Rocking, Reading, Screaming Bunny
Rocking, Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?


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*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)

*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
 9年続いたサイトの母体は消しました。この日記はサーバーと永久契約しているので残しますが、読むに足らない内容はいくらか削除しました。


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2005年01月11日(火)  E→A またはA/E

繰り返しの快感、というのは多いけど。これはその最たるもの。
1曲にバカはまりすることは多いけど。こんなにまでというのも珍しい。
スマッシング・パンプキンズの「1979」――――1997年のグラミー賞だというからややこしい。
思えばこれでもう2ヶ月近くこの曲にはまっている。店のCD(1997 Grammy Nominees)に入っていたので、家のPCにも入れてはあるが、とにかく出勤すると大抵これからかける。しかも連続で何回もかける。

始まった瞬間からうっとりとなる。何というか、ギターもベースもボーカルもドラムまでも、全てがユニゾンみたいな、不協音のない平坦な、ぬるい波間をたゆたう甘い夢。どこにも行かずに思考を止めて、ぼうっとして浮力に身を任せていると
And I don’t even care to shake these zipper blues
と、ビリー・コーガンが歌う。正直、詰めの甘いボーカルだと思う。でも、この微妙な感情の込め具合と抜き具合にはくらっとなる。ここからのサビの、人間の口が発する音の快感ときたら。

気づけばだんだんとベースがギターが手に手を取ってこちらに迫っている。ドラマーの心拍数が上がっている。
終わり頃になるともう、感性が鷲づかみにされて痛い。
コードは Emaj7 → E → A → F#m → B ――もろに私のツボだ。目眩がするような、エクスタシーの A 。

やはり決め手はこの曲作りの良さなんだろうな。
ビリー・コーガンはコートニー・ラヴとつきあっていた関係でホールの3rdに作曲で5曲参加している。(うち1曲は私の愛するMalibu) コートニー自身にも彼が作曲技術を叩き込んだとあって、ホールの3rdの曲のレベルは2ndに比べ遥かに高い。

E→A またはA/E *私の好きなコード。



2005年01月07日(金)  You've gone too far now I won't give in.

昼にネットをしていて、とあるbbsで紹介されていたサイト(あまり有名でないアーティストのライヴ音源を保存する合法サイト)の中にハニードッグスのライヴ音源を見つける。1997年と2004年、合計で28曲も!

ハニードッグスは、私が好きなバンドの中でも無名中の無名。相当のロック好きでも名前すら知らない。(私の周りで唯一「CDを1枚持っている」と言ったどるたんは、所蔵音源が数万枚のマニアだ) CDも入手困難(日本で買えるのは2枚だけ)で、他はオフィシャル・サイトから個人輸入していた。(届いたら思いっきりケースが割れていた・・・) そのオフィシャルですら在庫切れがある始末。
ライヴ盤はなく、オフィシャルにビデオの断片があるだけで、今までライヴは全く聴いたことがなかった。なので感激で目頭が熱くなる。キンクスの Picture Book なんてやってるし!
ちなみに私自身は2003年の10月に検索で間違えてひっかけたのだった。時々こういう運命の出会いがある。ロンドンで特に好きでもないプライマル・スクリームを見に行ったら、前座で出ていたザ・キルズ(デビュー前)とか。

ひかるちゃんご来店。ほどなくまるちゃん(♂)も。
まるちゃんにハニードッグスを聴かせる。気に入ってくれた様子なのが嬉しい。

しかし一方では。久しぶりのひかるちゃんとの会話にかなり苛々してしまう。彼女の凄いところは、何を話題にしていても、発言のひとつひとつが苛々の元になることだ。(飲物のオーダーすらそうで、ウイスキーのストレートというからストレート・グラスに入れようとしたら、不満そうに「氷入れてくれないの?」など) 全ての発言が、「何ひとつ知らないくせに知ったかぶり。そのくせ己の無知や間違いを絶対に認めない」で構成されている。
そんな彼女が、「ロックをお勉強したい」などと言って、店に来るたびに「何を聴けばいいの?」と言うのがむかつく。彼女はロックなんか全然好きじゃないのだ。自分が好きなものを聴けばいいだろうに。
今日も同じ質問をした。一体どういうのがいいのよ?と訊くと、「しんみり泣ける曲がいい」 という。勝手に何でも聴いて泣いてろと思った瞬間、まるちゃんが 「じゃあまずはメタリカですね。あとスレイヤー・・・」 などとメタルを並べ始めた。即座に一生懸命メモを取るひかるちゃんに、にこにこ顔で 「人の意見を信じやすい方ですか?」 だって。・・・すげえ。思わず唖然。そうか、ひかるちゃんはこう扱えばいいのか。なるほど・・・しかし私にはこれが出来ないんだよねえ。真正面から怒っちゃうんだ。

