2004年10月26日(火) |
何かしたい。何もできない。 |
雨だ。
この秋、何度目の雨だろう。
雨はわりあいに好きだ。
それは雨と結びつくような、
比較的哀しい記憶を持ちあわせていないからかもしれない。
比較的哀しい記憶。
何と比較すればいいだろう。
どこからが哀しくない記憶で、どこからが哀しい記憶だろう。
今日も雨が降っている。
兵庫県の豊岡の人たちは大丈夫だろうか?
新潟の小千谷市の人たちは大丈夫だろうか?
大丈夫って、言葉ほど、あいまいな言葉もない気がするけれど。
今日の私の心の中心にある、ぐずぐずとした湿っぽいわだかまりは、
分かち合うことのできない痛みに対する、もどかしさかもしれない。
たとえば、何もかも放り出して、ボランティアとして飛んでいけたらいいのに。
何かしたい。何もできない。
本当に何もできない?
そんなことはないのだと思う。
ただ、現実的な「やりかた」がわからないだけだ。
悔しいなぁ。
雨を眺めながら新聞を読み、ああ、と、思うばかりだ。
2004年10月24日(日) |
ワラビー熱血編を読む |
ワラビー熱血編は、高橋尚子が金メダルをとった、あの女子マラソンから始まる。
私はあの頃、マラソンは見ていなくて、
確か見ていたのは父だったように思う。
父から高橋尚子が金メダルをとったと聞いた。
だからレースは見ていないはずだけれど、
まるで見てきたみたいに自分の記憶の中にある高橋尚子の顔と、
ここでなぞられるレースの様子とを重ねあわせて読んでいた。
銀行の窓口で青い制服を着て、
感じのいい笑顔を浮かべている女の子みたいに見える、と、村上さんは言う。
確かにそのとおりで、いまさらながら、彼女の凄さに気づかされる。
そして今年のアテネで金メダルをとった野口選手だって、あんな小さな体なのになぁと、しみじみおもった。
さて、今日は家具屋に行って、食器棚と洋服ダンスを購入した。
来週にはとどく。
楽しみだ。
今日もまたありふれた一日が終る。
朝ごはんはトマトときゅうりのオムレツ。ヨーグルト。トーストと紅茶。
お昼ごはんは買ってきたお弁当。
出汁巻き卵と野菜の煮付けがおいしかった。
週末の晩ご飯は、彼の手料理。
明日はシーツを洗って、布団を乾そう。
そんな風に思う一日の終わり。
今日は友人の結婚式の前夜。
身も心も整えてがんばってね、と、言う。
私も、明日は一日彼女のことを考えて過ごそうと思う。
今、バージンロードを歩いているかな?とか、
幸福そうな笑顔をこぼしているかな?とか。
いいお天気になりそうで、よかったよかった。