ぶらんこ
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友人らと温泉旅行に来ている。山奥のわりと大きな旅館だ。 温泉に浸かって友人らと話しながら、今日果たすことの出来なかった山登りのことを思い出している。 そして、どうしても登りたい・・という気持ちが強くなっていった。
ちょっと行って来るから、と友人に声をかけた。 彼女達は「気を付けてね〜」と笑いながら気軽に手を振ってくれた。冗談だと思ったのか?
湯気の篭る渡り廊下を抜けながら、ワクワクと胸の高鳴りを覚えた。今から出かければ明日は皆と合流できる筈。。。
・・・
登山口に到着した。周囲にはもう誰もいなかった。 登り始める前に自分の跳躍力を確かめてみると、まずまずの感触だった。
わたしは飛ぶように山道を進んでいった。 ひと跳びで10m以上は軽くいけた。 跳び方に慣れてくると、もっと大胆に跳ぶように試みた。 そうだった、こうやっていつも飛んでたじゃないか、と思い出した。 そして、なぜずっと歩いてたんだ?と不思議に思った。なぜ忘れてしまってたんだろう?
あっという間に頂上まで来た。 辺りは靄に包まれている。これまで登って(跳んで)来た道程も靄に満たされ、ところどころ見え隠れしていた。 汗ひとつかかず、いとも簡単に到達してしまったのだが、とても晴れやかな気持ちだった。 ずっと忘れていた何かを取り戻したような満足感。
ふと、友人らに見せようと思い、周囲の写真を何枚か撮った。 ちょっと恥ずかしい気持ちもあったが、右腕をなるべく前へ出してカメラに向かってにかっと笑い、自分の写真も撮った。
それから山を下りた。 登ってきたときよりもさらに大胆に跳んで下りていった。
・・・
駅には大勢の人達がひしめき合っていた。 大久保、急行〜。というアナウンスを耳にし、慌てて電車に飛び乗った。 暗い表情の、赤ん坊を連れた女性の隣に座った。眼が合ったので軽く会釈したのだが、彼女はそっぽを向いてしまった。 赤ちゃんはシートの上に寝かされていた。古めかしい時代錯誤な服を着せられていて、生地の厚さとは裏腹に到底暖かい服とは思えなかった。
ほどなくして車掌が入ってきた。若い女性だった。彼女は真っ先にわたしの元へやってきた。 チケットを見せると、「指定席。480円いただきます」と言うので、「すみません、移ります」と席を立った。
それからその電車を降りた。乗り換えのためだ。 人の波に逆らわずに進むと、エスカレーターが伸びていた。前方からスムースにエスカレーターへ吸い込まれていく。 わたしの番になりいざ足を踏み出すと、そのエスカレーターには手すりも何も付いていなかった。いわゆる足元のベルトコンベアのみだ。 ひゅーーー危険だなぁ・・・と思い、軽く跳んで降りることにした。長いエスカレーターだった。 慣れているのか、人々は黙ったまま静かに立っている。わたしはその中を縫うように跳んでいった。 何度かめで地上が見えた。出口(?)には駅員が立ち、人々を誘導していた。そこを目指して跳ぶと・・・
エスカレーターの出口付近に、鉄棒のようなものが何本か立っていて、トンと足を下ろしたときに、それらがバラバラと崩れてしまった。 なんでこんなところに障害物があるの?と思いながらも、ぎろりと睨む駅員に「すみません、」と軽く頭を下げた。
駅員は冷ややかに「計何本?罰金はあちら」と言って、もうひとりの駅員を目で示した。 まったく気付かなかったのだが、もうひとりの駅員が少し進んだところに立っていた。こちらはとっつきやすそうな顔をした若い男性だった。
