ぶらんこ
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先日、ひょんなことから『エアギター』の話になった。⇒ガチャピン日記
ガチャピンって凄い!!と大絶賛のこころだったが、何を隠そう彼女も以前はエアギターの名奏者だった。 とは言え、当時はふたりとも「エアギター」なんて言葉すら知らなかったけれどね。
エアギターとは;はてなダイアリー Air Guitar:簡単に言ってしまえば、ギターの弾きまね。パントマイム。 空想のギターを奏で、音楽とシンクロさせて、チョーキングではイタい顔を、ギターソロでは激しいライトハンド奏法やタッピングを行う。 すべては、ロック愛から成される奇跡とでもいうべきだろう。
これを読むと・・・いや〜こころさん、あなたも確かに奇跡だった! なぜって、誰に教えられるでもなくやってたもんね〜。 かなり小さい頃からやってたよね〜。 しかし・・・なんであんなに「入って」たんだろうね〜。 わたしの声(歓声)なんて、外野のもっと向こうみたいで、あなたにはまーーーったく聞こえてなかったものね〜。
こころは、表情もさることながら、奏法もなかなか凝っていて、それなりにストロークだのアルペジオ?だのを使い分けていた。 わたしが好きだったのは、右手の指がギターのネック部分まで上がってくるところ。 もちろん、メロディに合わせてのことなので、そのようなシチュエーションにいつもお目にかかれるとは限らない。 決まったパターンなどなかったことに、あらためて驚いてしまう。
大抵、エアギターを披露してくれるのは車のなかだった。 助手席で目を瞑りながら演奏するこころさんを横目で見つつ運転するわたし。という図。 8歳の頃にはもう弾いていたな〜。 クラシック・ロックから、もちろんスピッツも。
で、いつ頃だったか・・・突然、彼女はエアギターを手放してしまった。 中学2年くらいかなぁ。。。1年の終わり頃だったかなぁ。。。 わたしがどんなに頼んでも頑なに拒み続け、しまいには怒り出した。 だから、今はもう久しく聴いていない。
「あなたのエアギター、大好きだったんだけど。」 「もうーーーなんであんなことしてたのか、自分でもわかんない!」 「なんで急にやめちゃったの?恥ずかしくなったの?」 「理由はわかんないけど・・・きっかけは・・・マミィが笑ったから・・でしょ?」 「笑ってないよ!っちゅうか、笑ってたってのは、喜んでたんだよ!」 「そうかもしれないけどーーーそのときはそう感じなかったのかも。。。」 「わたしはね〜大っ好きだったんだから。心から感動してた!凄い!と思った。本気で尊敬した!」 「本当?え〜でも・・・少しはバカにしてたでしょ?」 「いや全然。眩しいくらいに羨ましかったね。バカにしてる気持ちは一切なかった。」 「ふーん。。。そっか〜〜〜」
「じゃぁ。。。ということで誤解も晴れたことだし、ここらで心を解放して、一発・・・」 「解放って、何よ。」 「心を開いて!」 「もう出来ないよ〜〜〜」
残念。。。 でもいつかまた聴ける日が来る筈。。。と、密かに願っている。 なぜなら、彼女のなかにはロック愛がある!と(勝手に)信じているから。笑
2008年02月03日(日) |
pom-ponとクレヨン |
こころの学校へ来ている。どうやら単なるOpen Houseではなく、こども達のショーもあるらしい。 なぜか義母と義妹も来ている。ふたりはわたしたちの斜め前に座っている。
次の演目までしばらく間が出来、周囲が次第に騒々しくなってきた。 義母と義妹も立ち上がり、一緒に行こうと誘われる。