「飛行機で暴れたっていう女の人の曲を聴きたいんだけど。何ていう人?」 と訊くひかるちゃん。
「・・・おしえない」 と答える私。いくらコートニー・ラヴがデタラメな女だからって、そんな滅茶苦茶な動機でホールを聴いてほしくないわ。

まるちゃんが 「ビートルズは好きですか?」 と訊く。そうか、お勉強ならまずはビートルズ聴けばいいじゃん。そしたら彼女、「私ビートルズだけは嫌いなのよ!」 と言う。絶対にビートルズのことなんか知らないくせに、と言ったら、かなり詳しいようなことを言い張る。
よしわかった、メンバー名言ってみろ。 「・・・えっ、えーと、ジョン、と、ポール・・・」 パートは? 「えっ・・・ポールは、ギター」 はい、この話は終わりました。 「えっ、違うの? あっ、ボーカルだっけ」 ・・・ビートルズのボーカル、って口走る時点で、ビートルズを何も知らないと言ったも同然だわ・・・。 「あ、わかった、ポールはドラム」 ・・・おまえ、ベースっていうパート知らないだろう?!
この私がどうしても勘弁できない領域があるってのを察しろ!!!!
そもそもビートルズの名前が出た時点で、「私ビートルズに関しては厳しいよ」 ときつく警告したってのに!
それでもまだ 「うちに(母の)レコードあるもん!!」 と幼稚園児のような反論をするひかるちゃん。

この日記の読者の大半が彼女をかなり若いと思っているようだが、実は彼女は34歳なのだ・・・。

You've gone too far now I won't give in (これ以上勘弁出来ない *Vow / Garbage (1995) の歌詞。



2005年01月06日(木)  俺の存在を頭から否定してくれ

なかむらさん(♀)ご来店。私が1時間遅刻した為、ずっとベローチェで待っててくれた。ありがとう。ごめんね!

しっかし、なかむらさんてば。I.W.ハーパーのボトル入れてくれて、その場で7割飲んじゃうし。やろうと思えば1本飲めるそうだ。これは既に「ボトル・キープ」とは言わないな。ボトルを買ってるんだ。
ちなみに飲み方はロック。チェイサーは殆ど飲まなかった。相変わらず男らしいわ、なかむらさん。
彼女といい、友紀やひろりんといい、私の周りには男らしい女が多いな。一方女々しい男も多いぞ。今読んでどきっとした人、そう、あなたよw

今日のなかむらさんの持込みCDは、やはりPANTA、そしてスターリン。普段店では邦楽はご法度にしてるが、これはまあ特別。

遠藤ミチロウのソロはともかく、スターリンは久々に聴いた。かっこいい。
「嫌だといっても愛してやるさ」なんていうフレーズは、今なら「あ、ストーカーね」で片づけられちゃうんだろうな。現代には、ストーカーだのセクハラだの、以前にはなかった無味乾燥な「くくり」が多い。既に本来の言葉の意味から離れ、「捺印・処理済」のような機能をする「くくり」だ。
弱くて愚かな人間は、未知のものが怖い=嫌いなので、名前をつけて分類済みにしてしまうことで安心する。安心して見下す。
そして安直な分類は、エロ、猟奇、悪といったものを骨抜きにする。
その愚かな弱虫たちを「ひとくくり」にして、最盛期のスターリンのライヴ会場最前列にぶち込んでやりたいわ。
お前たちのファイルに入れられるものかどうか、じっくりとその目で見てみろ。