幾ら払ったら良いのか訊くと(なぜか英語)、彼はにこにこ笑って何も言わないので、わたしはお財布から10セントを手渡した。 「ダイムなんて!」と、彼は噴出した。「きみが倒したのは何本だったと思う?」(こちらも英語だった。喋り方からアメリカ人なのだと思う) 突然、恥ずかしい気持ちが沸き起こった。そして、10本もなかった筈、と思い、$1札を差し出した。 しかし駅員はまだ笑っていた。わたしは、これ以上は大きなお金になってしまうからそれしか出せない、と丁寧に、だが強気に交渉した。 サイフの中には$5と$20紙幣が何枚か入っていたのだが、$5払う気持ちはさらさらなかった。 駅員はにやっと笑いながら、「オーケィ」と通してくれた。
・・・
アミューズメントパークにいる。 屋内型の、巨大なアトラクションを見上げている。 透明な筒状があちらこちらに伸びていていて、6人乗りほどの車が音もなく通り過ぎていく。 わたしがいる場所は中庭のようだ。とにかく入り口か出口を探さないとどこへも行けない。 わたしは軽く跳躍して高いところへ立ってみた。何度か跳ぶと、こどもが座っているのが見えた。 どこから来たのだろう?いや、どうやって来たのだろう?と思っていると、下から母親らしい女性がその子を呼んでいた。 すると、いつの間にかその子は母親と一緒にいて、わたしのことを見上げていた。 あれ???どうなってんの? 女性はこどもに「見ちゃいけません」と言っている(ような気がした)。でもこどもはまっすぐな眼でわたしを見ている。 あの子なら行きかたを知ってるかもしれない・・という気がするのだが、今ではもう豆粒ほどに小さい。
ここは前にも来たことがあるんだけど・・・行きかたを思い出そうとするのに、どうしても思い出せないでいる。
−自分で自分のことをかわいそうとは思わない
思わない 思いたくない
どう感じようといいんだよ どう感じてもいい
辛かった 苦しかった
辛い 苦しい
でもだいじょうぶ だいじょうぶ
だいじょうぶじゃなくても だいじょうぶ
だいじょうぶにならなくても だいじょうぶ
勇ましくなくていいんだ 心のままでいいんだよ
今朝起きたら、辺り一面、新しい白に覆われていた。 雪はもう止んだようだが、とてもとても、寒い。
冬は大嫌いだ!と夫は言う。 わたしはそうでもない。否、そうでもなくなった。 寒いのは苦手だけれど、嫌いではない。 どんなに気温が低くても、そこそこ大丈夫なんだなぁ、と自分自身驚いている。 犬と外へ出たときの、キーンと痛いような空気が嬉しく感じることさえある。 呼吸するだけで胸の奥まで凍てつくような日には、言葉には出来ない、畏敬の念が湧いてくる。 雲のない冬の日の夜空の美しさは、何ものにも代えがたいほど格別だ。 そんなとき、冬もいいモンだな・・・と、素直に(のんきに)思う。
庭に建っている古い倉庫の床下に、野うさぎ一家が暮らしている。 同じファミリーなのかどうかはわからないが、ここへ越してきた頃から幾度も彼らの姿を見かけている。 彼らは天気の良いときに出てきて、ちょこんと座って何やら眺めていたり、雪の下にあるだろう草を掘り返したりしている。 最低でも4匹の家族だ。
犬たちはもちろん彼らの存在を知っていて、猛然と倉庫の東側に駆けて行くことがある。 きっと、庭に出た途端、野うさぎ一家が活動した匂いとか光とかの痕跡を感じるのだろう。 まぁ決まって彼らは既に床下に避難した後だけれどね。
先週、ほんの少しの期間だけれど、寒さの緩んだ時期があった。 そのとき、久しぶりに野うさぎの赤ちゃんが一匹、外へ出て来ていた。 夫が見つけ、わたしを呼んでくれたのだった。 彼女(彼?)は何を食べるわけでもなく、ただまぁるく座っているだけのように見えた。 かなり長い時間だ。時々、伸びたり縮んだりしていた。日向ぼっこをしていたのかなぁ?
