットにはいつもメモ帳を入れておき、同行のナースの隣で紙に道筋を書いた。 バイパス直進、ゴルフ練習場手前左折、下り坂、橋を渡って道なりに直進、郵便局パス、二つ目の筋を右折、両側は畑・・・などなど。 とにかく地理がわからない。その上わたしは方向音痴。 地名を言われてもピンと来ないのだから、わたしなりの方法で覚えていくしかなかった。
いちばん最初にひとりで訪問に行ったとき、(メモ通りに進んだにも関わらず)道に迷った。 途中で、ん? と思ったのだけれど、拡がる畑や牛舎、豚舎、サイロがある(メモに書いてある通りだった)から大丈夫なはず。 が・・・違ってた。 まったく見当違いなところを走っていた。どおりで辿り着かないワケだ。 結局人に聞きながらなんとか患者さんのお宅へ訪問出来たのだが、帰り道、どこでどう間違ったのかがわかった。 どうやら一箇所、右折しなければならないところを左折したらしい。 たぶん、道なりにまっすぐだと感じて、書き留めなかったのだろう。 (うっかり見逃してしまう程の小さな道を、わざわざ左折するわたしもわたしだ。。。)
そのことを教訓に、小さな筋でもなんでもすべて書き留めるようにした。 おかげで、どんな遠い辺鄙なところでも、なんとかひとりで行けるようになった。 地元人しか知らない抜け道のようなものもそれなりに覚えてきた。
知った道。店。畑。橋。標識。ゴミ置き場。 今まではただの目印でしかなかったものが、馴染みのあるものへと変わってきた。 馴染むって、あったかいものなんだなぁ、と思う。 経験や記憶といったものが熱を持つのかなぁ? その熱は自分のなかから発せられるのかそれともそのモノ自身が持つものなのか?(ややこしい、)
点と点が繋がって線になる。 少しずつではあるけれど、わたしなりの地図が出来てきたように思う。 そこでは親しい人たちが暮らしている。まだ知らないけれど、出会うかもしれない人たちが暮らしている。 それぞれの暮らし。それぞれの苦労。それぞれのしあわせ。 それはあったかいものだ。繋がった線がまぁるい輪になるように。
 時々、ふっと空を飛んでいるような気分になることがある。 空のうえから、この鹿屋の町を眺めているような感じ。妄想だけど。 それにしても鹿屋は広い。そのうえ、我が訪問看護ステーションのエリアは大隅半島全域と言っても良いくらいに、広い。 もっと高く飛ばなきゃならないなー。 同時に、細部(点)をもっと知らなくちゃいけないなー。
そうやってどんどん高く飛んで、地球も眺められるようになったら、そしたらどんな気分だろう。。。 今でさえ、なんだかあったかくて嬉しくてにこにこしてしまう感じなのだから、それはもう最高に素敵な心地だろうなぁ。
Happy Anniversary!
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