今日はRonnyの休み(イコールうちの店も休み)。
彼は本当は午前中に来る筈だったが、奥さんと話し合うことになったので遅くなるとのこと。まあこちらも夕べはオールだし。
そのまま寝ずにお洗濯などしてだらだら過ごす。
もう今日はNakeesのライヴは無理か、と諦めかけたが。彼が無理して駆けつけてくれた。新宿で待ち合わせて、京王線で永山へ向う。最後はオサムさん(vo,g)に車で迎えに来てもらい、演奏前ぎりぎりに間に合う。
オーガニックのカフェレストランといったところか。ペンションぽい雰囲気。私は最前列で、バンドはすぐ目の前。同じく最前にくまちゃんとひろりん。ひろりんは何だか縮こまって固まっている。兎が知らないところに連れていかれて抱き上げられた時にそっくり。白石さんと喧嘩でもしたかと思いきや、後で聞いたらこの場所の「健康的」雰囲気がカンに障っていたらしい。
私も本来はそういうのが気になるほうだが。今日は全く感じなかった。要するに左隣に座っているRonnyの存在が大きくて、ほぼ何もかもに薄いフィルターをかけていたと見える。
「マーマレード・ママ」で軽快に始まる。ハコの不自然さも客の異常な近さもものともせず、力まず手を抜かず完全に自分たちのペース。さすが。
今日は私ちょっと反則技に出た。オサムさんの顔をひたと見据えながら(これはいつものことだけど)、一緒に(声は殆ど出さずに)歌ったのだ。もうNakeesのライヴも7回目。オリジナルの歌詞はかなり知っている。だけどボーカルにしてみれば、これってかなりやりづらいんだよね。歌詞を間違えそうになるかもしれない。なので全部は歌わないようにしながらもちょこちょこ歌った。
お客のリクエストで仕込んだらしいジョン・デンバーの Country Roads も一緒に口ずさんでたら、オサムさんがマイクをくれたので歌った。キーが合わないからコーラス・ラインなども混ぜて歌った。
後から知ったが、この時神経が苛立ってキレかけてたひろりんが、私が歌ったことでラクになったらしい。だったら良かったわ。
しかし私の見る時って何故かべースアンプのトラブルが多い。今日も途中で取り替えるハメに。NOGGYくん(b)が上手いのはいつも通りだが、今日はちょっと音が控えめに感じたなあ。被り物をしてるせい?w せっかくの渋い音、もっとばりばりに響かせていただきたいところ。
そして最近ドラムのレッスンをしている我が身としては、白石さん(drs)のドラムはもういちいち感心するばかり。シンバルの使い方がかっこ良くてしびれたわ。
今日のオサムさんは声ののびがよかった。「蜜の川」のサビ、「きみと僕の間にある 深くて長い川」のアタマの部分で実感した。
今日は一度は来れないと諦めたのだが。その時この歌のこの部分が頭の中をぐるぐる回りだして、何だかじりじりしてしまった。
結局来られて良かったなあ。一緒にいいライヴが見られて嬉しかった。
小田急で新宿へ。ストーンとGOTZへ行くつもりだったが。
電車でずっと彼と話した。離婚が話題なのでどんどん重苦しい雰囲気になるのだが、何故か話せば話すほど二人の仲が濃密になる。新宿に着く頃には二人ともすっかりロック・バーに行く雰囲気ではなくなっていたので、そのまま荻窪へ。うちの近所の居酒屋で軽く飲んで帰る。
考えてみれば、彼と一緒にお出かけするのは今日が初めて。
当然、待合せも初めてだった。そして私が先(待合せ10分前)に着いたという驚嘆すべき事実を記しておくわw
まだ、つきあって、たったの18日め。
愛しいひとと行こう *4126 / Nakees (2003) の歌詞。
2005年02月09日(水) |
Time goes slowly |
