遠くにみえるあの花火に
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2004年10月29日(金) 人並みに結婚したけれど

過去の記憶をだぐりよせる時、その記憶の中に、
同じ風景を見て、その風景について語り合った人物がいるということは
幸せなことだと思う。

あの時あの人と一緒にいた。
そして、他愛のない会話をかわした。

ただそれだけで、記憶の温度も違ってくる。

結婚してよかったことは、そんな温度のある記憶を、
これから少しずつ増やしていけると思えることだ。

もちろん、結婚していなくたってあたたかな記憶というのは
充分に増やしていけるものだけれど、
ひとりの頃は、たった一人で見た景色の方を、より大事に思っていた。
それこそ後生大事に、抱え込んでいたのだ。

でも今は、誰かと(家族や友人や、ちょっとした知人でさえ)
共有した記憶の方を、大事にしたいと思っている。



私も人並みに結婚したんだなぁと、時々ふと思う。

結婚するまでは、結婚といったってさほど大きなことではなく、
ごく普通の出来事のひとつなんだ、と、考えていたけれど、
結婚してみれば、それは特別な響きでもって、
私と私の環境をひとくくりにしてしまえるものだった。
現実的な生活の面では、それはさほど大きな変化をもたらすものではないけれど、
なんというか、結婚という制度の中に入ってしまうことで、
周囲の目もかわってくるし、当然、社会的な位置も変わってきてしまった。

そうだよなぁ、私も人並みに大人の段階を踏んでるんだなぁ。なんて、
考えてしまう。
敷かれたレールを順当に何の障害もなく進んでいく、
おとなしい機関車みたいな気分になる。

結婚せず、一人でばりばり働いたり、
定職には付かず、日本と外国とを行き来していたり、
恋人なんて必要ない、というふうに考えていたり、
様々な理由や性格や環境から、
ちょっと一般の人とは違うよなぁなんて、感じながら生きている人にとっては、
私の歩んでいる道は、ものすごくありふれた、
適齢期と呼ばれる年齢で結婚した幸せな人、という風に見えるんだろうな、と思う。


時々ふっと、そんなふうに見られてるんだろうな、と、気づくときがある。
具体的に何かがあってというわけでもなく、
はっと、我にかえったように、そうなんだ、結婚したってそういうことなんだ、
と、思うときがある。


これはとても個人的な認識の仕方かもしれない。
結婚した人がみんなそんな風に思うわけではないだろう。
でも誰だって、それなりに違和感を感じながら
新しい変化に対応していくのだ。

私には、結婚したことで感じる不具合よりも、
結婚したことで感じる幸福の方がすこし多いけれど、
そうでない人だっているだろう。

だからきっと、それは慣れの問題だし、
自分の中でもてあます「既婚者」という枠を、
ひとつずつ丁寧にほどいてあげればいいだけのことだ。

ちょっとずつ慣れて、私は私として、また、
楽しく人生を歩めばいいのだと思う。





2004年10月28日(木) はじまりは凪のように・・・

はじまりは凪のように、穏やかに小さく、静かに始めたいと思う。
そのさざ波が、いつかゆるやかなうねりをつくり、
やがて心を揺らす大きな(けれどもささやかな)波になればいいと思う。

……けれどもまだ、全てが整っていない。
海はもうそこまで見えているけれど、まだ、
私は漕ぎ出すボートを手に入れていない。





寒さが徐々に厳しくなってきています。
朝晩の冷え込みもきつくなっている。

小千谷市では今朝の最低気温が4℃だったとか。
「吐く息も白くなっています。」と、
現場で取材をするアナウンサーが言っていた。


昨日、また震度6近い余震があった。
これは本当に「余震」なんだろうか?
余震なんていう、ちっぽけな響きはそぐわないと思う。

一刻も早い復旧を願うけれど、こう余震が続くのでは、
作業にあたる人やボランティアの人たちだって命がけになる。
無理せず、自然なスピードで物事がすすんでいって欲しいものだ。








それにしても、あっというまに10月が終ろうとしている。
早い、早すぎる。

私はまだぐずぐずとしているというのに。。。
気ばかり焦って前にすすまない。

まるで水の中を歩いているみたいだ。
ゆっくりゆっくり、
体が水の反発をうけて、ちっとも前に進んでくれない。


ああ。



2004年10月27日(水) 削除しました


小説、削除しました


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