わたしたちは珈琲を飲みながら、その子の様子を飽きることなく眺めた。 雪の積もったままの庭。 裸の樹たちは陽光を遮ることなく惜しみなく世界へと注いでいる。 そこでちいさく輝くいのち。
義両親はわたしたちの古い倉庫を新しくしたいといつも言う。 新しくしなくとも、せめて向きを変えたほうが良い、と勧める。 庭の景観のためにとのことだが、わたしたちはまったく気にならないし、今のままでいいと思っている。 (確かにかなり古いので、それなりの修理は必要だけれど) 以前うっかり、義父に野うさぎ一家の話をしたら、彼はうさぎ退治の方法について力説してくれた。 なのでそれ以来、その話は避けるようにしている。笑
うさぎが住みたいのなら住まわせておけばいいじゃないか。と、夫は言う。 別になんの問題もない、と言う。 わたしと夫はまったく違うタイプの人間だけれど、こんなところは価値観が似ているようだ。 背景にある想いに違いはあれど、こんなとき、彼が夫であることを嬉しく思う。
ところで余談だが、彼は人間よりも動物とのほうが波長が合うのではなかろうか・・と、最近、特に感じている。 それは人間の世界では「生き辛い」ことなのだろうけれど、その素晴らしさを彼自身、気付くと良いのになぁ・・と思ったりする。 気付いたところで何かが開けるような気がする。 もしかして気付いているのかもしれないけれど・・・いやどうだろう。。。
うんにゃ。決め付けちゃいかんね!彼は彼。わたしはわたし。
彼のことは彼にまかせよう。 わたしはわたしのことを。
野うさぎのことは・・・野うさぎにまかせる!
書き出し、書き出し。 書き出しが浮かんでこないとなかなかねぇ・・・と思いつつ、書き出してみる。
去年のことを少し。
1〜3月。初めての本格的な「厳冬」というものを経験。 自己防衛として(だと思う)、まだまだ寒くなる筈・・と、必要以上に頑なな戦闘態勢だった、と、後になってから知った。 (友人からWinter Blueという言葉を聞き、冬の鬱というものを初めて知った。というか、たぶん、初体験した!) 家に篭りっきりにならぬよう近所のジムへ通う。当初1マイルでヘトヘトだったのが、3〜4マイルはへっちゃらになった。
4月。大袈裟ではなく、生まれて初めて(!)春の訪れを喜ぶ。 久しぶりに顔を出した土の愛しさ。いのちの芽吹き。心躍るとはこのことよ。これまでいかに身体と心を固くしていたかを実感する。 世界の死滅と再生について妄想。 こころさん無事に堅信を受ける。後は野となれ山となれ。どうかすこやかに育んでいきますようにと願うばかり。 こころの春ソフトが始まる。気温はまだまだ低いが、屋外スポーツを毛布持参で心から楽しんだ。
5月。畑の開墾に着手。計画性の無さを認めつつ、ただただ始めてみる。ジムに通っていたわりに身体はへなちょこのままだった、と痛感。 コミュニティカレッジのサマークラスでCNAのコースを発見。帰国日程にも間に合うスケジュールだったので、ドキドキしながら申し込む。 家人を気遣いながら(?)心のなかで帰国準備を本格的に開始。
6月。コミカレにてクラスを受講(英語での聴講というものを初めて経験する)。 ヤング・アメリカンとのギャップに苦しむ。文化の違いプラス歳の差。という思い込みから解放された頃、ようやく楽しくなる。 波乱の変更で、帰国前日にCNA試験を受ける。長い一日。食欲のないわたしの目の前でガツガツと食べるクラスメイトを見て心から尊敬する。 若いということは怖れを知らない。彼らは試験そのものよりも終わった後のことを考えていた(素晴らしい!) 夜中過ぎまでかかってパッキング。翌朝慌ただしく帰国の途へ。家人の様子に申し訳なく感じるとともに、叱咤激励したくもあり。