まるちゃん、Nariさん、CAKEくん(福岡から上京)、中野さん(中国から一時帰国)がご来店。CAKEくん、中野さんとは実際に会うのは初めて。
CAKEくんはコーガンズというバンドのギタリスト。博多弁もセクシーな黒ずくめのいい男。一見ジョニー・サンダースみたいなのばかり聴きそうに見えるのに、実はかなり間口が広くて、BLACK AND BLUEのマスターが私の為に編集してくれたCDの中からシーナ・イーストンの Morning Train をリクエストしたりする。
一方中野さんは29歳なのにオールド・ロックに非常に詳しく、私がネットを始めたばかりの頃に彼のサイトを検索で見つけ、レオン・ラッセルのレビューにいたく感動して以来、たまにbbsにお邪魔させていただいている。
ちなみに彼、結構最近まで私のことを男だと思っていたらしい。「発言が男らしかったから」 というのだが、こんなハンドル・ネームの男がいたらイヤじゃないか?w
今日初めて知ったのだが、何と中野さん、ロックを歴史的に古い順からじっくりと聴いているので、新しいものを全く知らないんだと言う。「今ようやく1976年あたりです」だって。うわあ、やっとザ・バンド解散ですか。「ロックは死んだ」どころか、パンクがまだ生まれてないぞ。早くしないと中野さんが聴かないうちにミュージシャンが皆死んじゃって現役じゃなくなっちゃうよ。
中野さん、「いつかはニルヴァーナとかも聴けるのかなあ。その時カート・コバーンが死んだことにショックを受けたりして」 だってw
すごく楽しかったんだけど。実は私、今夜は具合が悪かった。
午後にRonnyがメールで喉が痛いと言った時、私も喉が痛かった。私たちはしょっちゅう同じ行動をしたり(ちょうど今起きた、とか)、同じことを同時に考えることがあるが、何も風邪まで一緒にひくことはないだろうに。
夕方彼が熱があると言ってきた。じゃあ私くらい元気でいようと思ったのだが、どんどん体調が悪化し、最後は立っているのも辛いほど。
おかげで普段に比べてかなりテンションが低く、せっかく初めて会うCAKEくんや中野さんと存分にお喋りが出来なかった。残念。
帰宅して翌朝には大分良くなった。何だったんだか一体。
Time goes slowly (時がゆっくり流れてる) *Morning Train / Sheena Easton (1981) の歌詞。
2005年01月24日(月) |
I'm Not In Love |
私は、他人に好意を示されると簡単に喜ぶ。例え相手がどんな人間でも、好意がエスカレートして迷惑の粋に及ぼうとも(実際よくあるけど)、その迷惑行為に腹を立てながらも、基本的にその人が私を好きなんだということに対しては感謝する。人が人を好きというのは、有難いことだから。
だからその「好き」が恋愛感情で、それに応えられない場合は多少自分も辛い。
だけど、そんな私が唯一その恋愛感情に対して極端にドライになる場合がある。相手が「僕は別に君のことなんか好きじゃないよ」という態度を取る時だ。
私は、ほとんどあらゆる人間を許容する。体や心の障害の有無、前科の有無、出自、経済力、性癖、教養の程度は、私が他人を受け入れる障害にはならない。だけど、嘘つきだけは駄目だ。嘘からは何も始まらない。嘘は薄汚く、誠実でないだけでなく知的ですらない。
私は「虚構」は大好きなのだ。文学は美しい虚構だし、恋愛は甘い妄想だ。大阪人が「面白かったらええやん」という理屈で、他人の母親の話を「うちのおかんがな」と話すのも「あり」だ。
「嘘」というのは、保身の為に他人を騙すことを言う。「君なんか好きじゃない」の根底にあるのは紛れもなく恥をかきたくないという保身だ。それに対しては私は容赦ない。要するにあなたにとっては、私という人間より、つまらない見栄の方が上ってことだもんねえ?
