Rocking, Reading, Screaming Bunny
Rocking, Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?


全日記のindex  前の日記へ次の日記へ  

*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)

*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
 9年続いたサイトの母体は消しました。この日記はサーバーと永久契約しているので残しますが、読むに足らない内容はいくらか削除しました。


この日記のアクセス数
*1日の最高=2,411件('08,10,20)
*1時間の最高=383件('08,10,20)


2003年04月08日(火)  Oh, I believe in 'Yesterday'.

「薬物依存」と推理小説を読んだ次は、「これがビートルズだ」
音楽関係の情報本を読むのなんか初めて。普段、音楽雑誌どころかライナーノーツすら読まないのに。私にとって音楽とは、ひたすらただの「音」だから。
MM(g)だのKKだの、ビートルズ・マニア達の影響かしら?

プロローグにこう書いてある。
「信じられないのはビートルズの音楽がいまもって新鮮に響き、驚きにみちているということだけではない。ビートルズというグループが存在したことこそが信じられないのだ」
ほんとだよね。

"Yesterday"という曲がある。世界で一番有名なロックのナンバーだ。たった2分7秒の短い曲。音は大変シンプルで、歌詞も「彼女が去って悲しい」というだけで何のひねりもない。
きれいな、きれいな、きれいな曲だ。
私はこの曲を聴くたんびに泣きそうになる。これだけパブリックな曲に、こうまでプライベートに反応する時、私はこの曲の凄さを感じる。きっと世界中で、気の遠くなるような数の人間が、それぞれにプライベートな感動を持ってこの曲を聴いているだろう。多分たった今も、どこかで。

Oh, I believe in 'Yesterday'. (私は'Yesterday'を信じる)  *'Yesterday'の歌詞のまま。 



2003年04月05日(土)  I guess I'd like to be alone.

昨夜からの横殴りの雨の中、11時にうちの最寄駅へ。
ネットを通じて連絡を下さった男性に、ルカ(兎)をお渡しする。優しそうな方だ。きっと可愛がってくれるだろう。

繭(まゆ。兎)が死んだのは昨年5月。既に3月にダンナを追い出していた私にとって、繭はこの世で一番愛している生き物だった。飼っていた5年間、余りに可愛くて毎日うっとりと見ていた。

その子が急逝した時、私は錯乱した。何と私はルカに向かって「お前が死ねば良かったのに」と言ったのだ。その時から私のルカに対する愛情がすうっと消えていった。

8月は余りに色んなことが一度に起こった。仕事を辞め、別居中のダンナが失踪し、PCを買ってネット中毒になる。9月には6歳年下の彼が出来て(ひと月しか持たなかったが)、ストーン通いが再燃。そしてどんどん眠れなくなる。

ルカの世話はちゃんとしていた。健康状態は並外れて良かった。プロに褒められるほどの毛艶の良さ。
11月に茅(かや。鼠)が老衰で死んだ。いよいよルカと二人っきり。2年半前にこのマンションに越してきた時は、人間・兎・鼠(ハムスター)がそれぞれ2人/匹ずついたのに、今じゃルカと私だけ。
お互いに存在を無視するようにして生きている。

私は、60時間だの70時間だの起き続け、10時間ぶっ通しでチャットをし、オールで飲み歩き、えんえんと音楽をかけっぱなし、時々死にたくて泣いて、食べないでジムに通い、体重が43キロになった。コーヒーをがぶ飲みするので肌がぼろぼろに荒れた。
その間ずっとルカを愛しもせずにぼうっと見ていた。この子は、可愛がられる為に生まれてきた筈だ。なのに私は、鉢植えの世話をするみたいに面倒を見ているだけ。

それでも、いつでもうちに帰った時はまず 「ただいま、ルカ」と声をかけた。それが心の支えになっていたのも確かだったんだ。
今まで何度も死にたいと思った時に、私がいなくなったらルカはどうするの?と考え、それが救いになっていた。

でも、先月死のうと思った時、初めてルカを「殺そう」と思った。まずはこの子を殺して、それから私も死のうって。近寄ってじっと見ながら、首を一瞬で折ろうと考えていた。
──さすがにそれは迷惑だよね、と笑い出したが。

その時に、もう駄目だと思った。
ごめんね、ルカ。私、これから死ぬにしろ生きるにしろ、おまえのことが、邪魔なんだ。

────まだおまえのいないことに慣れないけど、今ほっとしているのも事実だ。おまえを愛せないのは辛かった。
よく今日まで健康でいてくれた。ありがとう。ごめんね。さよなら。
私は最低の人間だよ。



