ぶらんこ
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不思議なことに、現実にあなたに会った日その時のことを、わたしは覚えていないのです。 いちばん最初にネットで話したことはこんなにも鮮明に覚えているのに。 あれがすべてのはじまりだったから。
まだPCを使いはじめて浅い頃だった。ネットにもまだ慣れていなかったと思う。 そうだ、ようやく「検索」なんてことをするようになったのだった。ほぉなるほどこんなことも出来るのか、と。
そのとき出てきたのがあなたの紹介文だった。 訪ねていくと、まだ、テキストだけのとっても簡素なHPだった。確かわたしは掲示板にコメントを残したのだ。 わたしも島っちゅです、と書いた記憶がある。 とにかく嬉しくて仕方がなかった、同郷の人と出会えたことに。
あれからどれくらい経ったのか。 もう15年くらいにはなると思う。
頭の中が真っ白になって何も考えられなくなった
何が起こっているのか処理できない
それでも仕事に戻り
現実に何かに対応しているわたしは誰なのだ
ときおり 魂が抜けていくような違和感
信じられない 信じたくない 信じない
その繰り返しで
心は置き去りになる
なんで どうして なぜ
声にならない叫びで
胸がつぶれそうだ
こんなにも
こんなにも
遠く感じるのは
初めてのことです
あなたに
さよならを言いに行きたい
元日の朝。薄暗い中犬たちを庭へ出す。東の空、低いところが赤橙色に染まり始めていた。 あぁ初日の出・・・!と思いつつ、犬たちのpoopを探す。 外気温13℉だったか。雪がないので、それほど寒く感じない。
初日の出というと、遠い昔、亡き兄に連れられて初日の出を拝みに行ったことを思い出す。 どれくらい前だったろう。わたしは小学5年生か、もっと前か。
大晦日の晩に、兄貴が「明日は初日の出を見に行くぞ」と言い、「やった「やったー」とはしゃぎながら寝た。 わくわくドキドキしながら寝たのだが、兄貴に起こされたときには行きたいなんて気持ちはとうに消えていて、げんなりした。 本当に、行くのか?なんで?という気持ち。 どこへ行くのかもわからない。というか、初日の出というものに対する想いさえ、怪しかった。 世の中では、初日の出を拝んで新年を祝う、という習わし(?)があったことは知っていた。 でもそれは、TVや本の世界で、自分にとっては無縁のものだった。 お日さんを拝むなんて・・・という感じ。
兄貴がなぜ、初日の出を見に行こう、と思い立ったのか、謎だ。 この話は、兄弟姉妹間で何度か登場したのだが、兄貴のその時の心情を知っている者は誰一人としていなかったと思う。 記憶の糸をたぐって、当時の兄貴の置かれていた状況を鑑みて、もしかしたら・・・という予測は出来るかもしれないけれど。 そういう話も以前、姉たちとしたような気もするが、今は思い出せない。 今度、帰ったときにでもまた訊いてみるかな。。。
兄貴の車に乗せられて、わたしたちきょで一行は、初日の出を見に出かけた。 場所は南のほうだったと思う。 当時はトンネルもなかったので(確かね)とても遠いドライブだった。 本当にたどり着くのか、、、と思った。というか、車の中で寝ていたように思う。 着いたら起こしてくれるだろう、と。
長い長いドライブだったことを覚えている。 なのに、肝心の初日の出を拝んだ記憶がない。 曇り空で日の出を拝めなかったのか。或いは、時間に間に合わなくて拝めなかったのか? いや、見たような気もする。 黒い雲が横たわっている中から、うっすらと赤い色が滲み出てきて、お日さんが昇ってきた。 そんな気もする。
でもそれはわたしが作り出した記憶なのかもしれない。
今になって思い出すのは、兄貴がわたしたちきょでを一緒に連れて行ったこと。連れて行きたいと思ったこと。 それだけだ。
兄貴はどんな想いでわたしたちを連れて行ったのだろう。
きょでがなしゃ、という言葉がある。
