「ごめんなさい。」
まず、誤らなければなりません。 現在、掲示版の書きえができない状況が続いています。 皆さんから頂いたお言葉も私のところに止まったまんまです。 「本当にごめんなさいね。」
今日は仕事もお休みでしたので、朝からずっーとお勉強してました。 実は、私は機械オンチなのです。 今まで、口コミで鑑定をしていた理由もそれです。
パソコンの前に座るたびに感動します。 「なんて、皆は頭がいいんだろう!」と。 そして、私の心が会話します。 「私も頑張るぞ!」 「何を?どうやって?」 「自分にもできるのかなぁ。」 「大丈夫!?」 ここで、大好きな相田みつを氏の言葉を浮かべます。
「あのね。 がんばんなくても いいからさ 具体的に 動くことだね。」
私の心には、大好きな人の言葉がたくさん詰まっていて、 こういう日常の些細な事でも助けてもらっているんです。
貴方はどんな言葉に助けられていますか? 心に残る大事な言葉。 又、私にも教えてくださいね。
今日は、自分の紹介になっちゃったみたいですね。 重ね重ね、ごめんなさい。
明日も具体的に動いて、掲示板なんとかしますので、お許しを。
又、明日も貴方にとって大事な良い一日となりますように。
2003年10月13日(月) |
「当たるんですか?」 |
「本当に当たるんですか?」
最近、メールでの問い合わせで一番多いのが、この質問。 そうですよね。まず、本当に、真実を語ってくれるのか?それが、大事!
「はい。当たります。」 とお答えすればいいですか? 貴方が満足できるような答えは存在しないと思います。 でも、それで、いいのです。 貴方が真剣に救いを求めて、私に何かの「縁」を感じて、 私の所にいらしてくれれば、それでいいのです。
現在、占いとして数多くのホームページが存在しています。 霊感・霊視・タロット・星占い等から、統計学といわれるものまで。 どの占いも貴方の事を色んな側面から割り出し、 貴方が幸せになれるようにと方向を示してくれます。
貴方の前にある道は、ひとつだけではないのです。 細い道、太い道、下り坂、登り坂、平坦な道、デコボコな道、様々な道。 どの道を、貴方の人生の道とするのか。
細い道は誰の制限も受けず自由かもしれない。けれど、その道は寂しい道。 太い道は人との交流が盛ん。けれど、時にはわずらわしい事がある。 下り坂は体が楽。けれど、それは(アリとキリギリスのお話)キリギリスの生活。 上り坂はいつでも大変。けれど、登り切った先には美しい景観と満足がある。 平坦な道は安心、何にも起こらず毎日が同じ。けれど、退屈かもしれない。 デコボコな道は波乱万丈、刺激が多い。けれど、心の休まる暇がない。
色々な道がありますね。貴方の気持ちで毎日が変わり、将来が変わります。 貴方が望む道、それはどんな道ですか?
貴方の望みが何かで占いの答えは変わると思いませんか?
ですから、当たるのかと聞かれた場合、 「貴方しだいです」とお答えするしかないのです。 でも、人間にはどんなに頑張っても、不可能な事があります。 それを祈願・祈祷として神仏に助けて頂きます。
ごめんなさいね。 なんだか、頼りないですね。 でも、私は貴方に対していつでも誠実でありたいのです。
過去において、 私の相談者の方で、結果が間違っていた。という方は一人もいません。
まず、貴方の気持ちに整理をつけて。 貴方の善なる潜在意識(無意識層)はちゃんと知っていますよ。 信じていいのか、自分がどうすればいいのかを。
当たるのか、当たらないのかよりも、 人生が変わるのか、変わらないのか、が大切な事。
「運命は変わる」 貴方が幸せになる為の分岐点(分かれ道)はいつ? 実は、毎日が分岐点。 一瞬、一瞬が分岐点。 今、この一瞬が分岐点。 貴方が本当の幸せをつかみ取る事ができますように。
さぁ、明日はどの道を行きますか? 明日も良い一日を。
2003年10月11日(土) |
「新興宗教ではないですか?」にお答え致します。 |
「霊感・霊視というと、新興宗教だと思ってしまう。 貴方のところは、大丈夫なんですか?」
こういう質問がありましたので、早速、お答え致します。 まず、私は新興宗教の信者ではありません。断言いたします。
私は、身内を何人か亡くしており、 私自身も生死をさまような経験を持っています。 又、職業柄、他人の死に立ち会うことも多くあり、 神仏に対する畏敬の念を強く抱いています。
私の生まれた沖縄では、沖縄独自の「先祖供養」の方法があり、宗派は殆ど存在していません。 どのお坊さんに対しても敬う気持ちを持ち、それが他国の神父さんであっても変わりません。
この質問にお答えするには、様々な分野から考えなければならないと思います。 宗教だけでなく、哲学、精神、心理、広い視野では文化についても。
世界には多くの文化、言葉があります。そこには様々な宗教が存在します。 同じ人が存在しないように、全く同じ価値観、同じ考えを持つという事は不可能です。 けれど、善である考えの根本(心髄)は同じだと思っています。 日本は仏教国です。私はどの宗派も否定する事はできません。 人は自分の状態に一番近い神仏に導かれると考えているからです。
ですから、私が師匠と呼ぶ、密教僧侶の六明師にお願いして、 その人に一番近い神仏に、祈祷、祈願をお願いいたしています。
私の答えに質問者の方は納得されないでしょうね。 けれど、私はその方に心から感謝いたします。 相談しようかと悩んでいる人にとって、 最も聞きたい事だったんではないでしょうか? こういった質問にも私は真剣にお答え致します。 いつでも、ご遠慮なく、どうぞ。
またまた、難しい日記になってしまいましたが、 今日の内容は、人が生きていく上で、とても大切な事だと思います。
貴方が明日もまた、守られ、導かれますように。 どうか良い一日を。
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