2003年04月02日(水)  Cocaine

「薬物依存」読了。精神医学の専門家の書いた、分類を中心としたいわば実用書。
ぎょっとしたのが「カフェイン依存」の項。
要約すると、一日250mg以上のカフェインを取ると、神経過敏興奮、睡眠障害、顔面紅潮、利尿、悪心、嘔吐が現れ、1g以上摂取すると、筋肉の不随意の収縮、不整脈、精神活動の高揚、多弁、耳鳴り、閃光が見えるなどの感覚障害が起こる。
そして、1杯のコーヒーに含まれるカフェインは100〜150mgだという。
・・・え?
私もそうだが、コーヒー好きは大抵コーヒーをかなり濃く入れる。一杯150mg以上は間違いないだろう。とすると、250mg取るにはたったの1杯半。7杯で1gを越えてしまう。
・・・私、一日平均5、6杯は飲む。多ければ7、8杯。最高なら10杯とか・・・。
カフェインには精神依存性があり、耐性は利尿作用と血管収縮作用に対してはあるものの、中枢神経興奮作用に対しては殆どないと言う。退薬症候もあるらしい。・・・げえ。

意外だったのは、カフェインがいわゆるアッパー系だということ。眠れなくなるということを考えれば当然なのだが、普通、人がコーヒーを飲むのは落ち着きたい時ではないか。
一方(薬物ではないが)飲んで騒ぐイメージのアルコールはダウナー系。まあどちらもよく考えれば納得するが、表面的な印象は逆かも。

アッパーの代表格、コカイン。
この特徴的な症状ときたら。まとめると、昆虫・細菌・図形のような模様の幻視、虫が体を這い回る身体的幻覚、被害妄想、追跡(追われている)妄想、皮膚や粘膜に冷感・温感・刺激感・掻痒感(針や爪でその部位を傷つけたりもする)など。しかもこれらの症状がある間、意識ははっきりしているというのだ。
何が楽しくてこんなのやるのよ?!!
だが私の見たところ、コカインにはひとつだけ優れた特徴がある。耐性が「ない」のだ。(免疫が出来て効かなくなることがない、ということ) こんなドラッグは他にはまずない。

Cocaine (コカイン)  *J. J. Cale の曲。(1975)



2003年04月01日(火)  この世界に愛を。愛にチャンスを

12時に Andyと原宿駅で待合せ。夕べ電話でお花見に誘われたのだ。何と今日はたった15分の遅刻。私にしたら定刻も同然。
しかし私 Andyとは先月Rolling Stoneで30秒くらい喋っただけ。(帰らないでと引き止められたので、名刺渡した) なので顔を全く覚えてない。駅に着いたら外人が数人いるし。窮余の策として携帯にかける。取った。あ、あいつか。身長188cmの金髪。ほんっとに覚えてないや。

ビールとサンドイッチを買って代々木公園へ。いい天気。昼間から行動するなんて3ヶ月ぶり。実は桜にはあまり興味がないんだけど、たまにはこういうのもいいね。
Andy が喋る喋る。実はこの人日本語も結構喋れるんだけど、日本語になった途端に「超ヤバイよねー」みたいな話し方になるのだ。・・・英語で会話しとこう。英語の方が内容も深いし。というか日本語が浅すぎ。

風がそよそよと気持ちいい。・・・ジンが欲しいなー。

公園を出ようとしたら、1ヶ月前にクスリでパクられて留置所にいた筈のJJにばったり会う。今出てきたばかりだって!

電車で青山霊園へ。代々木公園より綺麗で静か。またビール買って、ぐるりと歩く。

表参道の店など覗きながら、歩いて代々木公園へ戻る。今度は池のほとりでビール飲む。

18時に中目黒へ移動。ここの桜が一番綺麗だ。川べりでライト・アップされて薄いピンクに染まっている。
オーガニック・カフェという川べりの店に入る。角の席も空いていたが、Andy は別の席へ。そこの方がガラス越しに桜が見えるというのもあるが、周りに人が来る方が嬉しいんじゃないかな。
何せ Andy、知らない人に話しかけるのが大好き。代々木公園でも、女子高生グループをはじめありとあらゆる人に話しかけてた。青山でも猫を連れたホームレスに来週キャット・フードを持ってくる約束をしてたし、電車の中でも親子連れにえんえん喋ってた。私も結構人に話しかけるほうだが、Andyには遠く及ばないよ。
案の定、隣の女の子二人連れにしきりと話しかけるAndy。私が「すみませんねえ」と謝る。・・・今日この人と初めて会ったも同然なんですけどねえ。

