りんごが食べたいなー。
甘酸っぱいりんご。
しゃきっとしていて、少し歯ごたえがあるくらいが、
私は好きです。

にのさんの日記にならって、私も絵を描いてみました。
新しい、にのさんのHP(勝手に紹介しちゃお〜)
→■にの絵 http://www.axs.to/~nino/
2005年01月19日(水) |
複雑な気持ちになるのは「納豆」だからでしょうか |
昨日、納豆を克服しました。
というのも、長年納豆を「食わず嫌い」のまま放置しつづけ、
関西人なのだから食べなくてもまかり通る、という開き直りもあって、
むかーし昔、子供の頃に食べた記憶の
「臭いことより、あの奇妙な苦味が嫌い」という理由を、
心の中にずーと居座らせていました。
が、大人になって味覚も変わり、
少々のものならなんでも食べられるようになった今、
ふと納豆に興味が沸いてきて「食べられるかもしれないなぁ」と、
試してみることにしたのです。
そもそも私の実家では納豆は「いまわしきもの」として忌み嫌われ、
母親のみがおいしそうに「納豆かけごはんがあれば、後は何にもいらんわ〜」
とのんきに言うばかりで、他の家族は誰一人として納豆を口にしていなかったのです。
そうして、私が納豆嫌いなものだから当然
結婚してからも納豆を買うことはなく、
この数ヶ月、夫は納豆を食べることができませんでした。
それはそれでまた(大好物ではないにしろ)今まで食べてきたものが
食べられないというのも、なんだか悪いな、と思い、
試しに買ってきたのでした。
そして、ふいに興味をひかれ、
昨夜私もあつあつごはんにちょっぴりだけ納豆をのせて食べてみたのです。
やっぱり。
おいしい!でも、まずーい!でもなく、「やっぱり食べられる。」というのが
私の納豆に対する感想でした。
あーあ、やっぱり食べられるようになっていたよ。
別にまずくないよ。どっちかというとおいしいよ。
何にがっかりしているのかよく分かりませんが、
なんとなくがっかりしてしまったのでした。
よく、「世界が明日で終わってしまうなら、今夜私は何を食べたいか」とか、
「”食わず嫌い対決”に出るなら、私は何を”大嫌い”と”大好き”として出すか」とかを考えるのですが、
もともと私には「大好物」も「大嫌いなもの」もあまりなく、いつも結論が出ずに、
うーんとうなってしまうのです。
小さな好きや小さな嫌いはたくさんあるのに、これ!とあげることは難しい。
そんな中で唯一「納豆はダメ」と思い込んでいたのに、
あっさりと克服してしまいました。
…なんだか複雑な気持ちです。
セロリを克服した時も複雑でしたが、納豆はもっと複雑な気持ちです。
この他に「ホワイトアスパラガス」「カリフラワー」などがありますが、
これは…食べられないというほどのこともないのですよね。
そんなわけで、あと2パック残っている納豆は、
夫と二人、納豆スパゲティにでもして食べようと思います。
2005年01月18日(火) |
なすすべもなく小さな画面を見つめる |
私の日々は、毎日平和です。
けれども、毎日を平穏に過ごしていない人もいます。
彼女の日々は、今とても混沌としていて、
彼女の前に続く道は、不意に急カーブを描き、その続いている先の姿を見えなくしています。
時々、思い出したようにネガティブな内容のメールが私の元に舞い込みます。
どんなに言葉をつくして励ましても、その言葉は遠く彼女に届かないようです。
がんばって!と送れば、その倍の数だけ後ろ向きな言葉が返ってきます。
こういう場合、どうすればいいでしょう?
なすすべもなく、私はケータイの小さな画面を見つめるばかりです。
今考えているのが、彼女のそばに飛んでいって、
おいしいものをたーんとこしらえて、彼女に食べさせることです。
クッキングパパのように、果たして上手くいくでしょうか。