11日のリハ以来、一度も歌っていないどころか、ろくにやる曲を聴いてすらいない。一方Ronnyからのメールは連日「これから練習」、「今まで練習」と気合満々。・・・いいのか、こんなことで。
何をやっているかというと。主にこの日記を書いている。今日でムリヤリ14日ぶんまで書き上げた。これでたったの2日遅れというわけ。こんなことやってる場合かと言われそうだが、これが片づかないと精神的に何も手につかないのだ。ボーカルはメンタルな要素が大きい。言い訳というよりも、実際何か他のことが気になっている時は、仕方ないのよ。少なくとも私はね。
後は喉風邪が流行っているらしいから気をつけよう。何しろほぼ毎回ライヴ直前に風邪をひいている。いい加減にしなきゃ。
一昨日の夜、元ダンナ(今やアル中がたたって歩けず、茨城の実家から通院中)とメールしていて、ふと「そういえばCDとかどうしてんの?」と訊いてみた。そしたら、中古で5枚持っているだけだという。
あのロック馬鹿が、CD5枚で暮してるの?
欲しいのを焼いて持っていくよ、とメール。Ronnyに車で連れて行ってもらうことにして、二人の都合のいい日(これを逃すと1ヵ月後)を見たら、6/29で偶然にも元ダンナの誕生日。
ではどうせならと、bbsに「救援物資募集」と題して不要CD等募集の旨を書込んだ。そしたらすぐに反応があった。昨日はCDを宅配便で送るという書込みがあり、今日はレコードを持っていくというメールが来た。
何だかわくわくしてきた。
最後に会ったのは一昨年の12月。歩けなくなってからは一度も会っていない。
思えば別居を始めた(追い出した)2002年の3月以来、彼に何かしてあげるのは初めてのことだ。
最初に「何が欲しい?」とメールした時の返事。「レッチリ、スマパン、ケイト・ブッシュ、ビートルズ、レオン・ラッセル、ローラ・ニーロ、きりがない」
・・・私が書いたみたいだわ。さすが私マニアw
私は彼に負い目がある。私は彼の人生を叩き潰した。
私が悪いんじゃないわ。その証拠に、事情を知る数人の人間(双方の親)は、誰も私を責めないどころか、私に同情的だ。彼自身も私を責めない。そうよ、私が悪いんじゃないわ。
――――いくら言いきかせてみても事実が消えない。私は彼の人生を叩き潰した。
だから。
CDを山と届けて、喜ぶ顔を見られたら。そこで救済されるのは私なんだ。
それでほっとさせてね。とても引き合うわけはないけれど。あなたを音楽の中に埋もれさせておけば、私はしばらく私の罪悪感から逃れられる。
In Relief (ほっとする) *reliefには「救援物資」の意味もある。 *John Frusciante の曲。(2004)
2005年06月15日(水) |
Old Fashioned Love Song |
雨の水曜日だが、お客の入りは悪くない。
初めての男性二人連れ。若い方は全く洋楽を知らない。
お客によって何をかけたらいいかを考えるのは楽しい。月曜は、初めて見る女性客の為にフェイセズ→ストーンズとかけて馬鹿ウケし、次に何となくかけたブラック・クロウズがツボにはまり、連れとの会話に「パンクが好き」というひと言があったのでクラッシュをかけて大ウケだった。
今日は何がウケるんだろ? オールド・ロックに詳しそうな40代の方に照準を絞り、まずは小手調べでこれどうですか?とかけてみた。
I'm Not In Love
かかった途端に「10ccか」と40代男性。
ところが。洋楽にうとい筈の30代男性がいきなり反応。「これ何ていう曲ですか?!!」
「これ、勤務先(飲食店)の有線で何度か聴いて。すごくいい曲だから、そのたびに周りに曲名を訊くんですけど誰も知らなくて。いやあ、今日はここに来て本当に良かった!」
頼まれて曲名とバンド名をメモに書いてあげた。「この曲は私の携帯の着メロです」と言った私の顔は、さぞかし誇らしげだっただろう。
「とってもヘタレな歌詞なんですよ。僕は君に恋してなんかいない。君の写真を貼るのは壁の染みを隠す為だ、って」――頼まれてもいないのに説明する。
本当に嬉しそうに帰っていった。また来ますと言って。
「この曲好きなんです」と輝く顔。それを一日に一度見られるだけで、疲れも吹っ飛ぶ。
Old Fashioned Love Song (古臭いラヴ・ソング) *Paul Williams の曲。(1971)
2005年06月14日(火) |
to be governed by this love |
家でマルーン5をえんえん聴く。正確に言えば"This Love"だけをえんえんと。
このバンドは、少し前に元ダンナが薦めていた。高円寺CRに勤めてみたら、"Songs About Jane"のアルバムがあったので一度ざっと聴いてみたが、私の苦手なソウルやファンクの要素が耳について、まあ普通かなと思っていたのだが。