7月。帰省。鹿児島〜奄美。 食事を作るのが楽しくて仕方がない。食材いろいろ。日本って美味しい国だ〜と心底思う。 4姉妹で計画した長兄の還暦祝いを霧島にて。懐かしい話でおおいに盛り上がる。 皆で競った名無しの俳句(短歌)大会が楽しかった。名無しだというのにわたしの作品はすぐにバレた。イヤラシサが出てたのだろうか。笑 母を連れて島へ帰る。車なし電話なしPCなしのスローライフをじっくり味わう。 島に帰った途端、母が活き活きと動き出し驚いてしまう。母にとっての島というものについて、深く考える。 再び鹿児島に戻る。温泉三昧。思い切って大分への小旅行を決行する。人生楽しまなくちゃ。
8〜9月。我が家はやっぱり落ち着くなぁ・・・とあらためて思う。嬉しそうな家人を見て、単純だなぁ・・と笑えてくる。 思いがけずマイ畑からの収穫がぼちぼちあり。来年への意欲を新たにする。 こころさんがホームシックになってしまうのでは・・と危惧したが、拍子抜けに元気に順応してくれた。 CNAの認定を晴れていただいていたことを確認。仕事探しを始める。 友人の訃報に涙する。あれこれ思い起こす。感謝の言葉をどれだけ連ねても足りないくらいだ。
10月。就職のためのレジュメを作成。近所にあるホームケア部門に申し込み、面接試験を2次まで受けるがバツ。 結果に結構、凹んだ。という事実に尚、凹む(ややこしい)。 気を取り直し、ちょっと離れた街のナーシングホームに申し込む。面接を受けるが、週末勤務必須とのことで悩んだあげく、辞退。 その後、週末・・・日勤のみであれば仕方ないかなぁ・・思いつつ、しばし静観することにする。
11月〜12月。いきなり寒くなる。雪も沢山降る。女手だけの雪かきは相当キツイ、、、と痛感する。 去年のことを思い出し、変に力まずに冬を迎えるぞ、と誓う。固くなっちゃイカンよと言い聞かせている。 母の具合いが悪くなり家族と連絡を取り合う。動揺してても何にもならない。現実に何が出来るかを考えろ。 結果オーライに皆で喜ぶ。「老いる」ことについて、考える。母のために(自分は)何をしたいのかを具体的に考える。 オバマ氏が次期大統領に決定する。高揚した群集の前で浮き足立つことなく演説する彼の姿に感銘を受ける。 デプレッションの中、わたしの仕事探しは中断したまま。 年明けからでいっか・・・とのんびり構えることに決めた途端、お気楽な気分になった。
と、こんな感じか。 出来るだけ素直に書き出してみたが、実際はもっとぐちゃらぐちゃらしていた。 過ぎてしまったから簡潔に書けるものなのか、或いは簡潔にしか思い出せないのか?
去年は、「健康」というものについて考えた一年だった。 病気になる。ということ。 からだの不調。こころの不調。 調和とは。
さて、今年はどんな日々が待っているのだろう。 どんな日々を創りだすのだろう。 まぁすべては自分次第です。
今年もどうぞよろしくお願いします。
こころさんはインターナショナル時代の友人と今でもたまに電話やPC上のチャットで交流を続けている。 また、フェイスブックだのマイスペースだのというSNSのおかげでお互いの近況を簡単にシェア出来るらしい。
昔々、こころが保育園を卒園するときのこと。担当の保母さんが写真やイラストに楽しい言葉を添えてカラフルなアルバムを作ってくれた。 今の子達は、「それ」を自分で作っているようなものだと思う。自分の好きなもの(だけ)を、好きなように。 考えてみるとなかなかマメな作業だ。そこへ投入する気持ちの量・強さというものも相当なものだと思う。 とは言え、適当に力を抜いている様子もあり、それはそれで面白いなぁ・・と思いながら見ている。 ・・・余談だった。
さて、この前彼女はある友人から「変わった」と言われたらしい。Less Japanese=日本人らしさが少し消えた、と。 (チャットでは英語・日本語どちらも使っているようだが、どのように使い分けているのかはわからない)
それを聞いて、なるほど会話のなかでそういうの感じるようになったんだ、成長したモンだなぁ・・・と感心していたら、 「マミィはどう思う?わたし、変わった?」と訊かれた。
