2005年04月08日(金) |
島本理生さんの「ナラタージュ」読了 |
ものすごくいいお天気。
ぷるる ぷるる と遠くにいる彼女に電話をしたら、
電話に出た彼女の声は鼻づまりの声だった。
きっと花粉症でつらいのだろうと想像する。
こんないいお天気で、桜も満開なんだから、きっとたくさん花粉が飛んでいるんだろう。
春はゆううつだと、江国さんが言っていた。
私も昔から春は苦手だった。さびしくなるから。
でもいつのまにか、私は春が大好きになってしまっている。
生命のみなぎる春。
やわらかく、なまぬるい風の、ゆるんだ感じがたまらない。
花屋の店先に色とりどりの花があふれて、デパートの中もパステルカラーに染まる。
いろいろな人たちの、ウキウキした幸福な気分が詰め込まれたみたいに、
春のひざしがそこここにあふれた世界。
日が落ちるのも、日が昇るのも、とてもはっきりと、変化していく。
一日がはっきりと長くなっていく。
遊びの時間の延長をゆるされた子どもみたいに、ぱっと、走り出したくなる。
*
ああ、やっと一週間を終えた。
否定的な意味ではなく、充実感のようなものを抱えている。
今読んでいる小説「ナラタージュ」が佳境にさしかかっていて、
ぼろぼろ涙をこぼしながら読んだ。
じっと息をつめて、押さえ込まれていたものが、
いっきに溢れて出して、物語はぐんぐん頂点に達していく。
あの、感情を押し殺して淡々と語られていたことの意味は、
このへんにあったのか、と思う。
ひどく感情移入をして、お風呂に入っている間もぼーっとしてしまう。
夫が先に眠ってしまったあともページを繰ることをやめられなかった。
一気に読める小説がいい小説とは限らない、と保坂さんは言っていたけれど、
でもやっぱり、一気読みするほど夢中になるってことも悪くないと思う。
島本理生さんの「ナラタージュ」を読んでいます。
この人の書く物語は少女漫画のようだなぁと密かに思うのですが、
でもいつも、ひっそりと森の中で息をひそめているような、
しっとりとした濃霧の湿った匂いに似た文体が、なんだか好きなのです。
実際、物語の中には雨やシャワーや、何かしら湿度を連想させる情景が多いような気もする。
体の内側の湿度。
吐く息のあたたかいしめり気。
物語の中は夏だというのに、(いや、日本の夏だからか)
じめじめした湿気が、多く語られている。
いま、半分読んだところ。
本をぱっと開いたときに、その文字のサイズ(小さい)と、薄さ(なんとなくグレーっぽい黒)に驚いて、
島本理生さんらしいような気が、なんだかしたのでした。
*
ここしばらく、お仕事が忙しかったのですが、
それが理由で日記を書いていなかったのではなく、
ただ春なので怠け者を再発していただけのような気もします。
昨日は夫のくまたろうに連れられて、夜桜を観に行きました。
ライトアップもまともにはされていないような、小さな町の小さな桜並木だったのですが、
それでも缶ビールを飲みながら夜道をぶらぶらしていると、なんとなく幸福なのでした。
久しぶりに二人きりで居酒屋に入り、ひとしきりしゃべりました。
「三代の松」という名の栗焼酎があったので、珍しいと思いそれを頼みました。
栗、の風味はあるようなないような。
一口目だけ、ほんのり甘みがある気がしましたが、
あとはただ強いお酒だ、という印象でした。
思いの他酔いがまわっていて、二人でちどりながら家路に着きました。
*
春の雨のしめり気と匂いがなんだか好きで、
このいい香りのする季節を楽しみながら日々をおくっています。
2005年03月31日(木) |
「書きあぐねている人のための小説入門」再読 |
ああ、しばらく日記が開いてしまいました。
なんとなく日々忙しく、書きたいことはあったのだけど、
気がついたらもう木曜日です。
髪を切りました。
10センチくらい。
肩より長かった髪を、肩より短くしてもらいました。
春だなぁと、自分の内側で意識してみる。
伊達の薄着をしてみたり。
*
春から忙しくなる自分を想像する。
忙しく、とは言っても今までが暇すぎただけで、
人並みに行動するようになる、という程度なのだけど。
外出ばかりしていると、家の中にずっといたくなる。
用事があったり、約束をしていたりする自分がうらめしい。
でも、出かけなきゃ。
*
保坂和志さんの「書きあぐねている人のための小説入門」をまた読んでいる。
「小説とは人間に対する圧倒的な肯定なのだ」というあたりで
既にじーんとしている。
じーんとするような本じゃないんだけど、
じーんとなる。
「肯定する」ってことは、とってもすばらしいよなぁと思う。
*
今週の土曜日は、本の交換会です・・・。