Rocking, Reading, Screaming Bunny
Rocking, Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?


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*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)

*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
 9年続いたサイトの母体は消しました。この日記はサーバーと永久契約しているので残しますが、読むに足らない内容はいくらか削除しました。


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2005年12月24日(土)  The Man With The Child In His Eyes

SC(b)にタイ料理店でご馳走になり、その後彼の家で、オアシスのビデオを2本見る。最初が「Live Forever」で、ブラーとオアシスの対立などを中心に、'90年代イギリスのいわゆるブリット・ポップ・シーンを振り返る作品。
ノエルがインタビューで、「ブラーはなんだかんだ言ったって結局中産階級だ。ホンモノのふりは出来ない。俺達はホンモノの労働者階級で、中産階級の奴らより魂が純粋だ」というようなことを言っていた。
・・・・・・・・・・アホだw
アホだから言いたいことを早口で全部言う。一方ブラーのデーモンは、終始控えめに(苦々しげに)言葉を選んで全てを語らずといったふう。確かに知性と品が滲み出ちゃってるわけで、これがノエルの言いたい中産階級の限界だとでも?

そしてリアムの可愛いことったら。「君には女性の要素もある」と言うインタビュアー(くだらねえこと言ってんじゃねえよ)に向かって、「何だ? 俺が女だって言うのか? どういう意味だ? わかるように説明しろ。具体的に言え」と、相手がたじたじになるまでたたみかけるのがガキっぽくて微笑ましい。───確かに彼は魂が純粋そうだわw

二本目の映像はMTVのアンプラグト。何とリアムが出ていない。ノエルが歌っている。・・・こんなの見る価値ないわ。
前に「オアシスは不当に評価が低い」と書いたけど。重ねて言えば、オアシスにおけるリアムは評価が低過ぎる。「Live Forever」の中でも、ブレアが首相官邸にノエルだけを招いたというくだりがあって、唖然としてしまった。
確かにノエルの作曲の才能はすごい。あの曲あってのオアシスだ。けれどあれを全部ノエルが歌ったら、オアシスがあんなに愛されるバンドになったと思うのか? 少なくとも私は嫌だ。Don't Look Back In Angerなんか嫌いよ。リアムが歌うからいいんだ。
そして実はそのへんを一番よくわかっているのがノエルだと思う。ノエルは頭では弟を全く認めていないし、自分の方が歌も上手いと思っている。ただ(理由は解らないが)リアムに歌わせているからこそオアシスというバンドがここまで世間に受け入れられているんだということを無意識に察知していて、だからこそどんなに兄弟喧嘩をしてもリアムを外さない。

・・・関係ないけど私、リアム・ギャラガーが男としてかなり好きなんだよね。別格のイジー・ストラドリンを除けば、世の中で一番好き。
2nd以降のオアシスはどんどんつまらなくなっているけれど。リアムという個人はいよいよ魅力を増している。
最近自分でも驚いたことに、ついに子供っぽい男やダメ男に飽きた感がある私だが。
あれだけ強烈にホンモノだとなあ。
・・・ああ、確かに彼は魂が純粋だわよ。
(1/2up)

The Man With The Child In His Eyes (子供みたいな眼をしたひと)  *Kate Bush の曲。(1978)


2005年12月20日(火)  He's old enough to know better

帰宅が昼12時半。18時半にまた家を出たが、かなり体調が悪化していて、今にも吐きそう。
19時からCROSS ROADで英語の授業。集中して教えたせいか、終わる頃にはすっかり吐気が治まっていた。けれどまだ本調子には遠い感じ。

marikoさんと青野さんがご来店。クリスマス・プレゼントにケーキと本(クリスマスに少女は還る/キャロル・オコンネル)をいただく。

遅くにKくんが初来店。新宿のGODZからタクシーで来たらしい。ビールがんがん飲みつつがんがん盛り上がる。好きなのは知ってるからどんどんかけてあげる。ハノイモトリーサバスパンテラガンズレッチリ、レッチリ、レッチリ、レッチリ・・・・・w
最後の1時間半はレッチリ大会だった。「俺、ジョンになりてえー!!」と叫ぶKくん。しかしその直後に「やっぱりチャドにもなりてえー!!!」ってw
ちなみにKくんはフリー大好きで、フリーのベースを肩から下げたこともある。そして昔からの口癖は「アンソニーに抱かれたい」・・・・・全員好きなんだな、うんうん。

