ぶらんこ
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最近、こころさんはむやみやたらに噛み付かなくなった。
どうも、「むやみやたらに」噛み付いちゃったなーと、自分でわかるみたいだ。
で、素直にそれを認めて笑っちゃったりなんかしている。
ごめん、ごめん、とか言いながら。
その表情を見て、お、大人になったなぁ・・・と思う。
それから、
母ちゃんももちっと大人になったほうがよかかねー。 と、思ったり。
拍子抜けしてるようじゃ・・・いかんか。
夜中に見た夢のかけらがまだ残っている。
怖くて途中で起きた。 お水を飲んでから、続きはもう見ませんように、と祈るような気持ちで再び眠りに陥った。 おかげで、どうやら続きは見なかったようだ。 でも、昨夜の夢の途中の切れ端が、何かを思い出させようとしている。
夢のなかで、わたしは核爆発を食い止めるための、過去に飛ばされた工作員だった。 わたしの他にも3人はいたと思う。 過去といっても、ほんの短い期間だった。よく思い出せないが3日とか、それくらい。
工作員と書いてみたけれど、ごくごく普通の暮らしをしていた。 誰の命令で過去に遡ったのかは、覚えていない。でも、政府とかではなく、とてもプライベートなグループだった。 ただ強烈な使命感で動いていた。連絡を取り合っていた仲間たちもわたしと同じ気持ちだったと思う。 そういう余韻が、今も尚、ひたひたと静かに波打っている。
残念ながら、物語性はもう忘れてしまった。 どこかのオフィスへ行って、何かを探していた。それが核爆発を食い止める鍵だった。
変な夢。 今朝、こころにその夢の話をすると、マミィの見る夢って壮大なスケールだね〜と笑われた。 そらそうよ。宇宙と繋がってますから。
そう言えば、夏にこんなことがあった。 友人の娘さんの進路について話していたときのことだ。友人曰く、
「なんだかねぇ〜志が高いのは嬉しいんだけど・・・身の丈を知らないというか・・・あの子、空を飛びたいらしいのよ」
さて、これを受けてのわたしの言葉・・・
「すっごい!宇宙飛行士か〜!!!いいねぇー!」
友人は・・・思いっきり噴出していた。わたしは彼女がなぜ笑うのかがわからなかった。ん?何か間違ったか???
彼女は「飛ぶって空よ、空!宇宙じゃないわよー」とお腹を抱えながら言った。すっごいこと言うのねぇーいつも何考えてるの?とも言っていた。 正直なところ、それを聞いても、何がどう可笑しいのかわからなかった。
そして、彼女の、娘の夢はフライトアテンダントになることなの、という言葉を聞いて、やっと納得したのだ。 そっか・・・。そういう職種もあったか。
もう随分昔のことだが、若い頃に仲良かった精神科医に自分の夢の内容を話して聞かせたことがある。 そのとき彼はわたしに向かって、「あなたは男性的な人だね」と言っていた。 わたしの見た「ロケット」の夢の分析結果らしい(夢診断の領域では、ロケット=男根という意味があるそうな)。 また、普通、飛行機の夢は見ても、ロケットや宇宙船の夢まではなかなか見ないものだけど・・・ということも言っていた。
が、わたしは今でもその説に懐疑的である。
夢は、測るものではなく、ただ、見るものでしょう。
まず、伝えるべきことを箇条書きにしてみた。 余計なものを入れ込まず、焦点を絞って。
次に、どのように伝えるべきかを考えた。 感情的にならない。冷静に。出来る限り穏やかに。
最後に、自分の心を静めるよう努めた。 相手を責めない。攻撃の波動がもたらすものは害でしかない。
・・・
昨夜の出来事は、わたしが母親だということをあらためて認識させられた。 あれほど感情が揺さぶられるとは・・・自分でも意外だった。
こころさんにとっては痛い経験だったと思う。 彼女の心を想うと、今でも胸が痛む。 口にすると薄っぺらになってしまうが、「これもまた学びなのだろう」。 (でも、今はまだ、そういう境地になれなくても良いと思う。よかよ、よか、まったくもって、よかがー!!)
一晩おいたのは正解だった。 わたしみたいな短気な人間にしたら、上出来だったと思う。 言わなくてはならないことはしっかりと言えたし、聞き難い言葉や表現にも、揺らぐことなく受け答えできた。 偽りの言葉はけっして心に響くことはなく、ただ、さらさらと流れていくだけだ。
たぶん、欠けていたものがあるとしたら・・・「誠意」かもしれないなぁ。。。 途中、聞いていて辟易してしまったものなぁ。。。
でも、あれが精一杯だった。そして、あれで良かった、と思う。
難しいね。 まだまだだ・・・自分。
痩せたいんだけど、食事制限はちょっと・・・とか、運動は苦手なんです、とかいうのをよく聞く。 それはつまり、痩せたくないのでは?と、つい突っ込んでしまいがちだが、 いやそうではなくて痩せたい気持ちはあるのだ、あるのだけれど、その意思の力がちょっと弱い、ちゅうことなのだ。と、思う。たぶんね。
そういう人に画期的な方法があるのよ!・・・と、これは姉�,�らの情報。 まず、食事制限なし。なんでも食べたいだけ食べなさい、ということらしい。カロリー制限もないので、もちろんおやつもOK。 尚かつ運動義務なし。やれ水泳しろだのスクワットしろだの散歩しろだの、一切、ない。
ではどうするのか? というと・・・。
「食べたものをすべて書き出しなさい」 ということらしい。(これって糖尿病の患者さんへの食事指導にもあったような気がする)
食べた後(忘れないうちに)に、食べたものを「すべて」ノートに書き込む。それだけ。 ノートを見て「あ〜今日もこんなに食べちゃったよ、、、明日はちょっと減らさないと、、、」なんて反省する必要もない。 (この辺りは糖尿病患者さんや家族への指導とは違う) なぜなら、『書く』という行為自体が、無意識下に働きかけられるから・・・なのだそうだ。 なんも心配しないでいいですよ、なんも努力しなくてもいいんです。という、実に気楽(ずぼら?)な方法だ。
いや〜それが出来ればあなた、世の中に太っている人なんていなくなるでしょう!という意見もあるだろう(実際わたしはそう突っ込んだ)。 さて・・・どうだろうか。試してみる価値があるかどうかは本人次第。 もしもやってみたいという気持ちがあれば、騙されたと思って。。。???