変わった・・・・・・・・かどうか・と言われると・・・うん・変わったでしょ。いいことじゃん。 すると彼女は、えーーー、、、少し困った顔をした。少なからずショックを覚えたようだ。 (はて、それはどういうことなのか)
日本人らしくなくなった、ということじゃない。その辺りは変わってないと思う。 けど、あなたが英語を喋ってるときはアメリカ人的だなぁ・・と思うよ。発想というか思考というかね。
彼女はしばらく考えていたが、妙に納得したようだった。そして、思いついたように色んなことを話し始めた。
最初に日本に引っ越したの、本当はすごく嫌だったけど、今はずっとあそこにいなくて良かったと思っている。 もしも引っ越さなかったら(・・って、こういうのマミィは考えないと思うけど、わたしはダディと一緒だからたまに考えるのよ) わたしは今のわたしとは違って、それこそ本当に100%American-Teenaigerになってたと思う。
・・・と、ここでベラベラと英語でまくし立てること数分・・・
要約すると、アメリカだけではなく、日本での「暮らし」を体験できたことは結果的に良かった。ということだった。 わたしもそう思う。彼女のなかにある「日本人としてのアイデンティティ」は、あれがなかったら培われることはなかったかもしれない。 日本人。ということだけじゃなく、かごんま人・島っちゅという部分も。 あれもそれもこれも。全部ひっくるめての、こころさんなのだ。
だが、興味深いのは、実はこの後。
わたしは何度も引越ししたから、自分で言うのもなんなんだけど、adaptするのがうまいの。そうしなきゃいけなかったからね。 自分でも、自分を客観的に見ると、ちょっと大袈裟かもしれないけど「二重人格」みたいな部分はあると思う、日本人・アメリカ人って。 でも、それが「自分」だから。それでいい、って思う。 人間さーーー誰でも多かれ少なかれそうやって周りに合わせてるでしょ。 それは悪いことじゃないし。いいじゃん、それで。 つまりーーーー わたしはわたし!ってことよ。
面白いなぁ。。。最高!おおいに笑ってしまった。 いやはや・・・色んなことを考えるようになりました。 人がどう思うかじゃない。『自分が』どう感じるか。だ。 どんどんムンカンゲしなさい。もっともっと思考するべし。 常に変化はやってくる。 そうやって「自分らしさ」は形成されていくのだよ。
ところで、話は変わるが、こんなこともあった。 ハリーポッターのある場面について、このように解釈している読者もいるという話をわたしがしたときのことだ。 以下、わたしの話の要約。
・・・・・・ マニアックなサイトで読んだ話で、作者自身はそのことに対し何も言及していない。 だから、それが作者の意図することであったかどうかはわからない。 けど、本というものは・・・本だけじゃないけど、読者の手に渡った時点で、その解釈は読者に委ねられるわけだ。 だから、読者がどう感じようと、そんなの作者の知ったことじゃないし、たとえ意図することじゃなかったとしても別に残念とも思わないかも。 読者が何かを感じる。(内容は関係なく)「感じる」ということこそが本の面白みだと、思う。 ・・・・・・
するとこころさん、いきなり鼻息荒く同調しはじめた。
わたしもそう思う! だから「国語」とかReadingとかって大嫌い! 『この文章の、作者の意図することは何か述べなさい』とかってさーーー。それ本当に作者の意図することか?って思う。 っていうか、そういう問い自体、ナンセンス!って思うーーー。 たとえば一読者の解釈を、何をもって「間違い」とするのよ? そう考えると、答えるのがバカらしくなっちゃう。
なるほど。。。おもしろい。。。「考えすぎ」な感も拭えないが、おもしろい。笑 しかし熱いなぁ〜!これが若さというものか???
いいなぁ・こころさん。これからもますます楽しみ。
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