今日は1時過ぎにyer-bluesさんから電話が来た。(しょっちゅう来るんだけどねw)
取ったら、「今、何時?」って。・・・その携帯のディスプレイを見やがれw
またしばらくしたらかかるから、取ったらいきなり「Cry Baby Cryお願いします」・・・リクエストかよ。山口県からw
先日も真夜中にかけてきて、「うちのドミンゴが悩みがあるっていうから聞いてくれ」って。電話かわったら、受話器の向こうで犬が「ハッハッハッ」って言ってた・・・・・・。
「山口に来てロック・バーを開けよ。山口はロックが相当熱いんだぞ?」って言うのもどうなんだよー。

He's old enough to know better (大人なんだからさあw)  *Cry Baby Cry / The Beatles (1968) の歌詞。('She's old enough to know better' のもじり)


2005年12月18日(日)  Take Your Time (Do It Right)

出勤中ずっと、家から店までiPodでスマッシング・パンプキンズの「1979」を聴く。この曲は、荻窪で電車に乗りこむ直前にかけると、高円寺で電車から降りた直後に終わる。

この曲にはSad Cafeで出会った。1997年のグラミー受賞曲を集めたCDに入っていたのだ。あっという間に惚れこんで毎日聴きまくった。
Sad Cafeでは、非常識なオーナーのせいで不愉快なこともあったし、未だに未回収のお給料が4万円余りある。けれどこの曲に出会えたことを思うと、見返りとして4万円くれてやってもいいほどの気分になる。(いや、まだ取り立てるけどねw)

久々にチョコレート・チワワに行き、縫いぐるみのようにふかふかの、ファー付のオレンジ・ブラウンのコートを買った。7,900円という値段がついていたが、手に取ったとたん「3,000円引きますよ」と言われたw いい店だなあ。

今日は厳寒の日曜とあってお客が少ない。携帯メールしていたら、MS(g)からメールが来た。「会いたい」という一言があったので、あらスイートだわと思っていたら、じきにいつもの調子で私の家に来たいなどと言い出したので、店に来るなら歓迎と返信。
彼は長身でしまったきれいな体をしている。顔は涼しげだし、知識はあり趣味がいい。ギターも上手い。だからもうちょっと普通に口説いてくれればいいのに。
何だっていちいち自分でぶち壊すんだろう。いきなり「明日から一緒に暮らそう」だの「俺と寝ない?」だのって。・・・頼むからもう少し甘い気分を味わわせてくれ。

Take Your Time (Do It Right) (あせらずちゃんとやって)  *S.O.S. Band の曲。(1980)


2005年12月16日(金)  In my mind my dreams are real

PCTVでオアシスの1stのメイキング・ビデオを見た。リアムが頭悪そうで可愛い。「世界一になるつもりだったからね」と真面目にこともなげに言うのが感動的だ。

オアシスは、不当に評価が低いと思う。「ビートルズの物真似」という言い草は話にならない。ジョンポールにSupersonicが歌えるわけがないだろう。
オアシスが批判されるのは、一に彼らが有名過ぎるから、一般大衆に受け入れられ過ぎるからだ。そしてもうひとつ、あの兄弟が明らかにアホだからだ。
アホだから、何も恐れずストレートに一番いいものを出してくる。アホだから、周りを気にせず感情のままの演奏をぶつけてくる。そこに若者が反応する。だって若者って皆アホなんだもの。
ギャラガー兄弟は俗を恐れない。そんなみみっちい恥の感覚は彼らにはない。だから真っすぐに世界一を狙い、世界一になる。凄いことだ。

リアムが、「他のバンドを見てると頭にくる。一枚のアルバムを作るのに4年もかけやがって」というようなことを言っていた。・・・それをレッド・ホット・チリ・ペッパーズに言ってやってくれ。10月に出せるはずの新譜が何故(現段階での推定で)3月発売予定なんだ。さっさと出して、早く再来日して、お願い。
(12/21up)

In my mind my dreams are real (俺の中では、夢は現実だ)  * Rock 'N' Roll Star(ロック・スター) / Oasis (1994) の歌詞。


2005年12月07日(水)  The Screaming Mimi

kenjinの日記にRAINN(Rape, Abuse & Incest National Network)という団体のことが出ていた。強姦・虐待・近親相姦の被害者の会だ。ここのグッズにR.E.M.のマイケル・スタイプがデザインしたポストカードがあって、大阪でkenjinにそれをもらったばかりだ。

