2005年02月22日(火) |
お互いの時間がクロスするのは、確かに素敵だと思う |
寒い、よく晴れた朝。
夫は今日から女満別へ一泊二日の出張。
女満別?
そう、北海道の女満別です。
女満別ってどんなところでしょうか。
網走の近くだっていうんだから、もんのすごい寒いんだろうな。
豪雪地帯かな。ということくらいしか想像できない。
だいたいどうやって行くんだろう?と思ったら、
伊丹空港から一日一便飛んでいるらしい。
へー。
それできのう、夫に頼まれて靴の底につける滑り止めを買いに行った。
山岳用品売り場で「こうこう、こういうのください。」と説明する。
「どちらにいかれるんです?」と気のいいよくしゃべる店員さんに尋ねられ、
「女満別・・・です」と答える。
ひとしきりメリットやデメリットを教わったのち、
「タウン用に開発されたスリップ防止、なんとかかんとか」を買う。
その横に「アイゼン」と書かれた商品があり、
これがアイゼンというものかぁ、と、しげしげと眺めた。
すると「それは山用でね、アスファルトの上だと意味がなくてね…」と
またひとしきり説明をうける。
「日々の足跡を、読んでいる人とシェアする」とは、まさにこれだなぁ。と思う。
アイゼン。
ああ、こんなところでも何気なくクロスしている。
クロスしていますよ。
*
夫は今ごろ空の上だ。
伊丹の空と、女満別の空。
同じ日本でもその姿はまったく違うのだろうか?
向こうもお天気だといいけど。
*
4分の3拍子くらいで、時間がまどろむ。
*
今日の締めくくりとしてひとつ、
私の中で、心の氷が溶ける出来事がひとつあった。
じんわりと溶け、一瞬のうちに熱く広がった。
でもまた、最終的に、小さく縮こまって凍りはじめた。
せっかく溶けたと思ったのに。
この人と心を通わせることができるかもしれない。
私さえ素直になれば、
しっかりと言葉を口に出して話せば、
できるのかもしれない、と思える瞬間だった。
あの人の瞳は真実を語っていて、
嘘偽りなく、感じたままを、私に対する気持ちを、
まっすぐ真摯に話してくれていると思えた。
こんな風に、ちゃんと話してくれる人って他にいないって。
でも。
途中から、それは違う。と思い始めた。
あの人の見ている私は、誤解された私だ。だなんて。
でも。
でも、って。
どういうんだろう。
後から後から湧きあがってくる負の感情に覆われて、
熱く溶けたはずのものも、周りから徐々に凍り始めてしまった。
やっぱりだめだ。
楽になるためには、あの人はあの人、私は私。と思うしかなくて。
相手がこの人でなければ、
私の口もやわらかくいろんな言葉をつむげるのに。
・・・。
そんな風に負け惜しみみたいなことでしか、
今の自分を励ますことができない。
がんばれ、わたしー。
そんなに悪くないよ。
たぶん。ないよ・・・?
やっぱり、ドーナツには珈琲だと思う。
ドーナツおいしいなぁ。
珈琲おいしいなぁ。
きょう3杯目の珈琲。
無性にドーナツが食べたくなって、
自分で揚げたドーナツを食べながら珈琲をすすっている。
雨の日。
フローリングの床は底冷えがして、
台所でドーナツを揚げながら立っている両足のくるぶしあたりに、
冷気がまとわりつくのがわかる。
けれども手指の先は、油の匂いであたたかい。
*
あの地下の喫茶店で、珈琲とドーナツを注文するところを想像する。
私はひとりきりでいちばん端のスツールに腰掛け、
カウンターの向こう側のひどくごちゃごちゃとした、
私にはさっぱりわからないCDの群れやウィスキーのボトルを眺める。
何度も読み返した文庫本をぱらぱらとめくり、
印象的な言葉のつながりをいくつか目で追い、記憶の中にある物語を追う。
そしてふと、思い出したように珈琲を口に運び、
ドーナツを小さなフォークで切り分ける。
ドーナツは甘く、しっかりとしていて、それでいて軽い。
物語の中の時間と、喫茶店の中の時間とを、見比べるように店内を見回す。
アルバイトの女性。珈琲に神経を注いでいるマスター。
私はひとつ、深く息を吐き、ここは満たされる、と思う。
**
左眼が不調。
黒目と白目の境に、赤い血がぽつりとある。
水曜の夜あたりから目が赤くて、木・金と、違和感を感じながらも
コンタクトレンズを装着して仕事にはげむ。
