ぶらんこ
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2007年11月10日(土) instinct

ある日。
動物に「判断力」があると思う?と、こころに訊かれ、あるでしょ。と即答した。

すると彼女は、
でしょう〜わたしもそう思う!でも、違うって言うのよ。動物にあるのはinstinctなんだ、って。
instinctって何よ。
えーと本能とか・・・勘とか、そういうの。

なるほど。彼の言いたいことがわかった。
つまり彼の言う判断力とは、思考による判断という意味なのだろう。

ふむ。じゃぁ動物には本来持っている「判断」能力と「経験」による「判断」とってあるのかもしれないね。
何それ。つまり「ある」ってこと?「ない」ってこと?


そんなやりとりをしながら、彼女はあきらかに不服そうだった。
人間がいちばん偉いって思ってるからそんな言葉が出るんだよ。そういう考えは大嫌いだ! とかなんとか・・・。

まぁそれだけじゃないんじゃないの?と言ってその話は終わったのだけれど、わたしはあれからずっと「思考」について考えてみた。

『思考』
(1)考えること。また、その考え。
(2)〔哲〕〔thinking〕意志・感覚・感情・直観などと区別される人間の知的作用の総称。
物事の表象を分析して整理し、あるいはこれを結合して新たな表象を得ること。
狭義には概念・判断・推理の作用による合理的・抽象的な形式の把握をさす。思惟。〔明治期につくられた語〕

goo辞書には上記のように書かれている。
読めば読むほど・・・ね、動物にはないでしょ。と、片付けられそうな気がする。
「人間の」知的作用。とまで書かれているしね。

しかし、なんだろか・・・やっぱり動物にもあるでしょう!という声がするのだ。
もしかしたらそれはわたしの「直感」の声?なのだろうか???

考えてもわからないので、もうそのままにしておこうと思った。
動物の判断力の有無については、人それぞれ自由な考えがあるのだから、いちいち反発する必要もないのだ。



さて、昨夜のことだ。
ふたりでだらだらしているとき、いきなりこころがこんなことを言った。

あ〜ジブリが見たい!なんかこう、感動するものを見て、思いっきり泣きたいって感じ。そういうときってない?
なんか嫌なことでもあったの?
いや、なんもない。だけどわかるでしょ?そういうときってない?
ないね。
えーーーっ ないの!?
ない。たまたま見たやつが凄く良くて感動して泣けた、っちゅうことはあっても、泣きたいから見たい、っちゅう気持ちはない。

すると彼女は、信じられない・・というような顔でわたしを見ながら言った。

まみぃって動物みたい。instinctだけで生きてるんだ。。。


はぁ〜???動物はinstinctだけじゃないって話だったんじゃ???
・・・まっ どうでもいいけどね!



2007年11月05日(月) まかせる


   神よ 
    わたしは母の病気のために なにを祈ろう 
    あなたのみ旨を 母が受け容れるように 
    あなたの恵みのなかで 母が病気を乗りこえられるように 
    あなたの愛を 母が感じられるように
    あなたの手のなかで 母が心やすらぐことができるように 
    今わたしは わたしの祈りを あなたにまかせて祈る。
                              『母のための祈り』
                              〜マタイス神父・心の日記(10/26)より〜
 




「天にまかせる」というのはどういうことだろうか?
何が起こっても、それを受け容れるということだろうか。
それとも、その前の希望やら怒りやらあきらめやら嘆きやらのすべてを、受け容れるということだろうか。
ならば、「闘う」ということもまた然り。

「天にまかせる」とは、自身の選択を受け容れる。ということだろうか。
自身の願いを赦し、受け容れ、差し出す。ということだろうか。


わたしにはわからない。

それでも、わからないなりに、わたしの祈りを 天にまかせて  祈ります。



2007年10月25日(木) 黄葉


 陽に照らされる黄葉
 いよいよ美しく

 




最近、音楽を聴かなくなった。
聴くのは、車を運転しているときくらいだと思う。
それはそれで良いのだが、よくよく考えてみると、暮らしの中でそういう欲求がなくなったらしいことに気付いた。


そのことを昨日こころに話すと、
「マミィ、それヤバイよ」と言われた。
・・・そうかもしれない。自分自身、愕然としている部分がある。


こころはずっと音楽を聴いている。
部屋にいるときもシャワーをするときも皿洗いするときもPCに向かっているときも。
そういう意味では、わたしも耳に入ってくる(彼女の)音楽を聴いている。
ただ、自らすすんで音楽を聴こう。という気持ちが薄くなっているのだと思う。


こころの保存している音楽のジャンル(?)はさまざまだ。
日本語・英語、歌詞(言葉)なし。わたしの知っている楽曲もあれば、まったく知らないものもあり。
特に気にならない楽曲から、逆に耳障り或いは不快な楽曲。などなど。
とにかく彼女は、莫大な量の音楽をいつもノリノリで聴いている。


わたしも以前は、音楽をかけながら掃除したり皿を洗ったりしたものだ。
なのにいつ頃からか、そういうことがなくなった。
音楽が「雑音」になってしまったのかもしれない。
そう気付いたときは、自分でもちょっとショックだった。
どうしちゃったんだろ。。。。。。という感じ。




「マミィも歳とっちゃったんだねぇ」と、こころは言う。
歳はもちろんとっているし、それが嫌だとは思わないけれど、そう言われるとどこか淋しい気持ちになる。
歳とった。というよりも「老いた」ということなのかな?或いは「乾いてきた」?