後日もう一度かけてみたら、"This Love"にいきなりはまった。「あれ?」って感じで何度もかけた。このボーカルを好きかどうかは微妙だし、"She Will Be Loved"なんかはいくら何でも甘ったる過ぎる。(一般的にはウケそうだが)
だけど"This Love"は。感性的にはあやういところでバランスを取っている曲のくせに、つくりは細部まできちっと仕上げていて遊びがない。3分半もない短い曲で、前置き抜きで始まり、そのまま一度も手綱をゆるめず、同じテンションを保ったままラストまでいく。
仕事明けで疲れてたんだか。ツボにはまって泣いちゃったし。
ソウルのテイストがあるのに好き――何かに似てるなと思ったら、ジャミロクワイか。
to be governed by this love (this loveのとりこになって) *Virtual Insanity / Jamiroquai (1996) の歌詞。
2005年06月13日(月) |
Don't want you here right now |
店でお客が途切れた0時過ぎにストロークスの1stをかけた。そしたら元ダンナから「ストロークスがとてもいい」というメールが来た。タイムリーな。
ストロークスを知ったのはつい最近だ。前にお店で、うっかりCDが終わってしまった時に、次のを用意していなかったので慌てて手当たり次第にかけたのがストロークスの1st。音が出た瞬間に「かっこいい!」と口に出していた。
こういうメガホンでも通したような加工のボーカルと、たるいノリは好き。
Last Niteの、「When you turn me off」の発音がぐっとくる。どの曲も何だか中途半端で青臭い。
歌詞は、ちょっと衝撃的なくらいあっさりと身勝手だ。こういう詞を書かれると、世代のギャップなんていう言葉では片付かない恐ろしさを感じる。私はLast Niteの詞に出てくる「彼女」になるのはごめんだ。
Don't want you here right now (今は君にそばにいて欲しくない) *The Modern Age(今時の世代) / Strokes (2001) の歌詞。
2005年06月11日(土) |
With the birds I'll share this lonely view |
14時半に夜勤&会議明けのRonnyが来る。15時から3時間リハ。どうも乗らない。どの曲もまんべんなくダメ。この期に及んで、このノリの悪さは何なんだろう。正体が掴めないままリハ終了。
別に二人の仲がしっくりいっていないということではない。
全て順調というわけではないが、でも今のところ、不満は全部(愚痴としてではなく)口に出してしまっている。これが出来るうちは大丈夫だ。
去年の今頃は、言いたくても言えないことがどんどん溜まって、卵詰りを起こした鳥みたいになっていた。そんな状態でうまくいくわけがない。だから今度は同じ失敗はしない。腑に落ちないことがあれば、落としてもらうまでだ。
本当に怖いのは、不満を口に出す価値すらないと思った時だ。
普段「経験から学ぶのが嫌い」と言っているが、それは例えば男性を好きになる時に、以前に似たタイプで懲りたからと気をつけたりするのは嫌だということだ。
人間関係の運び方に関しては、かなり成長したと思う。大人になるとはこういうことか。こういう風に成長していけるなら、年を取ることは悪くない。
大分前の話になるが。5/12にRonnyと外出した帰りに、Sad Cafeに未払い給料の取立に行った。そしたら案の定払えないといい、これも案の定私の勤務ぶりに文句をつけ始めた。曰く、私のせいで客が減ったから給料が払えなくなったんだ、と。馬鹿馬鹿しい。お給料は最初から遅れていたんだし、私の初勤務日の客はたったの2名、しかもうち1名はLEO(g)だって。どう「減る」っていうのよ。
こんな馬鹿げた言いがかりをつける45歳を相手に私は冷静に喋り、しまいには興奮した相手の手を取って握り締め、「早く気持ちよく縁を切りましょう。お金さえ払ってくれればそれでいいんです」と目を見つめて言ったんだから。頭の中で「私ってオトナだわ・・・」とうっとりしたわよ、まったく。
この日は一日Ronnyと二人でとても楽しかった。だから最後にケチをつけたくないという気分も大きくかった。
怒りは疲れる。うんざりする。離婚経験を通して、私はようやく「怒り」から解き放たれた。怒鳴ること、罵ること、興奮することには何の意味もなく、ただただ自分を消耗させ、相手を傷つける。