違和感はあるし、まぶたは変なふうにしまりがなくなって、
二重まぶたのはずが、幾重にも細かな線がはいってる。
かゆくはないし、それほど痛くはない。
コンタクトさえしていなければ、さほど問題ではない。
だからきょうは朝からずっと眼鏡をしている。
眼科に行こうと思っていたけれど、あいにくの雨で、
私の足は家からまだ一歩も出ていない。
*
愛知万博に行こうと思って、前売りを買った。
そういえば中学生の時、行事委員というのをしていた。
おまつりごとを、「やろうやろう」と言い立てるのが好きらしい。
なにかにつけ、イベントごとが好きなのだと思う。
愛知万博。
全然盛り上がってないみたいだけど、私は今からとても楽しみ。
キッコロとモリゾーって、案外かわいいと思うんだけどな。
**
そろそろ「お花見」をしたいなぁと思うのだけれど、
まだみんなの心はそこまで行っていないだろうか。
もちろん今すぐじゃなくて、3月末とか4月あたまにやるんだけど、
今からお花見の打ち合わせをしたいなぁって。
気が早すぎるだろうか。
どこでやるか、とか。いつやるか、とか。
夜桜も素敵よね、とか。
桜の見えるカフェでお茶会なんてどうだろう、とか。
みんなで一品持ち寄りなんていうのも素敵よね、とか。
お酒はどういうのを揃えようか、とか。
もちろん桜が一番肝心要だから、桜の咲きぐあいを日々うかがって、
今週末だ!とねらいを定めたりするのとか。
考えただけでうきうきする。
そういうのを、今から誰かとわいわい話して気分を盛り上げていくのが
また楽しいと思うのだけど。
こんなにうきうきするのは私だけだろうか。
*
外はまだ雨。
うすらさむそうな空の色をしている。
2005年02月13日(日) |
小麦粉三連休 3日目 |
日曜日。豆乳スープの朝食。
一日中家から一歩も出ずに過ごす。
お昼は明太子スパゲティーと野菜スープ。
(この間のおもてなしメニューと似通ってます)
そうして、午後からは小麦粉三連休のしめくくりである「パン作り」。
時間をかけてパン生地をこね、こたつの中で発酵させる。
1時間くらい発酵させている間に、台所を片付けたり、
型の準備をしたり、洗濯物をたたんだりする。
ついでに夫がマッサージをして欲しいというので、
マッサージをしてあげる。
ふっくらしたら、ガス抜きをして6等分し、型にいれていく。
それからまた、30分くらい二次発酵させる。
二次発酵の間にオーブンを180度にあたため、お風呂を洗ってお湯を溜める。
オーブンの中でパンが焼けていくあいだ、私はお風呂に入る。
夫はマッサージが気持ちよかったのか、そのまま布団でぐーぐー眠っていた。
お風呂から上って、夫が目を覚ました頃、パンはこうばしく焼きあがった。
ふわふわのミルクパン。
ちょっと甘い、やさしい味のパンだ。
一日家にいてパンを焼くなんて、幸せだなあ・・・。
なんだか優雅。
夕食は焼きたてのパンとサラダとチキンカツを食べる。
夕方にお風呂に入ってしまったので、
夕食後はまったり。
江國さんの「赤い長靴」を読んでいて、はっとする文に出会う。
それはこういうところ
結局のところ言語は人格なのだし、人格にない言葉を無理に発音したところで、それは音にすぎない。
(「赤い長靴」P173より)
結局のところ言語は人格なのだ。
言語は人格。
人格にない言葉・・・。
人格にない言葉を無理に発音しても、それは音にすぎない・・・。
人生の中に思い当たるふしのある言葉だなぁと思う。
私という人格の中に、いったいどれだけの言葉があるだろうか。
昔、江國さんが講演会で「豊かさ」について語っていたけれど、
言葉の豊かさというのは、そのままその人の人格の豊かさにも
繋がる・・・とかそういったことだったように思う。
もっと違う言い方だったようにも思うけど、
文化、とは、言葉が豊かであるということは、感情が、人生が、豊かであるということは・・・
確かそんな話題だった。
逆に、言葉が貧しい、貧困だ、ということについても語れていた。
その時の話題とまざりあって、
また、私自身の生活の中の出来事とまざりあって、
なんだか奥深い一文だ。
何気ない言葉の、
「ありがとう」
「いってきます」
「おはよう」
「いただきます」
「ごちそうさま」
そういうことの大切さ。
結局のところ、言語は人格なのだ・・・。