チーズリゾット食べて、赤ワインを飲む。ああやっぱ、ビールよりこっちのがいいな。
隣が帰り、別の女の子の二人連れが。またAndyが話しかける。また「すみませんねえ」と言う私。今度は結構話す。私ももう開き直って一緒に話す。Andy、色んなこと聞くなあ。「荻窪に住んでんの? ヤバイよ」って、何でだよ。・・・迷惑かなあ。ごめんね。初めて会ったも同然のヒトなんですけどね。

いつの間にかAndy、反対側の女の子二人連れにも話しかけてるし。
何かこっちの子たちとはちょっと人種が一緒らしくて、一気に盛り上がる。「今私の人生、最低だから」と言ったら、一人が「えー負けませんよ。ビール賭けますか?」と言う。なので、私はプーで、ダンナは失踪中で、おまけに彼に捨てられたばっかで、と言ったら、「ほんとですかー?!!」とぽかんとされた。・・・どうやら勝ったらしいな。嬉しくないけど・・・。

店を出て、川沿いの桜を見て歩く。ブック・オフ見つけてCDコーナーにはまり、私は R.E.M.を買う。
うちへ行こうとAndyが誘うが、私は今日はずっとBLACK AND BLUEへ行きたくてたまらなかったので、彼と別れて新宿へ。

初めてBLACK AND BLUEに一人で行った。本来私は一人で飲むことが多いのだが、近頃は哲と一緒に行動することが多かったしね。

オレンジ・ブロッサム、ジン・ロック、ジン・レモン、ココモ・ミルク、フォア・ローゼズのロック。
今日は12時から飲みっぱなしなのに、どういうわけだか全然酔わない。バーボンのロックでさえも酔わないってどういうこと?

途中からきたお客さんたち、持込みで清志郎&チャボなんてかけるし。曲はRCの曲ばっか。懐かしいなー。マスターもRCのコンサート行ったことあるって。私もよー。お客みんなでRCを大合唱。まるで違う店になったみたい。

4時にBLACK AND BLUEを出て、先ほどのお客さん達(SS(g)、AC)とダーツ・バーへ移動。ここは勝手にCDかけていいらしく、彼らの持ち込みのnicoをかけた。オリジナルっぽいカクテルもらう。
彼らは「BT」っていう秘密結社の会員なんだってさ。よくわからないけど、入りますか?と訊かれたので、面接試験を受けた。「好きな映画は?」の質問に「狼たちの午後」と答えたところで面接をパスした気配。

とうとう酔い潰れたACを店に残し、SSとBack Stageというロック・バーへ移動。'Sgt. Peppers Lonley Hearts Club Band'のアルバムがかってた。
フォア・ローゼズをロックでもらう。ボトルだったので結構飲むが、ちょい眠くなるだけでやはり酔わない。レオン・ラッセルを何曲かかけてもらう。

6時半に駅でSSと別れる。最後の2件は彼らにご馳走になった。もう1件と誘われたが、ハローワークに行かなくてはならないので。また今度!

一旦帰宅し、すぐまたハローワークへ行って失業保険給付手続き。今日でここに来るのは最後。
何故か帰りに強烈な自己嫌悪に襲われる。ハローワークのせいか? ここに来るのは大嫌い。物乞いみたいで。・・・だったら働けばいいんだけど、それは更に嫌い。
買物して帰ったら12時。ほぼ24時間の外出だったな。特に疲れてないけど。

今日は初めて喋った人たちが何十人いたことか。そして仲良くなれた人たちも何人か。嬉しいね。

この世界に愛を。愛にチャンスを  *SKY PILOT / RCサクセション (1985) の歌詞。


2003年02月27日(木)  夜、遠くに見える火の柱

意味はないが、今朝からキンクス18枚一気に聴いてる。1曲も飛ばさずに。そうするとさすがに聴き覚えのない曲もある。CDだと、聴かないと思うとすぐに飛ばしちゃうからね。
レコードの時代には、聴かない曲を飛ばすなんてことは皆あまりしなかった。面倒だからだ。その結果、アルバムの全ての曲が記憶に残ることになった。それが良いか悪いかはわからないが。アルバム自体に対する愛情にはつながっている気がする。とにかくひとつの作品として丸ごと聴く。
今は1枚のアルバムで2、3曲しか聴かないなんてのはザラだろう。そしてネットのダウンロードが普及してきたひにゃ、誰がアルバムなんて買うだろう?
ちなみに18枚聴いて思ったこと。キンクスに捨て曲は存在しない。レイ・デイヴィスは素晴らしい。