わたしたちはある教室に入り(こころの教室ではないようだ)、そこでしばらく談笑する。 ホールへ戻る頃、「忘れるところだった!」と義妹が大きなカバンからpom-ponを取り出した。 彼女は義母にもそれを渡し、わたしの分も持ってきているから取ってね、と言う。 小さな銀色のpom-pon(ひとつだけ入っていた)を取り出し、わたしは夫のところへと戻った。
こども達が後方から入場してきた。 こころがわたしたちを見つけ、にこにこと手を振りながら前へ進む。 彼女は薄桃色のタートルネックのセーターに赤紫色のジャンパースカート、白いタイツ、紺色の靴という姿。 髪は下ろしていて、赤いカチューシャをつけている。黒く縁取られた小さなハートが彼女のお気に入りの。
「なんて嬉しそうなの!見た?ねぇ見た?」 義母と義妹が振り向き、興奮気味に話しかけてくる。ふたりの開放的なリアクションに少し照れ臭いような気分になる。
こども達が壇上に2列になって並んだ。こころは前列の中央付近にいる。 さて、音楽が流れ、身体を揺らしながらこども達が歌いだした。 軽快な歌。伝統的な童謡なのだろうか、わたしは知らないが、周囲の大人たちも皆口ずさんでいる。
と、突然、客席の大人たちが一斉に立ち上がり、「Yes!」と叫んでまたすぐに座り、これを何度か繰り返した。 「Yes!」「Yes!」 義母と義妹はもちろんのこと、多くの人がpom-ponを振っている。 歌を知らないわたしはドギマギしてしまう。どうやら盛り上がりのコーラス部分で合の手「Yes!」が入るらしい。 わたしもなんとか真似ようと思うのだが、なかなかどうして。リズムがまったく噛み合わず困った状態。 隣にいる夫は踊る気はさらさらないらしく、片手でこめかみを押さえ、うつむいたまま笑っている。 それを見たわたしも急に可笑しくなって笑い出した。
大人たちが立ち上がるたびに、壇上のこども達の姿が見えなくなる。 周囲に合わせようと何度か試みて立ち上がってはみたが、ころころ笑い転げてしまい、どうもうまく行かない。 あきらめたわたしはもう立ち上がらないことにした。座ったまま、とりあえず1個だけのpom-ponを振る。
「Yes!」「Yes!」「Yes!」 愉快な音楽とともに人々の声が鳴り響き、しゃらしゃらとpom-ponが揺れる。 いつか自分もこんなことが出来るようになるのだろうか、いやそれはないな。。。 そんなことを思いながら、尚のこと可笑しくてたまらなくなる。
・・・・・・・・・・・・・
授業風景を見ることになる。 たまたま入った教室で、席に着くように言われ、なぜか一緒に授業を受ける形になった。
夫とふたりで席に着く。周囲は、20代〜30代の大人たちばかりだ。 前方には世界地図が用意されている。講師は髪をひとつにひっ詰めたややふくよかな女性で、洒落た眼鏡をかけている。
「では、アリゾナ州に色を塗ってもらいましょう。じゃぁ・・・そうね。。。あなた、お願い!」
指示されたのは、ネパールかインドネシアか?東南アジア系の顔つきで、褐色の肌に黒い巻き髪の若い男性だった。 彼と一緒に座っているのは友人なのか家族なのか・・男女混じって5人ほどいた。 どうやら彼らは英語がそれほど堪能ではないようだ。 質問の意味を仲間内で、彼らの言語で話し合っているようだった。
アシスタントらしき女性が、にこにこと笑顔を振りまきながら、講師から渡されたクレヨンを彼らのところへと持ってきた。 透明なプラスチックのケースに入ったやたら大きなクレヨンだ。
紙の地図に色を塗ると、前方へ張り出された大きな地図にも同じ色が塗られる仕組みになっているらしい。 彼は悩んだ末にクレヨンを一本取り出し、さささと塗り始めた。
「あ〜〜〜〜あ、、、」 周囲から声が漏れる。声のトーンで、間違っていると判断したのだろう。彼は塗り始めた色を消しゴムで消した。