強姦は死刑にしたほうがいいと思う。20代頃までは、強姦のことを考えるだけでぞっとした。レオノー・フライシャーの「リップスティック」(ノヴェライズ)は、読後に本を部屋の向こう側の壁までぶん投げた。「告発の行方」のビデオを見た時は、レイプ・シーンで吐気がした。もし私が強姦されたら、相手を、生まれてきたことを後悔するようなやり方で殺してやる。殺人ですら場合によっては正当に感じることもあるが、強姦にはどんな正当性もあり得ない。
ここ数年で、ようやくこの強迫観念に近い嫌悪感から逃れられてほっとしている。一時はあまりにも嫌悪感が強いので、前世で何かあったのか、または昔何かあったのを過度のショックで「忘れている」のじゃないかとさえ疑ったほどだ。

今も、RAINNのサイトで寄付をしようとしながら、このサイトに自分の情報を登録するのが不安で、一度は記入途中でページを閉じてしまった。しばらくしてやり直した。
詳しくサイト内容を見る気にもなれない。まあ、寄付する時は大体そうだが。
そういえば私が寄付するのは、時々ネット上でも街中でも寄付する盲導犬協会、あとは大地震が起きた時だ。どちらも、自分が失明と地震がかなり怖いので、「神様、お金を払いますから免れさせて下さい」という利己的動機からだ。今回もそうなのか?
それとも「可哀想な」被害者のため? 被害者って誰よ。考えたくもない。
乾いた涙がすうっと出る。音楽や文学に感動した時とは全く違う、浄化作用のない涙が。

10年ほど前に2、3ヶ月だけサイマルの英語の授業を受けたことがある。その時、「社会問題に関する質問を複数設定し、クラスメートにインタビューして、それぞれの結果をレポートにまとめる」という宿題が出たことがあった。そこで私はその中に「強姦は死刑にしたいか? 即時にYesかNoで答えよ」という質問を設定し、後でその理由をゆっくり訊くというやり方にした。反応は女性の全員が「No」で、予想通りの結果だった。私はレポートに、「この即時回答の意味は、彼女たちの現実への認識度を見るためのもので、女性がこの質問にNoと答えている限りレイプはなくならない」といったことを書いた。

「女は心の底ではそれを望んでいるはずだ」と考える夥しい数の低脳がこの世にはいるのだということを、彼女たちは解っていない。その阿呆たちは、女が金切り声を上げて抗議してすら、何も聞こえないのだ。

今日のタイトルの'The Screaming Mimi'はフレドリック・ブラウンの小説で、'Mimi'はその中に出てくる裸婦像の名前だ。体をくねらせて硬直させ、襲撃者にたいして両手を突き出し、絶叫している彫刻。そのモデルは、実際に通り魔に殺された女なのだ。
私の名前Screaming Bunnyは、兎を飼っていたことと、この小説のタイトルを合せて、ある時たまたま出来た。その時は一日だけ使うつもりで作ったハンドルだったが、もう3年も使い続け、今では本名よりずっと知られている。
これも何かの因果なんだろうか。
(12/13up)

The Screaming Mimi (金切り声をあげるミミ)  *フレドリック・ブラウンの著書。(邦題=「通り魔」) (1949)


2005年11月25日(金)  You wore our expectations like an armored suit

昨日届いた、R.E.M.のDVD、'Road Movie'を見る。どこにも売っていなかったので、オフィシャル・サイトで買ったのだ。
1995年の「Monster Tour」の映像である。「Monster Tour」、ええ、もう一回言うわね。「Monster Tour」
・・・ちっくしょー。数日差で見逃した、10年前のあのライヴ。まさか。まさか次の来日までに10年もかかるなんて。
その来日公演の記事が載っていたロッキング・オンの、見出しのコピー「そして皆の胸は熱くなったのでした」を見た時のあの後悔。

Road Movieは、出た当時にTV番組(Making Of Road Movie)でざっと見たことがあるが。今回初めてDVDできちんと通して見た。
1曲目が'I Took Your Name'──今年3月の武道館でこの曲から始めた時は、あまりの渋さにくらくらとなったが。そうか、既に10年前の時点で同じことをやっていたんだ。
2曲目が'What's The Frequency, Kenneth?'で、3曲目が'Crush With Eyeliner'、4曲目が'Undertow'────ああ、私はこの場にいたら、失神したに違いない。

R.E.M.って変なバンドだ。特にマイケル・スタイプは何て変な生き物だろう。彼は175cmらしいが、ぞろりと細長いその体はもう10cmは高く見える。
何なんだそのおかしな格好は。ブレザーにパンツ、なのに腰から膝までにタオルケットのようなパイル布を巻いている。血管の浮いたスキンヘッドにサングラス、アイホールいっぱいのシャドウ。で、靴はスニーカーかよ。普通ならおそろしくちぐはぐな道化になる筈なのに・・・かっこいい。
その動きときたら、綺麗なトカゲと軽業師を合わせたよう。コートニー・ラヴが'99年のホールのライヴ映像で、これと似た動きを時折する。当時つきあいのあった彼の動きを真似ているのかもしれない。