橋本治著、「人はなぜ『美しい』がわかるのか」読了。
タイトルを見て即購入。この本の大きなテーマである「美しいがわからない人がいる」について、以前に詩を書いたことがあるのだ。「美しい」がわからないまま死ぬことへの恐怖を書いた。
作者の言う、美しいものは合理的であるという前提は、感覚的に納得できない。何故なら私はしょっちゅう非合理的なものに美しさを感じるからだ。例えば「完全に自己抑制能力を失った女」というのは、私にはうっとりするほど美しい。ジョン・アーヴィングの「158ポンドの結婚」に出てくるイーディスがそうだ。この小説自体はたいして好きではないのだが、イーディスというキャラクターは忘れられない。彼女は夫婦交換という関係の中で、すっかり自分を見失ってぽかんと口をあいている。

後書きにあるが、孤独は近代の発見だそうだ。何故なら前近代のそれは制度社会からの転落であって、前近代の転落は個人以前の複数(家など)で起こるからだと言う。前近代では 「剥き出しの個になってしまったら発狂するしかない」 という極端な認識があったのだそうだ。
また別の箇所で作者は、「豊かな人間関係の欠落に気づくことが、人の美的感性を育てる」と言っている。つまり美の認識とは、幸福の実感を身内に残したまま、現在の自分の欠落を意識すること、ということになる。───だったら現在の私は、なんと美を認識するにふさわしい環境にいることか。
もともとエモーショナルなたちである。それが現在の環境において、近代の発見である孤独の楽園にひたりながら、ひりひりするほどに欠落を認識、即ち美を認識しているのだ。
────死にたくもなるはずだ。

実はこの感覚は、作者のそれとは逆だ。作者は結末において「世界は美しさで満ち満ちているから、好き好んで死ぬことはない」と言っているのだ。
私は、圧倒的な美を前にすると、感動に口がきけなくなると、死にたくなる。作者が言うところの「欠落」の認識、美が私の内側をカラにして、世界を私の外に置くから、世界が私抜きで完成してしまう────その景色に、打ちのめされるのである。
くしくも──先に挙げたものとは別だが──昔書いた詩にこんな部分があったのを思い出す。

自由と鷹揚が
私を内側からカラにする
誰が私の寝ているあいだに
優しく地獄の火を焚くのか
*(これは18歳の時の詩。全文はこちら



2003年02月24日(月)  君と踊りあかそう日の出を見るまで

わわわわわわわわわわ!!!!!!!!!!!!!!!
たった今すごいの発見した!!!!!!
昨日、捨てようかと思ってチェックしていたテープの中から、お宝を掘り出してしまった!!!
一体何年なのコレ? おそらくは'86年か'87年。場所ははっきりわかってる。新宿ロフト。多分'86年。'86年のロフト出演は3回。6月27日、10月4日、11月15日。全部行ったよ、どれだ?
口惜しい。どれだか判別する手だてがない。でもとにかく、私がそこにいたんだ。じゃがたらのライヴに。これはその、個人録音。録ったのは私ではなく、そこにいた知らない男の子。後日偶然にその子と話す機会があり、その日のライヴを録ったことを聞いて、貸してもらってそれっきり、今日まで返し忘れてたのだ。

「裸の王様」で始まってる。うわあ、どうしよう。私この音おぼえてるよ。最初にアケミがひと声叫んだら、客が叫び返したことから、全部おぼえてる。すごい迫力だ。

2曲目、「スピード」 。
ブートまではわからないが、もちろん正規のレコード化なんかされていないライヴ。だけどこのクオリティの高さときたらどうだ。実際出てるライヴ盤と比べて全くひけを取らない。演奏はもちろんのこと、音質も良い。アケミの声の通ることといったら。これがインディーズのバンドか。

3曲目、「ジャンキー・ティーチャー」。ああ今オトとナベが向かい合って、互いのギターとベースをくっつけるようにして出だしのフレーズを弾いたのが見えた。自分が誰とそこにいたのかもわからないのに(6月なら高橋。10月以降ならダンナ)、自分のいた位置ははっきりわかるし、何故かステージに向かって右側前方にいた男の子たちが興奮して飛び跳ねていたのも覚えてる。