そして、「君なんか好きじゃない」は、好きな相手を含めて周りじゅうに簡単にバレる。大抵は最初から丸見えだ。本人だけが、周囲を騙しおおせている気でいるのがまたみっともない。
だからね。あなたは完全にやり方を間違えてるのよ。
私は捨て身で来る相手には結構弱いのにね。
(この文章、はっきりと二人の人間に向けて書いている。でも決して「俺のこと?」と訊かないでね。あなたのことだから)
10ccの'I'm Not In Love'は、この世で一番女々しくて、美しい曲だ。この詞の中で男は虚勢を張ってみせているようで、実は確信的に本音を垂れ流している。歌詞を翻訳したら、全部「好きだ。好きだ。好きだ」になるだろう。
だから途中で女の声が、"Be quiet. Big boys don't cry."と言うのだ。要するにこの男は泣いてるのよ。
I'm Not In Love (恋してなんかいない) *10cc の曲。(1975)
2005年01月23日(日) |
Someday you will ache like I ache |
昔一度音楽雑誌のグラビアで見てから、ずっと記憶には残っていた。派手で思慮が浅そうでロックを地で行っている感じ。顔がいい。キスをする為の唇。
コートニー・ラヴ。
リアルタイムの情報が一切ない私は、1998年にも当然ホールのヒット曲"Celebrity Skin"すら知らずに過ごしていた。
ようやくちゃんとホールを聴いたのが2002年。自分用にカスタマイズしたネットラジオのお薦めで"Phonebill Song"がかかった。(私ならこれが好きだと思ったらしい。偉いぞネットラジオ)
コートニーが、"I could really fuck you up, yeah!"と叫んだ瞬間、あまりの爽快さに笑ってしまった。
今日は家に篭って、ホールのブート・ビデオを見る。1999年、オーストラリア、"Big Day Out"───コートニーが乳出しをしたので有名なライヴだが、実際そこはどうでもいい。エロティシズムなんか微塵もない、堂々たる乳出しなので。
色っぽい目つきのコートニーが、煙草を吸いつつ、とろんとした声で言う。「聖書にはいいことが書いてあるのよ。人を殺しちゃいけないとか。・・・人の旦那と寝ちゃいけないとか」
そしてくっくっと含み笑いする。彼女自身が当時、人の旦那と寝てたのだ。
1曲目は"Violet"。歌いだしの"And the sky was made of amethyst"の時コートニーはマイクの前にいない。ギターかき鳴らしたノリでうっかりどっかに行っちゃったのだ。ふと気づいて慌てて戻り、"...amethyst" と歌う。・・・あり得ないわ。多分、酔払ってるんだろう。
"Spin a lie in your mind, you're mine"と歌う前の、ピンクのライトに照らされた上目遣いのコートニーの顔。この数秒間の顔。
私は今までこんなに綺麗な女の顔を見たことがない。
これは、女として生きることを全身で引き受けた女の顔だ。
この顔を初めて見た時から2年間、私はずっと、この顔になるのだけを目指して生きてきた。顔とは自分でつくるもので、人はその顔に責任がある。あの理想の顔にはほど遠いが、おかげで私の顔はこの2年で驚くほど変わった。
"Malibu"を歌い終わる瞬間、何とも切なそうな表情をする。
彼女は母性的に笑う。慈愛溢れると言わんばかりの微笑。そして汚い言葉を吐き散らし、怒鳴り、睨み、叫び、ギターを弾いて歌う。しまいには胸まで出してみせ、オーディエンスは興奮のあまり上ずっている。
この女が家に帰った時に独りでいることを誰が想像するだろう。
彼女はステージ上の躁が、帰宅後の鬱として跳ね返ることを知っている。その報復を知っているから、ステージで時折あんな切ない顔をする。
それは、「虚」に魅せられた人生だ。いつかは無理がたたる。いつかは折れる。燃え上がる。それが怖いから、どこかで降りてしまいたい。でもまだ降りていない。
あの顔がこちらを見て言う。あなたもそこにいるの? 早くやめないと。いつか私のように泣くよ。
いつか私のように擦り切れて泣くよ。
Someday you will ache like I ache (いつかあなたも私と同じ痛みを知る) *Doll Parts / Hole (1994) の歌詞。
2005年01月20日(木) |
To be on your own |
カーター・ディクスン著「わらう後家」読了。ずっと持っていたけど今頃読んだ。うちの本棚には常に未読本は200冊くらいある。本だけは、読む気になった時にしか読めないので、こういうことになる。
しかし。カーター・ディクスン(J・D・カー)は50冊(つまり翻訳で通常入手可能なものはほぼ全部)読んでいる筈だが。