父親を早くに亡くして、母親はいつも仕事に精を出していて、きょでとばかり一緒にいたせいなのか。 きょでの数が多いおかげで、どぅしを切望することもなかったのか。 よくわからん。
が、きょでつながりは強いみたいだ。 そんな気はまったくなかったが、いつからかそれを認識するようになった。 良い意味でも悪い意味でも、きょでがなしゃ。
さて、今年はどんな年になるだろう。 きっと素晴らしい年に違いない。心からそう思う不思議。
姉の元生徒が入院している病院へ行く。 その帰り道。 リュックをかついで、自転車に乗って帰る。 海岸線を自転車で走りながら、海を眺め、大きな岩山を眺めている。懐かしい岩山。そこで遊んだ記憶がある。
途中、道が凍っているところと、氷の融けたところとあって、走りにくい。 倒れないよう、滑るように走る。対向車が来ると怖い。 バスが通り過ぎてったところで、道が洪水のように水嵩が増していく。 とうとう自転車では走れなくなり、足をつくと、かなりの深さになっていた。
しょうがなく自転車を押しながら歩く。他の自転車乗りの人たちも同じようにしている。 自分の靴が、登山用のゴア製の靴で良かった、と思っていたのだが、もうその靴も水のなかにすっぽりと入ってしまった。 足首くらいまでの深さになっている。
と、大きなカーブのところで、前を歩いていた自転車の男の人が、つつーっと、水の中に体ごと(自転車ごと)沈んでいってしまった。 おおおおおおおおーい!!驚いて大声を出す。 その男性はなんとか浮上して来たが、、、一体どうなっているのか? だって、さっきのバスはどうやってここを走れたっていうの???
そんなことを言いながら、前へ進むべきか、引き返すべきか、悩んでいた。
2014年09月20日(土) |
夢だけど。夢だから。 |
大きな古い家にいる、どうやら自分の家らしい。 庭を見ると、誰かが犬を連れて我が家の庭をうろうろしている。 なんで?と思いながらカーテン超しに見ている。 その男性は2匹の犬と一緒にいた。紛れ込んだだけなのかもしれないと思いつつ、でもなんで?と不思議に思う。
そのうちCosmoが気付いて大変なことになるのではないかと心配する。 と、娘がCosmoを連れて庭へ出ていった。男性に一言二言話しかけている。 いつの間にか男性と犬たちはいなくなってしまった。 わたしも庭へ出て、CosmoとBruceと一緒に歩く。(わりと幼い姿のままの)甥っ子や姪っ子も一緒にいた。
中へ戻らないと、という気持ちになって家を見上げるのだが、二階に続くデッキの階段は壊れかけている。 そこをするすると娘とCosmoが上っていった。 わたしも、と思うのだが、やはり壊れているところはなかなか恐ろしくて上れない。 一カ所は思い切って逆上がりをするような形で上れた。 が、次の場所は到底出来そうにないところだったので、そのまま落ちた。 頭のどこかで、夢なんだから落ちても大丈夫、と思いながら、でも怖かった。
落ちたときは、それほど痛くはなかった。そして、早く階段を直さなきゃ、と思う。
家の中に戻り、壊れかけたデッキのところから庭を見下ろす。 と、奥のほうで、母が何やら作業をしていた。
え?母ちゃん???
夢だから、母は昔の姿で、草取りかなんかをしていて、自分の足で歩いていた。 頼もしい母の姿を見て嬉しくなって声をかけた。「母ちゃん!」 母はわたしを見上げ、なんね?という顔をしてわたしのほうへ向かって歩いてきた。 デッキの下をくぐり抜けてどこかへ行こうとする母をもう一度、呼び止めた。 夢だけど、夢だから、母の手を握りたい。そう願った。
母ちゃん! 母は戻って来てわたしを見上げた。 「手!」 わたしは上から思い切り手を伸ばした。母も腕を伸ばしてわたしの手を握り、なんね?という顔をしていた。
夢だけど、夢だから、触れられて、嬉しかった。
Bruceが奥のほうでわたしのことを見ていた。 わたしは心のなかで、Bruceに「ありがとう」と言った。きっと彼が母も一緒に夢のなかへと連れて来てくれたのだ。
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