俺の存在を頭から否定してくれ *メシ喰うな! / INU (1981) の歌詞。



2005年01月01日(土)  わたしの中に 愛があふれる

新年初メールは明けて30分もたたないうちにママ(友だち)から。
愛してるわよ、ママ。今年も男関係は全部ママに愚痴るから、私が幸せになるよう見守ってね。

お年賀メールが携帯にもPCにもたくさん。皆ありがとう。
bbsにはお年賀書込みも。そして年明けからいきなりザ・キルズの話題で盛上ってる。グレイト。

何だか不思議と、年越しのあたりから他人への愛があふれる感じになっている。
親、親戚などに年始のご挨拶電話。元ダンナ宅にもかけ、元舅とだけ話す。
メールもお返事がついつい長くなる。もらうこと自体すごく嬉しい。
誰とも会わないのに、妙な充足感がある。今日はうちから一歩も出てない。

わたしの中に 愛があふれる  *わたしたち / 矢野顕子 (1987) の歌詞。



2004年12月31日(金)  alone

昼にヨナフィ(g)に電話して、深夜お店に来てもらうことに。去年同様、今年も親友と年越しをしようというわけ。
ところが電話を切ってから、窓の外を白いものがぼたぼた落ちていくのに気づいた。うわ、また雪だ。しかも今度はすごい。積もってる。
こりゃ呼びつけちゃ可哀想だ。夜に電話して無理に来なくていいと伝える。もともと作曲の仕事で修羅場中だしね。

大雪のせいで、来る筈だった友人たちが皆来ない。それをいいことにお店も0時直前で閉めてしまう。(0時過ぎに来ると言ったお客様もお断りしてしまってごめんなさい!)
年越しの瞬間は、玄関でブーツを脱いでた。あとで父にそう言ったら、「寂しいねえ・・・」と茶化されたがw

ヨナフィに会えなかったのは残念だが。年越しが独り、というのは何となく「演出」っぽい気分だった。絶対に誰かといたいと思えば、いくらでもどうとでも出来たが。
でも、大雪に気づいた時から、何となく、静かに独りでいようという気分になっていた。

おそらくだが、年越しの瞬間に独りというのは、生まれて初めてだ。
2002年には、誕生日になる瞬間に独りというのを初体験した。0時の瞬間にはベランダで洗濯物を干していたのだ。('03年と'04年はひとと一緒だった)
何となく、こういうのが気持ちいい。表面的には「寂しいなあ・・・」と思わなくもないし、例えば一緒にいてくれる恋人がいればとても嬉しい。
でも、どう言えばいいのか。この雪、澄んだ冷たい空気、静寂。
好きな食べ物を用意して、自分一人のために温かいコーヒーを入れる。marikoさんが私の為に下北沢の専門店で買って来てくれたフレンチロースト・マンデリン。
本を読む。ネットオークションで落としたSFの共作オムニバス(フレドリック・ブラウンが参加。現在入手不能)を読む。勿論PCもさわる。
何となく。ふわふわと幸せな気分になる。
どうしてだろう。

ああ、明日から3日間休みだ。どこへも行かず、誰とも会わず、ゆったりしよう。



2004年12月29日(水)  Help me Lord. I'll pay you.

前日は寝ていなかったので、明け方から10時半まで寝た。珍しく長時間睡眠。目が覚めたら雪でびっくり。昼食のお誘いもあったのだが、もう間に合わない。

メールが一通来ていた。多分書いた本人はそれほどの意味もなく書いたんだろう。だが夕べの今日でタイミングが悪かった。一気に動揺して、泣いた。何に泣いているのかわからなくなった。混乱していた。

マチちゃんから絶妙なタイミングで携帯メールが来た。これから実家に帰るんだという。「ところでバニさんて柴崎コウに似てるって言われない?」
「言われる」 と返信する。「米倉リョーコってヒトにも似てるって言われる。でもTV全く見ないからどっちも顔知らない」
涙ぐみながら打った。ありがとう、マチちゃん。

Nari さんのbbsをのぞいてみたら、地震で6万人死んだと書いてあった。この2年間世間と切り離されて生きているので、そんな大事件すら全く知らなかった。ユニセフの緊急募金へネットからクレジット・カードで寄付する。
ついでに盲導犬募金のサイトにも寄付。こちらはいつも街中で募金箱を見つけた折に500円未満の小銭を全部入れていたのだが、最近は日中に出歩くことがなかったし。
盲導犬募金に寄付する理由は利己的である。私は不安神経症なので失明したら多分気が狂うし、本が読めないのは想像するだけで地獄だ。そして子供の頃から犬が大好きなのだ。それだけ。
実は地震も苦手なので、大地震の際には大抵いくらか寄付している。それで何とか自分が免れればという下心だ。