'Losing My Religion'ってのは、本当にいい曲だなあ。一番有名な曲がちゃんといい曲だってのはいいことだ。ファンが世間に対して「あの曲を○○の真髄と思って欲しくない」と言い訳している図は見苦しいから。

大好きな大好きな'Let Me In'。今年の武道館では聴けなかったが、このDVDにはアンコールで収まっている。飛び散る火花のような映像をバックに、ビル・ベリー(drs)がタンバリンを叩き、ピーター・バック(g)がキーボードを弾き、マイク・ミルズ(b)が体を前後に揺すりながらギターを弾く。このギター、ディストーションとディレイのせいでリズムがあっているのかも判り辛い、この荒いノイジーなギターがいい。
ああ、いつか。この曲を生で聴けたらなあ。
(12/2up)

You wore our expectations like an armored suit (あなたは私たちの期待を鎧のように身にまとった)  * What's The Frequency, Kenneth? / R.E.M. (1994) の歌詞。


2005年11月24日(木)  I know your image of me is what I hope to be

20年間ずっとあなたを愛し続けて来た。他にも魅力のある男はいくらもいるけど。でも私は、いわばあなたと結婚したようなものだから。
だから20年間言い続けてきたんだ。「一番好きなミュージシャンはレオン・ラッセルです」って。
それがこの仕打ち?

レオン・ラッセル来日公演最終日を観た。
公演初日の月曜から、観に行かないにも関わらず落ち着かなかった。今日は渋谷に向かう電車の中で泣きそうな気分になり、手も冷たく脈も早まり。
この緊張感が期待だけではないことはうっすらわかっていた。私は、今回のライヴがもしかしたら良くないんじゃないかと思っていたのだ。あまり考えないようにしていたが。
理由は、彼のここ数年のCD及び演奏だ。彼の作品の黄金期は、'70年の1stを頂点として、'75年の"Will O' the Wisp"で終わる。いや黄金期も何も、それ以降のアルバムは殆どベスト盤、ライヴ、企画モノ、未発表音源集ばかりだ。例外は2001年の"Guitar Blues"(考えてみればこれも、レオン・ラッセルのギターが聴けるという企画モノ)だが、ジャケット・デザイン以外特に印象に残るところはない。そして実を言えば私は、レオン・ラッセルは最初の3枚ばかり聴いているのだ。
彼の演奏が雑になり始めたのはいつからだったろう。私はこれまで3回彼のライヴを観ているが、一度目の'91年の九段会館は、音割れがひどかったにも関わらず本当に素晴らしかった。元ダンナとライヴ後に興奮して飲みながら語り合ったのを覚えている。その後の中野サンプラザ、そして厚生年金会館と、次第に興奮度が減っていったのは確かだが。
レオン・ラッセルはいつからか、嫌な意味で、「彼が演奏していれば何でもいい」人になっていった。

2001年に出た"Signature"を2003年に買ってみた。BLACK AND BLUEに持ち込んで聴いて、それっきり二度と聴かなかった。ピアノでのセルフ・カヴァー集という特殊性を味わう以外、特に価値もないアルバムだった。
そして彼のここ数年のアメリカでの映像。「渋い」、「ベテランの風格」、「堂々とした存在感」という言葉はふさわしくても、「感動」、「興奮」という言葉からは何と隔たった演奏だったことか。

開場時間ぴったりに到着し、開演時間には席にきちんと座っていた。喉が渇いて落ち着かない。周りの環境に苛々した。
オーチャード・ホール────何なのよ、このお上品ヅラした会場。ここは前にも矢野顕子を観たことがあって、彼女にこそ似つかわしいが、レオン・ラッセルの雰囲気には全く合わない。何しろ今回レオン・ラッセル公演の前後の出しものが「バレエ」なんだから。──そのせいか、客層が今までで最低に感じる。(後から思ったが、大半の客がレオン・ラッセルを殆ど知らなかったようだ)

殺風景なステージに、前置きもなくいきなりミュージシャンたちが現れる。何か拍子抜け。(同じことをかつてNHKホールでルー・リードが腰がくだけるほどかっこ良くやったことがある。要はやり方の問題だ)
オープニングはDelta Lady。音が小さい。こちらに迫ってこない。ああそうですかといった感じ。
────ああやっぱりな。緊張感が次第に失望へ、そして退屈に取って代わる。
はっきり言えば、途中から、早く終わらないかなと思っていた。