わわわ、、、今、書いてみて気付いたのだけれど、そうなのかもしれない。
「乾いて」きたのかもしれない。
「乾く」とは、「瑞々しさ」がなくなるということだ。
瑞々しい気持ちは心を豊かにする泉だ。



「ヤバイ」というこころの言葉がやけにしっくりと響く。
そして、車の中で聴く音楽もいつか雑音になってしまうのかな・・・という想いを慌ててキャンセルした。

うーーー。わたし、大丈夫か???


いやいや。きっと大丈夫。
人生の午後はいよいよ美しい。。。はず。(←ちょっと強引)





2007年10月14日(日) 柔和な顔

「柔和な顔」という言葉を見つける。
あぁいいなぁ・・・と思う。
そして、自分はどんな顔をしているのだろう・・・と思う。

柔和な顔って、見せようとして見せる表情なのではなく、きっと、にじみ出てくる表情なのかもしれないな・・と思う。
偽りとか取り引きとかとは無関係なもの。
きっと誰もが持っている、その人の「本当」の顔なのかも。


柔和な顔は、人の心の目を開いてくれる。


2007年10月11日(木) 成長痛

こころはよく「成長痛」で泣いたものだ。
最初はその痛みがどこからくるのかわからず(幼いこともあり、こころ自身、説明できない)、とにかくさすったりなだめたりしていた。
いつだったか姉から「これはきっと成長痛だね」と言われ、あぁそうかも。。。と、思い当たった。
それからこころは、「まみぃ、またセイチョウツウーがするー」と言って泣いた。
そんなにすぐ成長痛って決め付けちゃダメだよ。と言うのだけれど、10回のうち7回くらいは鎮痛剤が必要な程の痛みだった。
だいぶ後になってからは、「わたしには成長痛の痛みとそうじゃない痛みと、違いがわかるのよ」と言われた。
見ていて、そらそうだろうなぁーと、思った。
彼女自身、腕や脚をさすりながら、なるべくは薬を飲まずにやり過ごそうともしている様子だった。
それでも我慢できないとき、鎮痛剤のお世話になった。
「成長痛がする、ってことは、それだけ成長してるってことだからね。きっと、こころは背が高くなるんだよ〜」と慰めたものだ。

が、彼女の背は今だにわたしよりも低い。。。

「あんなに酷い成長痛があったのに、どういうこと???」と、こころは嘆く。
わたしも不思議に思う。
なんでこころはちびっこいままなんだろう?
まぁそんなことを本人には言わないが。


昨日、こころのバレーボールが終了した。
なかなかハードだったと思う。
練習内容(ドリルを含め)は、ソフトボールよりも格段にキツかったらしい。
それに加え、コーチ陣が非常に strict(厳格)だった。
ただ厳格、というのではなく、かなり偏っていた、という感もあり。。。
とにかく、彼女は心身ともに、かなり辛かったと思う。途中で「止めてやる!」とも思っただろう。
わたし自身、「止めてやれ!」と言いたかったくらいだ(良くない)。
それをなんとか完遂。
よくやったなぁ・・と思う。本当に、心から、手放しで、賞賛したい。


けれども、彼女の心には大きな傷が残ったと思う。
今もまだジクジクしてるかもね。
こころを見ていると、かなり痛い思いをしているのだろうなぁ・・と、感じる。
でも、この「成長痛」には、鎮痛剤は効かないのだなぁー。
こうやって、だんだん、母ちゃんが「手を出せること」がなくなっていくのだろう。
なんとかしてやりたい。と思っても、目に見えるようなことは、もう出来ない。しない。
やはり、ちょっと淋しい気持ちもある。
きっと今、母ちゃんに出来るのは、目に見えないサポートだけだ。さて、何が出来る?
ある意味、これは母ちゃんにとっても、「成長痛」???




先日、ホームゲームを一緒に観戦した義母が、試合を終えて帰ってきたこころにこう言った。
(ちなみに、この晩こころはなかなかの活躍ぶりだった。)

「あぁ〜あなたの背がもう少し高かったらって思うわ・・・!」
「んーーーグランマ!!」

「わ〜。。その話題に触れるなんて、なんというチャレンジャー!」
わたしがそう言うと、義母もこころも大笑いしていた。
ま・・・これが今のわたしたちに効く「鎮痛剤」なのかも。ね。



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