遠くにみえるあの花火に
DiaryINDEXpastwill


2004年10月11日(月) 芦ノ湖まで足をのばして

温泉宿の朝食もまたよし。

今日こそ和食にするぞ。と、意気込んで、
お茶碗にごはんをよそいでくれる仲居さんに
「おかゆありますかー」と尋ねる。

旅館に泊まった日の朝食で、お粥を食べるのが好きだ。
お粥に漬物をのせてさらさらと食べる。
里芋のにっころがしが美味だった。

朝食の時、お義父さんに
「ちゃんと3回温泉に入りましたか?」と訊かれた。

温泉にきたら、夕食前、就寝前、朝食前の3回お風呂に入るのが鉄則らしい。
「いや、2回だけです。。。」と答える。

朝食前のお風呂はそこそこ空いていて、
でもあんまり時間がなかったので露天には浸からなかった。
ささっと浸かって、ささっと出て、ささっと化粧をして朝ごはんへ。


チェックアウトをしてからタクシーを呼んでもらい、
早雲寺を廻ってから芦ノ湖へ。
芦ノ湖は、真っ白な霧がかかっていて、それが風で吹き飛ばされる
その隙間でしか見えなかった。

「ここから撮った写真がよくパンフレットに載っています。」
と運転手さんが穴場を案内してくれた。
別荘が立ち並ぶ山道の隙間から、ふいに現れる絶景。
やっぱりよく知ってるねーと言い合う。

箱根駅伝のスタート地点や、箱根の関所の資料館なども案内してもらう。


2時間半きっかりで小田原まで送ってもらい、
新幹線で帰ってきた。


よい旅でございました。


2004年10月10日(日) うす曇りの箱根

朝、ホテルのバイキングで朝食を摂る。

いり卵、ソーセージ、温野菜、果物、クロワッサンとカスタードパイ。
それから紅茶。
紅茶がおいしくて、おかわりまでもらってしまった。

バイキングだとついあれもこれもと欲しくなってしまう。
普段飲まないオレンジジュースとか、そんなものまで
コップに注いでこようかな・・・と考えてしまう。

これでも昔よりは分別がつく歳になったせいか、
どうせ残してしまうと思われるものは我慢してとらなくなった。

それでも変わったチーズやハムがあれば、
好奇心からお皿に盛ってしまうのだけど。。



9時半にはチェックアウトをして、いざ祖父母の家へ。
夫の祖父母は京王線でごとごとと行ったところにある。

しばらく東京の電車に揺られながら、
見知らぬ街なのに、ここのどこかにネットでだけ見知っている
会ったことのないあの人やこの人が住んでいると思うと不思議だ、と、思っていた。

電車からの眺めは少しも魅力的ではなかったけど、
東京という街そのものが物語の中の街という気がして、
それだけでなんだか、ぼおっとなった。




祖父母の家にて、嫁です、と自己紹介し、
テレビを見てお菓子を食べて、家を出た。
「うちのじいさんは内臓が丈夫で、今までおなかを壊したことがない。」
という台詞が印象的だった。
彼はしょっちゅう、おなか痛い…と嘆いているのに。





いざ、ロマンスカーで箱根湯本へ。

ロマンスカー!!

『ホリー・ガーデン』持ってくればよかったなぁと、心から悔やんだ。
途中で眠ってしまい、気が付いたら山の中だった。

寒い。

ついて早速、お義父さんとお義母さんは温泉に入っていた。
私はぼーっとテレビを見る。

食後(しこたま日本酒を飲んだ義父と夫。でもケロっとしてる。)
温泉に入る。

ひとりで入る温泉は気楽だ。
外は小雨模様で、露天風呂に濡れながら浸かる。

途中、同じように一人でぼけーっと入っている嫁仲間っぽい婦人を見つけ、
タヒチで出会った、親と一緒に新婚旅行をしていた夫婦のことを思い出す。
その時のお嫁さんと、ちょっと横顔が似ていた。

タヒチからもどって2週間後くらいに、
きれいな、女の人の字で、でも差出人は男の人の名前で、
タヒチでの写真が届いた。

あの人はこんなきれいな字を書く人だったのか、と驚き、
なんだか益々印象に残ったのだった。

そのことをまた、ぼんやりと思い出していた。

箱根の温泉は無色透明で、ありがたーい感じはなかったけど、
それはそれでなんというか、
主目的は祖父母の家を訪ねることだったわけだから、
おまけ的に来た箱根の、おまけらしさを感じた。

初めて訪れた箱根。
周りを山に囲まれた窪地で、ホテルの部屋の中で寝そべって窓の外を眺めると、
ちょうどきれいに山の稜線だけが窓枠の中に納まって、
目にやさしい、いい景色になっていた。

「昨日の台風はどうでしたか?大変だったんじゃないですか?」
という決まり文句に、温泉街の人々は口をそろえて
「ここは、山に囲まれてるでしょ、
だから風はぜんぜん吹かなかったんですよ。雨はひどかったですけどね。」
と、答えていた。


次に箱根を訪れるのはいつだろうか?


2004年10月09日(土) 新宿 小田急ホテルセンチュリー

台風22号、静岡上陸の日。

朝6時に父から携帯電話に連絡が入り、
「静岡〜掛川間で新幹線が止まってるで。
あんたはよ起きて、向こうの両親とどうするか相談せな」と言われる。

どうでもいいことだけれど、うちの父は、
私のことを「あんた」と呼ぶ。
関西の方ではわりとあることなのか、ないことなのか、
妹尾河童の「少年H」を読むまで意識したことがなかったけど、
確かにうちの父は、私のことを「あんた」と言う。


しっかし、父ちゃんも早起きだねーと、
旦那さんとしゃべりながら、本日の東京行きをどうするか相談した。

それで結局、新幹線に乗って東京へ向かうことになる。
私たちの乗った新幹線は35分遅れで東京へ着いた。
ちょうど到着から30分後には、新幹線は不通となり、
それより少しでも遅いともう東京へは来れないという状況になっていた。

東京へ着き、中央線でいそいそと新宿まで行く。
「今日はあかんわ、おばあちゃんとこ行くの諦めよう。ホテルにこもってよう。」ということになり、少し早めのチェックインをする。

新宿。
小田急ホテルセンチュリーの34階からみた新宿は、
真っ白な濃い霧に覆われて、まったく何も見えないという状態。

ものすごい雨。
ビル風と台風とで横殴りに舞う雨粒は、ドラマの中の豪雨のようだった。
ホテルのロビー脇にある喫茶で、紅茶をのみながら窓の外をじっと眺める。
お義父さんはソファでうとうととし、お義母さんとお義姉さんは
注文したローズヒップのハーブティーの味が薄いと言って嘆いていた。

ホテルの中はとても落ち着いていて、シックな和モダンといった感じ。
各テーブルには桃色がかった薄い紫をしたりんどうの一輪挿し。
落ち着いた濃い色の木目調の調度類。

気に入った。と思う。
好きだなぁ、こういうホテル。

結局、夕食もホテルと同じビル内にある、韓国焼肉のお店で食べ、
そのまま帰って、部屋でのんびりと過ごした。

ホテルの中にいたら台風も何も遠いことのようで、
テレビをつけると、ニュース番組の中で新宿南口のひどい嵐の様子が出ていた。
すぐそこなのに、嵐のただなかにいるのに、安心で静かだった。

ぐっすりと眠って、次の日も早起きだ。








豆ごはん |MAIL

My追加
素材提供