なんてひどい音響だろう。ギターは甲高く、そのくせよく聞こえない。ベースは大きすぎるのにこもっている。
なんてひどい照明だろう。適当以外の何ものでもなく、時々壁にレオンの手の影が大きく映るのが非常にうざったい。
なんてひどい客だろう。一番反応がいいのが"Georgia On My Mind"ってどういうことよ。
なんてひどい演奏だろう。ど真ん中で自己主張し過ぎのベーシストは、何故か何曲もどうでもいいリード・ボーカルを取る。ドラマーはゆっくりした曲になると途端にリズム・キープが曖昧になって、レオンのキーボードに引きずられている。ギタリストはそのどうでもいい演奏以外にも、やたらと右手を高く上げ、脚を若い頃のプレスリーばりにがくがくと振るわせるのが、バンドを間違えているとしか思えず、殺意すら感じる。バックバンドで一番マシなのが娘のティナ・ローズだってのはどうなんだ。その彼女ですら、一曲アカペラで歌わせたのは親馬鹿が過ぎるだろう。(歌い終わった後に"Thank you, daddy."と言ったのは、身の程をわきまえている感じで可愛かったけど)
しかしこれら全ての障害があっても、レオン・ラッセル本人にやる気があれば、私はきちんとそれに応えた筈だ。
装飾過多のキーボード、全てが均一のアレンジ(しょっちゅう曲をつなげていたが、どこから曲がかわったのか、曲を知っている人でないと判らなかったと思う)、メリハリもパッションも全くない演奏。

いくつもの名曲が殺されていた。"Hummingbird"では涙が出たけど、単にパブロフの犬状態でこの愛する曲に反応しているだけで、演奏に感動させられたわけではなかった。
ずっとライヴで聴きたくて聴けなかった"Prince Of Peace"は、"Out In The Woods"にくっつけられて、すっかり普通の「ゴキゲンな曲」にされていた。
"A Song For You"は、出だしは一瞬昔と変わらぬ演奏をするかと見せかけるというタチの悪さ。この一曲の中で、彼が昔のパッションの片鱗を取り戻したのはこの一行だけ。
I love you in a place where there's no space or time.

しみじみと思う。20代の頃から年寄りくさいイメージが強かったレオン・ラッセルだけど、実はこの人の魅力というのは、その強烈な攻撃性にあったんだなあ、と。
今は名実ともに年寄りになり果て、これ以上やりたいこともないんだろうか。

結局問題は、彼がこの数年間テーブル着席式の小さなライヴハウスでやってきた演奏を、2,000人入るホールでやってしまったということだ。

だらだらと30曲近くもやる。お仕事ですから、決まりですから、と言わんばかりのてきぱきしたアンコールは1曲きり。
演奏終了後、真後ろの席から「こんなもんなのかなあ」という声がした。

観に来ていた忌野清志郎は、非常に満足そうないい笑顔だったけど。

今回、レオン・ラッセルを初めて観る人がかなり多かったようで、その殆どが肯定的な意見だった。そういう人たちにはこう言いたい。「当たり前でしょう? だってレオン・ラッセルだよ?」
これだけくさしておいて言うが、今回の彼の演奏は、一般的に考えたら相当にレベルは高いのだ。何しろこの筋金入りの本気のロック馬鹿が「夫」と見込んだミュージシャンだ。右手の指が一本折れていたって、そこらのジャリよりはずっといい演奏が出来るだろう。
問題は、こちらがどれだけのことを期待していたか、実際彼にどれだけのことが出来る筈かということだ。

一緒に行ったNN、会場で会ったRBとその連れの女性と、4人で渋谷で飲んだ。今のライヴのショックから立ち直れず、まだ苛々が取れない。

NNとタクシーで高円寺ロックバーCRに移動。オーナーにお願いして、レオン・ラッセルの1stをかけてもらう。Hummingbirdを聴いて涙。

2時にタクシーで新宿へ。Cがもう閉まっていたので、リニューアルしたRSに初めて行く。その後バー「なかざわ」に移動。7時半まで飲む。
(12/1up)

I know your image of me is what I hope to be (君が僕に持っているイメージは、僕自身の理想でもある)  * A Song For You / Leon Russell (1970) の歌詞。

* このライヴをご覧になった音楽評論家の方の文章はこちら



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