ぶらんこ
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なんだかみんな色々あるね。
2週間前に大失態をおかした。ことに気付いた。 その失態たるや、人生最大の、という形容が真っ先に浮かんだ程の、大大大失態であった。 しかも、それに気付かず(約2ヶ月もの間)のほほんと暮らしていたのだから、言葉を失ってしまう程の阿呆ぶりだ。 ここまでくると滑稽ですらある。とは言え、しばらく笑えなかったが。
ドジなどという言葉では足りない。 確かに間の抜けた失敗だ。けれども、そんなかわいいものではない。 あってはならない失敗だった。あり得ないミス。
自分を責めても責めても、現実は変えられない。受け入れるしかない。 と、わかっていても、辛い。 なんてことをしでかしたのだ、おいそれはないだろう、ここにきて、それはないだろう。 何度も何度も自問する。 なんてこった。なんてこった。なんてこった。
そんなときにふと思いついた。
ポカ
ポカ、だ。 そうだ。ポカをやらかしてしまったのだ。 ポカ、ポカ、ポカ。
ポカというのは島口だとばかりずっと思っていた。 が、調べてみると、立派な日本語だった。どうやら、囲碁や将棋の世界から派生した言葉らしい。
囲碁や将棋で、考えられないような悪い手を打つこと。転じて、するはずのないばかばかしい失敗。 by goo辞書
まったくもってその通り。 考えられないような行動。するはずのない(起こるべきではない)ばかばかしい失敗。
2週間経って、ようやくあきらめがついた。 やらかしたポカの責任は自分でとるしかない。 自分を責めたり悔やんだり悲しんだりしてもしょうがない。そんなことはなんの得にも助けにもならん。
起こったことは変えられないんだよ、きみ。要は今後、どうするか。でしょう。
やらかした自分のポカについて悶々と考える日々だった。が、その間も、暮らしは続く。 暮らしのなかでは色んなことが起こる。 わたしにも夫にも娘にも姉にも母にも義父にも義母にも友人にも。それぞれがそれぞれに。
なんか生きるって、キツイね。
誰かが言った。 そうかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない。いや、そうじゃない。
キツくなんてないよ。 そらちょっとはキツイかもしらんが、そんなのは当然のことで、キツイだけなわけがない。 キツイこともある。 くらいにしておこう。 人生って、キツイこともあるね。
いやホント、みんな色々あるね。 あるけど、それもいいんだな。 そうやって、自分で自分をしあわせにしていきたいね。 誰かをしあわせに、とかじゃなくて、自分を、しあわせに。
おら。笑って笑って笑い飛ばせ。 過ぎたことにくよくよするな。 未来できみを待っている良いことのために心を尽くせ。
こころを尽くせ。
大事にしてたつもりはない
むしろ
忘れてることのほうが多かった
でも
はじけて消えて
はじめてわかる
うっすい膜に
映るは過ぎ去った光
シャボンボウル
消えたから笑えたのか
笑えたから消えたのか
どちらにせよ
今夜は
あたらしいあなたに
祝杯をあげよう
まぁるい笑顔で
祝杯をあげよう
いろいろな霊魂が自分で自分を作るべきである。 私は尊い種をまく。 種子はひそかに働く。 霊魂は、それ自身の働きのために尊敬すべきである。 最初の種にききめがないなら、もう一つをまく、またもう一つ。 種まきが全くむだである。という確かな証明がある時だけ退いてよい。 それに祈るべきだ。 祈りは土地の上の露のようである。 それによって土地がやわらかくなり、養われ、そして種が芽を出せる。 「マグダラのマリア」 マリア・ワルトルタ著 より
ひとを信じる。 そのひとの、霊魂の、自由な選択を信じる。 くじけそうになることもあるけれど、 それでも、信じること。 そして、祈ること。
祈ること。
幼い頃は、「てんにまします」とか「めでたしせいちょう」とかを唱えることが祈りだった。 間髪なく口にのぼる、心に広がる、祈り。
いつしか大人になって、祈りの言葉を唱えることが祈りではない、と、心のどこかで知る。 知ってしまってからは、祈ることが、難しくなる。 難しいから、結局は、馴染みの言葉をくり返し暗誦する、これも祈りだと言い聞かせながら。
それでも祈りは露のように働く。 心はその露の雫を求める。 露はゆっくりと心を満たす。
祈りは、祈ることでしか、得られない。 わからないなりに、祈ること。祈り続けること。
光はそこにさしこむ。 あなたに。 そのひとに。
辛いときにこそ一緒にいたい か?
そらそうだろう
じゃぁ
しあわせなときはどうよ?
そうやって振り回すな
そうやって振り回されるな
2011年10月08日(土) |
Then, prove it. |
自分にはpatienceが足りないな、と感じることが多々ある。 我慢、というのとはちょっと違う、強いて言えば辛抱強さ、根気。いやそれもちょっと違うか。
と、思ったところで、あ、短気か、と気付いた。
そうなのだ。わたしは昔から短気だった。今も全然変わっていない。気が短い。それだ。
だから物事を短絡的に進めようとする節がある。 ぐだぐだ考え悩んでいらいらするよりも、さっさと行動起こせよ、と思う。 怒りを周囲にまき散らすよりも、自分で出来ることをとりあえずしろよ、と思う。 やってからもの言えよ、と思う。
・・・自分もそうしてるかどうかは別だけど。
短気が短所な所以かね。
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