かなり久しぶりに読んで、こんなにしょうもなかったっけ?と思った。この人物が犯人である必然性が何もない。探偵はあてずっぽうに見当をつけているだけ。トリックはちゃちく、展開はだらだらして、ラストの謎解き部分は短くて盛上がらず、解決も安っぽい。
実際一番力の入っているのはH・M卿のユーモラスな人物描写で、ミステリーではなくファースでも読んだ気分だ。
カーはこんなではなかった筈だ。この作品がひどいんだろうな。
またエラリー・クイーンのようなミステリーが読みたい。論理的で衝撃的で感傷的。
法月綸太郎だけがその感性を受け継いでいる気がする。
勢古浩爾の「ぶざまな人生」を読む。彼の本は4冊目。前の3冊は面白かったが、ここに来て飽きた。結局何冊読んでも同じことの焼き直しだ。引用に頼りすぎなのは前からだが、文章が荒れて品がなくなっている。
ただ一箇所良かった言葉。「経験は蓄積しない。つねに強いのは現在である」
全く同感だが、この単純な事実を正面から認められる男が果たしてどれだけいるか。男性の大部分が、経験が蓄積してくれることだけを願い、それに頼って生きているではないか。
女性はそうは思わない。女性は、今日の自分を売るしかないからだ。
私には、ボブ・ディランの Like A Rolling Stone の歌詞が辛過ぎる。
これは私の問題の全てだ。これが私の理想であり恐怖であり、恐ろしいことに現実にもなりつつある。
To be on your own (独りで) *Like A Rolling Stone / Bob Dylan (1965) の歌詞。('02,11,18のタイトルとダブるが、やはりこれ以外にないので)
2005年01月18日(火) |
Cry for no one |
Ronnyさん(g)と、TACさん(vo)がご来店。朝5時近くまで飲んでくれた。
とにかくえんえんとロックを聴き、えんえんとロックを語るのだから、本当にロック馬鹿ってやつは。・・・え、もちろん私もよ。
すごく楽しかったな。お酒も久しぶりに気持ちよく飲めた。
で、何で二人が帰った後に、いきなり気分が落ち込んだのか、自分でも解らない。反動もあるのか。
グラスを一個、叩き割った。
で、泣いた。
何でよ。
暗い店の中で、1時間近く固まってた。軽い酔いのせいもあって時間感覚がなかった。
やっぱりアレかなあ。昨日のsoul survivorさんとの会話。
親しい人が亡くなった話が出た。で、私はちょうど数日前に考えたばかりのことを話した。どうしてそんなことを考えたのかわからないが、今現在の私にとって、死んで最も泣く相手とは元ダンナかもしれないと思ったのだ。
断言するが、彼とやり直すことはあり得ない。なのにそれでもそう感じた。
多分もうこれは、彼という個人とは関係なくて、私が自分の人生において決定的な損失を経験したということだと思う。
意識の上でそう考えたことはない。嫌がり続けた相手の意思に一切かまわず、自分から別れたのだ。離婚後もずっと私が好きだという彼に、「馬鹿じゃないの?」 と言ってきたのだ。
何となく感じてはいたけど。私はこの2年あまり、だんだんと弱ってきている。
数日前に、店の照明がひとつ、つかなくなった。常連さんが、「もうずーっと使ってたから、駄目になったんだろうね」 と言った。
そうね。もうこれ以上もたなかったのね。
Cry for no one (誰の為でもなく涙する) *For No One / The Beatles (1966) の歌詞。
2005年01月14日(金) |
Black Crowes Fly Again |
何だか変なの。大好きな曲。聴きなれたギター。でも全く感動しない。
お店でブラック・クロウズとジミー・ペイジのライヴを持ち込んでかけた。これを最初に聴いたときの感想は、「何だこりゃ。ジミー・ペイジ用のカラオケじゃん」 だった。クリス・ロビンソンは多少ロバート・プラントに声が似ているから、真似出来てしまうところがまた辛い。
後で知ったが、クロウズはこの企画は嫌がっていたらしい。だろうねえ。
今日最初に来たお客様も、「今かかってるの何です? 曲はツェッペリンみたいだけど・・・何か違う」 と言ってた。うんうん、そうでしょ。
この方、うちの店名が'Sad Cafe'だから入ってみたという。ドン・ヘンリーのファンだって。たまにそういう方が来ると嬉しいなあ。大抵はイーグルスの曲名だとは知らないもんね。
ところでブラック・クロウズが3月にN.Y.でライヴをするらしい。今のところその後の活動予定はないようだが。(そのライヴの反応次第だとか)
Black Crowes Fly Again *Rolling Stone Magazine ('05,1,12) のヘッドライン。
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