実は今日の日記は、最初リアルタイムでこう書いた。それを読んで、慌てて旅先から携帯メールをくれた人もいた。
心配して翌日電話をくれた人もいた。
Nari さんも何度も温かい励ましのメールをくれた。
皆ありがとう。感謝してます。



2004年12月28日(火)  The End

MATTさん(vo,g)初来店。私がショット・バー勤めをしていることをつい最近知ったらしい。お住まいは横浜だが、わざわざいらしてくれてボトルを入れてくださった。MATTさんはBLACK AND BLUEのマスターの20年来の親友で、バンド仲間でもある。
と、すぐにmarikoさん・青野さんがご来店。marikoさんはBLACK AND BLUEのマスターの元の仕事仲間だから、MATTさんをご紹介する。お互いネット上で名前は見かけていたようだ。
マスターが生きていたら、今ここにMATTさんとmarikoさんが揃うことなんかなかったんだろうと思うと、不思議な感慨がある。

MATTさんは開店から閉店までいてくださった。最後は「レッチリを聴きましょう。僕はジョン・フルシャンテが大好きなんです。 Can't Stop をかけてください」なんて、他人のセリフとは思えないようなことをおっしゃったので、 By The Way 及び2002年幕張のブートをおかけした。

BLACK AND BLUEのマスターの、死亡診断書を見せられた。マスター自身が書いた文章も。私に見せる為に持ってきたという。
死亡診断書に死因が書いてあって、そこに「(伝聞)」とあった。伝聞。
マスターは、午前3時に独りで死んだ。翌朝、他人に発見された。私が最初にそのことを知った時、彼が真っ暗で寂しい場所で独りぼっちでいる姿を思ってぞっとした。
伝聞、か。

「Bunnyさんとの出会いは、彼にとってどんなに衝撃的なことだったか」とMATTさんが言う。「大学の頃から話していたんですよ、俺たちの好きなロックを理解してくれる女性は現れるのかな、って」
ええ。ええ、私もよ。私も、ローラ・ニーロの'Eli And The Thirteenth Confession'を「棺桶に入れたい1枚」と言う男性には初めて出会ったの。

2003年3月15日、ストーンズを見た帰りに、哲と初めてBLACK AND BLUEに寄った。私が女性アーティストではローラ・ニーロが一番好きだと言ったら、マスターが驚いていた。ベストアルバムは何といってもイーライだと言った。そしたら1枚まるまる全部かかった。哲はローラ・ニーロを聴かない。だから早く帰ろうと言われたが、私は言うことをきかず、最後まで聴いた。その時から、彼氏と行こうが誰と行こうが、BLACK AND BLUEにいる間は、私とマスターのかける音楽とが優先で、誰も入り込めなくなった。
それからずっと、私とつきあう男は皆、私が泣く音楽に無関心だった。私はかまわず一人で泣いてた。カウンターの後ろのどこか見えないところにマスターがいて、私の好きな音楽を次々にかけていた。
私はいつも、二人きりでいても、殆どマスターとは会話をしなかった。彼が音楽をかけて、私が聴いていた。何時間でもそうしていた。

私にとって、彼とあの店と音楽は全部一体だった。大事に思ってた。まだまだずっと、いつまでも、そこで待っててくれるものと思ってた。

私が今ショット・バー勤めなんかしているのは、紛れもなくマスターの影響が大きい。なのにその彼はもういない。
一人でオレンジ色の薄暗い店内にいる時、彼が私に残したCDを聴く時、何度か泣いた。
嫌われているのかと思っていたが、そうじゃなかったんだと色んな人が言う。亡くなった後で言う。
今となってはもう確かめようがない。彼はもう死んでるのよ。
たちが悪いわ。もういないのよ。

この話が終わらない。いつまでも尾をひく。
それで私は時々、虚空に呼びかける。そこにいるの?
そこにいるなら出て来て。姿を見せて、これを終わらせて。
畜生。誰か。これを終わらせて。



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