4曲目、「でも・デモ・DEMO」。すごくスピーディー。客がみんなハイになってがくがく体を揺すっている。私もすでに酸欠をおこしそう。速い。オト、海老蔵、ナベ、ていゆう、ホーンセクションも。

4曲目が終わった途端にA面の音が切れた。テープはまだ余っているので、ここで一旦レコーダーから抜いたんだろう。
もどかしくテープをひっくり返して再生ボタンを押す時に、勢い余って隣の録音ボタンまで押しそうになる。ぞっとして、慌ててテープを取り出し、手近にあったボールペンを突っ込んでツメを折る。

A面とB面の間に録り損ねた曲があるのかどうかは判らない。しかし彼は大事なところには間に合ったらしい。B面の1曲目は「タンゴ」だ。
これも速い。合わせて歌おうとしたら声が出ない。代わりに涙が出た。そしたら、17年前の自分が見えた。今とおんなじようにサビのところを一緒に歌おうとして、まるで口パクのように全く声にならず、ステージを見据える為に大きく開いた目からそのまま涙を流し、声の出ない唇を開いて言った。 「さあ、しっかりねらいをさだめて、いつものようにおやり」、「さあ、しっかりねらいをさだめて、笑ったままでおやり」

「クニナマシェ」。客の手拍子が起こる。もちろん私もしてた。余りの感動に、ぶん殴られたようになっている。 「ゴキブリ共のお通りだヤラセロ!」 のところで意識がキレそうになる。私もまわりもみんな酔っ払いのように揺れている。音がだんだんと引いて、女性コーラスと客の手拍子だけを残して、曲が終わる。

そこでテープの音が切れた。ライブが終わったのだ。

君と踊りあかそう日の出を見るまで  *じゃがたら のアルバム。(1985)



2003年02月23日(日)  お友だちがいっぱい(全部男なのは何故だ・・・)

私は片付け魔なので、モノを整理して捨てるのが大好き。今日は音楽テープに手をつけた。聴いてみていらない物は捨てよう。
昔ミニFM局で音楽番組のDJをやっていた時のテープも出てきた。「それでは今週の1曲目はツェッペリンの『聖なる館』から、"Dancing Days"」なんてやってるし。

前やってたバンドのデモ・テープが出てきた。タイトなドラム、重くうねるベース、ディストーションぎゅんぎゅんのギター、美しいアコギ、ふらふらしたビオラ、そこにぶつぶつと英語で喋ったり、ほわほわ歌ったりしてる私。・・・ヘンなバンド。全部インプロビゼーション(即興)だし。強いてかっこよく言えば、プログレに環境音楽を足して、ヴェルヴェッツを一滴たらした感じ?

懐かしくなりOS(g)に電話した。いつの間にか隣駅に引っ越してきてるし。ダンナの失踪を聞いて、「真面目そうな人だったのに!」と驚いてた。そう、うちのダンナは猫かぶり。
ちなみにこのギター、3人も子供がいながら、奥さんを強姦して離婚されたダメ男。去年、たまたま知り合った言葉も通じない子連れの中国人女性と再婚。「美人でもないし、たいして好きでもないけど、まあ何となく」だそうだ・・・。

OSと携帯で話してたら、家の電話が鳴った。福岡で画家をしてる友人のHIからだ。5年前まで東京に住んでた。池田満寿夫の弟子で、それでも絵では食べていけないので、顔が良いのをいいことに女3人に毎月5万ずつ貢がせていたツワモノ。
HIの近況。「いやー、去年からシャブ中になっちゃって。最近ようやくクスリの量を減らせて、人と会話できるようになったから電話したよ!」って。ちょっと躁が入ってたな。また入院もしてたらしいし。
HIは以前に、四方の壁がマットレスという施設に収容されていたこともある。

・・・何か自分がすごく地味でノーマルに思えてきた。それともこういう連中と友達だって時点でダメか?

MNとメールでやり取りしてたらIB(vo,g)がMNんちに来たので、チャットする。IB、「おまえは東京にいたらジャンキーか何かになってダメになるから、帰ってきて俺の店で働け」だって。IBのライヴハウスが東京にあったら、もうとっくに雇ってもらってるよ。ザ・バンドのかかりまくる店で働けるなんて、本望ですとも。

夜ジムから帰ったところに赤塚さんから電話。お土産でもらったという長崎の豚の角煮饅頭をわざわざ届けてくれた。



前の日記へ次の日記へ