この真偽の程はわかりかねるが、『書く』ことのもたらす作用というものはあると思う。
「書く」=「言葉にする」ということは、自分の内面にある何かを掬い上げることだと思う。 で、それが自分の本当の「心」とまったき一致しているかどうか・・というと、案外(とても?)難しかったりする。 (口から出る言葉に関しては、もっと難しい) それでもなんとか言葉にしようとしている・・んじゃないかなぁ。 だからこうして、日記じみたことをちまちまと書いているんじゃないかなぁ・・・と、思ったり。
書いたものを読んで反芻して、ということは、してもしなくても良い。 そんなことはどっちでも良くて、「書く」行為そのものが大事というか真実というか。 うまく言えないが、きっと、「書く」ことによってもたらされる「何か」があるのだと思う。 表現することの彼方にあるものへ向かう、という「過程」そのものが。
いや・・・よくわからん。
さて、書き出すだけ、或いは書き出したものを眺めるだけのダイエット。 これは、本人の「本当」の気持ちがどこへ向かっているかにかかるような気もする。 わたし本当のホントは痩せたいの。。。そういう人はじきに体重が減っていくかもね。 わたしは食べられるだけ食べたいの!・・・そういう人には起爆剤となって、確実に体重が増えていく。
ってことも、あり得るんじゃないかな〜。
さて、いったい自分は何を求めているのか? ってところなのかもね。
夏。大好きだった叔父が他界した。 母と一緒に島へ帰ったその晩。 兄家族も集まり、皆で賑やかな食卓を囲んでいるところへの訃報だった。
叔父は母のすぐ下の弟である。十数年前に脳梗塞で倒れ、長い闘病生活を強いられていた。 在宅療養の時期もあったが、この十年は病院や施設を転々としていた。 母は帰島する度に、叔父の元へ見舞いに行った。 言葉を失った叔父はいつもくしゃくしゃな顔をして喜んでくれた。
叔父は漁師だった。 小さな船を持ち、ひとりで沖へ出る。そんな叔父の姿はわたしたち兄弟姉妹にとって頼もしく、尊敬する存在だった。
叔父は、よく夜も更けた頃に我が家へ遊びに来た。もちろんユックラッテ。 わたしたちは叔父のことが大好きだった。なので、叔父が来ると、それがどんなに遅くとも皆で喜んで迎え入れた。 焼酎をついで、叔父の話を聞く。 叔父はせヘ(焼酎)のせいで舌が滑らかになっていて、赤い顔でにこにこしながら色んな話をしてくれた。
どうして叔父のことがあんなに好きだったのだろう・・・と、今になって不思議に思う。 もしかしたら、叔父のことを亡くなった父のように感じていたのかもしれない。 あの頃もしも父がまだ生きていたら・・・どうなっていただろう。 想像できないのは、わたしの記憶に父の姿がほとんど無いからか。
夜中を過ぎると、叔母が叔父を呼びにやってくることがあった。 叔母は「なんでこんな遅くまで」とヤナグリだ。 もちろん叔父はまだ帰りたくない。ユックライだから。 母は叔父をうまくたしなめて帰そうとする。 それでも叔父は何やらわけのわからんことを言いながらもう少し、と居座り、やがて連れて行かれるのだった。
どうしても叔父が動かない時もあった。 そんなときは、「おばー、うじっくゎ、まぁこたちがともして帰るがー」と言って、わたしたちが叔父を連れて帰った。 ある晩、叔父を連れて行くと、ちょうど月下美人が咲き始めたことがあった。 いつもはウトゥマラシャン叔母も、そのときばかりは穏やかだった。 皆一緒に、静かにその月下美人を眺めた。そのときの叔父は、いよいよ優しい顔をしていたように思う。
本当に、叔父は優しい人だった。 いつもにこにこと笑っていて(これは焼酎のせいかもしれないが)、怒っている姿などはまったく記憶にないくらいだ。 周囲の人たちは叔父のことを「もの静かな人」と評していたらしい(お葬式で知った)。 でもわたしたちにとっての叔父は、冗談を交えながら雄弁に夢を物語る人であった。 その違いは、なんだったのだろう? 人は沢山の側面を持つということでもあり、人は人の、ある側面しか見えないもの、ということもであるのか。
叔父のちいさな船で、キョンナやフラの浜へ連れてって貰ったことがある。船でないと行けない、カクレ浜だ。 母はおにぎりを作り、お茶を準備した。 わたしたちは嬉しくて楽しくて。叔父の船は海面に限りなく近く、波打つたびに歓声を上げた。 ポンポンポン・・・軽快な音を立てる叔父の船と、海の彼方に向かって舵を取る叔父の凛々しい姿は、今でも心に強く残っている。
うじっくゎ、うじっくゎ
わたしたちは、うじっくゎのことが大好きだった。 本当に、心から、大好きだった。
うじっくゎがいなくなってしまって、淋しいです。
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