遠くにみえるあの花火に
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2005年08月12日(金) いつのまにかものすごくリラックスして


朝、
寝返りもうたずにじっと深い眠りについている二人を横目に、
朝ごはん(いつもの、ハムやソーセージ、いり卵、きゅうりなどの生野菜、
それプラス、トマトのスープ)を用意する。

それらにラップをかけて、梨もむいて冷蔵庫にいれ、メモを書き、
二人を起こさないように気をつけながら、静かに家を出た。
世間はお盆休みに突入しつつあるけれど、今日もお仕事。

電車の中は学生が夏休みに入った頃から徐々にすきはじめていたけど、
さらにがらがら。
席に座って、「ハゴロモ」を読む。


8時ごろ夫におはようメールをするけれど返事がなく、
9時ごろにメールをしても返事がない。
ちゃんと二人は起きて出かけたんだろうか?という不安がよぎる。

でも私と違ってそのへんはしっかりした人なので、
そのまま放っておくことにする。


3時頃に夫から、「朝ごはんありがとー」というメール。
ちゃんと仕事に行っていたみたい。よかった。





夜は何かエスニック料理のような辛いものが食べたいなぁと思っていたら、
夫が「キムチ鍋」を作ってくれていた。
さすが。

おいしいねーと言い合って食べる。

昨日泊まっていった彼はちゃんと出かけたの?とか、
今日は別の知人の家に泊まるらしいので、そのことについてなど、
いろいろとしゃべる。


そしてつくづく、私は夫の前だととってもリラックスしているなぁと思う。
ごはんを食べるにしても、人がいると緊張して、ぼんやりできない。

夫の前だと、あきれるぐらい気を許していることに気付いてしまった。

うーん。
それっていいことなんだろうけど、ダメ嫁まっさかさま・・・なのでは。


2005年08月11日(木) また、京都にかえってくるんだって。

夏休み。

家の中にいても7時をすぎたあたりから急に気温があがって、
だらだらだらだらと、果てしなく汗をかいてしまう。
毎日毎日、
蝉の声を合図に一気にぶわっと夏の一日がおしよせる。


よしもとばななさんの、夏の話が読みたくなる。
「ハゴロモ」は夏の話ではなく冬の話なので。


「ハゴロモ」を読んでいて、
そうだったそうだった、こんな話だったと思い出す。
ばななさんの、いつも人と人との会話から力をもらって元気になっていく、
あの感じを思い出した。
とてもとても弱っているときに、
何気なく笑顔でかわした会話のはしばしから、主人公が癒されていく感じ。

内側に沈んでいくのではなくて、
会話とか労働とか、外に向かっていくことで
エネルギーを徐々に蓄えていく感じ。





京都市立美術館へ「ルーブル美術館展」を観に行く。
地下鉄「東山」駅で降りて、疎水の支流沿いを歩いていく。
空は今日も半分くらい厚い雲に覆われている。

18世紀末〜19世紀初期にかけて、
生きてえがいたフランス画家の絵が多く展示されていて、
光の強弱や柔らかそうな肌の質感などをおもしろく眺める。

この頃の時代の絵に、人間くささや個性などはまだなくて、
宗教画や時事を扱った絵画、肖像画などはどれも
とても美しいけれど全然リアリティがない。
単純に身にまとっている衣装や装飾品に
なじみがないということもあるだろうけど、
描かれている人物のその目に、
こちらに語りかけてくるようなリアリティがない。

絵にまつわる歴史や、描かれている時代の事柄について
あまりに無知なために、ただただ、
筆の跡の全くないようなガラス一枚向こう側のようなその絵画たちを
ぼーっと眺める。
一緒に観に行った父は、いろいろ感想をもらしていたけど。





夜、急遽知人(夫の友人)が泊まりにくることになった。
今日は鶏とごぼうの炊き込みご飯にしようと、以前から決めていたので
その部分のメニューは変えず、それに合わせて晩ご飯は和食でいくことにする。
イカと小松菜の煮物をつくる。
あとは小芋のお味噌汁と、残り物とか(!)納豆を出す。

以前京都にお勤めで、今は岐阜にいる彼が、
また京都に戻ってくることになったという。
まぁびっくり。

まだ京都での住まいも決まっていないのに、
来週17日から働いてくれと言われているらしい。
で、明日は物件探しをするんだとか。


8時半ごろ到着。
ちょっと見ない間にまた少し太ったというかたるんだというか、
そんな体系になっていた。

「運動ぜんぜんしてないからさー」
「京都に来たらまたジム通おうかな」
「またテニスやろうよ、テニス。」

ひとしきり他愛のない話をして、ごはんを食べて、
私は先に就寝。


2005年08月10日(水) 空をみあげて、よしもとばななさん「ハゴロモ」再読中


最近、空を見上げなくなったなぁと思う。
去年の今ごろは窓の外の空ばかり見上げていたのに。
そんな風にふと思ったので、ビルのすきまから空を眺めてみたら、
夕立の降り始める少し前の、むうっとおしだされた灰色の雲が
空にわきおこっていた。

空を見上げる余裕を失わないようにしようと思う。

今年も夏は暑くて、
街の中はエアコンの室外機からもれる熱気と、
車のエンジンが発する熱と、
人と、
そういうもろもろで、とても暑くて、
自分の皮膚の上に体温より高いんじゃないかっていうような
不快な、あたたかい空気がのっかってくる感じとか、
今年も夏は、やっぱり暑い。







よしもとばななさんの「ハゴロモ」を再読しています。
思いがけず、
ぐっとこみあげるものがあったりもして。

主人公の女の子が両親たちのことをこんな風に語るところがあって、

 (両親は)仲がいいというよりも相性がよく、
 自分の幸せのことばかり考えているクールな人同士だったので
 ものごとを深く掘り下げて考えずにすんだから、
 いつも楽しそうに出かけていったのだと


これ、私と私の夫との関係も、まさしくこういうものかもしれない。とふと思う。
口ぐせのように「仲良しだね」と言い合っているけれど、
そしてそれは口に出されるたびに、二人を本当に仲良くさせるのだけれど、
けれどもそういうこととはまた別に、
私たちは本当は仲がいいというより、相性がおそろしくいいのだと思う。
そしてお互いすごくマイペースだから、
自分自身の幸福のことをたぶんきっと無意識に、一番に考えている。

そんな私たちは基本的に、難しいことは考えない。それが共通点。


・・・・そんな思いがふと頭をよぎる。


「ハゴロモ」。とても久しぶりに手に取った。
話の内容をすっかりきれいさっぱり忘れていて、新しい気持ちで読む。

思いがけずぐっとくるところがあったのは、
たぶんさらりと読み流していた部分をじっくり読んでしまったからで、
お話の始まりの部分、
主人公の八年もの長い愛人生活が終わりを迎えたことの説明に、
ひどく動揺してしまった。

いつものくせで、
つい今の夫との生活が破綻してしまった時のことを考えてしまう。
当たり前にあると思っている日々が、唐突になくなってしまった時
いったいどうやって対処していったらいいんだろうと思う。

「ハゴロモ」の主人公はどうやって乗り越えていくんだろう。
時間以外のものに癒されるのが嫌だ、という彼女。
たぶん、よしもとばななさんらしいやり方で、
驚くぐらい粘り強くかっこよく消化していくんだろうな。




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