同じ言葉を、怒鳴らずに言えばいい。「怒る」人間は、もう自分の主人ではない。「怒り」という別の存在の奴隷だ。そこに自由はない。
だから今では、怒りを抑えられない人間を見ると哀れに思う。
元ダンナと駄目になったことは、私の予想以上に大きな哀しみを後々まで残した。でも、この哀しい景色は、静かでうつくしい。
空っぽで孤独だが、そこで私はほっと息をつける。
With the birds I'll share this lonely view (この寂しい景色を 僕と、鳥たちだけが見てる ) *Scar Tissue / Red Hot Chili Peppers (1999) の歌詞。
2005年06月10日(金) |
I'm tearing at myself |
このところ自分でもおかしいんじゃないかと思うくらい、ガービッジにはまっている。
正確に言えば、シャーリーの言葉に。
ガービッジに幸せな曲はただのひとつもない。歌詞の基本は、自己否定、自己破壊衝動、他人への攻撃、恋人への絶望。救いを求めながら、それがもたらされることを信じていない。
自分のバンドに、「ゴミ」という名前をつける女。
最近になってようやく2ndが好きになったのは、その歌詞をきちんと読んでみたからだ。サウンド的には今でも1stが最高だと思っている。だけど、1st の硬い挑戦的な詞もクールだが、2ndの傷ついていることを隠さなくなった、やわらかくなめらかな、優しいあきらめを含んだ詞を聞いていると、とても平静ではいられなくなる。
2ndは、全部がラヴ・ソングに聞こえる。
たすけて。たすけて。たすけて。
そう言っている。
昨日ネット上の記事で知ったけど。彼女は子供時代から外見をからかわれて孤立し、メイクなしでは外出できないほどで、かなり荒んでいたらしい。ファニー・フェイスだとは思っていたが、そんな目にあっていたなんて。高校中退してバンドをやるようになって、初めて自分の居場所を見つけたという。
私は外見をどうこう言われたことはないが、この話は相当に身につまされる。ジャニス・ジョプリンが大学時代に「キャンパスで一番醜い人」に選ばれたと聞いても、アメリカ人って信じられないことするなあと思うだけだが。シャーリーの話は、個人的に共感してしまう。
ある意味、私はシャーリーと同じ体験をしている。私は普通の子供じゃなかったし、友だちはたくさんいたけど、誰とも精神の共有が出来なかった。根拠のない自信と高い自尊心を持ちながら、自己否定も相当に強かった。
今でも突然、自分が完全に無価値だという気分に襲われることがある。
そういう時、自分を「食い荒らす」のは慰めになる。
*(この日記は、10日の12時にアップし、14時に引っ込めていたものです)
I'm tearing at myself (私は自分を食い荒らしている) *Medication / Garbage (1998) の歌詞。
2005年06月07日(火) |
Nightswimming |
Sudden Fictionという本を読んでいる。全2巻で、1巻目はアメリカの短編70編、2巻目は世界の短編60編。何が書いてあるのかさっぱり解らない話や、どこが面白いのか見当もつかない話もあるが、とにかく何となく読み進めてしまう。1巻目では、スティーヴン・ディクソンの「署名」が良かった。9ページの作品を普通に一気に読んで、最後の一行でいきなりぼろっと泣いた。自分でも涙の理由がクリアに分析出来ず、もう一度読んでみて、やはり判らないままぼろぼろ泣いた。
今は2巻目の半ばで、モニカ・ウッドの「消える」を読んで少し涙ぐんだ。これが「来る」理由ははっきりしている。体重150Kgの女性が水泳でどんどん痩せていく話だ。彼女は消えたがっているのだ。2002年の夏に私も同じことをした。体重は150Kgの1/3以下だったが、やっていたことは全く同じだ。毎日泳いで、食べなかった。大抵は夜に泳いで、最後の一人になることも珍しくなかった。
私は独りで、ジムのガラス越しに夜を見ていた。自分が醜く感じて、どうにかしたかった。
以前に餓死自殺を思いついた時は、目の前が明るくなったような気がして嬉しかった。綺麗に死ぬんだわと思った。死体のやつれ具合は目を覆わんばかりだろうが、それでも余剰の醜さはない筈だ。
ネットで検索してみて、餓死自殺を企てたことのある人がたくさんいることを知った。皆失敗していた。途中で脱水症状から激しい下痢を起こすんだという。綺麗どころの話ではない。
*(この日記は、一度リアルタイムでアップして翌日に引っ込めていたものに加筆しました)
Nightswimming (夜、泳ぐ) *R.E.M. の曲。(1992)
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