仲間と話し合いながら、また色が塗られた。今度は茶色っぽい赤だ。わたしは「そうそうアリゾナはその色よね!」と妙な確信を覚える。 だが、「いや。その色じゃない」と夫が言う。 よーく見ると、塗られた色の隣にはエジプトが見えた。 あーーー違う!アリゾナはエジプトの隣じゃないもんね?違うよね? 夫はそれには答えず、色が違う、と言い張る。だんだんわたしも、そっか・アリゾナはもうちょっと違う色だったかも。と思えてくる。
そもそもクレヨンが違うからなんだ。と夫が強く言う。 彼らが渡されたのは18色のクレヨンだったが、アリゾナ州の色は18色クレヨンには「ない色」と言うのだ。 正しい色は、最低でも36色クレヨンじゃないと無理なんだ。あのクレヨンからは選びようがないんだよ。 そう言われてみると、なるほどそうだよなぁ〜と納得する。
18色のクレヨンを手に、これでもないあれでもないと選ぶ彼らを見て、いたたまれない気持ちになった。 あの人たちは英語がわからないみたいだから、言ってあげたほうがいいよ、ね、講師にちゃんと言ってあげたほうがいいよ。 遠慮がちな夫をなんとか押して、説得した。
おもむろに手を上げた夫に気付いた講師が、得意そうに肯き発言を促した。 彼女は彼の説明を聞いた後「あぁ〜。。。」と声をあげ、慌ててアシスタント・ティーチャーに36色のクレヨンを持って行かせた。
新しいクレヨンの色を見ながら、彼らはまた話し合いを始めた。 薄暗い赤茶色が塗られると、にわかに周囲から拍手が沸き起こった。 わたしは、やっぱり地理が得意っていいよなぁ〜と、しきりに感心しまくっている。
・・・・・・・・・・・・
変な夢。
こころ曰く、バスケットのParent's Nightに参加できなかったことへの罪悪感が見せた夢なんでしょう!と。 なるほどそうかもしれない。 それにしても、小さな姿のこころが夢に出てきたのは久しぶりで、目覚めてからも楽しい気分が残っていた。 こういう夢を覚えている。というのも、悪くない。笑
最近、「ねむりと記憶」についての面白い記事を見つけた。 最高です。お時間のあるときに、是非どうぞ。
わたしはこどもが嫌いだ。 と、よく言う。 でも厳密には、「嫌い」よりも「苦手」。まぁおんなじようなモンだけど。
こどもたちは嫌いじゃない。 どちらかというと、好きなのだと思う。 こどもは希望の光。
たぶん、わたしが「嫌い」だと感じるのは、自分がこどもに振り回される状況に陥る事態なのだと思う。 無駄なことだけど、「嫌い」と宣言することでそれを避けようとしているだけなのだろう。
「わたし、こどもに好かれるのよ」と、こころが言う。 わたしもそうだよ。でもね〜ちょっとね〜。
こどもと一緒に遊ぶ⇒こどもの人気者になる⇒こどもはもっと楽しくなる⇒わたしもなぜか楽しくなる⇒収拾がつかなくなる⇒非常に困る
思うにわたしは、「収拾がつかなくなる」の手前にあるべき段階の技術(心?)が欠けているのではないか。
彼らはそういうわたしの性質をいともたやすく見抜く。たぶん本能で。 そして、「あ、このオバチャンちょっと違う・・・」と、さらに近寄ってくる。 困る。非常に困る。慕われても困るのだ。
「わかるようなわからないような・・・」と、こころが笑う。
それは、ライン取りが「曖昧」ということ。つまり気持ちのゆるさ=ちゃらんぽらんさ。 そういう匂いをこどもは感じ取る。わらわらと寄ってくる。 こちらとしてはもうお手上げだ。
でも、ある意味こどもはしっかりとした線引きを望んでいるとも言える。 そうしてくれたほうが楽。と、どこかでわかっているのかもしれない。 「ここで言ってくれたら止めるのに」 「あそこで叱ってくれたら止められたのに」 無意識にそういうのがあるんじゃないかな。。。
で、「収拾がつかなくなる」というのは、その辺りが関係しているのだ。たぶん。 わたしは、「まぁ良いんじゃないの」という感じで見ている。 自分たちでなんとか出来るでしょ。と見ている。 出来なければ出来ないでも、なんとかなるでしょ。と思う。 こどもにはこどものルールというか、あるのだな何かが。だから下手に口出ししても。。。
と書くと、随分とこどものことをわかっているような言い方だが、そうでもなく・・・。 つまりは無責任なのだろうな、と思う。 まぁ「こども」といっても、一括りには出来ないけど。 個の性質もあるし、3歳児と4歳児といった、成長段階の違いもあるし。
教会で、2歳くらいの女の子がやんやんとぐずっていた。 お母さんやお姉ちゃんが、なだめながら「しぃ〜っしぃ〜っ」と教えている。 自分がちっちゃい時もああだったか?とこころが訊く。 「うん。あんなだったよ」 「わたしが大きな声出したら外に連れてったの?」 「まぁね酷いときはね。でもなるべくは連れ出さないようにしてたけど」 「なんで?」 「大声出せば外へ行ける、ってわかるから。こどもはそういうのわかるのの天才だから」 「マミィっておもしろ〜〜〜い!」 冗談じゃない。真剣だ。
こどもは嫌い。こどもは苦手。 どんなに声高に宣言しても、彼らはわたしのことをじーっと見つめ、にこにこっと屈託なく笑う。 ハート大全開だ。
いやはやそんなことをされると・・・ホントのほんとに困るから。
あっくぉー うたぁーる。だぁいきな?
ぬがよ
長々出らんから うらんのかぃっち うむてぃ。
あいー。もしもし っち いゅんばん、やぁぬ ききゃらんたぬ だろ〜。
あがし!ゆび鈴の りーんりーん ち 長々 なちゅたんちょ。
・・・ぬぅよ。
ぬぅよ っち どぅ〜がしかぃ〜 元気っくゎしもりんしょんかぃ〜 ち うむてぃよ。
はぐ!マコな?
うぐ? たるっちが うむいかたね?
○○っちがうむいかた。
はげれー。あれはおらんのね?
散歩に いし。
あなんだろ〜 母ちゃん、散歩先からまでは 電話んきゃ すらんだろ〜〜〜。笑
ちゃーね。笑
・・・ ・・・ ・・・ ・・・
母へ電話をかけた。 いつも一発で「わたし」だと解った例がない。 大抵、姉たちのどれかに間違えられる。 まぁ以前からずっとそうだったけれど、ここへ来てからは尚のことだ。 それだけ、わたしの存在が遠くなってしまったのだろうな・・・とも思う。
母はこのところ、調子が悪いらしい。 それでも、声にはまぁまぁ力強さがあって、少し安心した。 毎度のことながら、9割がたは母の話を聞き、わたしは相槌を打つという感じ。
年寄りになって、喋ることが沢山あるようだ。 たぶん、これまで表出してこなかった分、取り返そうとしている。のかも??? 少なくとも、母はそうなのだと思う。 だから、満足いくまで喋ったほうが良いような気がする。
それには「聞く人」が必要だ。 しかし、「聞く人」も大変なのだな。。。まして、いつも傍にいるととてもじゃないが敵わない。 楽しい話ばかりだと良いのだけれど、辛い話のほうが圧倒的に多いからな〜。
「聞く」には、「心」はもちろんのこと、「技術」が要るのだろうと思う。 あいにくわたしもその技術は持ち合わせていない。が・・・とりあえず「心」はある(つもり)。
わたしが帰ったからとて、状況にはなんら変化をもたらすことはないと思う。 でも、なるべく早いうちに帰れるようにしよう。。。と、母と話していて強く思った。
自分の気持ちに素直に沿ってみようと始めたことなので、途中で投げ出すのはいかがなモノか・・・と思っている。 いや、投げ出すこともまた自分の意思であれば、それもよし。
とは言え、その前にもうちょっと距離を置いてみよう・・・と思う。 時間をかけることで漉しだされるのを待ってみようかな・・・と思う。
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